第28話 ユーリの激辛レストラン
その日の午後。
「ディアーヌ、少し相談があるんだけど」
執務室で書類を整理していたディアーヌは、顔を上げた。
目の前にいるのはユーリ王子だった。
「……相談?」
「はい、そうなんです」
「あなたがわたくしに。珍しいこともあるものですわね」
「頼むみますよ」
困ったように眉をハの字にさせるユーリ。
ユーリは何かと要領がよく、人付き合いも上手い。困ったことがあっても、自分でなんとかしてしまうか、気がつけば周囲の誰かが手を差し伸べている。
本人にそのつもりがあるのかは知らないが、「放っておけない」と思わせる妙な愛嬌があるのだ。
それも一種の才能だろう。
そんなユーリが、わざわざ自分のところへ相談に来る。しかも、この顔。
「……かなり困っていらっしゃるようですわね」
「そうなんです。自分でもどうしたらいいのか分からなくて」
「お仕事のことですか?」
「いや。仕事とはまったく関係なくって」
どうにも、要領を得ない。
ユーリは小さく息を吐いた。
「だから余計に困ってるんだ」
ユーリは苦笑した。
「食事でもしながら話しませんか?僕の行きつけの店があるんです」
「ちょうど、これから昼食を取ろうとしていたところですわ。」
「あそこなら落ち着いて話せるし、料理も美味しい」
「……わかりましたわ。ご一緒しましょう」
「ありがとうございます」
そうして二人は、王都の少し外れにあるレストランへ向かった。
店に入ると、店主らしきガタイのいい男がユーリの姿を見つけて笑顔になった。
「おや、ユーリ様。今日はお連れ様ですか」
「うん。友人なんだ」
「これはこれは。ディアーヌ様もようこそ」
「さすがディアーヌ、有名人ですね」
ユーリが冗談ぽく言う。
店員が慣れた様子で二人を席へ案内し、ほどなくして注文を取りに来た。
「本日は牛肉と根菜の煮込みがおすすめです。いつものように辛いものもご用意できますが……」
そこで店員はディアーヌを見る。
「ディアーヌ様も辛いほうにしますか?」
「……いえ、わたくしは普通で」
「かしこまりました」
「僕はいつもの辛口で」
「承知いたしました」
ディアーヌはユーリを見た。
「ずいぶん慣れていらっしゃいますのね」
「この店はよく来ますからね」
「辛いものがお好きでずの?」
「そうですね」
以前、リリーとサンドイッチを食べていた時、ユーリの方のサンドイッチに真っ赤は唐辛子がこれでもかとかかっているのを見たことがある。
(まあ、人の好みにとやかく言うべきではないわね)
しばらくすると、二人の前に料理が運ばれてきた。
「お待たせしました。牛肉と根菜の煮込みです」
ディアーヌの前に置かれた皿には、柔らかそうな牛肉と、大きく切られた人参や蕪が入っている。
香草の香りがふわりと立ち上った。
「美味しそうですわね」
そして隣を見る。
(うっ)
ユーリの皿は、明らかに様子がおかしかった。
同じ牛肉と根菜の煮込みのはずなのに、スープが真っ赤だ。
「……これは?」
「辛口」
「辛口という範囲を超えていません?」
「そうですか?」
ユーリは涼しい顔で、卓上の唐辛子を手に取った。
さらさら。
さらに振りかける。
さらさらさら。
(えーー)
ディアーヌは無言で彼の顔を見た。
整った顔立ちに、穏やかな笑み。
その可愛らしい顔で、真っ赤な煮込みにさらにこちらが引くほどの唐辛子を追加している。
「……あなた、もしかして隠れサイコパスですの?」
「どうして?」
「見ているだけで胃が痛くなりますわ」
「美味しいですよ」
ユーリは何事もなかったように匙を入れた。
ぱくり。
「うん。今日もちょうどいい」
「まあ、あなたがそれで良いなら、良いのですけれど」
ディアーヌは自分の煮込みに視線を戻した。
自分の皿は、なんと平和なのだろう。
周りもみな穏やかに食事をしている。気取らない、良いレストランである。
「それで、相談というのは、何ですの?」
ユーリは一瞬だけ黙り、そして、少し照れたように切り出した。
「リリーのことなんですけど」
「ああ……なるほど」
