第13話 崩れゆく均等
ある朝、女子寮の部屋で私は鏡の前に座ると、鏡に映る自分の顔をじっと見つめる。
心地よい柔らかな朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋を優しく照らしている。
まだ少し眠気の残る空気の中、私は金色の髪を丁寧にとかしながら、今日はいつもと違う髪型に挑戦しようと決めていた。
いつもは素直に流している金色の髪を、今日は丁寧にサイドを編み込み、ハーフアップにまとめた。
水色の小さなリボンを結ぶと、鏡の中の自分がいつもより少し柔らかく、女の子らしく見える。
淡い桜色のリップをそっと塗り、制服の襟元を整えると、頰が自然と熱くなった。
「イリヤくん、気づいてくれるかな……」
小さく呟いた瞬間、後ろからセナが飛びついてきた。
「今日のルリ、完全に恋する乙女モードじゃん! この髪型、イリヤくん専用でしょ?」
「セ、セナ! そんな恥ずかしいこと言わないでよ……!」
鏡に映る自分の顔は、もう真っ赤だった。セナは楽しそうに笑いながら、私の肩を軽く叩く。
**
女子寮の食堂に降りると、レイラが紅茶のカップを置いて、目を丸くしてじっと私を見てきた。
「……ねえ、ルリ。今日は告白でもするの?」
「ち、違うよ! ただ……好きな人に、ちょっと可愛いって思ってもらいたくて……気合を入れただけ」
私は俯きながら答えたけれど、心の奥では甘い期待が膨らんで止まらなかった。
レイラは金色の瞳を細めて、意味深に微笑んだ。
「ふーん。じゃあ今日はイリヤを落とす気満々ってことね」
「もー! レイラまで、揶揄わないで!」
**
いつも通りのお昼休み、賑やかな生徒たちの声が廊下に響く中、私は教科書を抱えて教室に向かっていた。暖かな日差しが窓から差し込み、磨かれた床に淡い光の模様を描いている。
すると、廊下の隅で突然、後輩の男の子に呼び止められた。
「ルリシア先輩……! あの、好きです。初めて見たときから……」
真剣な瞳で手紙を差し出される。
私は静かに息を吸い、はっきりと答えた。
「……ごめんなさい。私、好きな人がいるの」
後輩の肩が小さく落ちるのを見て、胸が少し痛んだ。でも、もう迷わない。愛の日を経て、私は少しだけ強くなれた気がした。
その日から、学院内では噂が一気に広がった。
『天才美少女に彼氏ができたらしい』
『相手はイリヤ・クロウリーじゃないかって……』
噂の真相を、誰も直接聞いてこないけれど、空気がざわついているのははっきりとわかった。
放課前、レイラが心配そうに私の肩を抱いた。
「ルリ、大丈夫? 噂、すごいことになってるけど……」
私は小さく笑って首を振った。
「気にしないよ。だって今は、彼が前よりずっと近くにいるから」
**
放課後、いつもの図書室。
扉を開けると、窓際の席にイリヤくんがいた。夕陽が紺色の髪を柔らかく染めている。
私は自然に隣に座った。もう、ためらうことはない。
「お疲れ様、イリヤくん」
彼がゆっくり顔を上げた瞬間、赤い瞳が私の髪に留まった。
「……髪、変えたんだな」
静かだけど穏やかな声で、視線が私の編み込みとリボンをじっくりと追っている。
「うん……今日は、ちょっと気分を変えてみたの。
……似合う?」
小さく首を傾げて微笑むと、イリヤくんはほとんど息を止めたようにして答えた。
「……ああ。とても、似合う」
その一言が、胸の奥を甘く溶かした。
「ありがとう……」
私は教科書を開きながら、そっと問いかけた。
「イリヤくん、ここ教えて……」
彼は無言で教科書を引き寄せ、綺麗な指でページをなぞりながら解説を始めた。
息が近くて、ドキドキする。
「……ここは属性干渉の係数を三乗して、循環率を調整する。そうしないと共鳴が崩れて暴走する」
「……あ、そっか。ありがとう、イリヤくん……」
勉強に集中したくても、つい彼の横顔をチラチラと盗み見てしまう。
「……イリヤくん」
そっと名前を呼んで、手を伸ばした。指先が彼の袖に触れる。
「もっと、そっち寄っていい……?」
イリヤくんの瞳が一瞬揺れた。
「……十分に近いだろ」
小さく、どこか照れたような声。
「そうかな……?」
