第9話 制服とお礼のチョコ
視察から戻った夜、私は女子寮の洗濯室で一人、イリヤくんの制服を丁寧に洗っていた。
ダンジョンで飛び散った紫色の粘膜の跡を、丁寧に揉み洗いする。冷たい水に手を浸しながら、ふとあの時のことを思い出す。
巨大ヒル魔獣に怯えてイリヤくんにしがみついてしまったのは、今思い出しても、恥ずかしい。
だけど一緒に戦ったこと、そして、最後に頭をポンと撫でて「よく頑張った」と言ってくれた温かい手を思い出しながら自然と顔が緩む。
(イリヤくんとの視察、楽しかったなぁ)
洗い終わった制服を丁寧にすすぎ、脱水して干す。私は思い立つ。
(早く乾かす為に、魔法使ってみる?)
いやいや、やめよう。ここ最近、魔力バランスが乱れてやらかす事が多い。訓練不足かも。イリヤくんの制服を燃やしたり、破いたりしたら合わす顔ない。
これを返しに行くついでに……もっとお話したいな。
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次の日の朝、女子寮の食堂でエマの弾んだ声が、私たちの食事する手を一斉に止めた。
「ダンジョンの後はお待ちかねの『愛の日』だね!」
年に一度、女子生徒だけが受ける「生活特別調理授業」の最終日通称──「愛の日」。
最終日は決まってスイーツ調理なので、この名前がついた。女子たちは作ったスイーツを、恋人や気になる人に渡す習慣ができている。
今年のテーマは「チョコレート菓子」。
セナがため息混じりに言う。
「そういえばそんな時期だね。でも私、渡す相手いないや……また家族かなぁ」
レイラがエマに目を向ける。
「エマは恋人のネオンがいるわね。いつも仲睦まじくて羨ましいわ」
エマは幸せそうに頰を緩めて頷く。
「うん! ネオン、甘いもの大好きだから、毎年楽しみにしてくれるの!」
そして、私の方を向いて、にこりと微笑む。
「ルリちゃんはもちろん、彼にあげるでしょ?」
「う、うん……」
顔が真っ赤になって、小さく頷く。
頭の中に、イリヤくんの顔が浮かぶ。
(受け取ってくれるかな? イリヤくん、甘いもの……好きかな?)
その時、隣のテーブルから女子たちの声が聞こえてきた。
「イリヤくんに、今年こそ渡したい!」
「私だって!」
「でも、イリヤくん毎年みんなが一斉に渡そうとするから、もらってくれないんだよね……」
その言葉に、胸が痛み、不安が一気に広がっていく。セナがポツリと呟いた。
「……さすが、学院のモテキング。本命のしか受け取らないと見た」
「やっぱり……やめようかな……断られたら、立ち直れないかも……」
私が小さく呟くと、レイラ、セナ、エマが一斉に目を丸くする。
「なんで!?」と三人の声が揃い、食堂に響き渡った途端に、他の女子達の視線が私たちに集中した。
私は慌てて、訂正した。
「や、そうじゃなくて……実は、ダンジョン視察のとき、イリヤくんにすごく助けてもらって……
そのお礼に、愛の日のチョコレートを渡そうかなっとは思ってるんだけど……」
「いいじゃん! ダンジョンでのお礼って最高の口実だよ!」
セナが安心したように盛り上がり、レイラとエマが同意するように優しく頷いてくれた。
私は頰を赤らめながら小さく笑った。
「……うん。がんばってみる」
**
さらに翌日、私は乾いた制服を丁寧に折りたたんで、騎士科棟へ向かった。イリヤくんの好みのチョコを知りたいし、できれば直接渡したい。
でも、魔法科と違って騎士科は空気感が全く違う。圧倒的に男子が多く、廊下を歩くだけで視線が集まってくる。
レイラは朝から剣術の特別訓練で居なくて、声をかけることもできなかった。私は騎士科棟の入り口で少しウロウロしてしまう。
すると、後ろから明るい声がした。
「ルリシアさん?」
振り返ると、クロードくんだった。
中級貴族の次男で、整った顔立ちに優しげな笑顔が評判の騎士科の生徒。
「どうしたの? こんなところで」
「え、えっと……」
私は返答に困り、制服をぎゅっと胸に抱きしめた。クロードくんは私の腕の中の制服に視線を落とし、軽く目を細める。
「それ、騎士科の制服だよね? 誰の?」
そう言いながら、自然に近づいてくる。
気づいたら、私は壁際に追い詰められていた。
「ルリシアさんって、恋人いたっけ?」
笑顔で聞かれるけど、その目が少し真剣で、なんだか怖い。私は背中を壁に押しつけるようにして、小さく首を振った。
「クロードくん……どうしたの? なんだか怖いよ……」
「俺が返してあげるよ。その制服」
「う、ううん、自分で返したいの。イ、イリヤくんに……」
「クロウリー?」
クロードくんの表情が、さっと変わった。
「へぇ……最近よく一緒にいるって噂、本当だったんだ。付き合ってるの?」
「違うよ、そんなんじゃないけど……」
声が小さくなって、制服を抱く腕に力が入る。
クロードくんはまだ笑顔のままだけど、壁に手をついて距離を詰めてくる。
心臓が早鐘のように鳴って、逃げ場がないことに気づいて恐怖が込み上げてきた。
その時──「ルリシア」
低く、よく知った声が響いた。イリヤくんが騎士科の廊下から歩いてくる。
赤い瞳が、こちらを静かに捉えていた。
(イリヤくん……!)
