第15話 赤い呼応
本日は、二話同時投稿しております。読み飛ばしにはご注意ください。
学院中が張り詰めた空気に包まれている。今年のペア実務任務は過去最高難易度。四組しか合格できない。それが発表されてから、誰もがピリピリしていた。
夜の女子寮食堂も例外じゃなかった。
セナが頬杖をついてため息をつく。
「四組しか受からないって……よっぽど自信ある人しか出られないよね」
エマがこくりと頷く。
「ネオンと相談して、私たち今年は辞めることにしたよ」
「レイラさんは?」とエマが振ると、レイラが少し困ったように私を見た。
「ルリ?」
私はどこか遠くでみんなの声を聞きながら、左耳のイヤリングに指を添え、ぼんやりしていた。
「ルリってば!」
セナの声に、ハッと我に帰り、慌ててみんなを見回すと、三人とも心配そうな顔をしていた。
「ご、ごめん! 大丈夫だよ!」
無理に笑ってみせるけど、声が少し上擦ってしまう。セナが空気を和らげようと、にんまり笑って私の耳を指さす。
「それ、彼氏からのプレゼント?」
一瞬で耳まで真っ赤になる。
「ち、違うよ……! イリヤくんがくれたの……お揃いだって」
食堂が一瞬静まり、すぐに甘ったるいざわめきが広がった。
「彼氏じゃん! っていつの間にそんな甘々!?」
セナが興奮を抑えきれず声を上げ、私は慌てて両手を振る。
「しーっ! 声大きいってば……! 付き合ってないよ、まだ……」
「なんでよぉ!?」
「ペア実務任務のパートナーの証だって言ってくれたの! もう、セナったら深読みしすぎだよ」
「えー? どう見ても独占欲丸出しの証なんだけど……で、何でそんな不安そうな顔してるの?」
セナの言葉に、少し笑って首を振る。
「……ちょっと緊張してるだけだよ」
セナは納得していない顔をしたけど、それ以上は聞いてこなかった。
レイラが私の顔を覗き込み、金色の瞳を心配そうに揺らす。
「じゃあ、ルリはイリヤと組んで出るのね?」
「うん……ごめんね、レイラ」
毎年、レイラと組んでいたから、申し訳なさで肩が落ちる。レイラは私の手をそっと握って、優しく微笑んだ。
「いいのよ。気にすることないわ。……でも、もしルリたちがライバルになることを考えたら……私は出たくないわね。四組合格できるとはいえ、この任務は誰も手を抜かない。ルリたちと争うなんて、したくないもの」
それなのに、レイラは小さく苦笑する。
「だけど、このペア実務任務の結果が、卒業前の王宮認定試験の評価に直結する。貴族にとっては家の名誉にも関わること。参加しないなんて、お父様が許してくれないのよ」
エマが頷く。
「そういえば、お嬢様たちはみんなペア探しに必死だったよね」
レイラが静かに続ける。
「実質、貴族同士の蹴落とし合いよ。功績次第で爵位も変わるから、みんな本気」
みんなの顔が一気に深刻になる。
私はまた左耳のイヤリングに触れて、俯いた。イリヤくんが私を選んでくれたことは、嬉しい。
なのに、心の底から喜べない。何かが起こりそうで、怖い。
**
食事を終え、みんなと一緒に部屋へ向かう廊下で、向こうからシーラさんが歩いてくる。
視線は私を避けている。でも、通り過ぎる瞬間、鋭い圧が突き刺さった。
「そうやって、いつも守ってもらうばかりでお姫様気取りなのね」
冷たい声が私の耳に響く。シーラさんは一瞬だけ私を睨み、そのまま去っていった。
歩く足が止まり、心臓がドクンと跳ねる。
ーー図星だった。
いつも助けてもらってばかり。
今回だって、イリヤくんに全てを委ねて……。
足元で魔力が不安定に渦を巻き始めた。慌てて抑え込むけど、指先が震えている。
「ルリ……?」
レイラの声が、すぐ近くで響いた。
いつの間にか、私の手をそっと握ってくれていて、私を見る金色の瞳が、心配そうに揺れている。
「……外の空気、吸わない? 少し歩こう」
断る気力もなく、私はこくりと頷いた。