私はまっすぐ彼を見つめ返した。その視線にイリヤくんは小さくため息を吐き、少し挑戦的な目で私を見た。
「君の四大属性の共鳴理論。俺にちゃんと説明できたら……来ていい」
私は胸を張って、力強く頷いた。
「うん、わかった。全部、教えてあげる」
図書室の夕陽が、私たちを優しく包み込んだ。静かな空気の中で、二人の距離がまた、少しだけ近づいた気がした。
(イリヤくんに、この想いがちゃんと届きますように)
**
それから数日後の魔法実技の授業でグラウンドの中心で先生が課題を告げた。
先生はぐるりと生徒たちの顔を見渡すと大きな声で言い放つ。
「今日は四大属性の複合展開だ。各自、得意属性から順にーー」
そこで先生の視線が、私のところで止まった。
「ルリシア・クリスティーノ」
名指しで呼ばれ、周囲の視線が一斉に集まる。
「君には特別課題を出す。四大属性の同時展開、最大出力で見せてもらおう」
先生の指示に緊張の糸がピンっと張るように身体が無意識的に強張った。
私の緊張が伝染し、隣でセナが小さく息を呑む気配がした。
「……はい」
私は一歩前に出る。正直、不安だ……。
昨夜から指先がうまく動かない感覚があった。魔力の流れが、どこかちぐはぐで不安定に身体中を駆け巡っている。
(でも、やるしかない……)
深く息を吸い込み、四大属性の魔力を引き出そうとした。
まず炎、次に水を、風を吹き込み、地にーー
そのとき、何かが大きくずれた。
風の流れが、炎の威力を誘発し暴発した。制御の糸が一本、ぶつりと切れる。
慌てて押さえ込もうとした瞬間、今度は水と地が互いに激しく反発し始めた。
(だめ、止まって……!)
魔力が体の中で暴れ回り、腕が激しく震え、展開しかけた属性魔法が形を保てずに乱れ、宙に歪んだ光の塊となって弾けた。
バチッ、という空気が焦げる音が鳴った、次の瞬間ーー地面に一本、細い亀裂が走った。
「ルリッ!?」
セナの叫び声が遠くに聞こえたあと、膝から力が抜け、視界の端が白く滲んだ。
ーーそのまま、何も見えなくなった。
**
気がつくと、白い天井が見えた。
ここは……?
ベッドの上に寝かされている。どうやらここは、医務室みたい。
まだ体が鉛のように重い。まぶたも重くて、完全に目を開けられない。
遠くで、声が二人分聞こえる。
それは、先生の声とーー聞き慣れている、落ち着いた声。
カーテンを引く音がして、足音が近づいてきた。そして、大きな手がそっと私の額に触れた。
その温もりに、胸の奥が震えた。
(……イリヤくん)
ゆっくりと目を開けると、赤い瞳がすぐそこにあった。
「……目が覚めたか」
その言葉に心配が滲んでいる。私と視線が絡むと、揺れる赤い瞳の奥で緊張が、ほんの少し解けるのがわかった。
「……うん」
私は言葉を絞り出す。イリヤくんは額から手を離し、ベッドの端に腰を下ろした。
しばらく無言で私を見つめてから、口を開いた。
「いつからだ」
「え……」
「魔力が、自分でコントロールできていないだろ」
断定するような言葉に、私は視線を逸らした。白いシーツに目を落として、指先をぎゅっと握った。
「……少し前から、かな。まだまだ訓練が足りないって、そう思ってて……」
「違う」
突然、遮られて思わずイリヤくんの顔に視線を戻す。
「四大属性のバランスが崩れている。君のせいではない」
その言葉の重さに、喉が詰まった。
ーー君のせいではない。
その一言が、ずっと胸の奥で小さく燃え続けていた焦りを、すうっと鎮めていく。同時に、目の奥が熱くなった。
「……なんで、わかるの」
「見ていたから」
ーー見ていてくれた?
その言葉に自然と視界が滲む。だけど、涙が溢れ落ちるのをぐっと堪えた。
イリヤくんは私の顔をまっすぐ見つめて、続けた。
「君は人一倍、努力している。俺はそれを見てきた。だからこそ、君の魔力バランスを崩す原因を根本的に解決しないといけない」
「……それは、どうすればいいの?」
イリヤくんは少し間を置く。しばらくして視線が、一瞬だけ窓の外に流れてーーまた私に戻る。
「今、解決する手段として利用できるのはーー」
静かな医務室に、芯の通った低い声が落ちた。
「ペア実務任務だ」




