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第6話 皇太子の誘い

 何が出そうな外見に反して、中は近頃手を入れたばかりのように小綺麗だった。

 塗り直された壁、磨き上げられた長テーブル、温かな食事に、清潔な調度。ひとまず生活には困らない環境に、館の食堂であちこちから安堵した生徒たちの声が弾けていた。


「中は普通でよかったぁ……」


 夕食のスープを掬いながら、セナがしみじみと呟く。


「ね。外見であんなに脅かしておいて」

「さっき通った開かずの間の扉を、内から叩く音してたけど、まあ……気のせいね」


 レイラとルリシアが、苦笑を交わす。とはいえ、日が落ちてからの館は、いっそう不気味さを増していた。だけど、考え始めるときりがないので、今は温かい食事に集中するに限る。


「そういえば」


 セナが、思い出したように身を乗り出した。


「明日って、帝都のエーテル・コアの案内なんだよね! 自由時間もあるって……観光、楽しみだね!」


 その言葉に、ルリシアはむっと口元を引き結んだ。


「……観光……ね」

「あれ? ルリ、楽しみじゃないの? あんなに付箋貼ってたのに」

「だって……」


 ルリシアが、スプーンでスープをかき混ぜる。


「イリヤと回りたかったのに……あの人、ずーっとくっついてるんだもん」


 あの人、とは言うまでもなくスノウだ。腕輪のせいで、イリヤの隣には四六時中あの銀髪の彼が張りついている。二人きりの帝都デートなど、夢のまた夢になってしまった。


 その様子に、セナがにやりと笑った。


「いいじゃない、三人で回れば。イケメン二人に囲まれて、贅沢〜♡」

「そういう問題じゃないから!」


 ルリシアが、スプーンを握りしめた。だが、すぐにしゅんと肩を落とす。


「……でも、仕方ないよね。腕輪、外せないんだし」


 そこへ、エリックとライルが食器を手にやってきた。


「よお、三人とも! お化け屋敷、怖かったらいつでも呼んでくれよ! 添い寝してあげるぜ!」

「エリックさん、おじさん臭いこと言わないでくださいよ」


 エリックの冗談に、女子三人の顔に苦笑いが浮かぶ。


「あれ? イリヤは一緒じゃないの?」


 ルリシアの問いかけにライルとエリックが言葉を考えるように互いを見やった。


「イリヤさんなら、銀髪の人と部屋に戻ったみたいです」


 ライルの返答に、レイラがぽつりとこぼした。


「……本当に、寝るのも一緒なのね」


 そして、なんとも言えない顔でルリシアを見た。隣で、ルリシアは無言でパンを口いっぱいに頬張っている。


「ルリ、頬張りすぎ。喉に詰まるわよ」

「……ふあい」



**



 同じ頃、あてがわれた部屋に戻ったイリヤは、扉の前で立ち止まり、背後の銀髪を冷たく振り返っていた。


「言っておくが、お前を中に入れる気はない」

「え〜、なんでだよ! 離れられないんだから、同じ部屋で過ごすのは当たり前だろ?」


 スノウが、不満げに唇を尖らせる。だが、イリヤは取り合わなかった。


「この腕輪の許容距離は、すでに把握している。扉一枚を隔てた程度では、引き寄せの力は働かない。お前は廊下で寝ろ」

「えっ!?」


 スノウが、ぴたりと固まった。みるみるその顔が、情けなく歪んでいく。


「ちょ、ちょっと待って。それって……俺はこの扉の前から一歩も動けないってこと!? 廊下で!? 一晩中!?」

「そこで寝ろ」


 イリヤは、そっけなく言い放つと、スノウの鼻先でぴしゃりと扉を閉めた。カチリ、と鍵をかける音が廊下に小さく響く。


「ちょぉっ、ひどっ……! おい、開けろよ! なあってば!」


 扉の向こうで、スノウがどんどんと叩いている。イリヤは一顧だにせず、シャワーを浴びるべく、奥へと歩いていった。


 ――そして、十数分後。


 さっぱりとシャワーを終えたイリヤが、部屋に戻ってくる。


「あ、おかえり〜」


 ベッドの上で、スノウが寝転がっていた。菓子をがつがつ食べ、本を読みながら、ひらりと手を振ってくる。


「…………」


 イリヤは、無言で立ち尽くした。

 鍵は、確かにかけた。なのに、なぜかこの男が部屋の中にいる。


「おい、どうやって入った」


 問うイリヤに、スノウは菓子をつまんだ手で、ひょいとイリヤの脱いだ制服を指差した。


 先ほどまで着ていた、その胸ポケット。端から、一枚の紙片が覗いている。


 イリヤは歩み寄り、それを抜き取った。小さな紙に描かれていたのは、見慣れない魔法陣――転移の、座標を指定する術式だった。


「……仕込んでいたな」

「転移先に印さえあれば、鍵なんて関係なし。いつでも、どこへでも行けるってわけ。便利でしょ?」


 けらけらと笑うスノウに、イリヤは無言で紙を握り潰した。


「お前は何がしたい」


 赤い瞳が、冷たくスノウを射抜く。だが、スノウは悪びれもせず、ごろりと寝返りを打った。


「何が、って言われてもなぁ……俺は別に、何も。ただ――お前のことを見張ってろって、言われてるだけ」

「……誰に?」


 イリヤの声が一段低くなったが、スノウは怯むことなく、にっと笑って唇に指を当てた。


「内緒♡」


 イリヤは、それ以上は問わなかった。問うても無駄だろう。だが――そう簡単には口にできない相手だ、ということだけはその態度から、はっきりと伝わってきた。


 イリヤは小さく息を吐くと、スノウをベッドから引きずり下ろし、自分はそこへ横になった。


「人でなし〜、ケチ〜」


 ぶつぶつと文句を垂れるスノウを無視して、イリヤはゆっくりと目を閉じた。



**



 翌朝、集合場所に現れたイリヤの目元には、うっすらと隈が浮いていた。


「イリヤ……? なんだか、すごく疲れてる?」


 ルリシアが心配そうに顔を覗き込む。常に隙のない彼が、こんなに憔悴しているのは珍しい。


「……ああ。少し、寝不足だ」


 イリヤはそう答えながら、その視線をじろりと隣へ向ける。


 ――その隣では、当の元凶が、けろりとした顔で欠伸をしていた。


「いやー、よく寝た。あのベッド、最高だったわ〜」


 スノウの顔はすっきりしていた。昨夜、ベッドから引き摺り下ろしたはずの銀髪は、いつの間かベッドに潜り込み、占拠していた。

 逆にベッドから追い出されたイリヤは、やむを得なくソファで一晩明かした。


「ちょっと、スノウさん!」


 ルリシアが、きっとスノウを睨む。


「イリヤに何したの?」

「え〜、何もしてないけど……俺、寝つき良すぎてさ〜まったく覚えないや」


 悪びれもせず笑うスノウに、イリヤがこめかみを押さえた。あの美貌からは想像もつかない、地鳴りのようないびきだった。一晩中、断続的に響き続けた騒音を思い出し、無言で剣の柄に手が伸びる。


