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第9話 制服とお礼のチョコ

 視察から戻った夜、私は女子寮の洗濯室で一人、イリヤくんの制服を丁寧に洗っていた。

 ダンジョンで飛び散った紫色の粘膜の跡を、丁寧に揉み洗いする。冷たい水に手を浸しながら、ふとあの時のことを思い出す。


 巨大ヒル魔獣に怯えてイリヤくんにしがみついてしまったのは、今思い出しても、恥ずかしい。

 だけど一緒に戦ったこと、そして、最後に頭をポンと撫でて「よく頑張った」と言ってくれた温かい手を思い出しながら自然と顔が緩む。


(イリヤくんとの視察、楽しかったなぁ)


 洗い終わった制服を丁寧にすすぎ、脱水して干す。私は思い立つ。


(早く乾かす為に、魔法使ってみる?)


 いやいや、やめよう。ここ最近、魔力バランスが乱れてやらかす事が多い。訓練不足かも。イリヤくんの制服を燃やしたり、破いたりしたら合わす顔ない。

 これを返しに行くついでに……もっとお話したいな。


**


 次の日の朝、女子寮の食堂でエマの弾んだ声が、私たちの食事する手を一斉に止めた。


「ダンジョンの後はお待ちかねの『愛の日』だね!」


 年に一度、女子生徒だけが受ける「生活特別調理授業」の最終日通称──「愛の日」。

 最終日は決まってスイーツ調理なので、この名前がついた。女子たちは作ったスイーツを、恋人や気になる人に渡す習慣ができている。

 今年のテーマは「チョコレート菓子」。


 セナがため息混じりに言う。


「そういえばそんな時期だね。でも私、渡す相手いないや……また家族かなぁ」


 レイラがエマに目を向ける。


「エマは恋人のネオンがいるわね。いつも仲睦まじくて羨ましいわ」


 エマは幸せそうに頰を緩めて頷く。


「うん! ネオン、甘いもの大好きだから、毎年楽しみにしてくれるの!」


 そして、私の方を向いて、にこりと微笑む。


「ルリちゃんはもちろん、彼にあげるでしょ?」

「う、うん……」


 顔が真っ赤になって、小さく頷く。

 頭の中に、イリヤくんの顔が浮かぶ。


(受け取ってくれるかな? イリヤくん、甘いもの……好きかな?)


