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剛拳の魔獣 Ⅱ

 広場の十字路を左に曲がり、住宅区のような場所に着いた。教会前の市場が多く点在する街道とは違い、この辺は奥へ進むに連れ比較的閑静な地域になっているようだ。初めて見る風景に胸が高鳴る。街道自体の景色は似ているが、少し歩いただけでこんなにも違うものかと感動を覚えた。


 神父と並びながら歩き、ようやくある一件の店の前へと辿り着いた。隣り合わせのレンガの建物とは違い木の造りで、全長も低く周りの建物がたかいことも相まってみすぼらしくも見える。


 屋根からは薄い煙が上がっている。


 この建物は本当に大丈夫なのだろうかと心配になる。


 「酒場ですか……?」


 三角形の屋根の中心に掲げられた看板は黒ずみが浮かび文字が霞んでいたりと、元の文字を確認することができないが、末尾に描かれたジョッキから溢れ出た泡のようなものからビールに似た酒の類だろうと連想した。


 「半分正解だ」


 神父は何故か口元を緩ませて笑っている。


 両開きの扉を神父とは逆側の方を開けほぼ同時に店内へと入った。中は思ったよりも明るい。まず目についたのは天井だ。天井は丸い形の吹き抜けになっていて直接外の光を取り入れているようだ。雨の日はどうしているのかという余計な心配で一杯になる。


 店内にはちらちらと客がいるようだが、まだ昼前だというのに顔を紅潮とさせながらジョッキを片手に大声を上げながら呑んだくれていた。


 「また来たな! 厄介神父!」


 奥のカウンターに立つ髪を後ろで束ねた赤い髪の女の子が木のお玉を神父に向けながら、しかめ面を浮かべて犬のように吠えた。幼い声や身長の感じからして十代前半だろうか。店で働く従業員は見たところ彼女一人だけのようだ。


 「やあ、ミネコ」


 「やあ、じゃないわよ! この前紹介してもらった香辛料が辛過ぎて大変だったんだから……って、そちらの剣士さんは新顔ね」


 ミネコという女の子と目が合う。


 一瞬、剣士と言われ誰のことかと思ったが、どうやら自分のことだったらしい。やはり腰のホルダーに収められている長剣が目立つせいか、街道を歩いていた時に背中から感じた視線と似たような緊張感に心臓が少しドキリとする。


 「彼は最近田舎から出てきた、私の教会で働いているお手伝いさんだ。 本業は傭兵だが、お金に困っているみたいでね……君と同じ年齢だから贔屓にしてあげてくれ」


 神父はパチリとアイコンタクトを送る。気を使ってくれたのだろう。それよりも驚いたことに、自分よりも五つは離れていると思っていた彼女が同年齢だということだ。幼顔にもほどがある。  


 「一ノ瀬行人っていいます。 よろしく」


 伏し目がちに自己紹介をする。


 「私の名前はミネコ・コルネ。 一応この"コルネクルーノ"の代理店長をしてるの、この街で一番料理が美味しい料理屋よ! これからよろしくね!」


 ミネコと名乗る女の子は対照的にハキハキとしたトーンで店の紹介を交えつつ、カウンターから身を乗り出し手を差し伸べてきた。近寄って握手で返す。近くで見ると幼い顔立ちなのが、さらによく分かる。


 「それで? 今日は食事かしら」


 ミネコは両手を腰に当て尋ねる。


 「いや、悪いけど人と待ち合わせしてるんだ」


 「待ち合わせだったんですか?」


 「何勝手に人の店を待ち合わせ場所みたいに使ってるのよ……」


 その時、店の扉が軋んだ音を立てながら両開きに開いた。


 そこに立っていたのは先日、徘徊者から危ないところを救ってくれた金髪の兵士だった。今日は仕事が無いのか甲冑を身に着けておらず、黒と白の二色を使い分けた銃士のような格好をしており、背中には一本の長剣が革の鞘に収まっている。


 「お待たせしました。 フォルレ神父」


 「わざわざすまない。 行人、今日は彼にイナクトまでの護衛と道案内をしてもらおうと呼んだんだ。 この前の事件の時に頼んでおいたんだ」


 神父だけでも十分だと思ったが、確かに徘徊者と遭遇しない可能性も捨て切れない。彼はイナクトへの道も知っているし、戦闘に関しては三人の中で一番技量があるだろう。 


 それに彼にはもう一度会いたいと思っており、思わぬところでそれが叶い素直に嬉しくなった。


 「先日は助けてもらったのにマトモにお礼が言えなかったので、もう一度会いたいと思ってました。 あの時は、ありがとう」


 彼の前にすっと手を差し伸べる。


 それを兵士の男は手に取り少し力強く握り返してきた。手は剣を毎日握っているせいなのかゴツゴツとしたマメが幾つもある。


 「お礼を言うのは俺の方です。 そう言えば、騒ぎの収拾で自己紹介もできてなかったね。 俺の名前はイナクト国護衛軍所属のアレク・ウィザルトです。 気軽にアレクで構わないよ」

