表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
49/60

第17話 氷華の剣

 王宮内。

 高い天井の下、床に複雑に幾重にも描かれた魔法陣が、淡い四色の光を放っていた。その中心で、白銀の髪の老人が片膝をつき、両手を床について必死に身体を支えていた。


 エルウィン・ヴァレリウス。王宮魔導士部隊最高顧問。


 深い皺の刻まれた顔に、玉のような大粒の汗が浮かび、流れ落ちている。荒く乱れた呼吸を繰り返しながら、彼は崩れかけた結界へ、なおも残り少ない魔力を注ぎ続けていた。


 王都全体を覆う高位防御結界。影の侵入を、これまで何とか食い止めてきた。だが、君主が目覚めた今、押し寄せる闇の奔流は、老体の魔力をとうに超えていた。


「……まだ、だ……まだ、保たせねば……!」


 声を絞り出すように魔力を込めると、結界が一段と輝きを増した。しかしその代償はあまりにも大きかった。

 ぐらり、と視界が大きく傾く。

 糸が切れたように、エルウィンの身体が床に崩れ落ちた。魔法陣の光が、ふっと弱まり、瞬いた。


「エルウィン様!」


 扉が勢いよく開き、ルディナが血相を変えて駆け込んできた。倒れた老顧問のもとへ膝をつき、震える手でその身体を支える。


「しっかりしてください、エルウィン様!」


 エルウィンは薄く目を開けた。焦点の定まらない瞳で、それでもルディナの顔を必死に捉えようとする。


「……ルディナか」

「すぐに治癒師を――」

「いい。それより……聞け」


 声は掠れ、息も絶え絶えだった。それでも、その言葉には最高顧問としての鋭い意志が宿っていた。


「君主の……影は……人の悲観を喰らう」


 ルディナの目が見開かれた。


「負の感情に……引き寄せられ、それを糧に膨れ上がる。恐怖、絶望……悲しみ。喰わせるな。住民を……絶望させるな。それが、影を抑える唯一の道だ」

「……承知しました」

「私の結界は……もう、完全に解ける。早く行け」


 エルウィンの瞼が、再びゆっくりと落ちていく。ルディナはその身体をそっと床に横たえると、立ち上がった。


「……行ってきます」


 ルディナの背に、エルウィンの言葉が追いかける。


「……若い君たちが、希望だ」



**



 王宮の高台。

 ルディナは欄干に両手をつき、眼下に広がる王都の惨状を見渡した。

 大通りのあちこちから黒いモヤが立ち上り、実体を持ち始めた影が街中に侵入していた。逃げ惑う人々の悲鳴と泣き声が、風に乗ってここまで届いてくる。


「……っ、もうここまで」


 ルディナは唇を強く噛みしめた。一刻の猶予もなかった。

 両手を高く掲げ、風の魔力を解き放つ。彼女の周囲に、激しく渦を巻く風が生まれ、長い髪を激しくなびかせ、その風に声を乗せる。


「王都の住民に告ぐ!」


 風が、ルディナの声を王都の隅々へと力強く運んでいく。


「闇の影は、人の絶望を喰らう! 恐れるな! 悲観に呑まれるな! 心を強く持て! 希望を捨てた者から、影に喰われるぞ!」


 風に乗った声が街全体に響き渡る。逃げ惑っていた人々が足を止め、顔を上げた。


「諦めるな! 助けは必ず来る! 顔を上げて、前を向け!」


 ルディナの声には、人々の心を奮い立たせる確かな力と揺るぎない信念があった。

 怯えきっていた人々の目に、わずかながら光が戻っていくのが見えた。



**



「レイラ! レイラ……っ!」


 ルリシアは倒れたレイラに必死に駆け寄り、その身体を抱き起こした。赤い髪が、わずかに血で濡れている。

 心臓が、激しく痛いほどに打っていた。


「しっかりして……お願い、レイラ……!」


 焦りと恐怖が、胸の奥から黒い波のように込み上げてくる。視界がにじみ、喉が熱くなった。

 

