第6話 影の森
「他の子たちが言うには、この先の森に入っていく姿を見たそうなんです」
養母は孤児院の近くまで二人を案内し、女の子たちが向かった方向を指差した。
森の入り口に差し掛かると、木々の間から黒いモヤがゆっくりと滲み出すように漂っていた。ルリシアは思わず足を止めた。
「……イリヤ……やっぱり、星祭りの夜と同じ気配だよね?」
「ああ……あの時に比べて気配が一段と強くなってる」
イリヤは注意深く黒いモヤを見つめ、周囲を鋭く警戒し、表情はいつにも増して引き締まっている。
「子どもたちが……こんな場所に?」
ルリシアは子どもたちの身の安全を祈るように、胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。
その時、茂みの陰から複数の子どもたちの声が響いてきた。
「マリアー!」
「どこにいるの――!」
声のする方を見ると、五、六歳ほどの子どもたちが森の縁をうろうろしながら、友達の名前を呼び続けており、養母が慌てて駆け寄った。
「こらっ! あなたたち! 院で待ちなさいと言ったでしょう!」
「だってマリアたちが……」
「学院生のお二方が助けてくださるわ。さあ、戻りなさい。ここは危険なの……」
養母が二人に向き直ろうとした、その瞬間だった。
――ひゅっ!
鋭い風切り音が空気を裂いた。
「……っ」
イリヤの手が素早く動き、飛んできた石を素手で受け止めた。
ルリシアが突然の投石に目を丸くしていると、茂みの陰から、小さな影が飛び出してくる。
七歳ほどの少年。短く刈った黒髪に、細められた灰色の瞳が、じっとこちらを射抜いている。その手の中にもう一つ石が握られていた。
「学院生だって!? 王宮騎士と魔導士の仲間じゃないか!」
少年の荒げた声が、森の入り口に響き渡った。
「あいつらは助けてくれなかった! 後回しにされて、みんな死んだ! 村のみんなが――」
声が震え、それでも少年は唇を強く噛み、石を握る手に力を込める。
「お前たちだって、どうせ同じだろ!? 見捨てるつもりだろ!!」
イリヤは受け止めた石をゆっくりと下ろし、少年をまっすぐに見つめた。表情はいつもと変わらないが、何かを思い起こすように少年の姿を見つめていた。
ルリシアは思わず一歩前に出た。
「……私たちは、学院生で間違いないけど……見捨てるつもりなんてないよ。信じて……」
少年は警戒するように目を細めた。
「必ず助けるから」
「信用できないっ」
少年は吐き捨てるように言い、踵を返した。
「オレが探しに行く!」
「カイ! 待ちなさい!」
養母の制止の声も聞かず、小さな背中が森の奥へ消えていく。
養母は慌てて、ルリシアたちに向き直り、深く頭を下げた。その声はわずかに震えている。
「……とんだ失礼を……あの子は……カイは、半年前に家族を失っているんです」
ルリシアは息を呑んだ。
「村に魔獣が現れて。王宮騎士団も魔導士部隊も駆けつけてくれたんですが……間に合わなかった。カイの家族も、村の人たちも、ほとんどが……」
養母は唇を強く噛んだ。
「それ以来、騎士や魔導士を見ると……その卵である学院生も含めて、どうしても」
「……そうだったんですね」
ルリシアの胸が、ぎゅっと締め付けられた。
イリヤがルリシアの肩に手を置くと、二人の視線が絡み合う。
