47.出るための条件
閲覧盤で見た光の線は、思っていたよりずっと不完全だった。
保全区画へ戻ってからも、奏真は頭の中で何度もその地図をなぞっていた。右へ折れて、崩落した橋を越えて、深層管理域の外縁を通って、制御核へ。
行ける。
でも楽じゃない。
それは見ただけでわかった。
「……結局、深部まで行くのは確定か」
ぼそっと言うと、ノアが横から返す。
『はい』
「お前、こういう時だけ返事が速いよな」
『明確な情報だからです』
「都合いいな、その理屈」
保全区画の青い光は相変わらず静かだった。
セレスは台の端に座って、両手で器を持ちながら少しずつ水を飲んでいる。昨日より顔色はよくなっていたが、それでもまだ無理をさせていい状態じゃないのは見てわかった。
奏真はその様子をちらっと見てから、ノアへ向き直る。
「確認するぞ。制御核を起こせば、上層移動路は動くんだな」
『はい。ただし、完全起動ではなく、限定稼働になる可能性が高いです』
「限定って」
『使用回数、距離、通過人数、いずれかに制限がかかる可能性があります』
奏真は眉をひそめた。
「つまり、一回で全部うまくいく保証はないってことか」
『はい』
「面倒だな」
『事実です』
「はいはい」
もうこの返しにも慣れてきた。
けれど、面倒だからといって他に道があるわけじゃない。
奈落の底で文句を言っても、出口は増えない。
「で、その制御核は俺じゃないと起こせない」
『高確率で』
「“高確率”か」
『現時点で確認できる限り、最も適合率が高いのはあなたです』
その言葉を聞きながら、奏真は胸の奥を意識する。
《奪還の王》。
地上にいた頃は、得体の知れない禁忌スキルみたいな扱いだった。
けれど奈落に落ちてからは、その意味が少しずつ見え始めている。
奪われた流れを返す力。
歪められたものを正しい形へ戻す力。
古代施設と相性がいいのも、たぶんそのせいだ。
「……俺の力、ほんと何なんだろうな」
ぽつりとこぼすと、セレスがそっと顔を上げた。
「奏真の力は、戻す力」
「雑に言うとそうなんだけどな」
「でも、大事」
「大事、ね」
セレスは静かにうなずいた。
「壊すのと、戻すのは違う」
「……それはそうだな」
その一言が妙に胸に残る。
壊すのは簡単だ。
少なくとも、戻すよりは簡単だ。
でも奏真の力は、壊すためのものじゃない。
封じられたセレスを前にした時、それがはっきりわかった。
返す。
ほどく。
本来の形へ戻す。
それが自分の力だ。
「ノア。制御核を動かす条件、他には?」
『制御核に到達し、外部上書きの有無を確認し、必要であれば解除。続いて主系統への接続、起動許可の取得です』
「……一回で言いきるな」
『短くすると』
「もっと長くなりそうだからそのままでいい」
奏真は額を押さえた。
「つまり、行ってみないとわからない部分もあるってことだな」
『はい』
「うん、それだけわかれば十分だ」
その時、セレスが器を置いて口を開いた。
「ひとつ、気になる」
「ん?」
「もし核が、今の王国とか教会のやり方に近い形でいじられてたら」
「……ああ」
「起こすだけじゃだめかもしれない」
奏真とノアの視線が同時に向く。
ノアが静かに答えた。
『可能性はあります』
「だよな」
奏真は小さく息を吐いた。
奈落の古代施設は“本来の形”に近い。
けれど地上で使われているものは、王国や教会にとって都合のいい形へ変えられている。
もしこの制御核にも同じような手が入っていたら、ただ起動するだけじゃ足りない。
「……返さないといけない、か」
『その可能性は高いです』
「俺向きだな」
『はい』
「そこは迷わないのかよ」
『迷う要素が少ないためです』
セレスが、ほんの少しだけ口元をゆるめる。
「奏真がやるなら、大丈夫」
「いや、信頼が急すぎるんだよ」
「助けてくれた」
「それはそうだけど」
「名前も呼んでくれた」
「理由が重いんだって」
セレスは首をかしげた。
「重い?」
「……いや、お前はそのままでいい」
『依存傾向』
「ノア、お前は今ほんと黙れ」
また少しだけ笑いが落ちた。
重い話をしているはずなのに、不思議と空気は固くなりすぎなかった。
それはたぶん、この三人の形が少しずつでき始めているからだ。
奏真は立ち上がる。
「方針は決まった」
「行くの?」
「ああ。もちろん、すぐに飛び出すわけじゃない。装備と、回復できるだけしてからだ」
『妥当です』
「便利だな、その言葉」
『事実です』
「もういいって」
奏真は腰の武器を確かめ、壁際に置いていた小さな荷物を見た。
魔石。
乾燥菌糸。
水。
布。
奈落で拾い集めてきた、生き残るための材料。
地上なら笑われるような荷物かもしれない。
でも今の自分には、どれも大事なものだった。
「奈落を出る」
声に出して言うと、その言葉の形が前よりはっきりした気がした。
戻るため。
生き残るため。
それもある。
でもそれだけじゃない。
自分が何を奪われたのか、まだ全部は見えていない。
けれど少なくとも、返させなきゃいけない相手がいるのは確かだった。
「そのための道、まずはこじ開ける」
ノアが短くうなずく。
『了解しました』
セレスも静かに、でもはっきりとうなずいた。
「行こう」
まだ弱っているくせに、そう言う声だけはまっすぐだった。
奏真は少しだけ苦笑して、それから部屋の外へ視線を向ける。
奈落の道は相変わらず暗い。
でも前より、ちゃんと進む意味が見えていた。




