第20話 召喚の刻
守護精霊の間への最後の回廊。
二人が足を踏み入れた瞬間、複数の気配が周囲を取り囲んだ。回廊の両端、石柱の陰、天井付近の突起――あらゆる方向から他ペアが姿を現す。
シーカーで集められた者たちだ。全員の視線が、一点に集中している。
ルリシア・クリスティーノとイリヤ・クロウリー。
「鍵を持っているのはあの二人だ!」
誰かが大声で言った、そのとき――
「ひゃあっ! イリヤくんっ!!」
甲高い悲鳴とともに、金色の髪の小柄な人影がイリヤに飛びついた。
細い腕がイリヤの胴に巻きつき、ぎゅうぎゅうと力強くしがみつく。イリヤの眉間に、深く皺が寄ったが、黙って耐える。
周囲の他ペアたちが、僅かに足を止めた。
「……なんか、声が変じゃないか?」
一人が小声で耳打ちする。
「仕草も変だろ。ルリシアさんってあんなだっけ?」
「クロウリーの顔、すっごい嫌そうだな!?」
包囲網に動揺が走る。その隙に乗じた一人の騎士が、素早くルリシア?の背後に回り込んだ。確認するように、金色の髪をぐいっと引っ張る。
「きゃあっ! もー、何するのぉ!? 」
――ずるり。
金色のかつらが、綺麗に取れた。
現れたのは――眼鏡をかけた、飄々とした顔の青年だった。
「……あ」
回廊が、静止した。ライル・レントは、イリヤにしがみついたまま見上げ、にこりと笑う。
「イリヤくん、こわーい。みんなが乱暴するー。ルリ、こわーい!」
イリヤの眉間に更に深い皺が寄り、舌打ちが鳴る。
「そんな顔しないでくださいよ、ちゃんと演技してください」
「……もう、バレてる。離れろ」
「あと少しだけ、抗いましょうよ!」
「今すぐ離れろ」
イリヤの声が、一段低くなった。
仕方なく、ライルはするりとイリヤから離れ、かつらを拾い上げてぱんぱんと埃を払った。それから周囲を取り囲む他ペアたちを、眼鏡の奥からぐるりと見回す。
「皆さん、お揃いで。シーカーで呼び集められたんですか? ご苦労様ですね」
「お前……ルリシア・クリスティーノじゃないのか!?」
「見ての通り、ライル・レントです。ルリシアさんと同じ背丈だからまんまと引っかかりましたね? 皆さん?」
どこからともなく、レイラの呆れた声が降ってきた。
「だから言ったでしょ。すぐバレるって」
石柱の上に腰かけたレイラが、腕を組みながら他ペアたちを見下ろしていた。
「でも目的は果たしたわ。ルリはもういないわよ? 残念ね」
他ペアたちが一斉に顔を見合わせ、慌てて周囲を確認する。ルリシアの姿は、どこにもなかった。
「さて」
ライルが眼鏡を押し上げ、口端を緩めた。
「僕たちの相手、してもらえますか?」
他ペアたちが慌てふためく中、ライルはゆっくりと両手を広げた。指先に、じわりと魔力が滲み出す。
右手に赤い炎。左手に紫色の地の魔力。二つの属性が絡み合い、ライルの周囲で渦を巻き始めた。
「僕はですね」
ライルは笑みを浮かべたまま、うずうずと肩を揺らした。
「観察も好きなんですが……披露するのも、同じくらい好きなんですよ」
魔法陣が一枚、二枚、三枚と空中に展開される。炎の魔法陣が赤く燃え上がり、地の魔法陣が重厚な光を放つ。
それが幾重にも重なり、回廊を埋め尽くすほどの規模に膨れ上がった。
「「「……っ!?」」」
他ペアたちが、一斉に後ずさった。
「確か、あいつって……二大属性持ちの?」
「なんだ、あの魔力量……」
ざわめきが回廊に広がる中、ライルは眼鏡の奥の瞳を楽しそうに輝かせている。
その様子を横目で一瞥し、イリヤはライルに忠告した。
「遺跡、壊すなよ」
「イリヤ」
忠告すると同時に、レイラの声が降ってきた。石柱の上から滑り降り、イリヤの隣に並ぶ。
「シーラたちの姿が見えない。召喚の間に先回りしたのかも」
「……ああ」
「ここは任せて。行きなさい」
イリヤは頷き、短く答えた。
「頼む」
回廊の奥へと歩き出す。
レイラはその背中を見送り、踵を返した。
他ペアたちと向き合うと、レイラが剣を抜いた。キラリと光る刃を向け、静かに構える。
金色の瞳に、静かな怒りの炎が灯っていた。
「一つ、聞かせてもらえるかしら」
穏やかなのに、底冷えのする声。
「ルリに乱暴したのは……どなた?」
レイラの剣先が、ゆっくりと他ペアの一人を指す。公爵令嬢の威圧感と、抜き身の剣が同時に迫り、その場の空気が一瞬で凍りついた。
「私を敵に回すとどうなるか……もちろん、ご子息、ご令嬢様方には理解できるわよね?」
公爵令嬢の威圧感が、遺跡の石壁を震わせた。
他ペアたちが、青ざめながらじりじりと後ずさる様子を見て、レイラの背後でライルがぼそりと呟いた。
「……こわーい」
**
回廊を駆け抜けるイリヤの背後から、突然、殺気が爆発した。
イリヤは走りながらも即座に身を捻り、剣を抜いて後ろへ振り払う。
ガンッ!