 近くで蠢いていた影が、ぴくりと反応した。ルリシアの負の感情を嗅ぎつけたように、ゆらりとこちらへ向きを変える。

 ルリシアの頰を、一筋の涙が伝う。


「……っ」


 その雫が、レイラの頰に落ちた瞬間。


「……ルリ」


 絞り出すような声でルリシアの名を呼ぶと、レイラの瞼がゆっくりと開いた。


「レイラ……!」

「……大丈夫よ。急所は、外してる」


 レイラは痛みに顔をしかめながらも、わずかに口元を緩めて微笑んだ。額には汗が浮かび、唇は血の気がない。


「だから……そんな顔、しないで。ルリが泣いたら……イリヤが心配するわ」


 ルリシアは、ぎゅっとレイラを抱きしめた。


「……うん。うん……っ」


 その温もりが、込み上げる涙を今度は安堵のものに変えた。胸の奥が熱くなり、震えが止まらない。


「ルリシアさん、危ないわ! 前っ!」


 ソフィアの叫びが響くと同時に、ルリシアは顔を上げた。


 黒い影が、すぐ目の前まで迫っていた。人の形をした巨大な影。影はルリシアの悲しみを貪るように、ぬらりと口のような裂け目を大きく広げた。


 ルリシアはレイラをそっと地面に横たえ、傍らに落ちていたレイラの剣を握りしめた。

 立ち上がり、青い瞳に強い光を宿す。


 ――泣かない。絶望しない。私は戦う。


 握りしめた剣の柄。その冷たい重みが、ある大切な記憶を呼び起こした。





 まだ、穏やかだった日のこと。

 夕暮れの訓練場で、ルリシアはイリヤと木刀を打ち合っていた。


 イリヤの剣が、軽く払うように振るわれる。その一撃で、ルリシアの木刀は弾き飛ばされ、勢いで足がもつれた。


「きゃっ……!」


 倒れかけた身体を、イリヤの腕がすっと抱き止める。


「……っ、ありがとう」


 ルリシアは肩を落とし、悔しげに唇を噛んだ。


「やっぱり……魔導士の私に、剣なんて無謀だったかな」


 力ではイリヤに遠く及ばない。何度打ち合っても、弾かれてばかりだ。

 イリヤは、ルリシアを支えたまま静かに首を振った。赤い瞳が優しく、しかし真剣に彼女を見つめる。


「いや。四大魔法を扱うお前にしか、できない戦い方がある」

「私にしか……?」

「力でねじ伏せる剣は、お前には向かない。だが、剣の流れに逆らわず、沿うように動けばいい。相手の力を受け流し、最小限の動きで対処する」


 イリヤはルリシアの手をそっと取り、剣の構えを丁寧に直した。


「そして、その動きに魔力を同期させる。剣と魔法、その二つをお前の中で補い合わせるんだ」

「剣と、魔法を……」

「剣術は、力だけじゃない。戦術と工夫で、力不足はいくらでも補える」


 イリヤの赤い瞳が、まっすぐにルリシアを見つめた。


「お前なら、できる」


 その言葉が、胸の奥深くに温かな灯りをともした。ルリシアは木刀を握り直し、もう一度構えた。


「……うん。もう一回、お願いします!」


 イリヤの口元が、優しく緩んだ。





 ――そうだ。力で勝てなくていい。


 ルリシアは剣を構え、影の動きを冷徹に見据えた。剣の流れに沿うように、魔力を全身に巡らせる。

 影が、巨大な腕を振り下ろした。

 ルリシアはその一撃を真正面から受けず、剣でいなすように受け流した。同時に風の魔力を纏わせ、身を翻す。


 だが――影の力は想像をはるかに超えていた。

 受け流したはずの衝撃が、剣を通して全身に激しく走る。


 キィィン――!


 レイラの剣が、根元から弾け飛んだ。


「あっ……!」


 体勢を崩したルリシアの身体が、宙に投げ出される。地面に叩きつけられる――そう思った瞬間、誰かの腕が彼女をしっかりと支えた。


「しっかりして……!」


 ソフィアだった。風の結界を抜け出し、ルリシアの身体を抱き留めていた。

 二人の眼前に、影が容赦なく迫る。逃げ場はない。


 その時――ルリシアの左手の指輪が、強く瞬いた。


 ぴしり、と空気が凍てつく音を立てた。

 二人を中心に、地面が、空気が、みるみる白く凍てついていく。冷気が影を押し返し、その動きを一瞬で封じた。


 そして――二人を包み込むように、巨大な氷の花が咲き誇った。

 幾重にも重なる氷の花弁が、淡く青白い光を放ち、ルリシアとソフィアを守るように優しく囲い込む。影の腕が何度も叩きつけられても、花弁は微動だにしなかった。


「これは……氷の……花?」


 ソフィアが呆然と呟く。

 ルリシアの胸の奥に、聞き慣れた声が響いてくる。出発前日の執務室での、イリヤの言葉が耳の奥で届く。


 ――守護の力を、一部預ける。


「……イリヤ」


 ――ルリ、一緒に戦おう。かけがえのないものを守るために。


 ルリシアの瞳から涙がこぼれた。けれどそれは、もう悲しみの涙ではなかった。

 彼が傍にいる。離れていても、確かに繋がっている。


「……うん。一緒に」


 ルリシアは、ゆっくりと立ち上がった。

 氷の花の中心。冷気が一点に集束し、せり上がってくる。きらめく氷が形を成し、一振りの剣へと結晶していく。


 澄み切った、青白く輝く氷の剣。


 ルリシアの手が、その柄をそっと握った。ひやりとした冷たさが掌に馴染み、指輪を通して伝わるイリヤの鼓動が、剣の鼓動と重なった。


 ――氷華の剣――


 ルリシアは剣を構え、影をまっすぐに見据えた。青い瞳が、凍てつくような決意の光を強く宿していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