57.上へ向かう道
上層移動路は、見た目以上に静かだった。
青白い光でできた細い通路。
足を踏み入れても揺れないし、透けているように見えるのに不思議と安定している。壁も床も完全な実体ではないようなのに、ちゃんと歩ける。
「……何回見ても変な感じだな」
『古代移動技術の一端です』
「その説明も慣れてきたな」
『改善努力中です』
「そっちはもういいよ」
奏真が先頭。
その後ろにセレス、最後尾にノア。
順番は自然とそうなった。
アリシスが、道の安定度や歪みを細かく返してくる。
進行安定。
左側寄り推しょう。
前方、局所的な負荷増大。
見える。
だから迷わない。
前なら、こういう未知の道は足がすくんでいたかもしれない。
でも今は違う。怖さがなくなったわけじゃない。けれど“どこが怖いか”が見えているぶん、ちゃんと進める。
「大丈夫か?」
後ろを振り返らずに聞く。
「うん」
セレスの声が返る。
「……少し、変な感じ」
「変な感じ?」
「上に行ってるのに、落ちるみたい」
「それはちょっとわかる」
『重力感覚と移動情報の不一致です』
「お前は毎回一言多いんだよ」
『補足です』
「頼んでない」
通路はゆるやかに上へ伸びていた。
奈落の底から見上げる“上”とは違う。
今までは、どれだけ手を伸ばしても届かなかった遠さだった。けれど今は、自分の足でそこへ向かっている。
その事実が、妙に胸の奥をざわつかせた。
神崎。
王国。
教会。
地上。
考えないわけにはいかない。
でも今はまだ、答えより先に感覚が来る。
戻るんだ、という実感。
そして、戻った先がもう前と同じ場所じゃないだろう、という予感。
「……奏真」
後ろから、セレスが小さく呼ぶ。
「ん?」
「地上って、どんな色だった?」
「色?」
「奈落にないもの」
その問いに、奏真は少しだけ考えた。
空の青。
草の緑。
夕方のオレンジ。
そういう答えはいくらでも出る。
でも今、最初に浮かんだのは別のものだった。
「……温度、かな」
「温度」
「ああ。色ももちろんあるけど、奈落と一番違うのはたぶんそこだ。風の感じとか、陽の光とか、そういうの」
「……あったかい?」
「時間による」
「雑」
「説明しづらいんだよ」
セレスが少しだけ笑う。
その気配を感じて、奏真もほんの少し口元をゆるめた。
地上のことをこうやって口にするのは、妙に変な感じだった。
ついこの前まで当たり前にいた場所なのに、今はずいぶん遠く見える。
『前方、移動路の揺らぎを確認』
ノアの声で空気が締まる。
アリシスもすぐ反応した。
前方三歩、負荷集中。
一人ずつ通過推しょう。
「止まれ」
三人が足を止める。
前方の床が、ほんのわずかに明滅していた。見逃せる程度の揺らぎだ。けれど今の奏真には、それが危ないとわかる。
「俺が先に行く」
『妥当です』
「最近ほんとその言葉ばっかりだな」
『高頻度で』
「もういい」
奏真は深く息を吸い、一歩踏み出す。
揺らぎの上を通る瞬間、足元の光が波打つ。
だが、崩れはしない。数秒だけ耐えればいい。
抜けた。
「次、セレス」
「うん」
セレスは少し緊張した顔で歩き出す。
けれど無理に急がない。そのことに奏真は少しだけ安心した。
揺らぎを越える。
最後にノアも静かに通過した。
『問題ありません』
「毎回言うけど、通ったあとに言われても遅いんだよ」
『結果報告です』
「ほんとそういうとこだよな……」
それでも、三人ともちゃんと越えた。
その小さな積み重ねが、妙に大事だった。
進めている。
ちゃんと。
通路の終わりが近づくにつれ、空気が少しずつ変わってきた。
湿り気が薄い。
風の流れも違う。
奈落の深部にずっとあった重さが、少しだけ軽くなる。
「……近いな」
『はい。上層接続部まで、残距離は短いです』
「セレス」
「うん」
「地上、たぶんもうすぐだ」
「……うん」
その返事は、少しだけ不安そうだった。
無理もない。
セレスにとって地上がどういう場所だったのか、奏真はまだ知らない。
でも少なくとも、奈落の底に固定されていた場所よりはましだと思いたかった。
「大丈夫だ」
自分でも根拠のない言葉だと思う。
「少なくとも、あそこよりは」
セレスは少しの間黙って、それから小さくうなずいた。
「……うん」
移動路の先に、かすかな白い光が見えた。
奈落の青とは違う。
もっと薄くて、やわらかい色。
地上に近い光だと、奏真はすぐにわかった。
帰る。
その現実が、今はっきり形になり始めていた。




