第22話 募るイライラへの対処法
このところ、ディアーヌは忙しかった。
朝から福祉活動。
昼には書類の確認。
午後は隣国との交流会。
その合間を縫って、新しい事業案の政策について話し合い、戻ればまた大量の事務処理が待っている。
「こちらの予算案ですが、もう少し見直しを――」
「はい、分かりましたわ」
「それから、来週の交流会についてですが――」
「そちらも確認しておきます」
「ディアーヌ嬢、こちらの書類にも――」
「…………はい」
完璧な笑顔。完璧な返答。完璧な令嬢。
誰から見ても、非の打ち所がない。けれどーー
(忙しすぎでしょ!世が世ならブラックすぎて炎上するわよ、令嬢職っ)
ようやく今日、午後から休みが取れた。
仕事を終えたディアーヌは、廊下を歩きながら、誰にも見られないよう小さく伸びをする。
(さて、と。今日は久々に半日はお休みできそうね。美味しいものを食べてもいいし、どこかへ遊びに行ってもいいし……なにをしよう?)
自然と口元が緩む。
(とはいえ、疲れすぎてやりたいことも浮かばない……)
「おや、これはこれは」
聞き覚えのある声に、ディアーヌは足を止め、振り返る。
そこにいたのは、よりによって――
「ゴートン伯爵……」
「随分とお忙しそうですな、ディアーヌ嬢」
「ええ。ありがたいことに、やるべきことがたくさんございますので」
「ほう。若い女性がそこまで働くとは感心ですな」
口調だけなら褒め言葉。
しかし、その目は笑っていない。
「とはいえ、何でもかんでも手を出すのは感心しませんがね」
「……」
「福祉だの、隣国との交流だの、新しい事業だの。女性はもう少し、家庭や社交に専念された方がよろしいのでは?」
「まあ……ご忠告ありがとうございます」
ディアーヌは笑顔で頭を下げた。
「今後ともご指導いただけましたら幸いですわ」
伯爵は満足そうに鼻を鳴らすと、そのまま去っていった。
ディアーヌも笑顔のまま、その背中を見送る。
そして、角を曲がるのを見送り……
「余計なお世話だっつーのっっ!!」
思わず小声で叫んだ。
(どうして、ああいう言い方しかできないの!?それで、どうして私もあんな人にまで良い子ぶってしまうの!?)
拳を握る。
(『ご指導ありがとうございます』じゃないでしょう!『誰からも相手にされずにご愁傷様です』って言いたかったのに!)
ああ、イライラする。
しかし、怒っていても仕方がない。今日は、せっかくの休みなのだ。
「……忘れよ…」
深呼吸、深呼吸。
午後は思い切り、ストレス発散しよう。
そう自分に言い聞かせ、歩き出す。
すると――。
「あら?」
少し先のテラス席に、見覚えのある二人がいた。
リリーと、ユーリ王子である。
「おや、ディアーヌ嬢」
「ディアーヌ!」
二人の前には、ローストビーフのサンドイッチが置かれている。
「お昼ですか?」
「ええ。ちょうど今、食べていたところですの」
リリーがにこやかに答える。
その隣で、ユーリがサンドイッチを頬張っている。
ディアーヌは何気なく、その手元を見た。
「…げ」
令嬢にあってはならない感嘆詞がこぼれる。
「どうしました?」
「……ユーリ王子」
「はい?」
「そのサンドイッチ」
「はい」
「どうしてそんなに赤いんですの?」
サンドイッチから覗くローストビーフ。
その上には、尋常ではない量の赤い唐辛子がかかっている。
というより、もはやローストビーフなど見えなかった。
「いつもこうですよ」
リリーが何でもないことのように言う。
「ええ?」
「僕、辛いものが結構好きで」
ユーリは平然としている。
「結構ってレベルじゃないでしょう!」
「そうですか?」
「おかしいですわ!」
「美味しいですよ、ほら」
ユーリがガブリとサンドイッチにかぶりつくのを、ディアーヌは呆然と見つめた。
それから、ユーリは純粋無垢な眼差しでディアーヌにサンドイッチを差し出す。
「あの、そんなに見つめられると恥ずかしいです。お召し上がりになりたいのなら、少し食べてみますか?」
「丁重に、お断りしますわっ」
では、と足早にその場を去る。
ユーリ王子ーーあんな甘いルックスで、激辛党だったとは。リリーの肉好きといい、個性的な嗜好を持った人が多い。
そして、ふと思う。
(辛いもの……そういえば、最近、刺激の強いものを食べてないわね。)
そして、ゴートン伯爵の顔が脳裏に浮かぶ。
(……なんだか今日は、無性に刺激的なものが食べたい!!)
ディアーヌの目が、すっと細くなる。
(ジャンクで、辛いものーー)
刺激を求めていると自覚した途端、猛烈にカプサイシンを脳が欲しだす。
社交、仕事、書類、会議。
そして、嫌味。
(……決めたわ!)
ディアーヌは静かに踵を返す。
「ディアーヌ嬢?」
うしろから、追いかけてきたリリーが声をかける。
「あの、どちらへ?もしかして、またニッポンですか?」
ディアーヌは振り返った。
そこには、いつもの完璧な令嬢の笑顔――ではない。
休みに全力を捧げる戦士、そして、ひとりの食いしん坊の顔があった。
そのオーラにリリーは思わずたじろいだ。
(今日は、一人にさせてあげた方が良さそうですわねーー)
「い、いえ、なんでもありませんわ。た、楽しんでいってらっしゃいな」
「ええ、もちろんです」
ディアーヌは歩き出す。
そして、部屋まで戻り素早くユ○クロに着替えると、小さく息を吐いた。
(さて、と。)
テーブルライトの下から見慣れた小さな鍵を取り出し、空間に差し込む。
カチャリ。
目の前に、見慣れた扉が現れた。
ディアーヌは迷わず、その扉を開く。
向こう側に広がっているのは――
彼女が心から自由になれる、もう一つの世界。
疲れ切っていたはずの顔が、見る見るうちに輝いていく。
午後からは、彼女の休日だ。しかも今日は――
刺激的な夜になるはずである。




