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第16話 死神の目覚め

 その遺跡は、黒い陰りが広がる森の最奥に聳え立つ。崩れかけた石柱が円を描くように並び、中央には地下へと続く巨大な祭壇の入り口が口を開けている。入り口からは異様な気配が絶え間なく溢れ出し、黒いモヤとなって、地を這うように広がっていた。


 ジルケットが剣を抜きながら、周囲を見渡す。


「ここが封印の地か。……嫌な気配だ」

「かつて、ここで禁断の召喚が行われていたと記録にある」


 イリヤは、沈むような重い声音で続けた。


「闇の君主は、最上位の厄災と呼ばれる『禁忌』の召喚魔獣だ。数え切れないほどの人間を犠牲に呼び出されたという。祖父たちはこの地で奴を封じ、剣で核を縫い止めた。だが――」


 赤い瞳が、黒いモヤを噴き上げる祭壇の入り口を捉えた。


「それは一時的な解決でしかない」


 その声に反応するように、石柱の陰から次々と魔獣が現れた。

 漆黒の体毛に闇を纏う鋼角獣の上位種。地を踏みしめる石構えの巨体が、地響きを立てて並ぶ。その頭上では、黒い翼を広げた鳥型の魔獣が何体も旋回し、鋭い眼光でイリヤたちを見下ろしていた。

 地に十数頭、空に十数羽。遺跡を守るように、無数の魔獣が立ちはだかると――ジルケットの鋭い指示が飛ぶ。


「総員、構えろ! 騎士は前衛、魔導士は後方から援護! 一点突破で道をこじ開ける!」


 精鋭の騎士団が前衛に展開し、魔導士部隊が後方で両手に魔力を灯す。訓練された動きで、攻めの陣形が瞬時に整った。


「歓迎されてるみたいだな。いい準備運動になりそうだ」


 ジルケットが口の端を上げた。イリヤは無言で剣を構える。赤い瞳が、魔獣の群れを冷静に見据えた。


「人の怨念が生み出した――死神。それが『闇の君主』だ」


 イリヤが一歩踏み込むと――地の底から、ぞわりと悍ましい気配が湧き上がった。

 大地が震え、黒いモヤが祭壇の入り口から噴き上がり、空を覆っていく。


「……お目覚めのようだ」


 イリヤの声が、緊張を帯びた。


 噴き上がった黒いモヤの中から、無数の影が分かれ出る。実体を持たない、人の形をした影の群れ。それらはイリヤたちや魔獣には目もくれず、まっすぐに――王都の方角へと飛び去っていった。


「おい、あれは!?」

「君主の分身、『影の使徒』だ。王都へ向かっている」


 イリヤは剣を握る手に力を込めた。


(ルリ……)


 胸の奥に焦燥が走る。だが、ここを抜けなければ前へは進めない。


「ここを突破する。根源である闇の君主を止めなければ、この戦いは終わらない」

「ああ、王都のことはルディナたちに任せよう」


 二人は同時に、魔獣の群れへと斬り込んでいく。剣を薙ぐ音が、森の静寂を切り裂いた。



**



 王都内。

 正門にほど近い大通りで、異変は起きていた。


 一人の女性が、虚ろな目で武器を振り回して暴れていた。周囲の人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。その女性に、見覚えのある者がいた――つい先ほど、子を抱えて「中に入れて」と必死に縋りついていた、あの母親だ。

 騒ぎを聞きつけて駆けつけた門番は、青ざめた顔でただ立ち尽くし、呆然としていた。


 暴れ狂う母親から少し離れた場所に、小さな子どもが立ちすくむ。まだ一歳ほどの幼子。火がついたように泣き喚いている。

 そして、その小さな足元から――黒いモヤが、じわじわと広がっていた。


 モヤは地を這い、近くにいた者たちの足元へと忍び寄る。触れられた者の目が、次々と虚ろに濁っていく。母親もまた、その一人だ。子どもが泣くほどに、モヤは勢いを増し、周囲を呑み込んでいった。


「そこの子……危ないわ!」


 避難場所へと移動しようとしていたソフィアが、その光景に気づいて駆け出した。

 ヴェルモント家の騎士が制止する声も聞かず、泣き喚く子どものもとへと向かう。こんな幼子を、混乱の中に置いてはおけなかった。


「大丈夫よ、私が――」


 ソフィアが手を伸ばし、子どもを抱き上げようとした、その瞬間。


 子どもが、ぴたりと泣き止んだ。


 小さな顔が、ゆっくりとソフィアを見上げる。その瞳には幼子とは思えぬ、底知れぬ深い影が落ちていた。


「……お姉ちゃんの魂……綺麗だね。ちょうだい?」


 ぞっとするほど無垢な声だった。


 ソフィアの背筋に、氷のような悪寒が走った。

 こんな言葉を、こんな小さな子どもが口にするはずがない。足元の黒いモヤが、一気にソフィアの足に絡みついた。


「……っ! ……これは!?」


 逃げようとしても、身体が動かない。モヤが膝から腰へ、這い上がってくる。視界が霞み、意識が遠のいていく。水色の瞳が、ゆっくりと陰っていった。



(……いや……誰か……)


