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転生

 旋律が流れている。


 耳の中で消えていく高い音も腹部をこそばゆく揺らす低い音もするが、楽器は一つだ。ゆっくりと旋律が繋がっていく。音と音の間にある別々の存在が融和していくような空間が心地良い。足元に感じる布のような柔らかい感触と、背中を包み込むほのかな暖かさが、このゆっくりとしたさ旋律から浮かぶ音楽のイメージと合っている。


 「うぐっ……」


 肘に何かが当たった。硬い物だ。何かは分からない。

 関節から流れる痺れが手の平へと登っていく。思い出したかの様に今度は、胸から気持ち悪さがこみ上げてきた。いつの間にかあの音色もピタリと止み、真っ暗な場所に意識があることに気が付いた。その先はぼんやりと明るい。ぼんやりと浮かぶ光を求めて目を覚ました。


 「……誰ですか?」


 視界に飛び込んできたのは白い顎髭を蓄えた彫りの深い顔の男性だった。スボンの膝の辺りまで伸びるコートを身に纏い、頭には白い"十字架"の模様らしきものが施された、耳を深く覆うビラの付いた群青色の帽子を被っている。顔をしかめ、眉間にシワを寄せながらコチラを覗き込んでいる。頭の中の浮遊感と体中の気だるさで体調はあまり良くない。瞼も重く、声にも覇気が乗らない。


 「気が付きましたかな? まだ意識がハッキリとしていないでしょう……体を起こしてください。 今飲み物を持ってきますから」


 「ありがとうございます……って、あれ?」


 段々と血の行き渡り具合が良くなってきた。上半身から下半身へ、血がゆっくりと下っていくのが分かった。ここは一体どこだろうか。部屋に一つだけある窓から高いところに太陽が昇っているを見つける。日の角度で大体何時くらいかと一瞬思い付いた。や違う、そんな事はどうでもいいんだ。握りしめていたシーツを雑に跳ね除けて、とにかく立ち上がろうとした。


 「いッ……!!」

 

 頭に釘を刺されたような鋭い痛みが走る。


 「無理をしてはいけない!」


 先程の男性が緑色の液入った物を、ベッドに寄り添うようにして置かれた背の低い小さなテーブルの上に一旦置き、倒れ掛けた自分の体を労るようにして支えた。思わず涙が滲むような痛みに対し右手で抵抗するようにして抑えることしかできない。

 

 男性に手を借り、再びベッドの上へと座らされた。


 「淹れたばかりのハーブティーです。 さあ、落ち着くでしょうから飲んでください」


 取っ手のない手の平に収まるサイズの樽のような形のコップを受け取り、その中身が何かもよく知らないまま痛みを紛らわそうと飲み込む。


 温度は少し熱いが飲める。熱さのあとに少しずつ舌と鼻で爽やかな葉の匂いを感じた。休憩を入れることなく飲み続け、最初に手に取った時の重さが半分になったところでようやく口を離した。心拍数は上がりドキドキしているが、先程よりも上手く呼吸ができる。


 耳元で鳴る心臓の音が落ち着きはじめ、次第に頭の痛みも和らいできた。痛みのお陰か目は冴え、意識が完璧に自分のものとなる。


 「落ち着いたかい」


 「大分……目も覚めました……それよりも僕は何故、アナタの家で寝ているのでしょうか?」


 男性は、むむむと小さく唸る。


 「ここは"アヴァン"という街の教会です。 そして私は……アナタが昨夜、この教会の前で倒れ込んでいるところを運び入れたのですが、それ以前のことは覚えていないのですか?」


 アヴァン、教会、どれもこれも自分に縁のない言葉だ。自分が覚えているのは東町から電車で乗り継ぎ、一本先の町にある平凡的な高校に通う学生ということだけだ。教会に行くような覚えもなければ、アヴァンという地名も知らない。整理が追い付かず、言葉に詰まる。


 「……覚えていません」


 ううむと声を上げた神父は白い顎髭を触りながら困った様子で自分のことを見つめた。この神父は言葉使いは優しいものの、厳格そうなイメージが顔から伝わってくる。思い違いか、素直にそういう印象を受けた。


