第16話 風に揺れる、赤い絆
ペア実務任務では三人称視点での展開となります。
試練の遺跡に足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。石造りの回廊は奥へ奥へと続き、低く地を這う精霊の息吹が満ちていた。
魔力に敏感な者ほど、その圧力を肌で感じる。
イリヤは回廊を凝視する。
(四属性の精霊の魔力が宿る『鍵』をすべて集め、最奥の守護精霊を目覚めさせる……それがこの試練のルール。本物の鍵は四つのみ)
号令と同時に他のペアたちが散らばっていく中、イリヤは隣に立つルリシアを一瞥した。彼女の顔色はすでに少し青ざめている。
「行くぞ。ルリシア、辛かったら言え」
「……うん、ありがとう」
二人は風の気配が強く流れる方角へと歩き始めた。イリヤの頭の中には、過去数年分の遺跡調査記録、魔獣の出没パターンなど完全に整理されていた。
しかし、数歩も進まないうちにルリシアの足が乱れた。
「……イリヤ……くん」
震えた声に振り返ると、ルリシアが小さく震えながらその場にしゃがみ込んでいた。息が荒く、瞳が怯えに揺れている。
(思ったより早いな……)
精霊の気配に呼応して、彼女の体内で四大属性の魔力バランスが急速に崩れ始めていた。
イリヤはルリシアに近づき、跪いて視線を合わせた。無言で彼女の荷物を肩にかけ、横抱きに抱き上げる。
「しっかり捕まっていろ」
ルリシアは弱々しく頷き、イリヤの首に細い腕を回して身を預けた。甘い香りと、わずかに震える体温が伝わってくる。
**
風の気配が濃密になる回廊の突き当たりに、広い石の広間が広がっていた。
そして、中央に巨大な巣。その上に鎮座するのは、翼を広げれば十メートルを優に超えそうな鳥型の魔獣ーー風属性の力を纏った雷鳥だ。
羽毛の隙間から青白い電光が絶え間なく走り、鋭い眼光が侵入者を捉える。
イリヤはルリシアを壁際にそっと降ろすと、冷静に告げた。
「君の魔力を借りるぞ」
剣を抜き、魔獣を正面から見据える。
風が吹き抜けると、右耳の赤いイヤリングが微かにキラリと輝くーールリシアの左耳の同じ石も呼応するように熱を帯びた。
ルリシアは薄く目を開け、イリヤの背中を見つめた。
イリヤの剣に、ルリシアから流れてきた地の魔力がゆっくりと付与されていく。重く、確かな紫色の光が刃に宿った。
「……来い」
雷鳥が咆哮を上げ、巨大な翼を広げた瞬間ーー広間全体に強烈な突風が巻き起こった。
石の床に亀裂が入り、砂埃が視界を覆う。雷鳥の羽根から放たれた無数の風の刃が、イリヤに向かって殺到した。
イリヤは低く身を屈め、剣を横に薙ぎ払う。
地の魔力が爆発的に膨れ上がり、風の刃のほとんどを弾き返した。
しかし、残った数本が彼の肩を浅く切り裂く。熱い痛みが走ったが、イリヤの表情は変わらない。
雷鳥が再び翼を広げ、今度は青白い雷撃を纏った風の槍を連続で繰り出してきた。
空気が裂ける音が連続して響く。
イリヤは剣を握り直し、ルリシアの魔力をさらに引き出す。地の魔力が足元から噴き上がり、即席の岩の壁を形成して雷撃を防いだ。
壁が砕ける衝撃で石片が飛び散り、イリヤはそれを蹴って跳躍ーー雷鳥の懐に飛び込み、剣が雷鳥の胸元を狙う。
ヒュッーー空を突く。
魔獣は素早い。翼を回転させ、強烈な旋風を発生させてイリヤの体を吹き飛ばそうとする。
イリヤは空中で体勢を立て直し、剣を振り下ろした。
地の魔力が集中した一撃が、雷鳥の左翼の付け根を深く斬り裂く。紫色の体液が飛び散り、魔獣の咆哮が広間に響き渡った。
雷鳥が激昂し、全身から雷光を爆発させた。
広間全体が青白く染まり、無差別な落雷が降り注ぐ。
イリヤは剣を地面に突き立て、地の魔力で周囲に薄い防御結界を張った。
雷撃が激突するたび、火花が飛び散り、結界が軋む。
次の瞬間、結界を解除すると同時に地面が隆起し、砕けた大地の破片が無数に浮かび上がった。吸収した雷撃のエネルギーが破片に纏わりつき、青白く帯電する。
イリヤは剣を軽く振り、帯電した岩の破片を一斉に雷鳥へ叩きつけた。
視界を埋め尽くす青白い閃光と炸裂音が雷鳥を包み、巨体を完全に遮蔽した。
