第十二章 贄蔵の底
ズル……。
ズル……。
地下通路の奥から響く音は、生き物というより“濡れた肉”が擦れる音だった。
湿った土の臭い。
腐臭。
血。
相沢蓮は息を呑む。
暗闇の中に立つ相沢志乃は、泣いていた。
白い着物。
痩せ細った身体。
裸足。
だがその姿は、これまでの化け物たちと違った。
“まだ人間だった”。
「逃げて……」
志乃が再び呟く。
声はか細い。
だが確かに、自我があった。
黒木静が銃を構えたまま訊く。
「……何が来る」
志乃の顔が恐怖で歪む。
「山の中身」
その瞬間。
奥の暗闇で、何かが動いた。
ヌゥ……。
巨大。
狭い通路を埋め尽くすほど大きい。
だが熊じゃない。
もっと歪だ。
懐中電灯の光が、ゆっくりそれを照らす。
まず見えたのは、人間の腕だった。
何十本も。
壁から生えているみたいに蠢いている。
次に顔。
男。
女。
子供。
無数の顔が肉塊へ埋まっていた。
全員が口をパクパク動かしている。
「寒い」
「助けて」
「痛い」
「帰りたい」
声が重なる。
そして、その中心。
巨大な熊の頭部があった。
片目の潰れた顔。
ニタァ……。
笑っている。
真由が崩れ落ちる。
「いやぁぁ……」
源兵衛が震える声で呟く。
「まだ……育っていたのか……」
蓮は理解した。
あの熊は“本体”じゃない。
ただの入口だった。
山そのものが、人を喰って育っている。
「なんだよ……これ……」
志乃が涙を流す。
「みんな、ここにいるの……」
彼女の背後。
壁の中で、人間たちが蠢いていた。
まだ生きているみたいに。
黒木が舌打ちする。
「クソが……」
その時。
肉塊の中から、誰かの顔が浮かび上がった。
蓮の呼吸が止まる。
祖父だった。
相沢源蔵。
半分溶けた顔。
だが目だけは、確かに蓮を見ていた。
「……逃げろ」
蓮は叫ぶ。
「じいちゃん!!」
祖父の顔が苦しそうに歪む。
「山を燃やせ……」
その瞬間。
肉塊が激しく脈動した。
ドクン!!
洞窟全体が揺れる。
壁から無数の腕が飛び出した。
「うわぁ!!」
真由の足首を掴む。
蓮が引っ張る。
だが腕は次々伸びてくる。
冷たい。
死人の手だ。
黒木がナイフで切り裂く。
ブチブチと黒い液体が飛ぶ。
すると。
肉塊の中心――熊の頭が口を開いた。
そして。
無数の声が同時に響く。
「カエセ」
「カエセ」
「カエセ」
洞窟が震える。
源兵衛が叫んだ。
「蓮!! 逃げろ!!」
「え!?」
「相沢の血を喰わせれば、完全に目覚める!!」
蓮の顔色が変わる。
その瞬間。
肉塊の中から大量の顔が一斉に蓮を向いた。
ニタァ……。
笑った。
祖父。
村人。
喰われた子供。
全員が笑っている。
そして。
同時に口を開いた。
「ミツケタ」
直後。
肉塊が通路いっぱいに突進してきた。
ズガァァン!!
壁が砕ける。
腕。
顔。
牙。
肉。
全部が濁流みたいに押し寄せる。
黒木が叫ぶ。
「走れぇぇ!!」
蓮たちは地下通路を全力で駆け出した。
背後では。
無数の人間の笑い声が追いかけてきていた。