 

 「僕は一ノ瀬行人。 じゃあ僕のことは行人で」


 アレクは了解の意を唱え小さく頷く。


 この世界の住人は皆フレンドリーに接してくる。元の世界いた時には自己紹介をして握手をする習慣なんてのはあまりない。口数は普通の人寄り少ない方だが、元々人見知りがちではないのでこの習慣にも段々と慣れていくだろう。


 「早速だがイナクトへ向かおう。 そういうことだからミネコ、また夜にでも呑みにくるよ」


 「何度も言うけど私の店は飲み屋じゃなくて、料理屋だっての! 何でうちには呑んだくれの親父ばかり来るのよ……」


 ミネコはムスッとした表情でオレンジジュースをヤケ飲みしている。既に酔っ払っている客達がミネコを茶化すように野太い歓声を上げた。


 「それでは行こうか。 アレク君、先導頼むよ」


 「分かりました」


 飲み屋改め、料理屋コルネクルーノを出ると着た道を戻り十字路の南側の街道へと曲がり街の門を出た。ふと後ろの方を振り返ると、この街で一番見慣れた白い教会が三人を見送るように建っていた。初めて見る街の外の風景に胸の高鳴りは激しくなるばかりだった。




 辛い。足が五分も前から棒のようだ。山道を登るのがこんなにも苦しいなんて。自分の現代子さ加減に落胆する。神父とアレクは涼しい顔で登っていくようだが、日頃一体どんな運動をしているのか問い詰めたくなる思いだ。


 頭の中で想像していた異世界の神秘的な大陸像は、ものの見事に消え去った。こんな木々が生い茂る山道なんて元の世界にいくらでも存在する。何なら、元の世界の山道の方が道の整備が行き届いておりマシなくらいだ。


 申し訳程度に土の露出した道がかろうじて見え隠れしており、今やむしろ散乱する草木に足を取られらがちだ。


 学生服で来なかったのは幸いと言えよう。


 「ユキト! もうすぐで丘が見えてくるよ!」


 見兼ねたアレクが先頭から労いな言葉を掛ける。


 しかしその言葉はほんの五分前にも聞いたばかりだ。


 「これでは徘徊者と遭遇した時に身が持たないな」


 「怖いこと言わないでください……神父……」


 坂道の傾斜が段々と緩くなっていく。どうやら本当に丘が近いらしい。雀の涙程の力を振り絞り、ようやく平地と言える整備の行き届いた地面に足を踏み入れることができた。


 「凄い……あれがイナクトですか?」


 目の前に広がっていたのは、遥か遠くの方まで一面緑色の広大でのどかな草原だった。草は

風に揺れ、海のように波を立てながら心地よい葉音を絶え間なく鳴らし続けている。


 丘の向こうには高い城壁が聳え立つイナクトの国が見える。近くまで行けばさらにスケールの大きさを体感することができるだろう。城の一部と思われる青い三角の屋根が見えた。さっきまでの疲れは嘘のように吹き飛び、景色を楽しむ余裕すら出来ていた。


 「ユキトはイナクト国へ行ったことが無かったんだっけ? いい機会だね、国の兵士として歓迎するよ。 街の中に入ればもっと楽しくなる筈だ」


 「はい!」


 壮観な景色に足音も軽くなる。


 しかし、常にうかうかとしてもいられない。あくまでも今自分がやるべきことは、異世界についての知識と常識を深めることと、転生したことについてだ。最初は見知らぬ世界に焦りと不安を感じていたが、理由をゆっくりと探してみようと心に余裕を持ってみればこの世界も悪くないように思えた。


 「そう言えば三ヶ月前、イナクトでスクーロが現れたんですよね……徘徊者やスクーロが出現する可能性はないんですか?」


 素朴な疑問を神父にぶつけてみた。


 「徘徊者に関しては国の人々も出現する条件を知っているし、誰かを恨んだりや蔑んだりすることに恐れを感じているだろうから多少問題ないが……以前私が遭遇したスクーロに関しては現在も各地で姿を現しては暴れ回っているらしい。 国も警戒を強め対処をしていくだろうが……いざという時は護衛軍にも頼ってばかりはいられない状況に陥る可能性もある……」