その隙を突き、イリヤは一瞬で間合いを詰め、剣を振り下ろす。
「ーー落ちろ」
地の魔力を凝縮した一撃が、雷鳥の首を深々と斬り裂いた。
魔獣の巨体が痙攣しながら地面に崩れ落ち、雷光が弱まり、広間に静寂が戻った。
イリヤは小さく息を吐き、剣を振って体液を払う。
魔獣の足の付け根に淡く輝く鍵が見え、手に取った瞬間、イリヤは眉をわずかに寄せ、無言でそれを投げ捨てた。
魔獣が守っていた卵が五つあることに気づき、イリヤは警戒を保ちながら近づいた。
剣の柄で一つずつ軽く叩いていく。一つだけ、微かに空洞の響きがした。
迷わず剣を突き立て、殻を割り裂く。
中から転がり出たのは、深い翠の光を帯びた小さな結晶石の鍵『風の鍵』だった。
鍵を手に取った、瞬間ーー
「イリヤくん!!」
ルリシアの悲鳴が響いた。
横から強力な風魔法が飛来する。イリヤは即座に後ろへ飛び退き、魔法が石壁に激突して大規模な粉塵を巻き上げた。
魔法が飛んで来た方角から、魔法科の白い制服を着た女子生徒が姿を現した。
イリヤには見覚えがあった。以前、自分にペアを申し込んできた者の一人だ。
「鍵、渡しなさいよ」
女子生徒が憎々しげに睨みつけてくる。
しかしイリヤの注意は、別の気配に向けられていた。
「離してッ……!」
ルリシアの苦しそうな声が広間に響くと、彼女は後ろから騎士科の男子生徒に抱えられ、短剣を喉元に突きつけられていた。
「ごめん。ルリシアさんに恨みはないけど、メイサがーー」
シュンッと風を切る音が耳元で響いた瞬間、男子生徒の言葉が途中で止まる。
イリヤが無言で短剣を投擲したのだ。
刃が男子生徒の頬を浅く切り、スッと鮮血が一筋流れた。
「離せ」
凍てつくような声に、赤い瞳が男子生徒を射抜く。広間が一瞬、凍りついたような静寂に包まれた。
「あんたの相手はこっちよ!」
メイサが苛立った声を上げ、風魔法を展開し、無数の風の矢をイリヤに向かって放った。
イリヤのイヤリングが再び輝き、ルリシアの魔力が彼を包み込む。同じ風属性の突風を発生させ、矢の軍勢をことごとく弾き返した。
「本当に腹立つ! そうやって、いつまでも自分が一番って!? 自惚れんなッ!!」
メイサの声がヒステリックに響く。彼女の目は、嫉妬と逆恨みで歪んでいた。
イリヤにペアを拒否された腹いせが、はっきりとその表情に表れていた。
「トーワ! その女! しっかり押さえつけておきなさいよ!!」
「わ、わかってるよ……」
「この男に、私を選ばなかったこと、後悔させてやる!!」
メイサは補助式魔法陣を展開し、自身の風の魔力を引き上げる。
その魔力に反応したのか、残っていた魔獣の卵が一斉に羽化し始めた。
小型の雷鳥たちが次々と殻を破り、イリヤに向かって襲いかかる。
イリヤはルリシアの魔力を駆使して風の障壁を張り、小型魔獣の攻撃を防ぎながら反撃を試みるがメイサが執拗に風魔法で妨害を入れてくるため、動きが制限される。
(……鬱陶しい)
イリヤの眉の間に深く皺が寄ったそのときーー
羽化した雷鳥の一体が、強烈な雷撃の閃光をイリヤ目掛けて放った。青白い光が視界を埋め尽くす。
「ーーイリヤくんッ!」
ルリシアは苦しげに身体を無理やり動かし、トーワを振り切った。
地面に両手を付き、残った地の魔力を総動員して魔法を展開する。
地面から厚い岩の壁が急激に隆起し、イリヤを守る盾となった。
しかし、彼女はそこで止まらない。
「まだ……!」
歯を食いしばり、震える指先でさらに魔力を練る。岩の壁の表面から鋭い岩の突起が一斉に伸び上がり、水の魔力を纏わせて青く輝いた。
次の瞬間、その水を帯びた岩の槍が爆発的に前方へ射出される。
小型の雷鳥たちが次々とその槍に串刺しにされた。岩の突起が羽毛を貫き、水の魔力が体内に流れ込んで激しい感電を引き起こす。
雷鳥たちは痙攣しながら悲鳴を上げ、羽を焦がして次々と地面に墜落していった。
「な……っ!?」
メイサが目を剝いて後ずさり、明らかな動揺が浮かぶ。
(あの女……さっきまであんなに弱々しかったのに……!? どこからこんな魔力が……!?)