「僕、どうしたらいいと思いますか?」
「どうしたら、と言われましても……」
ディアーヌは少し考えた。
「まず、あなたはリリーにどうなってほしいのです?」
「もちろん、僕のことを好きになってほしい」
「ずいぶん率直ですわね」
「そこを遠回しにする意味がないですからね」
ユーリは真面目な顔をしていた。
「でも、何をしても今ひとつ手応えがないんです」
「リリーは、そう簡単に人に流される方ではありませんもの」
「そうなんです」
ユーリはため息をついた。
「食事に誘っても来てくれる。話もしてくれる。嫌われてはいないと思います。でも……そこから先に進まない。」
「でしたら、焦らないほうがいいのでは?」
「そう思いますか?リリーをどうしようと言うより先に、僕自身が、もっとリリーのことを知るべきなのかもしれませんね」
「ええ。結局のところ、一番大事なのはリリーの気持ちでしょう」
ユーリは黙った。
ディアーヌも考える。
リリーは愛嬌があり、人懐っこい。
しかし、だからといって誰にでも心を許しているわけではない。
むしろ、意外と気が強く自立心があるタイプである。
「……リリーが何を好きなのかを、もっと考えてみるのはどうでしょう」
「好きなものですか?」
「ええ」
ディアーヌは少し考え。ふと気づく。
「そういえば……リリーは食べることがお好きですわよね」
「うん、特に肉」
ユーリが即答した。
ディアーヌはハッとしてユーリを見た。
「そこまで把握していましたの?」
「当然です」
ユーリは真顔だった。
「リリーは肉料理が出たときだけ、ほんの少し表情が変わるんです」
「……よく見ていますわね」
「好きな人のことなら、そのくらい見ますよ」
その言葉は妙に素直で、ディアーヌは少しだけ感心した。
「でしたら、肉料理をご一緒するのはどうでしょう」
「肉?」
「ええ。ただ食事をするだけではなくて」
ディアーヌは考えながら続ける。
「リリーがまだ知らないような、美味しい肉料理を食べるのです。二人で、新しい体験となるような」
「体験、か」
ただ高価な料理をご馳走するだけではない。
同じものを食べて、美味しいと思う。
驚いて、笑って、感想を言い合う。
そういう時間のほうが、リリーには合っている気がした。
「例えば、今まで食べたことのない肉料理を探してみるとか」
「なるほど……」
「あなたがリリーを喜ばせたいという気持ちはわかります。でも、あなたが何を贈りたいかではなく、リリーが何を楽しめるかを考えるのです」
「すごい!さすが、ディアーヌ嬢。とても参考になりました」
ユーリは真剣に頷いた。
「じゃあ、さっそく、何か考えてみます」
「ええ。せっかくなら、かなり美味しいものを」
「任せてください!」
ユーリの目が輝いた。
どうやら相談はまとまったらしい。
「ところで」
ディアーヌはふと、ユーリの皿を見る。
真っ赤な煮込みは、もうほとんど残っていない。
「あなたは、どうしてお料理をそこまで辛くするのです?」
「美味しいからです」
「それだけ?」
「それだけ」
ユーリは飄々とした態度である。
「辛いものって、食べてると元気になるじゃないですか?」
「……理解できませんわ」
「理解されなくて、いいんです」
自分の好きなものを好きと言えるユーリが、少し羨ましく思える。
二人はそれぞれ、自分の料理に向き合った。
ーーその数日後。
ユーリは王都中の料理人に声をかけ始めていた。
「リリーが驚くような肉料理を作ってほしいのです」
それを聞いた料理人たちは、最初こそ首を傾げた。
しかし――。
「肉料理で、ですか?」
「そう。最高の一皿を」
その一言を聞いた瞬間、料理人たちのプロ魂に火がついた。
どんな肉を使おう?
牛肉か。豚肉か。羊肉か。はたまた、鹿肉か。
焼くのか、煮るのか。
香草を使うのか?ソースで勝負するのか?
それぞれが、自分こそが最高の肉料理を作れると言い始める。
やがてそれは、単なる一食の相談ではなく、王都の料理人たちを巻き込んだ、奇妙な「肉料理対決」へと発展しようとしているのだった。