女子寮の裏手にある小さな中庭は、夜風が冷たくて、頬に当たるたび少しだけ頭が冴える。
今日は一段と星が綺麗に瞬いている。
レイラは私の隣に並んで、ゆっくり歩きながら口を開いた。
「どうしたの?」
「……え?」
「せっかく、イリヤと二人で任務に行けるのに。
全然、嬉しくなさそう」
胸がぎゅっと締め付けられる。何も言えなくて、俯いたまま左耳のイヤリングに指を添える。
レイラは足を止めて、私の顔を覗き込む。
「なんだか色々、悩んでそうね? ……当ててみようか……」
私は静かに、レイラの言葉を待った。
「ルリは、自分が不甲斐ないって思ってる。
自分では何もできないって。それに……何より、イリヤに全部の負担を押し付けてるって罪悪感でいっぱい……イリヤが、ひとりで戦ってるみたいで、怖いんでしょう?」
ーー全部、当たってる。
涙が、ぽろりとこぼれる。
慌てて袖で拭うけど、止まらない。
「……どうして、わかるの?」
「だって、ルリの親友だもの。あなたの事、私が一番よく知ってる。イリヤなんかより、ずっと……」
「……レイラ」
レイラの優しくも、真っ直ぐな視線に、私は涙を溢れさせながらも金色の瞳から目を逸せない。
「それに、私も公爵家に生まれたから……似たようなことで、散々悩んだことがあるから。イリヤの葛藤も想像がつくわ」
レイラは静かに続ける。
声は優しいのに、どこか力強い。
「ルリは、イリヤとどうなりたいの?」
私は、震える声で、ようやく絞り出した。
「……恋人になりたい。イリヤくんが私を見てくれて、今はこんなに近くにいるのに……遠くに感じるの。好きって、ちゃんと言いたい。
でも……簡単に言えない。言ってはいけない気がするの」
「どうして?」
「……平民と貴族だから。
この学院ではみんな対等って言っても、本当は壁がある。イリヤくんはクロウリー伯爵家の跡取りで……私は、ただの……」
言葉が詰まり、喉が苦しくて息ができない。
愛の日に、クロードくんから言われた言葉がずっと心に刺さったまま、取れなかった。
イリヤくんは私のことを平民だからとは絶対に言わない。彼はいつも、誰に対しても対等で、それはイリヤくんの強さであり、優しさだ。それは一番よくわかってる。……でも。
「何もできない私が……彼のそばにいる資格があるのか……イリヤくんが優しくしてくれるたびに不安になるの」
不安を吐き出した瞬間ーー涙が止まらない。
レイラは静かに、私の肩に手を置いた。
「この王国は、実力主義よ。身分は大事だけど、それ以上に『何をしたか』がすべてを決める」
彼女は夜空を見上げて、ゆっくりと語り始めた。
「知ってる? この国の、王国一の騎士と、第一王子の話。あの騎士は、元は平民の出。
戦場で偶然、王子の命を救ったことで頭角を現して……今では『王国最強』とまで呼ばれるようになった。王子とは、今や気心の知れた仲。
公の場では騎士と王子だけど、二人きりだとまるで旧友みたいに笑い合ってるって話よ」
私は息を呑む。
「身分なんて、後からついてくるもの。
大切なのは、あなたがイリヤにとって『かけがえのない存在』になれるかどうか。そして、イリヤがあなたを『手放したくない』と思えるかどうか。ーー今のイリヤを見てれば、答えは出てるでしょう?」
レイラの言葉が、胸の奥に染み込んでくる。
「ルリ。あなたは十分に強い。自分の弱さを認めて、それでも前に進もうとしてる。どうしても、不安なら……それをイリヤに話しなさい」
涙で滲んだ視界の中で、イリヤくんの顔が浮かぶ。
「……もっと……負担に、ならないかな」
「なる訳ないでしょう! 万が一なるって言ったら私がイリヤを殴っておくわ!」
レイラは拳を胸に当て、誇るように鼻高々に顔を上げた。そして、優しくも気高く微笑む。
「お互いの弱さを補う。それがペアでしょう? 私、応援してるから……」