 スクーロと呼ばれる魔物に遭遇する確率を言葉にすれば、極端に遭遇するかしないかの二択になる。もし戦闘へと発展した時、冷静に剣を振ることはできるだろうか。


 否、それこそ確率の低い問題だ。


 アヴァンの街で徘徊者を倒したのは偶然の出来事。そして、この不思議な剣による要素が多い。


 ふと腰に収められた剣に視線が行った。


 剣の心得がない自分はこの剣を信じてもいいのか。それとも剣が自分を異世界の真理へと導いてくれるのだろうか。その時にならないと分からないことが多い。


 この先の未来は結局、女神の匙加減ということだ。


 草原に挟まれた道を歩くこと数分、いつの間にか目の前には大きな門が、首が痛くなるような角度まで見上げないと全体像を見渡せないくらい何者も拒むようにして三人を見下ろしている。


 見張り番の兵士に許可を貰うと、その兵士は城壁の見張り台にいる兵士に向い両手で大きく合図を送った。すると城壁の中から鎖のようなものがキリキリと擦れる音を上げながら、中の歯車を鈍く動かし始める。門は両側に開くのではなく、どうやら前方にに降りていくことで簡易的な橋の役割りを果たすようだ。原理は分からないが、この世界は幾分か技術はあるようだ。


 橋を渡り、遂にイナクトへと入国した。


 「わぁ……外から城壁が随分と高いように見えたのはこういうことだったのか」


 イナクトを構成するのは主に城下町と城を丸を描くようにして囲む五つの城壁だ。一番下の街から規模が大きく、段々と山を作るようにして小さくなっていき、緩く登っていくその山頂部分にはイナクト国の象徴である城が威風堂々と街全体を見下ろしている。城の全体像は厳重な城壁により囲まれ一番街からは確認できないが、アヴァンの街よりも大きいだろう。


 アヴァンの街とは違い、特に建物の色や形が統一されているというわけではないようだ。


 「ここは城下町の一番下の一番街と呼ばれるで、全部合わせて四番街まである。 城の中までは許可なく入れないけど、階段を上がればどこからでも上へと行くことができるよ」


 アレクは嬉しそうに街の大雑把な説明をする。


 「フォルレ神父は誰に用事があるのですか?」


 アレクが神父に尋ねる。


 「四番街に住む考"古学者のスレヴ"に、手紙をね」


 「分かりました。 では、行きましょう」


 再びアレクが先導し、街を観光する暇もなく四番街まで続く長い階段を登り始めた。階段は右に左にとうねりながら何度も城壁をくぐりながら、四番街まで緩い段差で上がっていく。街のそれを眺めながらの景色は同じ高さから見れたり、また階段を登ると上から眺められたりと飽きない。


 やがて二番街へと続く城壁が見えてきた。早く街の様子を見てみたいという気持ちを抑え今は足を進めた。




 四番街への城壁に差し掛かった時のことだった。何やら城壁の前に人だかりが出来ている。


 二番街、三番街へと続く城壁をくぐった時は自由に通れるよう障害となるようなものは無かったが、四番街へと続く城壁には自分の腕と比較しても謙遜ないくらい太く重圧的な鉄柵が降ろされ封鎖されていた。街の住人達は困ったような表情を浮かべ鉄柵の向こう側を覗き見ている。


 「何かあったみたいだ……二人はここで」


 アレクは二人に人だかりの前で待つよう促すと、鉄柵の前で住民達へ事情を説明している兵士に話を聞くため人混みの中を何とか進む。


 「すみません! 何故四番街への道が封鎖されているんですか?」


 「一体何度説明させるんだよ……四番街の居住区に大型の徘徊者が現れたんだよ。 今、この四番街の中を逃げ回っているらしい。 護衛軍の"重槍兵器"も使用されているから中には入れないよ……だから皆さん! 柵が降りているとはいえ、ここも安全では無いんですから! 速やかに二番街へと避難してください!」


 兵士は手に持っている槍を振りながら、両手を広げ大声住民へと呼び掛ける。この場にいる人達はどうやら大半が徘徊者騒ぎに駆けつけた野次馬らしい。兵士もうんざりと言った顔だ。


