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人喰い熊  作者: 斑鳩あおい


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第三章 喰われた村

夜明け前の村は、死人みたいに静かだった。


相沢蓮は、壊れた祖父の家の居間で毛布に包まっていた。


眠れるはずがない。


耳の奥には、まだあの声が残っている。


――レンクン。


あの熊は喋った。


しかも母の声を真似した。


理解できるはずがなかった。


「……夢じゃねえよな」


掠れた声で呟く。


囲炉裏のそばでは、黒木静が黙って煙草を吸っていた。


四十代半ばくらいだろうか。


無精髭。


疲れ切った目。


駐在の制服の上に古い猟師用ジャケットを羽織っている。


机には猟銃と大量の弾。


まるで戦争の準備だった。


「……あれは何なんですか」


蓮が訊くと、黒木はしばらく黙っていた。


煙を吐き、ようやく口を開く。


ひぐまだ」


「普通の熊じゃないでしょ」


「普通じゃねえ」


黒木の声は低かった。


「人を覚えた熊だ」


囲炉裏の火がパチ、と鳴る。


「熊はな、一度人肉の味を覚えると変わる」


「……」


「だが、あいつはもっと別だ」


黒木は窓の外を見る。


まだ暗い山。


「真似るんだ」


「真似る?」


「あいつに喰われた奴の声を」


蓮の背筋が冷たくなる。


「村の連中は、それで何人もやられた」


「そんなの……あり得るんですか」


黒木は答えなかった。


その沈黙が、逆に現実味を帯びていた。


外が少し白み始める。


すると突然。


――パァン!!


遠くで銃声が響いた。


黒木が立ち上がる。


顔色が変わっていた。


「……遅かったか」


「え?」


「行くぞ」


黒木は猟銃を掴み、外へ飛び出した。


蓮も慌てて後を追う。


朝靄が村を覆っている。


冷たい。


嫌な静けさ。


村の奥から、人の怒鳴り声が聞こえていた。


二人は走った。


坂を下る。


そして。


蓮は見てしまった。


村外れの畑。


血の海。


そこで、人間だったものが転がっていた。


「うっ……!」


蓮は吐き気を堪える。


胴体が半分なくなっている。


内臓が引きずり出され、雪解け泥の中に散らばっていた。


顔は潰れて分からない。


だが、服だけは原形を残している。


昨日会った老婆――八代トメだった。


周囲には村人が集まっていた。


誰も泣かない。


ただ怯えている。


諦めた目をしている。


老人の一人が震える声で言った。


「戸を開けちまったんだ……」


別の男が地面を指差す。


巨大な足跡。


普通の熊より遥かに大きい。


泥の中に深く沈んでいる。


そしてその足跡は――


二本足だった。


蓮は言葉を失った。


黒木が死体のそばにしゃがむ。


「まだ近いな」


「え?」


「喰い残してる」


その瞬間だった。


山の方から。


――アァァァ……


女の悲鳴が響いた。


全員の顔色が変わる。


「山だ!」


誰かが叫ぶ。


黒木は走り出した。


蓮も反射的に後を追う。


杉林へ入った瞬間、空気が変わった。


冷たい。


臭い。


獣臭。


血。


腐臭。


黒木は地面を見ながら進む。


「でかい……」


折れた枝。


削れた木。


巨大な何かが通った痕跡。


やがて開けた場所へ出た。


そこには古い祠があった。


苔むした石。


崩れた鳥居。


そして。


血。


大量の血。


その中央で、若い女が腰を抜かして震えていた。


「た、助け……」


村人の西野真由だった。


真由の目の前には、人間の腕が落ちている。


まだ新しい。


噛み千切られた跡。


黒木が周囲を警戒する。


「どこ行った」


その時。


上から、雫が落ちた。


ポタ。


蓮の頬につく。


赤い。


血だった。


ゆっくり見上げる。


杉の大木。


その枝に。


何かが引っかかっている。


人だった。


男の死体。


腹を裂かれ、木に吊るされている。


まるで見せしめみたいに。


そして。


死体の奥。


枝葉の暗闇の中で。


ギラリ、と目が光った。


熊だ。


巨大な顔が、木の上からこちらを見下ろしている。


ニタァ……。


口が裂ける。


次の瞬間。


――ドォン!!


熊が木から飛び降りた。

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