 その時、隣のテーブルから女子たちの声が聞こえてきた。


「イリヤくんに、今年こそ渡したい!」

「私だって!」

「でも、イリヤくん毎年みんなが一斉に渡そうとするから、もらってくれないんだよね……」


 その言葉に、胸が痛み、不安が一気に広がっていく。セナがポツリと呟いた。


「……さすが、学院のモテキング。本命のしか受け取らないと見た」

「やっぱり……やめようかな……断られたら、立ち直れないかも……」


 私が小さく呟くと、レイラ、セナ、エマが一斉に目を丸くする。

 「なんで!?」と三人の声が揃い、食堂に響き渡った途端に、他の女子達の視線が私たちに集中した。


 私は慌てて、訂正した。


「や、そうじゃなくて……実は、ダンジョン視察のとき、イリヤくんにすごく助けてもらって……

そのお礼に、愛の日のチョコレートを渡そうかなっとは思ってるんだけど……」


「いいじゃん! ダンジョンでのお礼って最高の口実だよ!」


 セナが安心したように盛り上がり、レイラとエマが同意するように優しく頷いてくれた。

 私は頰を赤らめながら小さく笑った。


「……うん。がんばってみる」


**


 さらに翌日、私は乾いた制服を丁寧に折りたたんで、騎士科棟へ向かった。イリヤくんの好みのチョコを知りたいし、できれば直接渡したい。


 でも、魔法科と違って騎士科は空気感が全く違う。圧倒的に男子が多く、廊下を歩くだけで視線が集まってくる。


 レイラは朝から剣術の特別訓練で居なくて、声をかけることもできなかった。私は騎士科棟の入り口で少しウロウロしてしまう。

 すると、後ろから明るい声がした。


「ルリシアさん?」


 振り返ると、クロードくんだった。

 中級貴族の次男で、整った顔立ちに優しげな笑顔が評判の騎士科の生徒。


「どうしたの? こんなところで」

「え、えっと……」


 私は返答に困り、制服をぎゅっと胸に抱きしめた。クロードくんは私の腕の中の制服に視線を落とし、軽く目を細める。


「それ、騎士科の制服だよね? 誰の?」


 そう言いながら、自然に近づいてくる。

 気づいたら、私は壁際に追い詰められていた。


「ルリシアさんって、恋人いたっけ?」


 笑顔で聞かれるけど、その目が少し真剣で、なんだか怖い。私は背中を壁に押しつけるようにして、小さく首を振った。


「クロードくん……どうしたの? なんだか怖いよ……」

「俺が返してあげるよ。その制服」

「う、ううん、自分で返したいの。イ、イリヤくんに……」

「クロウリー?」


 クロードくんの表情が、さっと変わった。


「へぇ……最近よく一緒にいるって噂、本当だったんだ。付き合ってるの?」

「違うよ、そんなんじゃないけど……」


 声が小さくなって、制服を抱く腕に力が入る。

 クロードくんはまだ笑顔のままだけど、壁に手をついて距離を詰めてくる。


 心臓が早鐘のように鳴って、逃げ場がないことに気づいて恐怖が込み上げてきた。


その時──「ルリシア」


 低く、よく知った声が響いた。イリヤくんが騎士科の廊下から歩いてくる。

 赤い瞳が、こちらを静かに捉えていた。


(イリヤくん……!)


 クロードくんがゆっくりと手を離し、距離を取る。


 私はホッと息を吐きながら、制服を抱えたままイリヤくんのほうへ駆け寄った。

 イリヤくんは私の前に立つと、クロードくんを一瞬だけ冷ややかに見てから、視線を私に戻した。


「……どうした」


 短い言葉。でも、その声にはいつもの落ち着きと、少しだけ鋭い響きがあった。

 私は制服をぎゅっと抱きしめたまま、慌てて説明した。


「えっと……制服を返しに来たの……」


 イリヤくんは私の腕の中の制服に視線を落とし、わずかに目を細めた。


「もう、洗ってくれたのか」

「うん……綺麗になったよ」


 私は少し照れながら、制服を差し出した。

イリヤくんは無言でそれを受け取り、軽く確かめるように指で布地を撫でた。

 そして、静かに頷く。


「……ありがとう。手間をかけたな」


 その言葉に、胸が温かくなった。

 私は頰を少し赤らめながら、勇気を出して続けた。


「あの……次の調理実習で作るのチョコレートなんだけど……イリヤくん、甘いものって……好き?」


 イリヤくんは少し考えてから、淡々と答えた。


「甘いものは、あまり好まないが……嫌いではないな」

「そうなの? じゃあ、チョコならビター寄りがいいかな……」


 私は目を輝かせて聞き返す。

 イリヤくんは私の顔をじっと見て、わずかに口元を緩めたように見えた。


「……君が作るなら、どちらでもいい」

「え……」


 その答えに、顔が一気に熱くなる。

 私は慌てて視線を逸らしたけど、嬉しさが込み上げて止まらなかった。


 そのやり取りを、クロードくんが少し離れたところで静かに見ていた。


「へぇ、なるほどね……」


 そう小さく呟いた後、彼は軽く肩をすくめ、いつもの優しげな笑顔に戻って言った。


「ルリシアさん! またね」


 クロードくんはそう言って、軽く手を振るとその場を去っていった。

 去り際、イリヤくんと目が合った瞬間、少しだけ表情が引きつった気がした。


 イリヤくんはクロードくんの背中を一瞬見送ってから、再び私に向き直った。


「あいつ、ルリシアの何だ?」

「クロードくんは……えっと、友達の友達、かな? よく話しかけてくれるの」

「……そうか」


 イリヤくんは小さく頷き、制服を腕に抱えた。


「……君が作るチョコ、楽しみにしている」

「ほ、本当に!?」

「ああ」


 短く、でもはっきりとした言葉。

 その一言で、私の胸がきゅんっと甘く締め付けられた。顔が真っ赤になって、思わず両手で頰を押さえてしまう。


 イリヤくんはそんな私を見て、わずかに視線を逸らした。耳の先が、ほんのり赤くなっている気がした。


「……じゃあ、またな」


 そう言って、イリヤくんは静かに騎士科棟の奥へ歩き出した。


 私はその背中を眺めながら、心の中は嬉しさでいっぱい。


(イリヤくんが……チョコ、受け取ってくれる)


 私は魔法科棟へと戻る足取りが、自然と軽くなっていた。

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