ルリシアの突然の反撃に、メイサの表情が歪んだ。しかし、大量の魔力を使った代償は大きかった。
「…………あっ……」
ルリシアの視界が激しく揺らぎ、肘が折れる。そのままその場に力尽きて倒れ込んだ。
それを見た瞬間、イリヤの瞳が冷たく、深く変わった。
トーワがメイサに加勢しようと一歩踏み出しが、イリヤの姿が一瞬で消え、次の瞬間にはトーワの眼前へと現れていた。
剣先が、トーワの喉元にぴたりと突きつけられる。鋭い刃先が皮膚をわずかに押し込み、薄い血の線が浮かび上がった。
「動くな」
イリヤの声は、感情をほとんど感じさせない。
その冷徹な視線が、トーワの動きを完全に封じ込めていた。
トーワの喉に剣を押し当てたまま、イリヤはゆっくりと顔をメイサへと向けた。
「お前たちは、地の鍵を持っているな。渡せ」
抑揚のない声が、静かな圧力を帯びて空間に響く。
「何でそれを……!? 冗談じゃない!」
メイサが顔を歪め、声を荒げて抵抗する。
しかしイリヤは表情一つ変えず、トーワの喉元に剣をさらにわずかに押し込んだ。
刃が皮膚を深く食い込む。
「う……っ!」
イリヤの殺気を帯びた、鋭い赤い瞳が、脅しではないことを物語っている。トーワが震える声で絞り出した。
「メイサ、もう……」
メイサは悔しげに歯を食いしばり、袋を投げつけた。
「渡したでしょ! トーワを離せ!」
イリヤは袋を拾い上げ、中身を確認する。一つは確かに本物の『地の鍵』だった。
二人が回廊へ退いていく途中で、メイサが振り返り声を荒げた。
「頭おかしいんじゃないの!? 学院の行事でそこまでやる必要がどこにあるのよ!!」
イリヤは背を向けたまま、冷たく答える。
「お前たちから先に仕掛けた。覚えておけ。狩に出たら、狩るか狩られるかのどちらかだ」
足音が遠ざかり、広間に再び静寂が戻った。
イリヤは剣を握る手からゆっくりと力を抜き、纏わせていた魔力を霧散させた。
地の鍵と風の鍵を手に握り、深く息を吐く。
(……手間が省けた)
視線をルリシアに向ける。
(……気づかれなくて、良かった)
彼女の前では、こういう姿を見せたくない。
イリヤは剣を収め、ルリシアのもとへ歩み寄って彼女を抱き起こした。
ルリシアは息を乱しながらも、薄く目を開ける。
「……イリヤくん……大丈夫?」
その心配そうな声に、イリヤの口元がわずかに緩んだ。
「馬鹿だな……自分の心配をした方がいい」
「……ごめん、ね……」
ルリシアの声は弱々しく、でも精一杯の笑みを浮かべようとしていた。
イリヤは彼女の金色の髪を優しくかき上げ、頭を撫でる。
「よく頑張ったな。助かった、ルリシア」
「……イリヤくんが無事で、よかった……」
ルリシアの指が、イリヤの肩に負った傷を弱く触れる。
(……傷が……もう塞がってる)
ぼんやりとした意識の中で、ルリシアに微かな疑問が浮かぶ……が、身体の倦怠感に負けて、ゆっくりと意識を手放した。
イリヤは彼女の細い体をより強く抱きしめ、耳元で低く囁いた。
「もう少し休め。俺が守ってる」
赤いイヤリングが、二人の鼓動に合わせて小さく揺れた。
**
その様子を、回廊の暗い影から双眼鏡で静かに覗いている人影があった。
「……やっぱり、おもしろいなぁ。イリヤ・クロウリー」
魔法科次席のライル・レント。小柄な体格に眼鏡をかけた、飄々とした青年だ。
双眼鏡から目を離さないまま、口端だけが緩んでいる。
「ちょっと、ライル」
後ろからレイラの呆れた声が飛んだ。
「覗きは悪趣味よ」
「人聞きが悪いですね。これは観察です」
「同じでしょ」
「全然違います」
ライルは双眼鏡を下ろし、考え込むような表情を作った。
「……おかしいんですよ、あの人」
「何が?」
「魔力の扱いに慣れすぎている。騎士科の彼が、ルリシアさんのコントロールなしに四大魔法をあれだけ精密に使いこなすのは、通常ありえないはずなんです」
レイラが眉を寄せる。
「それって……」
「謎ですね。本当に興味深い……あの赤い石のイヤリングが魔力共有の媒体になっているとしても、騎士科の生徒が魔導士の魔力をここまで自然に引き出せるなんて、まるで最初から自分の魔力のように扱っている……これはただのペアの相性では説明がつかない」
ライルはぶつぶつと独り言のように続け、眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
レイラは怪訝そうな顔でライルを見つめた。
「あんたって……本当に変な奴ね?」
「褒め言葉として受け取っておきます」
ライルは再び双眼鏡を構え、イリヤとルリシアのいる広間へと視線を戻した。
「……だからこそ、おもしろい」