 瞳から輝きが失われていく中で――澄んだ声が飛び込んできた。


「離れてっ!」


 ソフィアと子どもを、青く透き通る水球が一気に包み込む。黒いモヤが水球の中で蒸発して掻き消えた瞬間、子どもは意識を失った。

 水球がぱしゃんっと弾けるとソフィアはその場に膝をついた。霞んでいた視界が、徐々に晴れていく。


 視界の先に――息を切らしながら走ってくる一人の少女が見えた。

 金色の髪を揺らし、青い瞳に強い光を宿している。


「大丈夫ですか……!?」


 ソフィアは彼女を知っている。


「あなたは……」


 あの彼が父親に刃向かってでも選んだ少女。


(……ルリシア・クリスティーノ)


 呆然と見つめるソフィアに、ルリシアは心配そうに顔を覗き込んだ。


「あの……どこか痛みますか? モヤに長く触れていたなら――」

「い、いえ……私は大丈夫。それより、この子が……!」


 ソフィアははっと我に返り、腕の中で意識を失った子どもを見下ろした。小さな身体は、今は穏やかな寝息を立てている。


「その子、乗っ取られていたんです」


 ルリシアが静かに告げた。


「でも、一度意識を止めたから……きっと闇の支配は解けたはずです」


 子どもの寝顔を見つめるルリシアの瞳が、ふっと曇った。


「こんな小さな子まで……許せない」


 傷つく人々を見て、自分の心まで傷ついたような顔だった。そんな彼女を嘲笑うかのように、背後で足音が鳴る。

 虚ろな目の母親が、武器を振りかぶり、ルリシアたちめがけて振り下ろした。


「危ないっ……!!」


 ルリシアはソフィアと子どもを庇いながら、身を捻って刃を避けた。風が頰を鋭くかすめ、髪が激しく舞う。

 即座に体勢を立て直すと、その青い瞳に迷いはなかった。


「ごめんなさい!」


 身を低く沈め、地面すれすれに足を回した。回し蹴りが母親の足を払い、体勢が崩れる。その一瞬の隙を逃さず、水球が母親を包み込んだ。


 水の中で、母親の目がゆっくりと閉じていく。


 だが、息つく間もなかった。別の女性が、剣を振り上げてルリシアに迫る。


 ガキィッ――ン!


 割り込んだ剣が、刃を受け止めた。


「ルリ! 無事!?」

「レイラ!」


 赤い髪を翻し、レイラが女性を押し返した。周囲を見渡せば、虚ろな目の人々が次々とこちらへ向かってきている。


「いくよ、ルリ!」

「うん!」


 ルリシアはソフィアを振り返り、素早く風の保護結界を二人の周りに展開した。


「少し、待っててください」


 それだけ告げて、ルリシアは駆け出した。

 ソフィアは結界の中から、その背中をじっと見つめた。迷いのない行動、誰に対しても気遣う優しさ。そして、戦う凛とした姿。


(……この子が)


 胸の奥がざわめいた。


(私にはできなかったことを、この子はできるのね……)


 それが悔しいのか、悲しいのか、羨ましいのか、ソフィア自身にも上手く整理がつかない。ただルリシアの姿に、ソフィアは目が離せなくなっていた。


 街中での混乱は、ますます広がっていく。


 その混乱の中、レイラは体術で、ルリシアは水球で。二人は息を合わせ、操られた人々の意識を次々と奪っていく。レイラの手刀が首筋に落ち、ルリシアの水球が意識を包んで眠らせる。傷つけずに、確実に。


 ようやく混乱が収まり始めていた。その矢先、門番の悲鳴が辺りを切り裂いた。


「ひっ……な、なんだこれは!!」


 二人が振り向くと、大通りの一角で、黒い影がゆらりと立ち上がっていた。

 人の形をした、しかし人ではない巨大な影。空を駆け、王都に流れ込んできた影が実体を持ち始めていた。


「レイラ!」

「わかってるわ!」


 レイラが門番の前に滑り込み、影に向かって剣を振るった。


 ――手応えがない。


 刃は影をすり抜け、空を切った。


「っ、剣が通らない……!」


 レイラは舌打ちし、腰を抜かしている門番を一喝した。


「あなた、立てるでしょ! ルディナ様へ報告! 得体の知れない影が、王都内に侵入したと伝えなさい! 早く!」


「は、はいっ……!」


 門番が転がるように駆け出していく。その背を目で追った、ほんの一瞬だった。


 ルリシアは振り向き、目を見開いた。


 レイラの背後。石を握りしめた女性が、虚ろな目のまま振りかぶっていた。


「レイラ! 危ない!」


 レイラがその声に反応した、瞬間。


 ゴッ!!


 鈍い音が、街中に響いた。


「レイラ――――!!」


 ルリシアの叫びが、混沌の中に震えた。

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