48.三人で進む
出発した直後、奏真は一つだけ強く思った。
遅い。
いや、自分じゃない。
全体の進み方だ。
もちろん急ぐ必要があるのはわかっている。
でもそれ以上に、今は無理をしないことのほうが大事だともわかっていた。
セレスがまだ本調子じゃないからだ。
「……大丈夫か」
今日だけで何回目かわからない問いだったが、奏真はまた振り返った。
セレスは少し間を置いてから答える。
「大丈夫」
「絶対ちょっと盛ってるだろ」
「少しだけ」
「少しじゃない顔してるけど」
「歩ける」
「そういう問題じゃないんだよなあ……」
前を行くノアが短く言う。
『現在速度は最適です』
「お前は本当に都合のいいタイミングで口をはさむな」
『評価です』
「最近そればっかりだぞ」
『使用頻度が高いので』
奏真は思わずため息をついた。
だが、そのやり取りのおかげで空気が少しゆるむ。
奈落の底で、こんなふうに会話しながら歩くことになるなんて思わなかった。
通路は細い。
けれど今までよりは歩きやすい。古代施設の管理域に近いからか、床は比較的平らで、ところどころに青白い線が走っている。
アリシスが反応する。
右側、崩落傾向。
左側通行推しょう。
前方小空間あり。
「左寄りで行くぞ」
『はい』
「うん」
ノアとセレスが素直に従う。
そのことに、奏真は少しだけ違和感を覚えた。
今までは後ろから支える側だった。
誰かの判断に合わせて、足りないところを埋める側だった。
でも今は違う。
前を見て、判断して、道を決める。
その位置に自分がいる。
まだ慣れない。
でも、嫌じゃない。
少し進むと、通路が小さく開けた場所に出た。
壁際に壊れた棚があり、その近くに乾いた容器がいくつか転がっている。かつては補給用の小部屋だったのかもしれない。
「休めるな」
『短時間なら可能です』
セレスの足取りを見れば、ちょうどいい頃合いだった。
奏真は棚のそばに寄って、中をのぞく。
空っぽに見えたが、アリシスがすぐに反応する。
乾燥保存材。摂取可。低栄養。
容器内部、飲用可能水微量。
「お」
『反応が変わりました』
「そりゃ変わるだろ。食える物と水だぞ」
『理解可能です』
「だからそういう言い方だって」
奏真は乾いた保存材を取り出す。
見た目は相変わらずあまり食欲をそそらない。薄い板を砕いたみたいな色だ。けれど、奈落でそんな贅沢は言っていられない。
「食うか」
「うん」
『推しょうします』
三人で壁際に腰を下ろす。
保存材はやっぱりあまりうまくなかった。
でも、食べられるだけでありがたい。飲める水のほうも量は少ないが、喉をうるおすには十分だった。
セレスは一口食べて、少しだけ首をかしげる。
「……変な味」
「だろ」
「でも、前に比べたらまし」
「前って封じられてた時か?」
「うん」
「比較対象が重いんだよ」
セレスはまっすぐ奏真を見た。
「でも、本当に前よりいい」
「……ならよかった」
その言葉に嘘はなかった。
セレスが今こうして食べて、飲んで、話している。
それだけで、あの封圧区画から引っ張り出した意味がちゃんとあったと思える。
ノアが静かに口を開く。
『移動再開まで、あと三分を推しょうします』
「細かいな」
『効率的です』
「はいはい」
少し黙って、奏真は通路の先を見た。
青い線。
暗がり。
まだ見えない深層。
神崎の理由はまだわからない。
地上がどうなってるのかもまだ知らない。
でも、今やるべきことだけはちゃんとある。
「……ノア」
『はい』
「この先、魔物の気配は」
『断続的にあります。単独より群れの可能性が高いです』
「群れか」
面倒だ。
だが避けては通れないだろう。
「セレス」
「ん」
「無理そうならすぐ言え」
「言う」
「今、ちょっと間があったな」
「言う、つもり」
「その“つもり”が怖いんだって」
セレスは少しだけ視線をそらした。
「……できるだけ」
「最初からそう言え」
『意思表示精度に課題』
「お前は今日は本当に調子いいな」
また笑いが落ちる。
奈落の底のはずなのに、その笑いは少しだけ普通だった。
そしてその普通さが、妙に嬉しい。
やがてノアが立ち上がる。
『三分経過しました』
「本当に測ってたのか」
『はい』
「だろうな」
奏真も立ち上がった。
武器を確かめる。
荷物を持ち直す。
セレスの歩ける速度を見る。
準備は整っていた。
「行くぞ」
「うん」
『了解しました』
三人でまた通路を進み始める。
奈落の底で、今の自分たちはまだ弱い。
でも、前に進む形だけはちゃんとでき始めていた。




