剛拳の魔獣 Ⅰ
世界が違えど、太陽は東の空へと沈んでいく。
夕日のように朱い町並みは群青色の夜空に染められ、幾多の星の瞬きに耳を傾けるように静まり返り、街の人々はそれぞれの寝床へと収まった。活気に溢れていた街道も今は静寂に包まれ、十字路の中心にある噴水の勢いも無くなり、耳元で囁くような水の音だけが流れている。
徘徊者による騒ぎは完全に収まり、あれから街の人達はすぐに日常へと戻っていった。図太いのか楽観的なのか。主婦や店先のパワフルな女性達が自分の仕事を始めると、頼りなさそうな男や強面顔の大男だろうとその勢いに押されるようにして日常へと引き戻されていた。
心の切り替えということだろうか。
自分もそれを見習わなければと感じる。
この異世界では心に迷いを感じていると命を落とすことに直結していくだろう。自分が異世界に転生したことには何か訳があるに違いない。それを確かめるまでは、どうにか生きていかねばならない。心の中で強く決意する。
「それじゃあ、今日広場で遭遇した徘徊者と呼ばれる魔物について教えよう」
夜、神父の部屋に招かれた。内装は昼に目覚めたあの部屋とあまり変わらない簡素な部屋だ。小さな明かりを灯し、屋根裏で配管に息を吹きかけたような低い鳴き声の鳥の声を聞きながら、神父の好意でこの世界について話を聞くことにした。
メモを取るような物は持ち合わせていないので、神父の声だけに集中して耳を傾ける。
「徘徊者が初めに現れたのは一年前のことだった。 アヴァンとは反対側の大陸の東側にある小さな国で起こったのが始まりだった。 西側の端っこにあるこの街にも一週間と待たず、徘徊者の噂は伝わってきた……その国は一晩の内に崩壊した」
「一晩で……?」
どれ程の事態なのか想像することができない。
「小さな国と言っても、この街よりも規模や人口は数倍大きい。 一時期は突拍子もないデマだと思ったが、私と同じ聖職者の古い友人がいてね……月に一度、大陸中の聖職者が集まる"女神拝礼"の場で、彼を含むその国の人々が亡くなったのを知ったよ」
神父はどこか物悲しげな表情を浮かべる。
「国を滅ぼすくらいの徘徊者がいるなんて……今日僕が見た小さなやつだけではないんですか?」
「私は何度も徘徊者に遭遇しているわけではないが、広場に現れたあの徘徊者は恐らく小型の類だ……徘徊者には様々な種類が存在している。 東の国を滅ぼしたのは、遥かに強大な力を持った徘徊者だろう」
「遥かに強大……」
広場で出会った徘徊者は確かに小さいものだったが人の命を奪うには十分な程の力を持っている。それに対し最新鋭の武装をしている筈の兵士達は長剣に人間の皮膚よりもたかが数十倍硬い程度の甲冑だ。それがどの程度まで徘徊者に通用するのか分からないが、あまりにも心もとない。
「そして三ヶ月前、より強い力を持った徘徊者の進化系とも言える魔物が、このアヴァンの街を少し南に下った"イナクト"という隣の国に現れた。 国の偉い方はそれを"スクーロ"と名称した」
「スクーロ?」
思わず息を呑み込んだ。東の国を滅ぼした、遥かに強大な力に近いものなのだろう。聞き漏らさないように、座っていた椅子の手前の部分を持ち上げ神父の側へと半歩程寄せる。
「これは聖職者の間で研究した上で予測した結果だが、徘徊者とはそもそも人の闇から生まれるものなんだ。 心の中の些細な憎悪が小さな徘徊者ですら生み出してしまう」
神父の言葉に驚かされる。
「では、広場にいたやつもですか?」
「そうだ。 例えばあの若い男女が喧嘩をしていたとして、そのどちらが相手のことを殺してしまいたいと心の中で思ったとしよう。 本気で殺すつもりは無くとも、徘徊者はその人間の影から誕生してしまうんだ」
明かりを灯す火が、窓から侵入する隙間風に煽られ壁に映し出された二人の影を小刻みに揺らす。この影からも徘徊者は生み出されてしまう。徘徊者と常に隣り合わせにいるような感覚に身が震える。
「そして、スクーロと呼ばれる魔物。 実は……このスクーロには私も遭遇したことがある」
窓の外に見える色を失った木が揺れ、ざわざわと音を立てる。
「戦ったんですか? 神父さんは常に武器を携帯しているようですし、身のこなしや戦い方に慣れているように見えますけど」
一匹目の徘徊者を仕留めた時の強烈な光景を思い出しながら答えた。ちなみにあの時のコートは教会に帰りすぐに縫い直していたようだが、傷が大きく開き過ぎてダメだったようだ。
