4, 俺が開けた道なのに、手柄は全部“勇者のもの”になった
王城での朝は、妙に静かだった。
窓の外はもう明るいのに、廊下を歩く足音は最小限に抑えられていて、使用人たちでさえ気配だけを残して通り過ぎていく。広くて綺麗で、整いすぎていて、なのに落ち着かない。
九条奏真は用意された朝食を半分ほど食べたところで、食欲が消えてしまった。
パンはふわふわしていて、スープも薄味ながら上品だった。たぶん美味しい部類なのだろう。でも、そういう問題じゃない。昨日の夜から胸の奥に沈んでいる違和感が、ずっと消えないのだ。
《奪還の王》。
自分だけ隠されたスキル。
神官長の曖昧な説明。
神崎には歓迎が、自分には監視が向いているような空気。
「九条、食わないのか?」
向かいの席から、神崎が不思議そうに聞いてきた。
大きな長机にはクラスメイトたちがばらばらに座っている。誰と誰が固まるかはだいたい元の教室と同じだったが、その中心には自然と神崎がいた。勇者と判明してからはなおさらだ。
「いや、ちょっと緊張してるだけ」
「そりゃまあ、普通するよな」
神崎はそう言って笑い、スープの皿を片手で持ち上げた。
「でも、今日から訓練だろ? ここで食っとかないとあとで後悔するぞ」
「母親みたいなこと言うな」
「昨日からずっと顔色悪い友達がいたら言いたくもなるって」
気にすんなって、と神崎は軽く肩をすくめた。
その自然さに、少しだけ救われる。
この世界に来てから、王や神官や騎士たちの顔ばかり見ていたせいか、神崎の変わらない話し方が妙にありがたかった。
けれどその一方で、昨日からずっと引っかかっていることもある。
神崎は本当に変わっていないのか。
それとも、“勇者”という立場が、もう見えないところで何かを変え始めているのか。
そこまで考えて、奏真は自分で首を振った。さすがにまだ早い。勝手に疑う理由なんてない。
「九条」
今度は少し離れた席から霧島悠人が声をかけてきた。
「朝食のあと、第三訓練場集合だ。勇者戦闘団の仮編成もそこで決めるらしい」
「仮編成って、もうグループ分けされるのか」
「そのつもりだろうな」
霧島はいつもの平坦な声で答えた。
「召喚者をいつまでも客扱いするほど、この国は余裕がない」
その言い方が妙に乾いていて、奏真は少しだけ眉をひそめた。
神崎は苦笑する。
「霧島、朝から現実的すぎるだろ」
「事実だ」
「まあ、それはそうかもだけどさ」
会話はそれで終わった。
霧島は必要以上に雑談しない。もともとそういうやつだったが、昨日からは少し輪をかけて冷静だ。神崎が勇者として浮き、自分が得体の知れないスキル保持者として沈んだ今、彼はその中間から全部を計っているように見えた。
朝食後、クラス全員は王城の西棟へ案内された。
廊下を抜け、大階段を下り、外廊下を渡って着いた先は、半屋外型の広い訓練場だった。高い石壁に囲まれた円形の空間で、中央には複雑な模様の刻まれた石床、周囲には武器棚や物資棚、簡易の観覧席まで設けられている。
昨日見た大広間とは違う意味で、王国の本気が伝わってくる場所だった。
すでに何人もの騎士と神官が待っている。訓練用らしい木剣、槍、弓、魔法触媒、結界杭、魔石箱まで整然と並べられていた。
整然と——見えたのは最初だけで、近くへ行くと案外そうでもなかった。
棚の位置が妙に中途半端だ。
魔石箱の一部は種類ごとに分かれていない。
結界札も束ね方が雑で、同系統のものが混ざっている。
ざっと見ただけなのに、そんなことが目に入る。
「どうした、九条?」
神崎に聞かれ、奏真は我に返った。
「いや……なんか、物の置き方が気になっただけ」
「え?」
「ほら、あそこの魔石。補助系と消耗系が一緒の箱に入ってる」
言われて神崎が目を凝らすが、すぐにはわからなかったらしい。
「マジで? 見ただけでわかるのか」
「……たぶん」
自分でも曖昧な返事になる。
昨日からこうだ。紋様や魔力の流れみたいなものが、考える前になんとなく目に入る。説明はできないが、見えたものは見えてしまう。
その時、騎士団長らしき壮年の男が前へ出た。
