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第14話 誰も見捨てない

「イリヤさんっ!」


 ライルの叫びが荒野に響いた。


 彼は、瞬時に両手を地面に叩きつけ、地の魔法を展開――六頭目の足元の大地を隆起させ、イリヤから鋼角獣を遠ざけた。

 イリヤは右膝をつき、痛みを堪えるように身を縮めるが、その赤い瞳は敵を捉えたまま、動かない。


 よろめく鋼角獣に近くにいた学生魔導士が咄嗟に水魔法を流し込み、泥濘が広げて前脚を飲み込んだ。ライルはイリヤのもとへ駆け寄った。


「すみません! 僕が、僕のせいで……!」

「……問題ない」


 イリヤは左肩を押さえながら、答えた。


「まずは奴を倒すのが先だ」


 ――その時だった。


 六頭目が低く唸り、後脚に力を溜めた。その巨体からは想像できない跳躍力で泥濘から飛び出す。着地と同時に防御壁を軽々と回避し、風魔法の渦をくぐり抜ける。


 荒野に、学生たちの悲鳴が上がった。


「なんで風の撹乱が効かないんだ!」

「逃げろ、逃げろ!」


 統括の王宮騎士が声を張り上げる。


「待て! 無闇に散らばるな! 落ち着け!」


 だが、届かない。学生騎士の何人かが踵を返して駆け出し、学生魔導士たちも怯えて魔力の展開が乱れる。六頭目は悲鳴を上げた者へ向かって、執拗に突進を繰り返した。


 場が崩れていく。


「指示を聞け!」


 イリヤが身体を起こして、顔を(しか)め声を張った。負傷した左肩から血が滲んでいるが、赤い瞳は冷静だ。


「魔導士部隊、属性は混合で分かれろ。防壁を不規則に展開し、死角を作れ。風の魔導士は壁の隙間から旋風を起こし、敵の動きを封じろ。騎士は防壁を盾に、隙を見計らえ」


 指示が飛ぶと、混乱していた学生魔導士たちが動き始めた。防御壁が不規則に立ち上がり、旋風が六頭目に向かって渦を巻く。

 逃げ回っていた学生騎士たちも落ち着きを取り戻していく。


 しかし――六頭目は壁を見切るように避け、旋風を物ともせずに突き抜けていく。それを見た学生たちの間から悲鳴が上がるたびに、その方向へ一直線に向かうと、再び混乱が広がっていく。


「なぜ壁が効かない……風の撹乱も……」


 ライルが眼鏡を押し上げ、六頭目の動きを凝視した。防壁を避ける軌道、旋風への反応のなさ、悲鳴への異様な反射。全てのデータが頭の中で繋がっていく。


「……もしかして」


 ライルは傍らの石を拾い上げ、誰もいない方向へヒュッ――と投げた。


 カラン。


 石が岩肌に当たり、乾いた音が荒野に響いた。


 六頭目の動きが、ぴたりと止まる。真っ黒な頭部が、音のした方向へゆっくりと向く。

 だが、そちらへは向かわない。しばらくして、また悲鳴のした方向へ動き出す。


「やはり……あいつは目が見えないのかもしれません」


 ライルが確信を持って言った。


「人の悲鳴や息遣いに反応している。視覚ではなく聴覚で獲物を捉えているんです。壁も音の反響で避けている」


 ライルの言葉にイリヤは考える。


「……無音状態を作り出せれば、いや駄目だ……」


 ライルが独り言のように呟きながら、即座に首を振った。


「無音状態を維持するには全員が完全に動きを止める必要がある。負傷者もいる今の状況では不可能」


「ならば逆だ」


 イリヤが立ち上がった。


「イリヤさん、無理しないでください」

「ライル、お前の魔力量なら広範囲に高い防御壁を設けて奴を囲えるか」

「……できます」

「魔力を最大限使い、出来るだけ高い防御壁を作るんだ」


 ライルが頷くとイリヤは魔導士たちに視線を向けた。


「風の魔導士は内部に旋風を巻き起こして地面の石を浮かび上がらせろ。壁に向かって石を当て続けるんだ。四方から音を出し続けることで奴の聴覚を混乱させる」


 続けてイリヤは炎の魔導士に視線を向けた。


「俺の剣に炎を付与してくれ」


 魔導士が頷き、イリヤの剣に炎が纏わりついた。橙色の炎が刃を包み、揺れながら燃え上がる。


 ライルが深く息を吸い、両手を広げた。魔力が一気に解放され、四方に巨大な防御壁が立ち上がる。六頭目の鋼角獣が壁に囲まれた。


 イリヤは学生騎士たちに向けて、声を上げた。


「動ける者は全員、防御壁の外側から音を鳴らせ! 固まるな! 四方から剣を叩きつけろ!」


 混乱していた者たちが一斉に動き出して、イリヤの指示に従い剣を握り、壁に叩きつけた。


 壁内部では旋風が吹き荒れ、地面の石が一斉に浮かび上がった。石が壁に当たるたびに、カン、コン、ガン、と音が四方から弾け飛ぶ。


 六頭目が混乱した。真っ黒な頭部が左右に激しく振れ、唸りながら音の発生源を探して跳躍を繰り返す。


 イリヤが壁内部へ踏み込んだ。


 炎を纏った剣が頭部装甲を焼きながら振り下ろされる。鋼装甲が赤く染まり、歪んだ隙間に刃が食い込んだ。


 ――弱点を突く、だが六頭目は倒れない。


(おかしい……)


