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徘徊者と剣

 教会を飛び出し、神父の後ろ姿を追う。


 曲がり角や階段はなく遥か向こうの方まで広がった道幅の広い街道は、屋根も壁もオレンジ色と少しの白に統一された建物のに挟まれ、空の青と、幾つもの屋根がテントのような露店に出された様々な品の色と混ざることで、とても華やかだ。


 真上から自分を見下ろす太陽は、元の世界とは何ら変わりない普通の見慣れた太陽だ。本当に異世界なのかと錯覚するが、すれ違う人達の顔の造りに情報処理が追い付かなくなった。皆、自分と同じ言葉で会話しているのが耳に飛び込んでくるが、まるで異星人を見ているような感覚に陥った。


 「どうやら二人もやられたようだ……」


 「俺も見たぜ……早く兵士を呼ばねば……」


 どれくらいの規模の町なのかは知らないが、段々とすれ違う人の数が増えてきた。たった今、広場から逃げ込んできたのだろうか。後ろを振り返りながら避難する人もいれば、息を切らしながら一心不乱に逃げ惑う人もいる。


 神父と自分以外に流れに逆らうものはいない。何度も肩がぶつかりよろめく。身長があまり高くないせいか、走り去る人々の中にいる神父の姿がを視界に引き留めているのが精一杯だ。


 流れの最後尾の辺りに来たのか、ようやく開けた場所の前で立ち止まる神父の姿を捉えた。中央に大きな白い石造りの噴水が鎮座するその周りには幾つかのベンチが設置されている。街道は十字の形に別れているようだ。


 「怪我人は……あそこか」


 神父は向かって右側の、反対側の噴水の側に倒れている一組の男女を発見した。


 「神父さん!」


 数秒遅れて神父と数メートルのところまで追い付いた。神父は自分の声に素早く振り返る。


 「来てはいけないと言った筈だッ! すぐに身を隠すんだ!」


 あまりの気迫にあと数歩というところで足が止まった。


 すると、噴水は自身が上空に向かって湧き立てている水とは別の激しい水音を立てた。落下してきた水しぶきが地面に打ち付けられる。それと共に黒い何かが勢いを着けながら飛び出してきた。二体もいる。体長一メートルも無い何かだ。


 「あれは……?」


 図鑑にも載っていないような、見たことのない生物が目の前に現れた。無意識に足が後ろへと下がる。


 どこのカテゴリーに当てはまるのか理解し難い生物だ。全体的に黒く、大きな細く尖った耳を生やし、腕から伸びる爪は鋭く、鉤爪のような形状をしている。常に色の境目がハッキリとしない体全体を使い深く呼吸をし、目と言えるような部分は見つからない。何よりも驚いたのが、やや反り気味の姿勢だが人間のようなに二本足で立っているということだ。


 人か、獣か、あるいは別のなにかか。


 向こうに倒れ込む細身の男性の背中は衣服ごと三本の線により斬り裂かれ、赤黒い血を流して倒れている。この生き物がやったんだ。徘徊者の正体はこれなのかと、直感的に感じ理解した。


 その瞬間、味わったことのない息の冷たくなるような緊張感が頭の天辺から駆け下りてきた。


 「シュロロロロロ……」


 人間の言葉とは違う二重の高い鳴き声を発しながら、一匹の徘徊者はおもむろに両腕の鉤爪を地面に突き立て身を屈めた。


 「気を付けろッ! 何かする気だ!」


 神父に言われずとも分かった。


 ほぼ言い終わると同時に徘徊者は鉤爪と後ろ足で地面を蹴り上げ、ほとんど低空飛行のまま神父の腹部目掛け爪を突き出し突進を繰り出す。


 した神父は咄嗟に身に纏っていたコートのボタンを乱暴に、だが素早く外し、軽やかに腕から落とすようにして脱ぎ捨てた。既に徘徊者の爪は目の前だ。


 「ぐっ……!」


 徘徊者の視界を遮るようにしてコートを目の前に出し、一直線に向かってきた徘徊者を包むようにして中に捕まえた。コートの広い部分を、両腕合わせ六本の鋭い爪が突き破る。捕らえられた徘徊者はコートに巻き付かれ神父の足元に転がり落ちていく。