「イ、イリヤ、落ち着いて! 剣はしまって!」


 ルリシアが慌てて止める。それから、イリヤの腕にそっと触れた。


「今夜は……保護結界張ってあげる。ヒーリング効果あるやつ! あと温かい飲み物も、ね?」


 気遣わしげに見上げてくるルリシアに、イリヤの強張った肩が緩む。


「……ああ。助かる」


 そのやり取りを、スノウが「ふーん」とにやにやしながら眺めていた。



**



 帝都の中心、巨大な魔導塔。その地下深くへと、一行は案内された。


「わぁ……!」


 最奥の空洞に踏み込んだ瞬間、ルリシアは思わず声を上げた。


 見上げるほどに巨大な、青く透き通った結晶石。内側から脈打つように、淡い光が明滅し、空洞全体を深海のような青に染めている。


「これが、エーテル・コアです」


 リヒトが、穏やかに告げた。


「帝国のすべての動力を生み出す『心臓』です。マナレールも、ゲートも、浮遊艇も――この一つの結晶が、支えています」


「こんなに大きな結晶石、見たことないですよ……!」


 ライルが、眼鏡を輝かせて食い入るように見つめる。


「もともとシルヴァリスは、鉱石や結晶石が豊富に採れる土地でさ」


 解説を引き取ったのは、意外にもスノウだった。


「その中で、ある時これが見つかった。桁外れの動力を秘めた結晶石が。これのおかげで、帝国は一気に発展したってわけ」


「スノウさん、詳しいんですね」


 ルリシアが目を瞬かせると、スノウは得意げに肩をすくめた。


「まあね。これでも帝国立図書館の人間だから。知識は商売道具なの」


 それから、声の調子を落とす。


「ただ――裏を返せば、帝国のエネルギーは、全部この一個頼み。もし壊れたら?」

「……帝国全体が、止まってしまう」


 ルリシアが、さりげなく呟いた。


「そう。だから帝国は、必死で技術開発に力を入れてる。コアを守るため、頼りすぎないための研究にね」


 スノウの碧い瞳が、ちらりとコアを見上げる。


「……まあ、もっとも。そういう力を見ると、ろくでもないことを考える輩も、出てくるもんだけど」


 その一言だけ、妙に静かだった。ルリシアは、ふとスノウの横顔を見る。いつものへらへらした調子とは、どこか違っていた。


 だが、スノウはすぐにいつもの顔に戻り、にこっと笑った。


「なんてね。個人がどうにかできる程のエネルギー量ではないから、そんな心配は無用だけどさ」


 ルリシアは、少しだけ見直していた。ただのお調子者だと思っていた。でもこの人は、自分の仕事にちゃんと知識と誇りを持っている。


 そして――その奥に、何か言いたげな影があることにも、気づいていた。


「さて。せっかくですから、皆さんに一つ、考えていただきましょうか」


 リヒトが、エーテル・コアを背に振り返った。


「四大魔法は、自然の力を『創り、変化させる』。闇魔法は、存在を『消し、還す』。一見、まったくの対極です」


 生徒たちが、静かに耳を傾ける。


「まずは、簡単な問いから。ルリシアさん。四大の中で、最も『守り』に向いた属性は?」


 名指しされたルリシアは、すぐに背筋を伸ばした。少し考えてから、まっすぐにリヒトを見る。


「……一つには、選べません」


 迷いながらも、はっきりとした声で答える。


「地だと思います。動かず、崩れず、壁になる力。でも、水も外せなくて。傷ついた人を支えて、立て直すから……それも、立派な『守り』だと思うんです。だから……すみません、二つになってしまいました」


 少し悔しそうに、けれど芯のある瞳で言い切る。


「良い着眼です」


 リヒトが小さく頷いた。


「守りを一面で捉えない。それだけでも、十分に見えている」


 ルリシアの肩から、ほっと力が抜けた。


