56.帰ると決めた日
深部制御核の部屋へ戻った時、青い光はさっきより少しだけ強くなっていた。
完全に目を覚ましたわけじゃない。
でも、止まっていたものがゆっくり動き始めている。そんな感じがした。
奏真は補助伝達部品を手の中で転がす。
小さい。
なのに、これ一つで奈落の上層移動路がつながるかもしれない。
「ほんと、最後に必要なものって小さいよな」
『機能上の重要度と物理サイズは比例しません』
「そういうとこは妙に正しいな」
『事実です』
「知ってる」
ノアが制御核の横に立ち、青い線の流れを見ている。
セレスは少し離れた位置で、静かにこちらを見ていた。
奏真はその視線を受けながら、ゆっくり制御核へ近づく。
白い石の表面に青い線が走っている。
その流れの中に、補助部品が入るべき場所が、今ははっきり見えた。
アリシスが答える。
補助伝達部品、適合位置:前方左下。
接続成功で上層移動路の安定率上昇。
「左下……ここか」
奏真は膝をつき、部品を制御核の溝へ差し込んだ。
かちり、と小さな音がした。
次の瞬間、部屋全体に青い光が広がる。
床。
壁。
天井。
今まで途切れ途切れだった線が、一気につながるように明るくなる。
「うわっ……!」
思わず息をのむ。
制御核の中で流れが回る。
眠っていた心臓が、ようやく本当に脈を打ち始めたみたいだった。
『補助伝達、正常接続』
ノアの声が響く。
『上層移動路、再起動可能状態へ移行』
「可能状態、ってことは」
『最後の認証が必要です』
「やっぱり一発では終わらせてくれないか」
『順当です』
「その言い方、ちょっと腹立つな」
それでも、ここまで来た。
制御核は起きた。
道はもうすぐ開く。
奏真はゆっくり立ち上がり、制御核の正面へ手を伸ばした。
「これで終わりか」
『最後の接続です』
「奏真なら、いける」
セレスが静かに言う。
その言葉は短かった。
でも、妙に重かった。
信頼。
そう呼ぶには、まだ少し早いのかもしれない。
けれど、少なくとも今この場で、セレスもノアも、奏真がやるとわかっている。
それが少しだけ、胸の奥を熱くした。
落とされた時、自分には何もなかった。
神崎に押されて、奈落へ落ちて、理由もわからないまま死にかけた。
でも今は違う。
見る力がある。
返す力がある。
そして、一緒に進む二人がいる。
奏真は深く息を吸った。
「……行くぞ」
制御核へ手を当てる。
《奪還の王》が強く脈打った。
核の中の流れが、胸の奥の熱とつながる。
見える。
上へ伸びる線。
途中で止まっている道。
眠ったままの移動路。
それを起こすために必要な、最後の認証。
壊すんじゃない。
押しこむんじゃない。
正しい流れへ戻す。
奏真は目を閉じて、熱を流した。
制御核が大きく光る。
次の瞬間、遠くのどこかで重いものが噛み合う音が響いた。
ごう、と風が走る。
部屋の奥の壁面に、青い線が縦に伸びていく。
まるで光の道が、奈落の上へ向かって開いていくみたいだった。
セレスが息をのむ。
ノアの目も、わずかに光を強める。
『上層移動路、起動確認』
その言葉と同時に、壁が左右へ分かれた。
奥には、青白い光でできた細い通路が伸びている。
上へ。
奈落の底から、さらに上へ。
「……開いた」
思わずそうつぶやく。
やっと、だ。
奈落に落ちてから、ずっと下へしかなかった。
死ぬための底みたいな場所で、初めて“上へ行く道”がちゃんと形になった。
セレスが一歩前へ出る。
「きれい」
「うん」
奏真も同じことを思った。
不思議なくらい、きれいだった。
押さえつけるための光じゃない。通すための光。戻すための道。
王国や教会の重い術式とは、やっぱり違う。
『通過可能時間は限定的と推定されます』
ノアが言う。
「すぐ行ったほうがいいか」
『はい。ただし短時間の準備は可能です』
「わかった」
奏真は光の道を見つめたまま、小さく笑った。
「……帰れるな」
『正確には、地上へ向かう手段を得ました』
「わかってるよ」
でも今は、それで十分だった。
帰れる。
少なくとも、地上へ向かう道はつながった。
奏真は奥歯を軽く噛みしめる。
神崎の理由はまだわからない。
王国や教会が自分に何をしたのかも、まだ全部は見えていない。
けれど、もう被害者のまま奈落で終わる気はない。
戻るためじゃない。
元に戻るためでもない。
「……取り返しに行く」
自然と、その言葉が出ていた。
ノアが静かにこちらを見る。
セレスも、まっすぐ奏真を見ている。
「今度は落とされるためじゃない。返させるために帰る」
言ってから、自分でも少しだけ驚いた。
でも、しっくりきた。
これが今の自分の“帰る”だ。
ノアが短くうなずく。
『妥当です』
「そこはもうちょっと気の利いたこと言えないのか」
『改善努力中です』
「だろうな」
セレスが少しだけ笑う。
その笑いの向こうで、青い道は静かに上へ伸びていた。
戻るんじゃない。
取り返しに行く。
その意味を初めて、奏真は自分の言葉でちゃんとつかんだ気がした。




