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人喰い熊  作者: 斑鳩あおい


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第六章 喰われた声

――ドゴォン!!


戸板が大きく揺れた。


集会所の柱がミシリと悲鳴を上げる。


老人たちが一斉に後ずさった。


「鍵を押さえろ!!」


黒木静が怒鳴る。


若い男二人が慌てて戸へ体当たりした。


だが。


――コン。


今度は軽い音だった。


優しい。


まるで本当に誰かが助けを求めているみたいな音。


「……開けてぇ……」


女の声。


西野真由と全く同じ声。


集会所の隅で真由本人が泣きながら首を振っている。


「違う……違うよぉ……」


老人の一人が耳を塞いだ。


「やめろ……また始まった……」


蓮は息を呑む。


“また”。


つまり以前にもあった。


外の声が続く。


「寒いよぉ……」


「開けてぇ……」


「助けてぇ……」


次第に声が増えていく。


男。


女。


子供。


戸の向こうに何人も立っているみたいだった。


だが。


全員、死んだ人間の声だった。


村人たちの顔色が真っ青になる。


老婆が震える声で呟く。


「喰われた者の声だ……」


相沢蓮の背筋に寒気が走った。


外の“何か”は、食べた人間の声を覚えている。


それを使って、戸を開けさせる。


黒木が低く言った。


「耳を貸すな」


その瞬間。


外から子供の声が響いた。


「おじいちゃーん」


一人の老人が硬直する。


「……孫……?」


「おじいちゃん、寒いよぉ」


老人の目に涙が浮かぶ。


「タケル……?」


周囲が止める間もなかった。


老人が戸へ駆け寄る。


「やめろ!!」


黒木が叫ぶ。


だが老人は鍵に手をかけていた。


「タケル!! 今開けるからな!!」


ガラッ。


戸が開いた。


瞬間。


巨大な黒い腕が飛び込んできた。


――グシャァ!!


老人の上半身が消えた。


血。


肉。


骨。


すべてが一瞬で潰れる。


悲鳴。


集会所が地獄になる。


熊だ。


御神沢の羆が戸を引き裂きながら侵入してきた。


天井すれすれの巨体。


濡れた毛皮。


腐臭。


片目だけがギラギラと光っている。


そして。


ニタァ……。


笑っていた。


「撃てぇ!!」


黒木が発砲。


――パン!!


弾丸が熊の肩を抉る。


だが止まらない。


熊は老人の死体を咥え、そのまま壁へ叩きつけた。


骨が砕ける音。


血飛沫が囲炉裏へ散る。


村人たちはパニックになった。


逃げ惑う。


泣き叫ぶ。


熊はその中へ突っ込んだ。


――バキィ!!


人間の身体が宙を舞う。


若い男が爪で引き裂かれた。


腹が開き、内臓が畳へ落ちる。


「いやああああ!!」


真由が悲鳴を上げる。


熊が振り向いた。


片目が真由を捉える。


ニタァ……。


その瞬間。


熊の口から声が漏れた。


「……マユ」


真由の顔が絶望に染まる。


それは死んだ母親の声だった。


熊が一歩踏み出す。


だが。


――パン!!


黒木の弾丸が顔面へ命中した。


熊が唸る。


黒木が叫んだ。


「裏から逃げろ!!」


蓮は真由の腕を掴んだ。


「走れ!!」


二人は裏口へ向かう。


背後では絶叫が続いている。


村人が喰われている音。


骨を噛み砕く音。


そして。


笑い声。


熊が笑っている。


裏口を蹴破り、外へ飛び出す。


冷たい夜風。


雨が降り始めていた。


山の方から霧が流れてくる。


黒木も飛び出してきた。


息を切らしながら振り返る。


集会所の障子に、巨大な影が映っていた。


熊はまだ中にいる。


だが。


食事をしている。


しばらく出てこない。


黒木は舌打ちした。


「……クソ」


真由が泣き崩れる。


「みんな……みんなぁ……」


蓮は言葉を失っていた。


さっきまで生きていた人たちが、一瞬で肉塊になった。


現実感がない。


すると。


背後から声がした。


「逃げても無駄だ」


振り返る。


そこには、雨の中に立つ御堂源兵衛がいた。


老人の顔は異様に静かだった。


「山は、もう飢えている」


雷が光る。


その一瞬。


源兵衛の背後の闇に、巨大な影が立っているのが見えた。


熊だ。


だが次の瞬間には消えていた。


源兵衛が蓮を見る。


「相沢の血を返さねば、この村は終わる」


蓮の胸が凍った。


「……どういう意味だ」


老人は答えない。


代わりに、こう呟いた。


「お前の祖父は、最後まで反対していた」


雨が強くなる。


山の奥から。


また、あの笑い声が響いた。


ニタァ……。

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