「では、本題を。創造と還元――この対極に見える二つが、もし、ある一点で『同じもの』だとしたら。それは、何でしょう」


 空洞が静まり返る。生徒たちが顔を見合わせ、ライルが眉を寄せて考え込む。だが、誰も答えられなかった。


 リヒトは、その沈黙を楽しむように待ってから、一人へ視線を向けた。


「――では、君なら。イリヤくん」


 イリヤは、静かに顔を上げた。一拍の間を置いて、淡々と口を開く。


「根は、同じだ」


 落ち着いた声が、空洞に響く。


「創ることも、還すことも、突き詰めれば、世界を『巡らせる』働きに過ぎない。生まれたものは、いつか還る。還ったものから、また生まれる。創造と還元は、対極ではなく――一つの循環の、両端だ」


 リヒトの口元が、ゆっくりと笑みを深めた。


「……素晴らしい。対極を、対立ではなく循環と捉える。そこに至れる者は、多くありません」


 藍色の瞳に、かすかな光が宿る。


「――さすがですね」


 含みのある言葉と視線だった。

 イリヤは表情を変えず、軽く頭を下げる。


「いえ」


 その隣で、ルリシアが誇らしげにイリヤを見上げた。スノウもまた、めずらしく感心した顔で眺めている。


「へえ……脳筋かと思ったら、学院の首席って本当だったんだねぇ」

「……失礼なこと言わないでください!」


 ルリシアがむっとすると、スノウはにやりと笑い、ふいに彼女を見た。


「君もね。さっきの守りの答え、悪くなかった。ただ可愛いだけのお嬢ちゃんかと思ってたけど……けっこう賢いんだ?」

「……それ、褒めてますか?」

「最大級にね」


 ルリシアは毒気を抜かれて瞬きをし、それから、小さく胸を張った。


「……これでも一応、努力してるので」


 スノウが、ふっと笑う。値踏みするような目つきが、少しだけ和らいでいた。



**



 夕刻、自由時間も終わる頃、イリヤはスノウを引き連れ、闇魔導学院の一室へと呼び出されていた。


「俺はここで待ってるよ。中まではついてくなって言われてるからさ」


 スノウが、扉の前でひらひらと手を振る。腕輪の許容距離ぎりぎり、扉一枚を隔てて廊下に残った。


 イリヤが扉を開けると、夕暮れの光が満ちる部屋の奥に、その男は立っていた。

 男がゆっくりと振り返った。闇に溶け込むような黒髪。冷たく底光りする、紫の瞳。


「よく来てくれた。イリヤ・クロウリー卿」


 男が、優雅に微笑む。


「私は、アレクシス・ヴァルドリックス。この帝国の皇太子だ」


 言いながら、片手で室内のソファを指し示す。


「掛けてくれ。立ち話で済ませる用件ではない」


 イリヤの赤い瞳が、すっと細まった。皇太子自らの呼び出し。しかも初対面の相手に、護衛もつけずに。歓迎にしては、人払いが過ぎている。


「……お初に、お目にかかります」


 礼を失さぬ程度に頭を下げたが、内心では、冷静に相手を観察していた。


 アレクシスが、ゆっくりと歩み寄り、向かい側のソファに腰掛けた。


「単刀直入に言おう。私は、君に興味がある。――いや、正しくは君の『力』にだ」


 紫の瞳が、まっすぐにイリヤを射抜いた。


「『闇の君主』を、単独で討ち取った。封印ではなく、完全に断ち切った。並の騎士に成せる業ではない」


 足を組み、その膝に肘を預けて頬杖をつく。口元は笑みを湛えているのに、瞳の奥は少しも笑っていない。


「どうだ。その力を――この帝国で、我が国のために使ってみる気は、ないか」


 疑惑と警戒で、イリヤの表情が一瞬揺れる。

 無意識に、薬指の指輪へと指先が触れた。この力が誰のため、何のためにあるのか――答えは、すでに決まっている。


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