第5話 波乱の幕開け
「一心同体って……それ、どういう意味ですか?」
ルリシアが、嵌められた銀の腕輪をまじまじと見つめながら尋ねた。
スノウはにっこりと笑って、自分の手首についた同じ腕輪を掲げてみせる。
「そのまんまの意味。この腕輪はペアで、一定以上離れると引き寄せ合う。つまり、俺とイリヤくんはこれからずーっと一緒♡ 寝るのも、飯を食うのも、風呂も――」
「ま、待ってください!」
ルリシアが慌てて声を上げた。
「……私だって、イリヤとそんなに一緒に居たことないのに……あり得ません! ……え? それじゃあ……これからずっと、あなたはイリヤの近くにいるってこと……?」
みるみるうちに、ルリシアの表情が引き攣っていく。せっかく観光特集に付箋を貼りまくって計画を立てたのに。イリヤと二人で巡るはずだった帝都が、頭の中からするすると消えていく。
その様子に、スノウが面白そうに目を細めた。
「なーんだ、妬いてるの? 可愛いねぇ。いいよ、じゃあ三人で仲良くデートしよっか」
「ふざけないでください!」
ぷんすかと怒るルリシアに、スノウはけらけらと笑う。
「まあまあ、怒るなって。安心しなよ、ちゃんと外す鍵はここにあるからさ」
スノウが指先で小さな銀の鍵をつまみ、ひらひらと振ってみせた。
「なら、今すぐ外してくださいっ!」
「え〜、どうしよっかなぁ」
ルリシアが手を伸ばすと、スノウはひょいと身をかわす。取ろうとするルリシアと、面白がってかわすスノウ。鍵が二人の間でちらちらと躍る。
「もう! いい加減に――」
「おっとぉ」
ルリシアが鍵を奪おうと踏み込んだその瞬間だった。するり、と鍵がスノウの指先から滑り落ちた。
――ぽちゃん。
間の悪いことに、すぐ脇を流れる用水路の真上。鍵は澄んだ水の中に吸い込まれ、あっという間に流れ去って見えなくなった。
しん、と場が静まり返る。
「…………えっ」
「…………あっ」
スノウの顔から、すうっと血の気が引いた。
「……えっ、え、えぇっ、嘘でしょ!? 鍵、鍵が!? ……俺の鍵がぁぁぁ!!」
頭を抱えて絶叫するスノウ。秘めていた本音が思わず零れ落ちる。
「やだやだやだ! 俺だって男と一生過ごすなんて、まっぴらごめんだっての!」
ルリシアの顔が青ざめていく。鍵がないということは――この腕輪は外せない。
自分が手を出さなければと罪悪感に震えるルリシアの肩に、ぽん、とイリヤの手が置かれた。
「心配するな、ルリ」
イリヤは静かに言い、右手を腰の剣の柄に添えた。
「こいつの手首を切り落とせば、問題ない」
冷たい刃が鞘を鳴らす。その赤い瞳には、一切の冗談の色がない。
「大問題だわ!!」
スノウが悲鳴じみた声を上げた。
「怖いこと真顔で言うな! しかも俺の手首! ちょっ、本気で剣抜くなって、こわっ、こわいって!!」
スノウが涙目でイリヤから飛び退こうとするが、腕輪に引き寄せられて離れられない。自分の首を自分で絞める状況にスノウは情けない声を上げた。
「リ、リヒトさーん! 助けて! こいつ本気だってぇ!」
成り行きを眺めていたリヒトが、やれやれと歩み出た。
「これはこれは。おバカなスノウが、本当に申し訳ございません」
穏やかに微笑みながら、リヒトはイリヤに向き直る。
「実は彼、あなたが『闇の君主』を討伐されたことに、興味津々でしてね。少々、はしゃぎすぎてしまったようです。……ねえ、スノウ?」
話を振られたスノウが、こくこくと必死に頷いた。
「お、おう、そうそう! すげーよなぁ、君主討伐とか! か……かっこいい……!」
明らかに棒読みで、彼の言葉を誰一人として信じていない。リヒトは切り替えるように小さく息をつき、イリヤに告げた。
「代わりの鍵はこちらで作製させていただきます。少々お時間をいただきますが、それまではご辛抱を」
イリヤは深くため息を吐きながら、剣を鞘に収めた。スノウが胸を撫で下ろす。
「さて、お騒がせいたしました」
リヒトがぱんと手を打ち、学院の生徒たちの顔を見渡した。
「皆さん、移動でお疲れでしょう。本日は、滞在していただく寮へとご案内いたします」
ぞろぞろとリヒトの後についていく生徒たちを背に、ルリシアはイリヤの腕輪にそっと手を触れた。
「これ、魔法で外せないかな?」
彼女の疑問にイリヤはふと、自分の手首に嵌められた腕輪に視線を落とした。
指先に意識を集中させる。いつもなら呼べば応えるはずの水の気配が感じ取れない。
腕輪が、魔力そのものをせき止めていた。
(……ただの拘束具ではないな)
イリヤの赤い瞳が、わずかに細められた。表情一つ変えず、スノウとリヒトの様子を静かに観察する。
この腕輪が何を意味するのか、スノウが何を企んでいるのか、泳がせて見極める方が賢明だ。
「……イリヤ?」
心配そうに見上げるルリシアの手をイリヤは取る。
「心配いらない。下手に壊せば何が起きるか分からない。鍵は早急に作ってもらう」
「うん。あの人、本当にどういうつもりなんだろう……」