重く鋭い金属音が回廊に響き渡った。火花が激しく散り、衝撃で回廊の石壁が微かに震えた。
イリヤは剣を構え直して、襲撃してきた相手を赤い瞳で捉える。
そこには居たのは、ガレン・ヴォルド。
その瞳には、底知れぬ狂気が宿っていた。
「――やっと、お前と本気で戦える」
ガレンも剣を構え直しながら、興奮で息を荒げていた。
「ずっと待っていた。お前を頂点から引きずり下ろす日を……!」
ガレンは舌なめずりをするように笑い、牙を剥いた獣のような笑みを浮かべた。
「シーラの策略なんてどうでもいい。あの女の目的など興味がない。俺が欲しいのは、お前との本気の死闘だけだ、イリヤ・クロウリー。学院内では許されないからなぁ……血を流し、骨を砕き、互いの命を賭けて……心の底から殺し合いたいんだよ!」
ガレンの笑みは歪み、興奮で瞳が爛々と輝いていた。獲物を前にした純粋で狂気的な殺意が、回廊全体に満ちていく。
イリヤは小さく吐き捨てた。
「……見苦しいな」
**
一方、召喚の間にシーラはたどり着いた。中心の巨大な魔法陣の前に悠然と立つ。
(……まだ来てないのね。ルリシアが来る前に済ませてしまおうかしら)
彼女は青く輝く水の鍵を優雅に掲げ、静かに魔力を注ぎ込んだ。緑の瞳には冷静さと確信が宿っている。これで水の精霊を先に呼び起こしてしまえば、ルリシアの召喚は全て無意味になる。
(呆気ないわね)
しかし――
鍵は淡く光ったまま、微動だにしない。魔法陣の水の紋章も、一切の反応を示さなかった。
「……反応しない?」
シーラの表情がわずかに固まる。
「どういうこと……? 私が持っているのは確かに精霊の魔力が宿ってる。本物の水の鍵のはずなのに……」
もう一度、慎重に魔力を流し込む。それでも鍵は沈黙したまま。
「…………なぜ?」
シーラの指先が、初めてわずかに震えた。
その瞬間――召喚の間の扉を開く音が広間を震わせた。
重い扉がゆっくりと開かれると、そこには金色の髪の少女が、警戒しながら中へと足を踏み入れてくる。
ルリシア・クリスティーノ。
シーラは素早く表情を整え、水の鍵を握ったが、隠しきれない焦りが滲み始めていた。
**
回廊の奥、ルリシアは走る。
ドン、と地鳴りが響く。足を止め、振り返った。
(イリヤくん、ライルくん、レイラ……)
胸が締め付けられる。
(行かなきゃ。やり遂げるんだ)
前方に立ちはだかるのは、召喚の間の重い扉。深く息を吸い、扉に手をかけた。
警戒しながら中へ進む。
四方に巨大な石柱が聳え立ち、風、地、炎、水の紋章が刻まれている。
中心の床には複雑な魔法陣が広がり、古い精霊の魔力が奥深くから脈打っていた。
ルリシアが足を踏み入れると――石柱の陰から人影が動いた。
「やっと来たのね?」
シーラ・ローレンスが、ゆっくりと姿を現した。その手には青く輝く水の鍵。
しかしその表情には、敵意が滲んでいる。
「ルリシア・クリスティーノ」
シーラはルリシアを冷たく見据え、静かに口を開いた。
「聞きたいことがあるの。水の鍵を……なぜガレンに渡したの?」
ルリシアは真っ直ぐにシーラを見つめた。
「やっぱり、ガレンさんのパートナーはシーラさんだったんだね」
「はぐらかさないで、質問に答えなさいよ」
シーラの声に鋭さが混じる。
「あなたたちが全属性の鍵を集めているのは把握していた。なのに水の鍵を手放した。何を企んでいるの?」
「シーラさんが水属性の魔導士だから、私一人が守護精霊を召喚するのを阻止するには、その鍵が必要でしょ?」
シーラの表情が固まった。
「シーラさんの目的は私の妨害をすること。シーラさんが、水の精霊を呼び起こせば、私の目的は果たされない……そうだよね?」
「……頭は回るのね? 弱ってたくせに」
「レイラたちが調べてくれたの。噂の出どころも……全部。それで繋がった」
ルリシアはシーラを真正面から見つめ、青い瞳に静かな覚悟を宿した。
「イリヤくんは私を信じて、ここまで一人で来させてくれた。だから……シーラさんの思い通りには、させない」
シーラの手が、わずかに震えた。
いつも不安げで、守られてばかりだったはずの平民の娘が、こんなにまっすぐに自分を見据えてくる。
「……なら、どうするの?