 「一匹目ッ!」


 すかさず神父は腰のホルダーから刃が先端にいくに連れ細く尖った短剣を取り出し、徘徊者が地面に落ちるのも待たないまま、コート毎その短剣を突き立てた。刃が深く布の中へと埋まっていく。


 「――――ッ!」


 声にもならない、かろうじて聴き取れる高い超音波にも似た、徘徊者の耳をつんざくような悲鳴が広場を囲む建物に反響した。地面に叩きつけられたコートの中で数秒もがき、やがてそれはピクリとも動かなくなった。


 「もう一匹が来ます!」


 ハッとした神父は徘徊者に刺さる短剣を思わず抜き取らないまま、もう一匹の方へと素早く向き直してしまった。鉤爪が石を削る音を立てる。


 既にもう一匹は身を屈め攻撃体勢に入っていた。


 急いで短剣を抜き取ろうと今一度、コートを確認したが、徘徊者に刺した短剣はもがいた拍子に運悪く裏に隠れてしまっていた。神父の額から汗が零れ落ちる。噴水の音に紛れ、後ろで地面を蹴りげる音がした。ホルダーには既に武器は携帯されていない。黒い鉤爪が神父の命を奪おうと猛進を仕掛けた。

 

 「危ない!」


 咄嗟に足元に転がっていた林檎のような白い物を徘徊者へと投げつけた。しかし狙いは外れ、噴水の中へと落ちていく。


 既に、何もかもが遅い。間に合わない。


 得たいの知れぬ気持ち悪さが渦を巻く。


 「――"五式剣術"ッ!」


 神父に致命的な一撃が繰り出されようとしたその時、三本の小さなナイフが何処からともなく閃光とも言える速度で投げ込まれ、徘徊者の体にその内の二本が突き刺さった。


 徘徊者は不意に衝撃を与えられたことにより悲鳴を上げ、柔らかいクッションのように身をひしゃげさせながら、ナイフが放たれた方向へと吹き飛ばされていった。思わず走り出していた足を止め、徘徊者の姿ではなく、技のような言葉と共に攻撃を繰り出した人物を探した。


 向かって右側にその人物はいた。


 「大丈夫ですか!」


 銀色の甲冑を纏った金髪の若い男が叫んだ。


 その姿に目を奪われる。


 あれは紛れもなく兵士だ。人間は野球のユニフォームを着ている人を見れば野球選手だと思い込むし、キッチリとスーツを着こなしている人を見ればサラリーマンかそれに準ずる職業を連想する。


この金髪の男性の場合は一目で間違いなく兵士だと分かった。腰には実際に見なくとも、しなやかで長く、鋭いであろうことが想像のできる長剣が、その風格を押さえ込むようにして鞘に収められている。男性は決してその装備に着られることなく、本気で身を守るために甲冑を纏っているんだと伝わってくる。


 「二人共、お怪我は?」

 

 男は丁寧な言葉遣いで尋ねた。


 「僕は大丈夫です」


 「私も……運良くかすりの一つも傷も無い。

それよりも、向こうで倒れている方達の治療を急いでやってくれ……見た限り、男性の方は重症のようだ」


 「先程、こちらに来る際にあの男女のことは見えていたので"閃光筒"を上げて起きました。 もうすぐ救助隊が駆け付けるでしょう」


 男性の言葉に頼もしさを感じる。


 「そうですか」


 神父は安心したように息を一つを吐くと、怪我人の元に駆け寄ろうと手の平の埃を払った後、小走りで向かった。兵士の男性もそれに着いていくようで、自分も十字路の左側に飛ばされていった黒いそれが動かないのを横目に確認すると、二人の背中を小走りで追い掛けた。


 「ん?」


 視界の端で何かを発見した。


 一旦は通り過ぎたが、立ち止まってその何かを探すため周囲を見渡す。徘徊者の死体がある神父のコートではない。来た時と変わりなく水を吹き上げ続ける噴水でもない。と、側にあった物の影にそれを見つけた。噴水の側にあるベンチの下、僅かだが何かが転がっている。