 「そうだ。 あなたの持ち物が昨日一緒に落ちていました。 中身は見ていませんが、何か入っていたようです、少し待っていて下さい」


 神父はそう言うと、部屋の扉を開け荷物を取りに行った。


 開け放たれた部屋の向こうには、赤い絨毯と長椅子が列を成して並んでいるのが伺えた。教会と言っていたが、自分が持つ教会のイメージ像にはピタリと当てはまっている気がする。


 この部屋は寝室のような場所だろう。ベッドが部屋の約半分を占め、他にあるものといえば足元の方の壁に立て掛けられた本棚と机と椅子ぐらいだ。今どき、床はフローリングではなく木のタイルで壁も木造。鉄やプラスチックのような無機質の物がなく、暖かみのあるレイアウトだ。教会ではこれが普通なのだろうか。低いところに着いた窓からは木漏れ日が射し込んでいる。


 「お待たせしました」


 神父が何か白い包みを持って戻ってきた。包み自体はあまり重くないのか、片手で包みを持ち、もう片方の手で部屋の扉を閉めた。


 「倒れ込んでいる時にも手に大事そうに持っていたようですが、何か思い出すかもしれません。 開けてみてください」


 神父から包みを受け取る。


 重くない。棒切れよりも少し重さを感じる程度だ。全体的に触ってみた感想は細いところがあったり幅の長いところがあったりという感じた。しかし、こんな包みは見に覚えがない。包みに大事そうにしまう物も無ければ、包み自体に何かを収納するという習慣もないからだ。初対面のそれから、何が出てくるのか予想することもできない。中心の赤い紐を解き、恐る恐る布を広げた。


 「……これは?」

 

 「ふむ」


 中身を見て二人とも呆気に取られる。

 

 中からは古びた灰色の″剣″が現れた。


 「何は覚えは?」

 

 「あ、ありません! こんな物……僕には見に覚えが……」


 「……しかし、これはアナタと一緒に見つけた物です。 傭兵や兵士の経験があるのでは?」


 冗談を言っているのか。しかし神父の表情からは真剣に推理をしているようにも見える。悩む際にする癖なのか、顎髭を触り古びた剣を凝視している。


 ここで嫌な予感と、目覚める前に起きたあの光景を冷や汗がゆっくりと吹き出てくる感触と共に思い出してきた事態を急ごうと革新的な質問を投げ掛ける。


 「こういった物を見ること自体初めてです。 教えて下さい……ここは"日本"ではないんですか?」


 神父は目を丸くして自分を見つめる。


 「……落ち着いて聞いてくれると嬉しいが、この大陸に″ニホン″という土地や地名は、四十年生きてきた私が知る限り存在しないだろう」


 「日本が存在しない……?」

 

 あの時、最後に感じた失意と絶望が再び胸の中を抉る。


 孤独さがよぎり、血の気が無くなっていく。


 薄々感じていた周りの景色の違和感と何故、自分がこの場所にいるのかという疑問。たまらず喉の奥に引っかかっていた言葉が口をついた。


 「死んだ……筈なんです。 おかしな事を言うかもしれませんが、この教会で目を覚ます前、僕は確かに電車に轢かれ死んだ……! けれど体には外傷が全く無い……その剣のことも知らない。 アヴァンなんて地名は僕の世界には無い!」

 

 やり場のない焦りと不安が一気に沸き立つ。


 地名が存在しないと言い切ったのは神父が話す言語だった。自分にも違和感なく通じる日本語、しかし神父の容姿は一般的な日本人の平面顔よりも彫りが深くかけ離れている。ハーフや留学生という考えも浮かんだが、その意見は泡のように一瞬で消えていく。神父が流暢に日本語を操っていると考えたが、それも違う。全く違和感を感じないのだ。それどころか自然、聞き慣れた感が耳を突いた。


 「取り乱してはいけない……深呼吸をするんだ。 私の持論だが、呼吸を正すということは冷静さを取り戻すことや精神のリセットに遠からず繋がっている。 息を吸って、息を吐く。 簡単なことです」

 

