表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/45

白澤美並という天使と悪魔

悶々とした気持ちでする仕事ほど、身が入らないのは当然のことながら分かっていたが、これほどまでに普通でいられないのは久々だった。


白澤さんが僕の体をふいに後ろから抱いたので、昔の記憶が一機僕の体の中を駆け巡り、電気ショックのように体が震えた。


同時に白澤さんのシャンプーか香水か分からないが、甘い香りがずっと僕の体に纏わりついていて、何度か仕事のトイレ休憩時に顔を水で洗ったりしたが、その匂いは消えなかった。


白澤さんは、僕にとって初めての彼女だった。


人生で初めての彼女。


それは高校3年生の夏だった。


誰かを好きになることも、誰かに好かれることも、好きな人と肌と肌を触れ合わせたりする人間の交流の喜びを教えてくれたのは、白澤さんだった。


そして、体を重ねる喜びを教えてくれた人だった。


僕の真っ白な人生に、白澤さんは息を吸うように自然に入ってきて、彼女の天真爛漫な性格や人に優しい心遣いがじわじわと色をつけてくれた。


白澤さんは僕と同じ高校の1つ下の後輩の関係で、初めはお互いに名前も顔も知らない間柄だった。


だが、共通の知り合いが高校三年生の夏祭りの日に連れてきてくれて、そこから話をするようになり、意気投合をして付き合うことになった。


告白は白澤さんからだった。


あとから聞いた話だが、白澤さんは学校のマドンナ的な存在であり、頭も良く、国立の大学に推薦入試でいくような学校の模範的学生だったらしい。


運動もできて、テニスでは県で3番の指に入るくらいの強化選手だったようだ。


僕はあまり人というものに興味が持てず、時間があれば読書をしたり、何か文章を書いてみたり、絵を描いたりするような、クラスではどちらかというと目立たない存在だった。


何をやらせても卒なくこなしてしまう容姿端麗で頭脳明晰な彼女が、なぜ僕なんかを好きになってくれたのかを何回も聞いても、僕は腑に落ちなかった。


「桶谷さんといると本当に安心するの。心がすごく満たされるの」


そんな抽象的な答えを、毎回デートの度に言ってくれた。


僕の容姿は威圧感や不潔感は無いにしても、決してかっこいい部類には入らない。


性格はそこまで過激ではないが、人を惹きつけるようなものではない。


そんな僕を好いてくれていること自体は、とても心地が良いことだった。


抽象的な理由でも彼女は僕に一途になってくれて、どこに行くにも僕のことを話したり、何かにつけては僕といる口実を作ろうをしていた。


当時僕は高校三年生で、白澤さんと出会った夏には就職先がすでに決まっていた。


僕は山梨県の車の工場での内定をもらっていた。


僕は特に進学をしたいとかそういった向上心はなく、両親もすでにどちらも幼少期に他界しており、祖母と祖父に育てられていた。


お金がなかったこともあったが、大学や専門学校に行くことはハナから考えていなかった。


奨学金をもらう選択肢も学校の先生からは言われていたが、借金のように感じてしまい、すぐに断りを入れた。


地元で祖父と祖母の面倒を見ることも考えたが、ここは両方から「わしらは施設に入るから高校卒業後は自由に生きろ」と言われていたこともある。


逆に祖父と祖母に関しては、僕自身の面倒も重荷に感じていたのかもしれない。


そんな状況もあり、出会った時点で遠距離恋愛は確定していたが、それでもその当時は別れる理由を探すのが難しいくらいお互いがお互いを求めあっていた。


デートは専ら僕の部屋ばかりで、僕は何か特別に素敵なデートを提案できるわけでもないし、青森の田舎町にお洒落なカフェなんてものは存在しない。


一歩外に出ると親戚やら同級生やらに必ず会うような狭いコミュニティではデート場所なんて家くらいしかなかった。


強いて言うのであれば近くの割と大きめなショッピングセンターに行くくらいだったが、それも夏場の暑さしのぎだったり、冬の寒さしのぎのためのルートにしかならなかった。


どこに行っても、知り合いがいて、学校の人気者の白澤さんを狙う男子高校生は僕らに出会う度に、僕に睨みを聴かせてきた。


その視線に白澤さんも気づいていたし、白澤さん自身も「ねえ、なんで3年生の桶谷さんなの?サッカー部の金井さんとかバスケ部の山本さんとかからも連絡先聞かれてたじゃない」と友人から質問されていたのを僕は知っている。


