第十章 山の中身
――ドゴォォン!!
社殿全体が激しく揺れた。
柱から埃が落ちる。
外で木が折れる音。
西野真由が悲鳴を上げた。
「来たぁ!!」
再び衝撃。
――バキィ!!
鳥居が完全に吹き飛ぶ。
外から獣の咆哮が響いた。
――グォォォオオオ!!
空気そのものが震える。
黒木静が舌打ちした。
「結界が破られた……!」
社殿の入口。
豪雨の向こうに巨大な影が現れる。
御神沢の羆だった。
全身ずぶ濡れ。
黒い毛皮から血と泥が滴っている。
片目だけが異様に光っていた。
だが。
蓮はその姿に違和感を覚えた。
熊の身体が、微かに膨らんだり縮んだりしている。
まるで中で何かが蠢いているみたいに。
ニタァ……。
熊が笑う。
その口の端から、人間の指が落ちた。
黒木が発砲。
――パン!!
弾丸が額へ当たる。
だが熊はゆっくり歩いてくる。
止まらない。
社殿の床が軋む。
一歩。
また一歩。
そして。
熊の腹が、ボコリと動いた。
蓮は息を呑む。
内側から何かが押している。
次の瞬間。
腹の毛皮が裂けた。
――ビチャッ。
血。
内臓。
そして。
人間の腕が飛び出した。
「……は?」
蓮の思考が止まる。
腕だけじゃない。
腹の裂け目の奥で、“何人もの顔”が蠢いていた。
男。
女。
子供。
半分溶けた顔。
眼球のない顔。
歯を剥き出しにした顔。
全員、生きているみたいに動いている。
真由が絶叫した。
「いやぁぁぁぁ!!」
熊の腹の中から声が漏れる。
「寒いよぉ」
「開けてぇ」
「助けて」
「お母さん」
無数の声。
喰われた人間たちの声だった。
源兵衛が神楽鈴を握りしめる。
「見たか」
老人の顔は青ざめていた。
「あれが山の神だ」
蓮は震えながら後退する。
「あんなの……熊じゃない……」
「人を喰いすぎた」
源兵衛の声が掠れる。
「長い年月、人を喰い続けた熊は、人の魂を溜め込む」
熊の腹が再び膨らむ。
すると。
裂け目から、人の顔がニュルリと現れた。
若い女。
長い髪。
そして。
目がない。
白い着物の女だった。
女は熊の腹から半分だけ身を出している。
まるで。
熊の中に住んでいるみたいに。
女がゆっくり蓮を見る。
そして。
祖父の声で言った。
「……まだ間に合う」
黒木が叫ぶ。
「伏せろ!!」
次の瞬間。
熊の腹が弾けた。
――ブチィィ!!
大量の黒いものが飛び散る。
血ではない。
髪だった。
無数の長い黒髪が、蛇みたいに襲いかかってきた。
蓮は床へ飛び込む。
髪が柱へ絡みつく。
ミシミシと木が軋む。
信じられない力だった。
真由の足首へ髪が巻き付く。
「いやぁ!!」
引きずられる。
熊の腹へ。
蓮は咄嗟に真由の腕を掴んだ。
冷たい。
髪が生き物みたいに脈打っている。
黒木がナイフで切りつけた。
ブツン!!
髪が悲鳴みたいな音を立てる。
真由が解放された。
だが。
その瞬間。
白い女が笑った。
ニィィィ……。
すると社殿の奥から、別の白い影が現れた。
一人。
二人。
三人。
全員、目がない。
白装束の女たち。
蓮は凍りつく。
源兵衛が震える声で呟いた。
「歴代の……供物……」
白い女たちは、ゆっくり蓮へ顔を向けた。
そして同時に口を開く。
「カエセ」
「カエセ」
「カエセ」
低い声が重なる。
社殿の空気が歪む。
熊がゆっくり立ち上がった。
その巨大な腹の中で。
無数の人間たちが笑っていた。