 人混みの横から脱出したアレクに二人は駆け寄り詳しい事情を尋ねた。


 「どうやら中で徘徊者が出現したようです」


 徘徊者が現れた。その言葉に緊張が走る。この先にまた血の気が引くような姿形のアレがいるかと思うと、腹部から得体の知れぬ浮遊感が込み上げてくる。


 「スレヴが危険な目に会っていないといいんだが……行人、私達はおとなしく避難しよう。 重槍兵器が出てる以上強力な徘徊者のようだ、護衛軍に討伐の明暗を委ねよう」


 静かにコクリと頷いて了解する。


 野次馬達も徘徊者の姿が見えないと諦めたのか、階段を下り二番街の方へと避難していく。


 既に戦闘が起こっているとするならば何か

物音がある筈なのだが、不気味な程に、冷たい鉄柵の向こうに見える街道は人の姿もなく静寂に包まれており、耳元を撫でる風とそれに揺れる城壁の上に掲げられた蒼いイナクトの国旗が

、西の方角へ、国旗に描かれた鋭い爪を持った鳥の大きな翼を羽ばたかせるようになびいている。


 「俺は討伐に参加するかもしれないのでココに残ります。 二人とも気を付けて」


 アレクはそう言い残し、三番街の街道から横道に入りどこかへと走り去っていった。神父と顔を見合わせ自分達も避難するべく、着た道を戻ることにした。




 三番街の城壁をくぐり抜け、二番街の街道へと辿り着いた。既に家の中やそれ以外の場所に身を隠しているのか人の姿は見えない。二人は匿ってくれるそうな施設を探そうと街を散策していた。


 「そういえば、重槍兵器って何ですか?」


 「正式名称はグリスタといって槍上の棒弾を撃ち出す兵器なんだが、使用すれば周りの建物も破壊してしまうから射出範囲内のエリアにいるのは危険なんだ。 空からも降ってくる場合もあるから……ん?」


 神父が話を遮り突然後ろを振り返った。


 「どうしました、神父?」


 それにつられて自分も体を反転させた。見ると、街道の真ん中に一人の男が腕をだらだらと垂らしながら左右に揺れ立っていた。男の格好は衣服に黒ずんだシミが付き、髪は伸ばし放題と一目にみすぼらしさが印象に強く残る。顔は伏せ、微かに聞き取れないような声で何か言っている。その姿に不気味さを覚える。


 「様子がおかしい……」


 「声を掛けたほうが良いですか?」


 しかし一歩踏み出した時、神父は左手で行く手を阻むように前に出して制止する。神父は不吉なものを感じているのか、短剣の収まった腰のホルダーに手を当てながら未だ俯き続ける男の方へと慎重に近付いていく。


 「どうかされましたか?」


 神父が声を掛けると、男は急に顔を上げ姿勢を正した。切れ長の目を細めながら二人を睨み付け、顔に掛かっていた髪の毛を掴んで大袈裟に首を振りながら後ろで束ねた。この男、どう見ても挙動がおかしい。ある一貫して突き通す意志のようなものが雰囲気から伝わってくる。それも黒い意志だ。


 「女ってもんはよぉ……何で底無しに酷い生き物なんだろうなぁ……女の匂いがするぜ。 脳味噌に直接甘い香水の匂いが充満して、俺はぁ……どうにかなっちまいそうだぜ……」


 「何を言ってるんだ? 私達に用があるのなら早く」


 「違うんだよぉ……!」


 男は神父の言葉がまるで通じていないのか、身をよじりながらその場で地団駄を踏み訳の分からない行動を取っている。違法な薬物でも服用して幻覚でも見ているのだろうか。しかし男はある一点のみを見つめていた。男と目が合い、その一点が自分だと気付いた。


 「そこの黒い髪の奴から女の匂いがする……香水の匂いだ。 俺は小せえ時から鼻が効くから分かるぜ……それは二番街で売ってる香水屋のものだ……さっき"俺が殺した女と同じ匂い"だァ!」


 二人に微弱の電気を当てられたような衝撃が走る。神父は咄嗟にホルダーのボタンを素早く取り、いつでも攻撃できるような体勢を構えた。男の勢いに圧倒され思考が停止する。数秒遅れたあと自分も剣の持ち手を右手で握る。


 この男の言葉には悪い意味でだが、説得力がある。


 そう言えばアヴァンの街にいた時、神父から借りたこの服から香水のような匂いを感じたのを覚えてる。以前の持ち主が使っていたのだろう、男物の服だが鼻を直に近付けると確かに香水の匂いはまだしていた。しかしあの距離からこの匂いを感じるとは、恐ろしい嗅覚である。


 「ムカムカするんだよ……! 女の匂いはッ!」


 「あの人の影が……!」


 男の真下から伸びる影は鍋の中に入れた水が徐々に大きな泡を立てて沸騰していくように、グジュグジとした耳に粘着質のようにこびりつく不快な音を立てがら人間の形から姿を変えていく。何が起ころうとしているのか容易に想像ができる。恐れていたものだ。