水の鍵はあなたが、私たちに渡したのに」
ルリシアは懐からもう一つの鍵を取り出し、淡い青の光を放つ本物の水の鍵をシーラに見せた。
「それ、本物の『水の鍵』じゃないよ」
シーラの視線が、自分の手の中の鍵とルリシアの手の鍵の間を激しく往復した。
「有り得ない……なら、私が持っているこれは……?」
「私たちが作った偽物だよ。精霊が力を貸してくれたの」
「だから、反応しなかった……? この私が……嵌められたというの……?」
「うん……ごめんね」
シーラの緑の瞳が激しく揺れた。
怒り、屈辱、嫉妬――全てが一瞬で混ざり合い、表情を歪める。
「最初から全部知っていて……私を嵌めたというの?」
ルリシアは静かに首を振った。
「イリヤくんがいたから、ここまで来られたの」
赤いイヤリングが、熱を帯びて淡く輝いた。
離れた場所にいるイリヤと、ルリシアを静かに繋いでいる。その言葉が、シーラの中で何かを決壊させた。
「……黙りなさいよ」
水魔法が爆発的に展開された。無数の水の刃がルリシアに殺到する。
ルリシアは四大魔力を展開し、炎の壁で水の刃を蒸発させた。
「あなたには絶対に渡さない! イリヤくんの隣はあなたじゃない!」
ルリシアは炎の壁を維持しながら、真っ直ぐにシーラを見た。
「イリヤくんの隣に立てるかどうかは、私が決める」
四色の魔力が、ルリシアの周囲で渦を巻いた。
ルリシアは本物の鍵を四つ取り出し、魔法陣へと向かった。
その瞬間――シーラの口元が歪む。
「愚かね」
嘲笑うような失笑と、確信に満ちた声が、広間に響いた。
「それ以上進んだら……全ての精霊が永久に封印されるわよ」
ルリシアの足が止まる。
シーラの口元に、静かな笑みが浮かんだ。
「あなたが今持っている偽物の鍵はただの偽鍵ではない。そして、今、ここに4つ揃っている。召喚しようとした瞬間、あなたの四大魔力に反応して起動する。本物の鍵で精霊を呼び起こそうとすれば――偽鍵がその精霊たちを封じ込める」
「それも、知ってるよ」
シーラの眉がわずかに動いた。
ルリシアは結晶石をシーラに見せた。
「私が持っているのはシーラさんの偽鍵の結晶石だけなの。鍵の本体はイリヤくんが持ってるから……起動する条件、揃ってないんだよ」
ルリシアは静かに本物の鍵を魔法陣へと向けた。
「イリヤくんは全部見抜いてる。私は彼を信じてる」
シーラの手から、偽物の水の鍵が零れ落ちた。
石畳に当たり、乾いた音が広間に響く。
ルリシアは魔法陣の中心に立ち、四本の鍵に魔力を込めた。
風、地、炎、水――四色の光が宙に浮き上がり、それぞれの石柱へと吸い込まれていく。
四つが嵌まった瞬間、床の魔法陣が眩い光を放ちながら起動した。
四方の石柱から、精霊の気配が滲み出す。
「――来て」
その瞬間だった。
四大の精霊の魔力が、均等に流れ込んできた。
風が体を満たす。地が体を満たす。炎が体を満たす。水が体を満たす。
――均等に体内に広がっていく。
「――っ!」
膝が折れる。視界が白く染まる。
元々溢れかえっていた四大魔力が、精霊たちの力によって均等に押し均されていく。総量が膨れ上がり、全身が内側から弾けそうなほど張り詰める。
「……っ、ぁ……!」
歯を食いしばり、床に手をついた。指先が震える。息が上がる。
(苦しい……でも)
ルリシアは顔を上げた。
(イリヤくんが信じてくれた。ここまで連れて来てくれた。守ってくれた。だから……)
震える腕に力を込め、立ち上がる。
「今度は、私がイリヤくんの覚悟に応える」
四色の光が、ルリシアを中心に螺旋を描いて天へと昇り始めた。