「今は、捜索が先だ。行くぞ」
「うん!」
二人はカイの後を追って森へと駆け込んだ。
**
森の中は、さわさわと不気味に草木が揺れ薄暗い。木々の隙間から差し込む太陽の光が、ところどころで地面に影を落としているにもかかわらず、足元は黒いモヤに覆われ、方向感覚が狂わされる。
「カイくん!」
ルリシアが声を張り上げても、木々の囁きだけが返ってくる。
奥に進むにつれて、モヤがさらに濃くなっていく中、ルリシアはイリヤの隣を歩きながら魔力を手のひらに集め、周囲の気配を探った。
「……イリヤ、あっちの方がモヤの気配が強いよ」
「わかった」
二人が足を速めたその時だった。
ルリシアがふと横を見ると――イリヤの姿がなかった。
「……え」
確かに隣にいたはずだ。
モヤが濃くなったほんの一瞬の隙に、彼の気配が完全に消えていた。
「イリヤ……? イリヤ!?」
声が森の中に吸い込まれていく。
胸の奥に冷たい不安が一気に広がる。彼女はその場に立ち止まり、周囲を見渡した。
ひっく……うぅ……
森の奥の方から小さな泣き声が耳に届く。
「……っ、今は子どもたちを助けないと!」
ルリシアは迷いを振り切り、泣き声のする方へと駆け出した。
木の根元に、一人の女の子が膝を抱えて泣いていて、ルリシアは迷わずその子に駆け寄った。
「大丈夫!? 怪我してるの!?」
優しく声をかけ続けても、女の子は泣きやまない。ルリシアは寄り添うように、穏やかな声で語りかけた。
「養母さんが心配してるよ……立てる? みんなのところへ帰ろう?」
女の子の手をそっと引いた。
だが――泣いていた女の子が、ルリシアの手を信じられないほどの力で握り締めて顔を上げた。
「――いっ!」
子どもとは思えない強い力加減に、ルリシアは思わず顔をしかめる。
しかし女の子は手を離さない。
彼女の顔を見たとき、ルリシアの背筋に冷たい悪寒が走った。
目が虚ろで、焦点が合っていない。足元には黒いモヤが絡みつき、まるで生き物のように蠢いている。
女の子の虚ろな瞳が、ルリシアを捉えたその瞬間だった。
――ザザッ!
草陰から複数の人影が飛び出してきた。
「っ!?」
陽光が刃に反射し冷たい光が、ルリシアの瞳を刺した。身体が咄嗟に動く。握られた手を翻して、身を捻る。
ガンッ!
飛び出してきた女の子が振り下ろした斧が、彼女がさっきまで立っていた地面に深く突き刺さる。
(どうして!?)
ルリシアは動揺から激しく心臓が脈を打つ。
だが、攻撃はそこで終わらない。さらに別の女の子が、無言のまま飛びかかってきた。
ルリシアは両手で、風の魔法を展開。強い風が渦を巻き、女の子たちの身体に絡みつき、動きを封じてその場に縫い止める。
「ごめんね、痛くしないから……!」
女の子たちは虚ろな目のまま、もがき続けていた。
ほっと息を吐いたとき――
ルリシアの足元で、自分の影が不自然に蠢いた。
「……え?」
影が実体を持ち、刃のように鋭く伸びてルリシアの足元を薙ぐ。
「――っ!」
咄嗟に飛び退き、風の刃を叩きつける。一瞬、影が散った――と思った束の間、それは地面をすべるように隣の木の根元の影に移っていく。
風の刃で追うが、切っても切れない。光の届く場所がある限りどこへでも逃げられる。
(この影、一体なんなの!?)