「……いや、それは無理だ。 私が手練の剣士だったとしても太刀打ちできなかったに違いない。 スクーロというのは徘徊者よりも更なる闇の存在、人間の強い闇の部分の暴走体だと思ってくれればいい……私はその時、数十名の兵士と共にいたが、その誰もがスクーロに対抗することは出来なかった。 ……今思い出しても身の毛がよだつが……スクーロは自分を生み出した人間を取り込むことで初めてスクーロへと進化するんだ」
「人間を……取り込む……」
人を呪わば穴二つなんて言葉もあるが、つまりそれは自分が生み出した闇に生贄とされてしまうことを意味する。人間の何かを奪ってか、または丸呑みか。考えるだけでも恐ろしい。
「徘徊者が生まれる原因は今のところ人間にある。 大元には人間以外に何か黒い力が働いているのかも知れないが……それが分からない以上この先も徘徊者には遭遇するだろう。 対処法は色々とあるが、一番あってはならないのは一人になることだ。 徘徊者に限らず……人が生きるという上で……一人にならないことが大事なんだ」
神父は真剣な眼差しでそう言った。
神父という聖職者の人間は全て彼のように誠実な人格なのだろうか。このフォルレ・ムークという男は、心に強い光を持っているように感じる。一番最初に彼に出会ったことは凄く運が良かったみたいだ。
「さて、色々とあって疲れただろう……今日はもう休んだ方がいい。 この教会にはしばらくいてもらって構わない。 私も、側に誰かが居てくれた方が寂しくなくていいからね」
神父は口元を緩ませ優しい表情でそう言った。それを見て少しだけ涙腺が緩み、目の奥から暖かいものが込み上がってくるのを覚えた。それを見られるのが嫌で顔を伏せたが、それではいけないと向き直し感謝の意を唱えた。
部屋に戻り、薬草の匂いがほのかについたベッドの上へと重力に身を任せるように倒れ込む。
窓から青白い光を放つ満月が雲に隠れたのをぼんやりと見届けたあと、見慣れない天井に浮かぶ木目を数える間もなく重い瞼を閉じた。
このまま眠りについたら自分は無に帰っていくのではないか。意識の隅にはいつも、自分は確かに死んだという事実が付き纏う。瞼の裏の闇に身を委ね、今は休むことに決めた。
低い音と高い音が行き交う。
鼻の奥にじんわりとした痺れを感じながら、ぼんやりと霞んだ視界で木目の天井にある小さなシミをジッと眺めていた。朝を迎えた。夢の中にいるような現実が再び始まった。入り口の側には、白い包みに収まったままの剣が立て掛けられている。体の節々が気怠い感覚に襲われたが、無理に体を起こしてみた。
向こうで昨日と同じオルガンの音色が流れている。
何だかやけに爽やかな朝だと思ったが、この部屋には時計がないので時刻の確認ができない。普段は自分の部屋でもやらないベッドのシーツや毛布の乱れを直してから、一緒にこの世界に飛ばされてきた学校指定のブレザーを羽織り、ボタンを閉めないまま扉を開けた。
「ん、起きたみたいだね」
神父は気配を感じ取ったかのようにオルガンの演奏を切りの悪いところで止めた。見ると、ぶしょったく伸びていた顎髭を剃ったのか輪郭がスッキリとしていて、それだけで年齢よりも若く見えた。昨日切り刻まれた筈の丈の長いコートはすっかりと直っている。
「おはようございます。 じっとしているのもあれなんで……何か僕にできるような仕事は無いですか?」
「そうだな」
神父は顎髭の無い顎を触りながら数秒考える仕草を見せると、オルガンの鍵盤に被せる横長の蓋を下ろして向かいの自分の部屋へと入っていった。何か物を漁るような紙が擦れる音が聞こえる。するとA4紙程の書類のような物を手に、それを巻物のような形にしながら戻ってきた。
「これを隣のイナクトの国へと届けに行こう。 教会で掃除をしているよりも、外へ行って外気に触れていた方が有意義だろうからね」
「いえ、僕は掃除でも良いんですが……分かりました。 顔を洗ってきます、水のある場所は……」
神父からその場所を聞き、教会の裏にある小さな井戸へと向かった。
それにしてもこの教会は随分と立地条件の良さそうな場所に建っているもんだ。街道を見渡すようにして造られた壁の白いこの教会は、周囲の建物の色と相まってかなり目立つ。神父一人で運営しているようだが、どういう経営の仕方をしているのかは全く分からない。
井戸は分かりやすい場所にあった。
いろんな人が共有で使っているらしい。複数の桶が散乱しており黄土色の地面のタイルは水の跡が点々としている。