夜風が、私の頬を撫でた。涙はまだ止まらないけど、胸の奥の重たいものが、少しだけ軽くなっていく……。
「……ありがとう、レイラ」
レイラは私の手を握り、そっと笑った。
「さあ、部屋に戻ろう。風邪引いたら台無しだわ。ちゃんと寝ないと」
私は小さく頷いて、彼女と並んで歩き出す。
イヤリングが、歩くたびに小さく揺れて、まるでイリヤがそばにいるみたいだった。
**
翌日の朝、学院内は慌ただしかった。パートナー報告の締め切りが迫り、誰もが急ぎ足で動いている。
「あ……イリヤくん」
彼が向こう側から歩いてきて、視線が絡まり、離れない。心臓がうるさく鳴ってるーー絶対に、顔赤くなってる。
「ルリシア」
呼ばれて、胸が跳ねた。
イリヤくんが指を絡めて軽く引く。
そのまま空き教室に連れ込まれ、扉が閉まる。世界が、二人だけになるように感じた。
彼は私の左耳に視線を落とし、指先で赤い石をそっと撫でる。そのまま私の髪を耳にかけて、イヤリングをより近く、はっきりと見えるようにする。
「そのイヤリング、外すなよ?」
「……うん」
イリヤくんは私の顔をじっと見つめてくる。
「不安そうだな。怖いのか?」
その言葉に、胸の奥でずっと抑えていたものが一気に溢れそうになる。
レイラの声が、頭の中で響いた。
ーーどうしても、不安なら……それをイリヤに話しなさい。
私は、目を逸らさずに彼を見つめ返す。
「……うん。怖い」
声が震える。
「私のために、イリヤくんがみんなを敵に回すことになるんだよね。みんなの努力を、私のために踏み躙るような気がしてならないの。それなのに、私は自分のことを自分で解決すらできない。いつも守ってもらうばかりで……」
涙がにじみ、言葉が途切れ途切れになる。
「イリヤくんひとりに、負担をかけてる気がして……怖い。結局、私は……あなたの強さに甘えてるだけな気がして……自分が嫌になるの」
イリヤくんの瞳がわずかに揺れる。彼は私の頬を両手で包み、額を強く押しつけてきた。
「俺が決めたことだ」
確かな声が間近に響いてくる。
「君を助けるために、俺が決めた。ルリシアがそんなに思い詰めることはない」
その言葉が温かくて痛くて、胸がいっぱいになる。
「……でも」
「不安なら、俺に全部預けろ」
彼の声が、私の耳元で響き涙がぽろりと落ちる。
「ルリシアの不安は俺が全て受け止める。だから代わりに、君が俺の覚悟を受け止めてくれ」
「君が信じてくれなければ、俺は戦えない」
その言葉が胸の奥まで届いて、私は彼の胸に顔を埋めて、小さく頷いた。
「……うん。信じる」
この先の試練がどれだけ過酷でも。
どれだけ恨みを買っても。
イリヤくんがそばにいてくれるならーー私は、きっと立ち向かえる。
彼の腕が、私の背中をゆっくりと回り込む。
強く、けれど優しく抱きしめられて、息が止まりそうになる。
彼の心臓の音が、耳に直接響いてくるみたいで……私の鼓動と重なり合う。
「ルリシア」
いつもより柔らかくて、真剣な声で名を呼ばれる。
「この任務に合格したら……伝えたいことがある」
一瞬、時間が止まった。
「え……?」
「今は、まだ言えない。だが、必ず終わらせてから、ちゃんと伝える」
彼の声は落ち着いていて、でもどこか震えていた。それは、いつもの冷たい仮面の下に隠された、熱い何か。
「……うん。私も話したいこと、あるの」
私は、涙で滲んだ視界の中で、彼の右耳に揺れる赤い宝石を見つめる。私の左耳のものと、同じ色、同じ輝き。
二つの赤い光が、狭い教室の空気の中で互いに呼応するようにきらめいた。
まるで、目に見えない糸がしっかりと結ばれているみたいに。
**
ーーそして。
朝の陽光が学院の高い塔を照らし、広場に集まった生徒たちの顔つきは皆、様々。だけど、空気は張り詰め、誰もが息を潜めている。
ペア実務任務『試練の遺跡』ーー四組しか合格できない、過酷な戦いの幕が静かに開かれた。