集中が乱れる。子どもたちを縛っていた風がほつれ、虚ろな瞳の女の子が再びゆらりと立ち上がろうとする。
影を追えば子どもたちが動く。子どもたちを押さえれば影に足元を取られる。
ルリシアの背中を冷たい汗が伝った。
その時だった――
「――きゃあっ!」
ルリシアの悲鳴が、鬱蒼とした森の中に響き渡った。
**
モヤの中でイリヤは立ち止まり、ルリシアの気配を探っていた。
「ルリ!」
呼びかけるが返事はない。モヤが視界を完全に遮り、剣の柄に手をかけながら周囲を鋭く警戒していると、茂みの向こうから小さな気配を感じた。
「誰だ!」
低く問うと、茂みが揺れてカイが飛び出してきた。木刀を両手で構え、黒いモヤを睨みつけている。その足元で、カイの影が揺らめきながら実体化しようとしていた。
「下がれ」
「嫌だ! オレも戦う!」
「木刀でどうにかできるものじゃない」
「うるさい! オレだって――」
カイの影が突然大きく膨れ上がり、複数の影に分裂して二人に向かってきた。
イリヤは即座にカイを庇い、剣を薙いだ。しかし刃を避けるように影は分離してすり抜ける。
「……物理が通らない」
影は分裂しながら木々の影や地面の影に移り渡り、捉えどころがない。
イリヤは状況を素早く整理した。ルリシアはいない。カイがいる前で『氷華』は使えない。だが影を止める手段が必要だ。
「……お前、魔法を使ったことはあるか?」
突然の問いに、カイが目を瞬かせた。
「は? な、ないけど……」
「自分の潜在属性は知ってるか?」
「……知らない」
イリヤはカイの投石を思い出す。子どもの力にしては、正確で力強かった。
あの精度と威力は、潜在的な地の属性があると見て間違いない。
イリヤは懐から紙を取り出して、カイに手渡した。紙には、細い線が幾層にも重なり合う図形が描かれていた。カイには意味のわからない文字もびっしりと書かれている。
「これに魔力を込めろ」
「は? 何これ」
「術式の魔法陣だ。お前の生まれ持った潜在能力を引き出す」
カイは紙を見つめ、それからイリヤを見上げた。
「そんなこと言われても、オレは……」
「誰も助けてくれないと悲観するなら、お前自身が強くなればいい」
イリヤの声は真っ直ぐにカイの心を刺す。
「失った悲しみはわかる。だが嘆いているだけではまた失うぞ。後悔してからでは遅い」
カイは唇を震わせ、拳を強く握りしめた。紙を掴む手に力がこもる。
「……っ」
魔力を込めろと言われても方法がわからない。それでもイリヤの言葉が頭の中で繰り返されて、カイは目を閉じて必死に念じた。
すると足元に淡い紫色の魔法陣が広がった。
「……すっげぇ! 俺に、こんな力が!?」
カイが目を見開き、興奮で声が上ずる。
「だけど……どうすればいいんだよ!?」
影が再び動き始めると、イリヤはカイに問いかける。
「影は何故動くと思う?」
「……え?」
「光があるからだ」
カイは一瞬考え、すぐに理解した。
光を遮れば――闇に溶ける。
「……わかった!」
カイは両手を突き出し、足元の魔法陣に全力で魔力を流し込んだ。
イメージしたのは、木々が一気に成長して空を覆う巨大なドーム。周囲の木々がごうっと音を立てて枝を伸ばして葉を茂らせる。頭上を完全に覆い尽くした。
光が遮断され、あたりが暗闇に包まれる。影たちが動きを止め、暗闇に溶け込んだ。
「やった……!」
「そのまま、じっとしていろ」
イリヤは暗闇の中で目を閉じ、足元に薄く水の魔力を流した。一面の水面に立ち、水の揺らぎを通じて森全体の気配を静かに読み取る。
影が溶けた暗闇の中に、僅かな揺らぎを感じ取った。
(そこだ)
暗闇を切り裂く一閃――影の核が断ち切られ、霧散した。静寂が戻り、カイの魔法が解けていく。
「……なんか凄かった! ……もう一度!」
カイはもう一度、魔法を使おうと手を構えたが何も起きない。
「あれ……?」
しょんぼりと肩を落とすカイの頭に、イリヤの大きな手がぽんと乗せられた。
「術式魔法陣が潜在能力を一時的に引き出しただけだ。素質は十分にある」
「じゃあ、また使えるようになる?」
「ああ。だが、剣か魔法か、よく考えて選べ。どちらを極めるかで道は変わる」
イリヤの言葉に、カイは手のひらと木刀を交互に見つめた。
「……みんなの元へ戻れ」
再び警戒の視線を森の奥へと戻したとき――
ルリシアの悲鳴が森を揺らす。
イリヤは反射的に声のした方角へ、全力で駆け出した。
「あっ! 待ってくれよ!」
カイは慌てて声をかけ、ぎゅっと木刀を握りしめると、イリヤの背中を追いかけた。