 

 「徘徊者が現れる! 気を付けろ行人!」


 影の中から赤い体毛を持った見るからに豪腕な徘徊者が這い出ようとしている。この古びた剣は果たして役に立つだろうか。技術も剣そのものも徘徊者と対峙するにはまだ早く、あまりにも未熟だ。


 「グシュルル……ググギ……」


 徘徊者がその全貌を露わにした。低く鈍く唸る。


 以前見た徘徊者のような曖昧なものではなく、腕の筋肉や胸との接続部分が見え、人間のような関節があり、体中の筋肉が大きく発達している。下顎から飛び出た二本の鋭い牙からは常に何かが流れ落ちている。猪を彷彿とさせるような特徴的な鼻があり、目と言えるようなパーツがない。


 「こいつは俺の分身だ。 この牙で彼女を一突きにしてやったんだが……あいつ最後まで悲鳴を上げなかったなぁ、死んでからも腹の底までムカつく女だよなァッ!」


 「君はそれが何か分かっているのか!」


 その時、徘徊者が神父に飛び掛った。


 人間の顔よりも大きな拳を振り降ろし叩きつける。振り下ろされた瞬間、風が拳の周りで唸りを上げた。神父は冷静に避け徘徊者の拳が石のタイルにその拳よりも更に大きな丸い地割れを作り出した。あの重たい一撃を食らえばひとたまりもないだろう。


 男は頭を乱暴に掻き毟っている。


 徘徊者は地面に腕を突き立てたまま動かない。


 「その呼び方は傲慢な貴族が上から見下してるようで頭にくるぜ……俺には"クダルモ"という名前がある、教えてやるぜ。 もっとも……すぐに潰してあの世へ送ってやるがなァッ!」


 狂ったような笑い声を上げる。


 この男は本気だ。死ぬ気で対峙しなければならない。絶対的な恐怖を感じる暇もない。頭の中が痺れるような感覚に襲われ、何か考えるということが全く出来ない。


 鞘から剣を取り出してみる。その重さは羽根のように軽く、それが脆さや貧弱さを連想させた。


 すると神父は指を一本立て背中越しに語り掛ける。


 「行人……深呼吸だ……心がどこにもない時こそ深呼吸をするんだ! 吸って吐く、簡単なことだ」

 

 「殺すッ!」


 徘徊者は両手を広げ地鳴りのような怒号を上げた。


 周囲の建物が揺れ埃を落とす。


 地面を重く蹴り上げ二人に一撃を繰り出した。


 


 三番街にある護衛軍の兵舎。ガレージのようなその場所には様々な武器や兵器が置かれており、中では徘徊者に襲われた怪我人や兵士の治療を行なっていた。辺りには呻き声が響き、救助に追われている衛生兵達が慌ただしく兵舎の中を行き交いを繰り返していた。


 『ヴォォ……オォ……』


 兵舎の外から地鳴りのような声が聞こえた。


 「今のはもしや……四番街から逃げ出した徘徊者か……!」


 そこには甲冑を着用したアレクの姿がいた。誰よりもいち早く二番街の方角へ反応し、運んでいた治療道具を適当な人に渡して兵舎の門へと走り出した。


 「アレク! 一人では危険だ!」


 見兼ねた同僚の女性がアレクの腕を掴み制止する。


 「ナヴィさん離してください! 今行かなければまた怪我人が出ます、二番街の方には武器も持たない市民達がたくさんいるんです!」


 「お前が行ったところで返り討ちがいいところだ!」


 ナヴィという女性の言葉にアレクの表情は一変して激昂といった雰囲気が鋭い眼光から溢れている。掴んでいた腕を強引に跳ね除け、壁に立てかけられていた長剣を腰に装備する。


 「それでも俺は……命を投げ捨てでも、一人でも多く守って……」


 アレクが言い終わる前にナヴィの手が顔を弾いた。


 「命を投げ捨てるなど……弱い奴が無力さを知った時に使うのと同義だ! 冷静にならねば、死んだ時には後悔する暇もないぞ!」


 「ぐっ……」


 その時、ハッキリとした破壊音と共に兵舎が揺れた。建物が崩れる音だ。想像を絶するような戦闘が行われているらしい。数秒遅れで先ほどの徘徊者の雄叫びも聞こえてきた。


 「ごめんなさい。 俺は行きますッ!」 


 「アレク!」


 アレクは神父と行人がいる方へと走り出す。


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