第6話 一位の意味
再び、学力テストの日が近づいてきた。前回のテストで、私は首席のイリヤくんのすぐ下──二位だった。
でも、それだけじゃ満足できない。だって、初めてちゃんと会話したあの日、図書室で勇気を出して言ってしまったんだもの。
「次のテスト、イリヤくんを抜かすつもりだから。見ててね」
天才美少女優等生のルリシア・クリスティーノが、あんな宣戦布告みたいなこと、口走ってしまった。
もう後戻りはできない。
今度こそ、一位を取って彼に「見ててね」の言葉を、ちゃんと形にしなくちゃ。
だから、私は決意した。毎日、図書室にこもって猛勉強。周りの視線なんて、もう気にしない。
魔法理論の分厚い本を山積みにして、夜遅くまでペンを走らせる。
時々、レイラが「休憩しなさい!」って怒鳴り込んでくるけど、「あと少しで終わるから!」って追い返してしまう。
寮の同室で友達のセナにも、心配された。
「ルリ、また徹夜? 顔色悪いよ……本当に大丈夫?」
「うん、大丈夫! セナは先に寝てて。私、もうちょっとだけ……」
セナはため息をつきながらも、「無理しないでね。明日も早いんだから」と優しく言って、先にベッドに入ってくれた。
**
そして、テスト前夜。テスト前日になると学院の図書室は夜間も自由開放される。
図書室の窓際、私のいつもの席は、参考書とメモの海。魔法の計算式がぐちゃぐちゃに書き殴られていて、自分でも正直、何が何だかわからなくなってきた。
でも、まだ……あと一問、解き終えたら……。
うとうとしだして瞼が重い。
(もう少し……もう少しだけ……)
頭が、かっくんと机に落ちた。
──バタリ。そのまま、意識が遠のいた。
どれくらい時間が経っただろう。静かな図書室に、扉がゆっくり開く音がした。誰かが入ってくる。
足音は静かで、慎重で……でも、確実に近づいてくる。私は、ぼんやりとした意識の中で、誰かが私の隣に立つ気配を感じた。
誰かの息遣いに、そして肩にそっと触れる温かさ。
「……ルリシア」
低い、落ち着いた声が聞こえて、心臓がびくんと跳ねた。
目を開けると──イリヤくんが、そこにいる。
赤い瞳が、すぐ近くで私を見下ろしている。いつもの無表情だけど、眉間にわずかな皺が寄っていて、心配そうな色が浮かんでいた。
「……イリヤ、くん……?」
声が掠れ、頭がまだぼんやりして、夢みたい。
彼は小さく息を吐いて、私の肩に触れていた手を、優しくでもしっかりと支えるように動かした。
「こんな時間まで……何をやってる」
「勉強……テスト、明日だから……一位、取るって……言っちゃったから……」
言葉が途切れ途切れになって、恥ずかしくて、顔が熱い。イリヤくんは、静かに私の机の上の惨状を見回した。そして、ゆっくりと私の隣の椅子を引き、腰を下ろした。
「……馬鹿だな。無理するなと言ったろ」
その一言に、医務室での記憶が蘇る。
彼の声は、怒ってるというより……なんだか、優しい。
「俺を抜くために、ここまでするつもりか」
「……うん、自分に……負けたくない」
私は机に頰を押しつけたまま、小さく頷いた。
イリヤくんは、しばらく黙っていた。
そして、ふっと小さく息を吐いて、私の頭の上に、そっと手を置いた。
──温かい。
「寝ろ。明日、朝起きてから勉強すればいい」
「でも……まだ……」
「無理をしても、頭は回らない。俺が……見てる」
その言葉に、涙がにじんだ。
(見てる……)
イリヤくんが、私の頑張りを、ちゃんと見ててくれる。私は抵抗する気力もなく、彼の手に頰を預けるようにして目を閉じた。
「……ありがとう……イリヤくん」
彼は何も答えなかった。ただ、静かに私の頭を撫でるような仕草で、手を離さなかった。
図書室の燭台の灯りが、優しく揺れている。明日のテストで、今度こそ一位を取れるかな。
でも、それ以上に──イリヤくんが、こんな時間まで、私のことを心配してくれたこと。
それだけで、もう十分すぎるほど、胸がいっぱいだった。彼の温もりが、まだ手の中に残っている。
**
テスト結果発表当日。
朝の学院は、いつもよりざわついていた。