 神父はまるで医者が取り乱した患者を診察するように、自らボディーランゲージを加えながら丁寧に説明する。神父はスッと手を自分の背中に当て、深呼吸をわざとらしくやってみせた。息を吸って、息を吐く。人間は取り乱した時に、咄嗟にこれができない。既に今も深呼吸が上手くできない。


 何回目かの呼吸で落ち着きを取り戻したが、強烈な不安感を拭い去ることはできなかった。


 「話してくれませんか? 向こうに行きましょう。 この部屋は少々窮屈で息が詰まるだろう」


 神父が再び扉を開け教会の心臓部へと招き入れた。

 


 寝室を出ると教会の全貌が明らかとなった。寝室から見えた中の様子はあまり広くないように感じたが、入り口から祭壇までの奥行きがあり天井も高い。長椅子が五つ縦に並んでいて、他にゴチャゴチャした置物や家具も無いようだ。部屋は全部で三つ。神父以外にも誰か住んでいるかは分からない。


 「適当に掛けてください」


 無難に部屋から出て一番近かった建物の真ん中の椅子に腰を掛けた。正面の横に長い天窓から伸びる日の光が、十字架とその側に置かれたオルガンを照らしている。先程の音色の正体はこのオルガンだったのかと横目に納得する。


 神父はオルガンに収納されていた椅子に腰を掛けた。


 「そう言えば自己紹介がまだでしたね……私の名前は″フォルレ・ムーク″です。 君は?」


 聞き慣れない横文字が並ぶ。


 「″一ノ瀬 行人″です。 では、話を……」


 神父は静かに頷く。


 「まず……僕はこの地域の人間ではないのかもしれません。 地域というよりは世界自体が違うんじゃないかと……確信はないけど、そう感じます」


 「世界が?」


 神父の眉がピクリと揺れた。


 「神父さんは先程の剣を見た時、″傭兵や兵士の経験があるんじゃないか″と言いましたよね? 冗談を言っているのかと思いましたが……神父さんの表情が真剣で……今も真意がどっちなのかは分かりません」


 長椅子にできた小さな窪みを引っ掻きながら話すが、段々と自分が何を言っているのかも分からなくなってきた。引っ掻いた時に爪に掛かる感覚や、日の暖かみでさえ本当の感覚なのか疑心暗鬼になるばかりだ。

 

 「なるほど……嘘を言っているようにも思えない。 そうだ、この大陸に古くから伝わる童話のような話があるんですが……」


 神父が何かを言い掛けた。その時だった。


 「神父様!」


 突然、少女の声が後方から教会の中に響いた。


 入り口の扉が乱暴に開かれ、エプロンを広げたワンピースのような服を身に纏い、頭に巻かれた布髪を隠した少女が慌ただしく入ってきた。吐く息は絶え絶えで表情も真っ青だ。


 その雰囲気から只ならぬ事が起こっているのだと感じる。


 「落ち着いて……外がやけに騒がしいですね」


 入り口を見ながら神父は呟く。


 「広場に″徘徊者″が現れたの!」


 徘徊者という言葉に小首を傾げる。酔っぱらいか。いや、違う。たかが酔っぱらい程度でこの少女はこんなにも引きつった表情をするだろうか。今は小首を傾げて、二人の会話を聞くことしできなかった。


 「分かりました。 二人はここで待っていて下さい」


 「え? 徘徊者っていうのは……」


 徘徊者について尋ねようとした時、外から複数の悲鳴が上がる。絞り出したような男性の野太い悲鳴と女性の甲高い悲鳴だ。


 「ここにいて!」

 

 神父はそれに対し敏感に反応した。オルガンの譜面台に立てるようにして置かれていた銀の十字架を首に下げ、椅子もロクにしまわないまま入り口を飛び出していった。


 何が起こっているのか分からない。


 目が覚めてから分からないことばかりだが、今度は自分の目で確認してみようと決意し、神父の忠告を無視し後を追うため立ち上がった。


 「あっ! お兄ちゃん! まだ外には徘徊者が!」


 背後から聞こえる少女の声を無視して飛び出す。死んだ筈のこの体だったが、しっかりと地面を踏むことができる。呼吸を速め、精一杯腕を振り走る。自分はまだ生きている。形もある。息もしている。ここに来て初めて安堵する自分がいるような気がした。



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