第十一章 贄の血
「カエセ」
「カエセ」
「カエセ」
白装束の女たちの声が、社殿いっぱいに響いていた。
低い。
濁った。
人間の声なのに、人間じゃない。
相沢蓮は後ずさる。
だが逃げ場はない。
背後には壁。
前には、腹の裂けた御神沢の羆。
その腹の中では、喰われた人間たちが蠢いている。
顔。
腕。
指。
目玉。
全部が一つの肉塊みたいに絡み合っていた。
ニタァ……。
熊が笑う。
同時に。
白い女たちも笑った。
ニィィィ……。
蓮の耳鳴りが激しくなる。
頭の奥で、知らない記憶が流れ込んできた。
雪山。
吹雪。
泣いている女。
そして。
巨大な黒い影。
「っ……!」
蓮は頭を押さえた。
視界が揺れる。
すると。
白い女の一人が前へ出た。
裸足。
目のない顔。
だがその口元だけは、妙に優しかった。
女が囁く。
「……お兄ちゃん」
祖父の妹だった。
蓮は直感した。
女はゆっくり手を伸ばす。
その指先は、死人みたいに青白い。
「寒かったよぉ……」
蓮の胸が締めつけられる。
その時。
御堂源兵衛が叫んだ。
「触れるな!!」
直後。
女の腕が異常な速度で伸びた。
グニャリ、と。
人間じゃない動き。
蓮へ掴みかかる。
黒木が発砲。
――パン!!
女の肩が弾け飛ぶ。
だが。
血が出ない。
裂けた肉の中から、黒い毛が生えていた。
熊の毛だった。
「な……」
蓮の顔が青ざめる。
女たち全員の身体が、少しずつ熊へ変わり始めていた。
指が爪へ変わる。
歯が伸びる。
目の穴の奥で、獣の目が光る。
源兵衛が神楽鈴を激しく鳴らした。
――チリン!!
女たちが一斉に苦しみ始める。
「グギィィ……」
「アァァ……」
声が獣へ変わる。
黒木が蓮を引っ張った。
「奥へ行くぞ!!」
三人は社殿の裏へ走る。
そこには古い地下への階段があった。
隠し通路だった。
源兵衛が叫ぶ。
「早く降りろ!!」
背後では熊が暴れている。
柱が折れる。
社殿が崩れ始める。
蓮たちは地下へ飛び込んだ。
直後。
――ドゴォォン!!
天井が崩れ、入口が塞がれる。
暗闇。
土の臭い。
湿った空気。
真由が震える声を漏らす。
「ここ……何……」
黒木が懐中電灯を点ける。
光が地下空間を照らした。
そして。
全員が息を呑む。
壁一面に、人間の名前が刻まれていた。
大量に。
何百人分も。
古いものから新しいものまで。
その中央。
一番大きく刻まれていた名。
⸻
『相沢志乃』
⸻
蓮の心臓が止まりそうになる。
「……誰だ」
源兵衛が低く答える。
「お前の大叔母だ」
蓮は壁へ近づく。
名前の周囲には、無数の爪痕が残っていた。
まるで中から出ようとしたみたいに。
源兵衛が震える声で言う。
「ここが“贄蔵”だ」
「にえぐら……?」
「山へ送る者を閉じ込めていた場所だ」
真由が青ざめる。
「そんな……」
黒木は歯を食いしばった。
「クソ村が……」
蓮は壁へ触れる。
冷たい。
だが。
その瞬間。
奥から声が聞こえた。
「……れん」
全員が振り向く。
暗闇のさらに奥。
誰かが立っている。
白い着物。
裸足。
長い黒髪。
祖父の妹――相沢志乃だった。
だが今度は。
目があった。
黒く濁った目。
そして。
彼女は泣いていた。
「逃げて……」
その瞬間。
地下通路の奥から。
ズル……。
ズル……。
巨大な何かが這う音が聞こえた。