リヒトに引っ張られていくスノウの背を、二人はそれぞれの思いを抱えて見送った。
**
「では、移動しましょう。皆さん、こちらの魔法陣の上へ」
リヒトが示した先、学院内の石畳に、巨大な魔法陣が淡く刻まれていた。常時展開された、転移用の魔法陣だ。
「これは『ゲート』。帝国の各地に敷設されていて、誰でも使える転移装置です。個人を運ぶ際は我々が道具を介して魔力を通しますが、これだけの大人数となると、ゲートを使うのが確実でしてね」
生徒たちが、おそるおそる魔法陣の上に集まる。
リヒトは懐から、一枚のカードを取り出した。黒い結晶石が埋め込まれた、手のひらほどの薄い板。
「これは、帝国民全員に配布されている認証カードです。ゲートの起動には、これをかざすだけ。魔法の心得がなくとも、誰でも使えます」
カードを、ゲートの脇の小さな台座にかざす。
「では少々、視界が歪みますが、ご安心を」
足元の魔法陣が、一斉に黒く輝いた。
生徒たちが驚きの声を上げている間に、ふわりと体が浮くような感覚に包まれた。光が弾けて――気づけば、一行は別の場所に立っていた。
「て、転移した……!? これが闇魔法ですか!?」
真っ先に食いついたのは、ライルだ。眼鏡を輝かせ、消えゆく魔法陣を凝視している。
「ええ。四大魔法で例えるなら、地属性特化の応用です。空間そのものを一度『無』に還し、別の座標へ繋ぐ。四大魔法とは、根本の理が異なりますがね。このゲートを動かす力も、帝都の地下から供給されていまして」
ライルが「無に還す……魔力の流れが全然違う……!」と、ぶつぶつ呟きながら手帳に書きつけ始めた。
「すごい……一瞬で移動しちゃった」
「本当にすごいけど……恐ろしくもあるわね」
ルリシアもレイラも目を丸くしていた。エメラルド王国では見たことのない技術に皆が息を呑む。
だが、感嘆もつかの間。
「……あの、リヒト先生」
セナが引きつった声で、目の前の建物を見上げた。
「ここが……寮、ですか……?」
一同の前に聳えていたのは、古びて半ば朽ちかけた巨大な館だった。ひび割れた壁、傾いた尖塔、蔦の絡まる鉄柵。曇った窓ガラスの奥は昼間だというのに暗く、どこからともなくギィ……という軋む音が響いてくる。
どう見ても、何か出そうな館だった。
「ひっ……」
ルリシアの喉から小さな悲鳴が思わず漏れた。顔が青ざめ、後ずさる。他の生徒たちも揃ってじりじりと足を引いた。
そんな一同の反応をよそに、リヒトはにこやかに館を見上げた。
「皆さんにご滞在いただく寮です。なかなか趣のある、良い館でしょう」
――良くない! 生徒たちは内心で震えた。
「あの……ここ、その……絶対出ますよね……?」
セナが恐る恐る尋ねると、リヒトはあくまで穏やかに微笑んだ。
「ああ、ご心配なく。夜中に悲鳴や怒号、駆け回る足音がたくさん聞こえることがありますが――問題ありません。朝には、ちゃんと消えていますから」
淡々と話すリヒトに、生徒たちの体が一斉に震え上がった。
要するに、まともな寮は埋まっており、押しつけられたのがこの館らしい。
だが、リヒトも帝国側の者たちも、どこ吹く風だった。彼らにとって、悲鳴も足音も朝になれば消える「ただそれだけのこと」らしい。
非日常に震えるエメラルド学院の学生たちと、平然とした帝国側の温度差が、くっきりと浮かび上がっていた。
「だ、大丈夫……私、平気……」
ルリシアが自分に言い聞かせるように呟くが、肩は小刻みに震えていた。
イリヤがすっと傍らに寄り添う。
「ルリ? どうした……怖いのか?」
「ぜ、ぜ、全然っ……! 怖くないよぉ! ち〜っとも!」
声が上擦りながら胸を張って強がるルリシアの背後に、ぬっと影が迫った。
「わぁっ!!」
顔を寄せたスノウが、ルリシアの耳元で大声を上げた。
「きゃぁぁぁっ――!!」
ルリシアが文字通り飛び上がり、そのままぽすんとイリヤの胸に飛び込んだ。
「あっはははっ! ごめんごめん、可愛い反応すぎてつい!」
腹を抱えて笑うスノウの首筋に、すうっと冷たい殺気が突きつけられた。
「……お前」
イリヤの底冷えする声。
「やはり、手首だけでは足りないな。首にしようか?」
「ごめんって! 真顔で物騒なこと言うのやめてって!!」
**
その日の夜、シルヴァリス帝宮の発着場で、一艇の浮遊艇が音もなく宙に浮かび上がろうとしていた。
黒塗りの船体に銀の紋章。帝都地下の動力を受けて、艇の縁が淡い魔力の光を帯びている。
漆黒の外套を纏ったアレクシスが乗り込むのを見て、レオンが慌てて駆け寄った。
「兄上? こんな時間に、どちらへ」
アレクシスは、ちらりと弟を振り返り、穏やかに微笑んだ。
「なに。我が帝国に、はるばる英雄が来訪してくれたのだ。直々に、お出迎えをしてこなくてはな」
紫の瞳が、夜の闇に冷たく光る。
浮遊艇が、音もなく夜空へと滑り出した。レオンは、闇に溶けていくその光を、落ち着かない気持ちで見送った。