井戸の仕組みは単純に縄に括りつけられた桶を落として引き上げるというものだ。ゆっくりと縄を垂らすと底の方で水が桶に打ち受けられ小さく跳ねているのが見えた。縄伝いにぐらぐらとした重さを感じる。水が入ったようだ。引き上げると、澄み切った無色透明の水が桶の中で波打っていた。それを手ですくう。
「ぷはあっ!」
水は冷たく肌にしっとりと染み付いた。
「ん?」
ふと横を見ると、小さな子供がこちらを不思議そうな表情で見つめていた。髪は金にも近い白色系の色で少し毛先にウェーブが掛かっており、目の色は茶色がかっている。いきなりのことで緊張してしまい、思わず一人でに口ごもってしまった。
「……この水使う?」
話しかけてみた。何故か心臓がドキドキしている。
子供がすっと指差した。頭の方だ。
「へんな髪の色ー!」
「えっ!?」
そう言うと子供はしてやったりのような笑顔で走りさっていった。何がしたかったのか、走っていった向こうの方では、その友達と思わしき子供が数名こちらに向かって舌を出し茶化す仕草で笑っている。子供達は街道を曲がり姿を消した。
「そんなに変かな……」
嵐が去っていったような気分だ。
日本人である自分の黒い髪を、この辺りの人々は見慣れていないのだろうか。そう思うと、これから外を出歩く時は髪の色で一喜一憂しなければならないのかと肩を落とした。
「朝食にしよう」
教会から神父が一枚のタオルを持って出てきた。
へこんでいる自分の顔を見て神父は小首を傾げる。
教会に戻り食事を済ませたあと、神父が祭壇に向かい祈りを捧げているのを見届けながら、何か異世界ならではのことをしようと考えていた。しかし、何をすれば良いのか思い付かず、ぼんやりと時間を潰すばかりだった。
「そろそろ行こうか。 ちょっと待ってて」
神父は自室へと入っていった。
自分も荷物が無いかと思い、あの古びた剣のことを思い出した。包みに手持ちということになるが、何か会った時のために護身用にはなるだろうと部屋に立て掛けられていた包みを持つ。
包みから取り出した剣は、初めて見た時と同じ鈍く灰色で石のようだ。歯こぼれは一つもない。軽く刀身を叩いてみたが、鉄を叩いたような低い音は剣の中へと吸い込まれていく。
「お待たせ」
神父が部屋から出てきた。いつものコートから衣装替えしたらしく、黒のチョッキと白のシャツにネクタイを締め正装といった感じの清楚な格好だ。腰には二つのホルダーが下げられていて、その中には同じ形状の短剣が見え隠れしている。それと、手には何か持っていた。
「イナクトを行くには森を超えなければならないから、その格好だと動きにくいかもしれない。 サイズが合うといいんだが……良ければ着てみてくれ」
手渡したのは少しシワのついた無地のシャツと、七分丈の茶色いカーゴパンツ、それと爪先の丸いくるぶし程の高さのブーツだった。見た感じ神父が着られるようなサイズではない。誰かの忘れ物か、はたまた気を利かせて買ってきたものだろうか。
「ありがとう」
申し訳なさげに礼を言う。
一旦部屋に戻り素早く着替える。
袖が膨らんだシャツは丈が少し余ってしまったが、カーゴパンツの中にしまうことで何とか誤魔化せた。この世界の気温は極めて温暖なため、大分軽装ではあるが太陽の出てる間なら大丈夫だろう。体を捻れさせたり、足を上げたりして動きを確かめる。学生服よりも動きやすい。神父には身の回りのことをしてもらってばかりで申し訳ないようにも感じた。
最後にベルトを締めて部屋を出る。
「問題ないようだね。 それと、これを」
「これは……剣の鞘ですか?」
神父から渡されたのはホルダーの付いた剣の鞘だった。
「でも良いんですか? 服や鞘も僕が全部使ってしまって」
「それは昔友人が置いていった物だが、もう必要もないだろう。 自由に使ってもらって構わない」
そう言うと神父はホルダーを手に取り、ズボンの内側と外側にあるボタンの窪みにはめ込んでくれた。剣の重みというよりは鞘の重みだろうか、斜めに構えられた剣はピタリとハマり、格好だけでも剣士を彷彿とさせる姿となった。
剣の持ち手は素早く鞘から取り出せるように常に飛び出している。あとは技術が伴えば立派な剣士だ。
「出発しよう。 その前に寄りたい場所があるんだが……」
教会の扉に錠をして街道へと歩き出す。
いつものように街は賑やかで、どこか穏やかな人々の声が道を行き交う。花の甘い花粉の匂いと、借りた衣服に染み付く香水のような匂いが鼻を突いた。徘徊者が現れた広場には何事も無かったように休憩する複数の男女と、弦楽器を携え音色を鳴らす奇抜な格好をした演奏家が、街の風景を描いていた画家と揉めているのが見えた。