掲示板の前に生徒たちが群がり、期待と緊張が入り混じる空気。私はレイラ、セナと一緒に、少し離れた場所から息を潜めて待っていた。
「ルリ、ドキドキしてる? 絶対一位よ!」
「頑張ってたもんね! 絶対、大丈夫!」
レイラとセナが私の手をぎゅっと握ってくれる。私は頷いたけど、胸の奥がざわついて仕方なかった。
やがて、先生が新しい紙を貼り出す。生徒たちが一斉にどっと動いた。私はその波に押されるように、掲示板へと近づく。
指が、名前を追う。
一番上の行──そこに、私の名前があった。
「……え?」
私は目を疑った。
一位:ルリシア・クリスティーノ
二位:イリヤ・クロウリー
私の名前が、一番上に。
彼の名前が、その下に。
周囲から驚きの声と歓声が上がった。
「ルリシアさんが首席!?」
「マジで!? 天才美少女が首席取った!」
「イリヤくんを抜くなんて……!」
レイラとセナが飛びついてきて、私を抱きしめる。
「ルリ、凄いじゃない! 頑張ったわね!」
「ほら、やっぱり一位!すごいよ!ルリ!」
みんなが祝福の視線を向けてくる。
でも、私は──何故か心が晴れなかった。
喜びは確かにあった。でもそれ以上に、胸の奥が重くて、モヤモヤしたものが広がっていく。
だって……私は満点じゃなかった。一位だけど、完璧じゃなかった。イリヤくんはいつも満点首席。
いつも、完璧だった。
もしかしたら、イリヤくん……譲ってくれた?
私の頑張りを認めて、わざと一位を譲ってくれた?
そんなこと考えたら胸が苦しくて、涙が目の奥から溢れそうになる。
(イリヤくんが本気じゃないなら……意味ないよね……)
急に涙がにじんで視界がぼやけた。レイラとセナの腕をそっと振りほどいて、私は駆け出した。
廊下を、息を切らして走る。
目指すは、いつもの場所。
──図書室。
バンッと勢いよく扉を開ける。
「ここは図書室だ。静かに入れ」
静かな声が、すぐに響く。
イリヤくんは、窓際の席に座ったまま本から目を上げずに言った。でも、その声はいつもより少しだけ柔らかくて、私は息を荒げて立ち尽くす。
胸が苦しくて、言葉がすぐに出ない。
「…………イリヤくん」
やっと声が出た。彼はゆっくりと本を閉じて、赤い瞳を私に向けた。
「一位、おめでとう」
その一言に、胸がぎゅっと締めつけられた。
「ありがとう……って、言いたいんだけど……」
私は唇を噛んで、俯いた。
「私、満点じゃなかった。イリヤくんはいつも満点で……完璧で……私が抜いたのは、ただの席だけだよ。こんなの、意味ないよね……?」
声が震えて、涙がぽろぽろとこぼれた。
イリヤくんは、静かに立ち上がり、ゆっくりと、私の前に歩み寄る。そして私の頰に落ちる涙を、親指でそっと拭った。
「……馬鹿だな」
また、その言葉。でも今度は優しくて、どこか、からかうような響きがあった。
「俺は、満点を取るために勉強してるんじゃない。ただ、知りたいから、理解したいから、やってるだけだ」
彼は少し間を置いて、静かに続けた。
「君は……俺を抜くために、限界まで自分を追い込んだ。それが、どれだけすごいことか、わかってるのか?」
私は、目を丸くして彼を見上げた。
「君は、俺より先に限界を超えた。それが、俺には……眩しかった」
赤い瞳が、初めてほんの少しだけ揺れている。
「だから、泣くな。一位は、君のものだ。俺は……それを見て、嬉しかった」
「……イリヤくん」
涙が止まらない。でも今度は、悲しい涙じゃなかった。
彼は、静かに私の頭を引き寄せた。私の頭が彼の肩にそっと触れ、そして耳元で囁くように。
「……君は、俺の知らないところでも努力してたんだろ? その結果が出ただけだ、意味はある」
その声が、低くて優しくて……涙が止まらない。
「それでも納得できないなら、次は満点で抜け。今度は、俺が本気で追うから」
その言葉に、私は小さく笑って頷いた。
「……うん。約束」
図書室の静かな空気の中で、二人の距離がまた少しだけ縮まった。
彼は何も言わず、静かに本を開いた。
でも──その口元が、ほんの少しだけ、緩んでいた。
──次は、満点で抜く。
それが、私の新しい『見ててね』だから。