実際に白澤さんと一緒に学校から下校する際に玄関で待っていた際、会話が聞こえてきたのだ。


そんなこともあり、毎週のように白澤さんはうちに来て、一緒にテレビを見たり、ゲームをしたり、漫画を読んだりした。


白澤さんも周りからとやかく言われるのが好きでなかったのだろう。


家に誰もいない日は、大人の真似事をして、お互いの欲望を確かめ合ったりした。(祖父と祖母がよくシニアセンターに運動やら制作やらをする曜日が決まっていたので、スケジュールは組みやすかった)


女性の体はこうしてできているんだ、とか、男の人とはここが違うんだ、とか、行為中僕は新しい発見に心驚かせていた。


白澤さんの体は絹みたいにすべすべでいて、それでいて抱き締めると僕の体が溶けそうなくらいに肌と肌が張り付いて、人に触れるだけでも、それだでも心地よかった。


汗ばむ彼女の表情や普段友達と話す時とは違う声、いつもと違う本能と欲望を満たす野性的な姿まで、今でもはっきりと覚えている。


僕にしか分からない白澤さんが、ベッドのシーツの上で体をくねらせていた。


僕の名前を呼ぶその柔らかい声。


耳元で囁いてくれた愛の言葉。


手探りで見つけあった快感。


全ては、まだ僕の中にしっかりと残っている。


悔しいくらいに。


さっきのさっきまで完全に忘れていたはずなのに。


起こらなかった事実として、僕の中で終止符を打っていたはずなのに。


二度と思い出さまいと、心のずっとずっと奥底に、何重にも鍵をかけてしまっていたはずなのに。






***


僕が山梨の工場に勤め始めても、連絡は毎日絶やさずに続けて、照れ臭かったが毎日好きだよと僕からも言っていた。


僕に会うために、わざわざ山梨の大学を受けようとしていると聞いた時は、ここは腹を決めて彼女と結婚することを考えたくらいだ。


当時僕は独身寮で暮らしていたが、青森の白澤さんの両親にご挨拶をして、一緒に住む許可をもらったり、一緒に住むアパートを探したり、そんな楽しい未来の話を電話で何時間もする日々がとても愛おしかった。


しかし、そんな絵に描いたような幸せな出来事はずっとは続かない。


白澤さんも人間で、女で、それだけの理由だ。


今更僕が何をするでも何を感じるわけでもないし、起こったことは取り返しのつかないことだから、後から後悔しても遅い。


死んだ人は生き返らないし、戻ってこないし、そういうことだ。


それで僕の心はこの数年で整理がついたので、もうこれ以上掻きまわされたくなかった。


「オケさん、どうしたの?どこか具合でも悪い?」


「あ・・・いや。すみません。ちょっと考え事で。すぐ仕事は巻き返しますので」


チームリーダーが僕を心配して話かけてきてくれた。


僕のことを”オケさん”と愛称で呼んでくれる気さくな人だ。


「オケさん仕事は誰よりも進みがいいから、別に気にしないで。どこか具合が悪いなら、守口さんには言っておくから早上がりしてもいいよ」


「大丈夫です。体調は悪くないので、このまま続けます。ちなみに今日って残業もありですか?」


「うんそうだね。オンラインショップの割引セールのおかげか、予想よりも注文量が多いんだ。残ってくれるととても助かるんだけど、無理はしないで」


「ありがとうございます。体調も問題ないですし、予定ないので、残業させてください」


「こちらこそ、ありがとう。じゃあ、また引き続きよろしくね」


チームリーダーは僕に手を振って、他の作業メンバーの様子を見に行った。


残業ができるのはありがたい。


なんとか白澤さんのことを、一瞬でも忘れて解放されたかった。


僕は手にしていた注文書を全部暗記して、一瞬たりとも白澤さんのことが頭によぎらないように、駆け足で目的の商品棚に向かって走って行った。


それでも、白澤さんがすぐ隣にいるような、そんな感覚がずっとあったのは言うまでもない。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

更新の励みになりますので、いいね!やブックマークをどうぞよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