 他の五頭は急所を断てば倒れた。だがこいつは違う。核が頭部にない。


 イリヤは炎の剣で装甲を軟化させながら全身を観察した。腹部、脇腹、後脚の関節――どこだ。


 そのとき、防御壁内部の岩影でうずくまっていた学生魔導士が、恐怖に耐えきれず叫んだ。


「ひぃっ……! 死にたくない!」


 六頭目の頭部が、即座にその方向を向いた。真っ直ぐに、一直線に突進してくる。


「岩影に隠れてろ! 動くな!」


 イリヤの声に、学生魔導士が岩の陰に身を縮め、息を殺す。


 イリヤは再び守るために前に立つ。

 六頭目の角が、イリヤめがけて迫り来る。


「二度も同じ手を喰うか」


 赤い瞳が黒い巨体を捉え、剣を握る手に力を込めた。


 ズガァン――ッ!!


 激突の瞬間――イリヤは身を低く沈めた。角が岩に激突し、轟音が響く。その衝撃で六頭目の頭部が一瞬だけ固定された。


 イリヤは地面を這うように伏せ、剣を下から上へ、赤く染まる空へ向けて、顎の下から突き刺した。


 紫色の体液が噴き出し、六頭目が激しく暴れ始めた。しかし、倒れはしない。

 炎に焼かれ、血を流しながら、それでも動き続ける。


 石が風に乗って飛び交う中、六頭目が頭を振り続けている。その動きの中で、両目を庇うように頭部を傾けていることに、イリヤは気づいた。


(……目か)


「イリヤ!」


 風のような軽やかな声が響く。防御壁を飛び越えて一人の男が着地した。


 ジルケットだ。返り血を浴びた装備で、深緑の瞳が六頭目を一瞥する。


「三頭目と四頭目は片付けた。随分と手こずってるじゃないか。不調か?」

「うるさい、ちょうどいいところに来た」


 イリヤはジルケットの目を真っ直ぐに見た。


「両目に核がある。同時に貫く」


 ジルケットの口元が、わずかに上がった。


「へえ、おもしろい」


 二人は視線を交わし、左右に分かれた。


「こっちだ!」


 ジルケットが声を張り上げる。その声に反応して頭を巡らせた瞬間、二人は同時に踏み込んだ。


 ズシュッ――


 イリヤの剣が右目を、ジルケットの剣が左目を、同時に貫いた。


 バリンッ! 剣先が何かを砕く音。


 六頭目の巨体が大きく痙攣した。紫色の体液が地面に広がって黒い霧が身体から滲み出していく。力が抜けるように、ゆっくりと崩れ落ちると、他の個体と変わらない姿に戻った。


 荒野に、ようやく静寂が戻った。


 石が飛び交うのが止まり、旋風が収まり、風の音だけが残った。

 イリヤは近くの岩に背を預け、ゆっくりと腰を下ろした。左肩を押さえた手の下で、血が滲んでいる。


 ジルケットが駆け寄り、顔を顰めた。


「お前、怪我してるのか!? おい、手当てを――」

「問題ない」


 イリヤはジルケットの腕を制した。


「俺より他の奴らを先に頼む。エリックたちの方が重傷だ」


 ジルケットは一瞬躊躇したが、イリヤの力強い眼差しを見て、小さく息を吐いた。


「……わかった。だがお前も――」

「止血は済んでいる」


 イリヤは左肩に当てていた手をゆっくりと離した。傷口は既に塞がりかけ、アクアリスの加護が彼を守っている。けれど、その代償が今になって全身に重くのしかかってくる。


「……加護を無理に引き出した反動だ。少し落ちる。あとは頼む」


 ジルケットが何か言おうとしているが、イリヤの瞼が重くなっていく。

 意識が遠くなる寸前、左手をゆっくりと持ち上げた。指輪を口元に当てて、残ったわずかな意識を石の向こう側へと送る。石の脈拍が、不安定に乱れていた。


(心配させたな……ルリ)


 安心させるように、祈りを込めると――赤い瞳が静かに閉じた。



**



 学院の教室で、ルリシアは立ち尽くしていた。


 指輪を両手で握りしめ、俯いたまま動けない。胸がドクドクと激しく脈を打ち、呼吸が浅くなっていた。セナが隣に来て、そっと肩を抱きしめた。


「ルリ……大丈夫……?」


 声をかけられても、ルリシアは顔を上げられなかった。指輪の石が、まだ不安定に光り続けている。


 やがて――石の脈拍が、ゆっくりと規則正しくなっていくのを伝えてくる。


 荒く乱れていたイリヤの鼓動が、落ち着いた拍動を取り戻していく。温もりがじわりと広がり、冷え切っていた指先から全身へと伝わった。


「……イリヤ」


 小さく呟いた。石の温もりがさらに深くなり、冷めた身体をゆっくりと温めてくれる。


 イリヤは無事だ。


「よかった……」


 一筋の涙が頰を伝い、ルリシアはようやく息を吐いた。セナの腕の中で、小さく肩を震わせる。


 教師がじっとルリシアとセナを見つめて、周りの生徒を見渡した。皆が不安に揺れている。


「今日は自習にしよう。各自――」


 言い掛けたところで、勢いよく扉が開き、別の教師が飛び込んできた。


「緊急号令だ。全員、今すぐ講堂へ!」


 その必死な形相に、室内の空気が張り詰めた。

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