第40話 ちゃっかり王子
アライダ嬢の家庭教師を終え、ディアーヌが教材を片付けていると、アライダがふいに口を開いた。
「ディアーヌさま」
「はい?」
「なんだか最近、ますます素敵になりましたね」
「……わたくしが?」
思いがけない言葉に、ディアーヌは瞬きをした。
「はい。前より優しくなったというか……雰囲気が柔らかくなった気がします」
「そうかしら」
「ええ。前はもっと、こう……近寄りがたい感じでしたもの」
「近寄りがたい…」
「今のほうがずっと魅力的です!」
アライダは2つに結った赤髪を揺らして、にっこりと笑った。
「そう言われましても……」
ディアーヌは困ったように微笑む。
そして、先日のことが思い出される。
――なんだか前より雰囲気が柔らかくなったね。
豊洲で、真衣にも似たようなことを言われた。
(……偶然かしら)
ルシアンと話すようになった。
リリーとも、少しずつ距離が近くなった。
そして真衣とは、以前よりずっと気楽に話せるようになっている。
以前の自分なら、誰かとこんなふうに笑ったり、くだらない話をしたりすること自体、考えもしなかった。
「……変わったのかしら」
「ディアーヌさま?」
「いえ、なんでもありませんわ」
ディアーヌは笑って、教材を鞄にしまった。
自分では、あまり変わったつもりはない。
それでも、周りから同じことを言われるのなら――少しくらいは、本当に変わったのかもしれない。
(悪い気はしないわね)
そんなことを考えながら屋敷へ戻る道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「ディアーヌ!」
振り返ると、リリーがこちらへ歩いてくる。
「まあ、リリー。またお会いしたわね」
「ちょうどよかったですわ!」
リリーは嬉しそうにディアーヌの腕を取った。
「わたくし、久しぶりにまたニッポンへ行きたいんですの!」
「急ね」
「だって、もうずいぶん行ってないんですもの」
リリーは胸の前で両手を組み合わせ、潤んだ瞳でどこか遠くを見る。
「それに……美味しいお肉が食べたいですわっ」
「やっぱり、それなのね」
「もちろん!!焼き鳥も美味しかったし、まだまだ知らないお料理もありそうですし――」
「行くと決まったような言い方ね」
「だってニッポンには、美味しいものがたくさんありますもの!」
もう、リリーの中でニッポン行きは確定事項のようである。
そのときだった。
「ニッポン?」
背後から声がした。
「……え?」
二人が振り返る。
そこには、いつの間にかユーリが立っていた。
リリーもハッとしている。
「ユーリ王子……いつから?」
「やあ、リリー嬢、ディアーヌ嬢。ついさっきですよ」
「……」
「ニッポンって、なんですか?」
ユーリは興味津々といった様子で尋ねた。
「二人が前から話していた、いろんな美味しいものがあるところ?」
「ええ、前からって?」
ディアーヌは少しだけ警戒した。ユーリの前で、ニッポンの話などした記憶はない。
「前から二人の話題にたまにあがっていますよね」
「いつ、聞いていたの。リリー、あなた話したの?」
「まさか。だけど、ユーリは昔からやけに鋭いところがあるのですわ」
「やけにって……」
再びユーリを見る。
あの激辛好き具合といい、この人は未知数なところがある。
もしかすると、一番怖いのはこういうタイプかもしれない。
「で、ニッポンって、なんですか?」
ニコニコと質問を繰り返すユーリ。
あどけないような笑顔なのに、なぜか嘘を許さないような凄みを感じる。
「……とある、国よ」
「ディアーヌ、いいんですの?言ってしまって」
「仕方ないわ。なんだか、この方に嘘は通じないようだもの」
「ニッポンという国!そこに、美味しいものがたくさんあるんですね」
(まったく、ユーリはどこまで何を聞いて把握しているのやら)
「ええ、あるわよ」
「お肉も、ユーリの大好きな辛いお料理だって、きっといーーっぱいあるわよっ」
「僕も行きたいです!」
辛いお料理と聞いたユーリは、あまりに迷いがない。
リリーとディアーヌは顔を見合わせた。
「でも、ユーリ殿下もお忙しいのでは?」
「休みなら大丈夫!」
「そう……」
そこでディアーヌは思い出した。
少し前、リリーに言われたことだ。
――今度はみんなでニッポンへ行けたらいいね。
そのときも、なんとなく悪くないと思った。
以前なら、自分の一人の時間に誰かが入り込むなど、考えられなかった。
ニッポンは、自分だけの秘密の場所だった。
それなのに今は……
「…みんなで行くのも、面白いかもしれないわね」
「本当ですか?」
ユーリがぱっと表情を明るくする。
「やった!」
「ちょっと、ユーリ王子、まだ誰も正式に許可していないですわよ」
「でもディアーヌ嬢がいいって」
「ディアーヌ、本当にみんなで、行けるんですの?」
ディアーヌが再考する前に、ユーリが勢いよく手を上げる。
「行きましょう!」
「と、いうことみたいよ……」
ディアーヌは苦笑した。
リリーとユーリはもう行く気満々で、ワイワイと何やらニッポンについて話している。
ディアーヌの胸の内には不思議な感覚があった。
(以前のわたくしなら、絶対に嫌がっていたでしょうね)
一人で食べる。
一人で飲む。
一人で好きな場所へ行く。
それが何より心地よかった。
今だって、一人の時間は好きだ。
けれど――誰かと共有する時間も、以前ほど邪魔には思わなくなった。
(考え方が、少し柔らかくなったのかしら)
そう考えているうちに、ユーリたちの楽しそうな声が聞こえる。
「じゃあ、僕は何を食べようかな。辛い料理がいいな。あと、肉も――」
「ユーリ王子」
リリーが牽制するように言う。
「なんですか?」
「あなた、初心者なんだから、まずは私のニッポン話をよく聞いて……」
リリーはすっかり先輩気分のようだ。
「だって、すごく楽しみで!」
「……ふふ」
ディアーヌは思わず笑った。
「では、まずは予定を合わせましょう」
「決まり!」
ユーリが嬉しそうに頷く。
リリーがそれに続いて提案する。
「ルシアン王子も呼びましょうよっ!」
「ルシアン殿下?」
「そうね。政務でお忙しいと聞いているわ」
「それじゃあ、今回は三人で。ルシアン殿下とはまた行こう!」
ユーリはあっさり言った。
「なんという割り切り……」
やはり、ユーリは読めない部分が多い。
その無邪気さに偽りはないようではあるけれどーー
(ただ、みんなにアイドル的に好かれている人物としか見ていなかったのに…)
人というのは、付き合ってみないとわからないものなのかもしれない。
結局、ルシアンの予定が空くのを待つのではなく、まずは休日に三人――
ディアーヌ、リリー、そして、ちゃっかりユーリまで一緒に、ニッポンへ遊びに行くことになった。
「で、リリー嬢はなんの肉を食べるつもりなんですか?」
「それは……要検討ですわねっっ」
どうやら今回のニッポン行きは、ずいぶん賑やかなものになりそうだ。