 「傷が深い……私が救援隊の近くまで運ぼう」


 「では、僕が女性の方を。 救援隊は閃光筒が上げられた場所を目指してくるはずですから……あの辺りです」


 後ろで二人が気を失った男女を背中におぶり、歩きだしているようだ。身を屈めて、ベンチの下のそれを確認してから行こうとした。日は明いのですぐに赤い何かだと分かった。


 赤いモノを見て、一瞬心臓が締め付けられる。


 「これは……僕がさっき投げた林檎だ……!」


 赤い何かとは林檎の実だった。


 その証拠に赤い身の外殻には、見に覚えのある白い皮が付いていた。ベンチの下には林檎が離れ離れに散らばっている。


 徘徊者に当てようと投げた白い林檎は、当てそびれて噴水の中に落ちていった筈。何かが、おかしい。散らばったその林檎は三つに分離しているた。まるで斬り裂かれたかなように断面は綺麗で、地面に水のようなものも付着している。数秒眺めた後、それを手に取ることなく、勢い良く身を起こした。


 奇妙な現象に、ある一つの答えが導き出される。


 「まだ徘徊者はいるッ!」


 力一杯叫んだ。まだ終わっていない。


 神父と兵士の男が声に反応して振り返る。


 それと同時に水しぶきが上がる。


 噴水の中から同じ形の黒い徘徊者が飛び出し、怪我人を背負った二人へ切っ先を向け狙い澄ましている光景が、まるでスローモーションのように飛び込んで来た。


 何とかしなければ。このままでは二人は致命傷を免れないだろう。頭の中で助けなければという言葉が反響する。


 「助けなきゃ……!!」


 気が付けば、近くに散乱していたベンチを踏み台に蹴り上げ、徘徊者と二人の間に割って入ろうとする自分がいた。徘徊者の黒いまなこが、突撃してきた自分をギロリと睨んだ。


 武器がない。


 それでも。


 「やらなければッ!」


 無意識に両手で剣を持ち、頭の上から振りかざすモーションを取っていた。


 あの最後の瞬間。死ぬ間際に見ることのできなかった走馬灯がなぜか今、起こっている。目の前の光景が一枚一枚別の静止画をゆっくりと繋げたように流れ、実際の滞空時間よりも時間を遅くさせた。


 自分はもしかしたら死んでしまうのか。


 不安と恐怖が減速した時の中で横切っていく。


 『イメージしてください』


 一瞬、誰かの口元を映したような映像が頭の中に流れた。何をイメージすれば良いのだろう。そう考えた時には既に、ある一つのイメージを実体化させるべく息を止め、自分が持っている物を呼び寄せようと体を奮い立たせた。


 手の中にそれがある


 それが何かとハッキリ分かる。


 僕はそれを振り下ろす。


 「キヒィィッ――――」  


 刀身から伝わる徘徊者の僅かな重み。少し遅れて指先から痺れていく。力一杯に押し込んでみると、斬り裂かれた先から黒い粒子となり何処かへと消えていくのが見えた。防御のために身を翻し、鉤爪を剣と相まみえさせたものの、自慢の鋭さは既になく、崩れていった。


 「剣が現れた……!?」


 兵士の男性は目の前の光景に言葉を失う。


 広場には粒子となり消えゆく徘徊者が、砂時計を落としたような音を立てながら割れた半身の裂け目から消滅していく。


 耳元でキラキラと綺麗な音がした。


 別のものが空へと消えていく音だ。

 「うぐあっ!」


 振り下ろした剣の僅かな重みに空中でバランスを崩され、情けないことに一回転しながら背中から落ちた。硬い石のタイルに鈍い音を立てる。


 「はぁはぁ……やった……!」


 思わず笑みがこぼれた。


 駆け寄った二人がこちらを覗き込み、心配そうな表情を浮かべ何か言っているが、鼓膜の隣で鳴り続ける心臓の音でよく聞こえない。


 胸の中が、すっと軽くなっていく気がする。


 『おーい! 閃光筒を上げたのはお前かー?』


 向こうの方に、この男性と同じ甲冑を身に纏った兵士数名が、二頭の茶色の毛並みの馬が引く馬車を連れやってきた。救援隊が来たようだ。地面から、馬の足についた蹄鉄が石を叩く音と甲冑のガシャガシャとした音が伝わってくる。


 そして、今になって自分の右手に包みに入っていた筈の古びた灰色の剣が握られている事に気が付いた。


 救援隊の到着に三人は安堵した顔を浮かべ合う。


 満足感に体を包まれながら僕は目を閉じた。


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