クロードくんがゆっくりと手を離し、距離を取る。
私はホッと息を吐きながら、制服を抱えたままイリヤくんのほうへ駆け寄った。
イリヤくんは私の前に立つと、クロードくんを一瞬だけ冷ややかに見てから、視線を私に戻した。
「……どうした」
短い言葉。でも、その声にはいつもの落ち着きと、少しだけ鋭い響きがあった。
私は制服をぎゅっと抱きしめたまま、慌てて説明した。
「えっと……制服を返しに来たの……」
イリヤくんは私の腕の中の制服に視線を落とし、わずかに目を細めた。
「もう、洗ってくれたのか」
「うん……綺麗になったよ」
私は少し照れながら、制服を差し出した。
イリヤくんは無言でそれを受け取り、軽く確かめるように指で布地を撫でた。
そして、静かに頷く。
「……ありがとう。手間をかけたな」
その言葉に、胸が温かくなった。
私は頰を少し赤らめながら、勇気を出して続けた。
「あの……次の調理実習で作るのチョコレートなんだけど……イリヤくん、甘いものって……好き?」
イリヤくんは少し考えてから、淡々と答えた。
「甘いものは、あまり好まないが……嫌いではないな」
「そうなの? じゃあ、チョコならビター寄りがいいかな……」
私は目を輝かせて聞き返す。
イリヤくんは私の顔をじっと見て、わずかに口元を緩めたように見えた。
「……君が作るなら、どちらでもいい」
「え……」
その答えに、顔が一気に熱くなる。
私は慌てて視線を逸らしたけど、嬉しさが込み上げて止まらなかった。
そのやり取りを、クロードくんが少し離れたところで静かに見ていた。
「へぇ、なるほどね……」
そう小さく呟いた後、彼は軽く肩をすくめ、いつもの優しげな笑顔に戻って言った。
「ルリシアさん! またね」
クロードくんはそう言って、軽く手を振るとその場を去っていった。
去り際、イリヤくんと目が合った瞬間、少しだけ表情が引きつった気がした。
イリヤくんはクロードくんの背中を一瞬見送ってから、再び私に向き直った。
「あいつ、ルリシアの何だ?」
「クロードくんは……えっと、友達の友達、かな? よく話しかけてくれるの」
「……そうか」
イリヤくんは小さく頷き、制服を腕に抱えた。
「……君が作るチョコ、楽しみにしている」
「ほ、本当に!?」
「ああ」
短く、でもはっきりとした言葉。
その一言で、私の胸がきゅんっと甘く締め付けられた。顔が真っ赤になって、思わず両手で頰を押さえてしまう。
イリヤくんはそんな私を見て、わずかに視線を逸らした。耳の先が、ほんのり赤くなっている気がした。
「……じゃあ、またな」
そう言って、イリヤくんは静かに騎士科棟の奥へ歩き出した。
私はその背中を眺めながら、心の中は嬉しさでいっぱい。
(イリヤくんが……チョコ、受け取ってくれる)
私は魔法科棟へと戻る足取りが、自然と軽くなっていた。