「諸君、本日より異界召喚者の適応訓練を開始する」
よく通る低い声が訓練場に響く。
「すでに各自の加護と適性は神殿より報告を受けている。まずは初期編成を組み、小規模な実地訓練を行う。自分に何ができるか、何ができないかを知れ。それがこの世界で生きる第一歩だ」
その言葉のあと、神官長が前へ出て羊皮紙を広げた。
「高位戦闘適性者は前へ」
名前が呼ばれ、神崎、桐生朱音、霧島、レティシア・アルノアらが前に出る。昨日の発表からある程度予想はしていたが、やはり目立つスキル保持者たちは“勇者戦闘団候補”として一括りにされるらしい。
奏真もその補助要員として同じ列の後ろへ入れられた。
木剣を持たされる神崎。
神聖術式の確認を受けるレティシア。
後衛指揮と解析補助を任される霧島。
そして自分は、棚にある結界札と予備魔石の管理を任される。
露骨だった。
「九条奏真殿」
神官長の声に、奏真は一歩前へ出る。
「勇者戦闘団補助要員。物資管理、結界補助、術式記録、状況に応じた運搬を担当」
やはり昨日と変わらない。
雑用係だ。
訓練場の空気の中でその言葉は妙に軽く響き、クラスメイトたちの何人かが気まずそうに視線を逸らした。
神崎がわずかに眉をひそめる。
「補助って、九条のスキル確認はしないんですか?」
神崎の問いに、神官長は感情の読めない顔で答えた。
「《奪還の王》は特異な系統だ。軽々しく実地試験にかけるべきではない。まずは適応と補助作業を通じて性質を見極める」
もっともらしい説明だが、要するに警戒して近くに置くということだろう。
「……了解しました」
そう答えるしかなかった。
編成発表後、さっそく簡易訓練が始まった。
神崎たち前衛候補は中央で騎士相手に基礎戦闘。
レティシアは神官付きで治癒術の確認。
霧島は後衛位置から簡易術式の測定と演算補助。
そして奏真は、訓練場の端に設けられた物資棚と結界設備の補助へ回された。
騎士のひとりが無愛想に言う。
「訓練用結界を起動する。杭は四隅へ、補助札は順番通り配置しろ。魔石はこの箱から必要数だけ出せ」
必要数だけ、と言われても、箱の中はかなり雑だった。
補助系の青魔石と警戒結界用の薄黄魔石が半分混ざっている。札の束も、短時間用と長時間用が一緒だ。
「……これ、分けないと危なくないですか」
思わず口をついて出る。
騎士が怪訝そうに振り返った。
「何?」
「種類が混ざってます。こっちは短時間の遮断札で、そっちは警戒用です。順番逆だと結界がぶれます」
「君にわかるのか」
「見れば、なんとなく」
自分でも説明のしようがない。
けれど今は本当にそうとしか言えなかった。
騎士は少しだけ嫌そうな顔をしたが、半信半疑で札束を見直した。
その直後、隣にいた神官見習いが慌てて声を上げる。
「あっ、本当です! こちらが警戒用、こちらが遮断用です!」
「……ちっ、棚の整理を誰がやった」
騎士が舌打ちする。
奏真はそれ以上何も言わず、黙って札を並べ替えた。すると、石床の四隅に立てた結界杭の魔力線が、すっと自然につながっていく感覚があった。
見える。
やはり、普通に見えているわけではない。
神崎が木剣を肩に担ぎながら近づいてきた。
「すごいな、お前。そんなのわかるのか」
「自分でもよくわからない」
「でも助かったんだろ?」
「たぶん」
「たぶん便利なやつだな」
神崎は笑った。
その笑い方はいつも通りで、少しだけ安心する。
だが、その直後だった。
「勇者殿! 結界の準備が整いました!」
神官見習いが、なぜか神崎に向かって声を上げた。
たしかに神崎はすぐそばにいた。
けれど整えたのは奏真だ。
神崎も一瞬だけ目を瞬かせたが、次の瞬間には自然に前を向いた。
「了解です。じゃあ、始めましょう」
それで終わった。
奏真は黙っていた。
別に神崎が横取りしたわけではない。流れのまま、そうなっただけだ。
でも、その“流れ”こそが妙に気持ち悪かった。
訓練は続く。
木剣の打ち込み。
魔法の初期発動。
治癒術の簡易確認。
そして、その合間に結界が何度か揺れた。
一度目は、魔石の容量不足。
二度目は、杭の位置ズレ。
三度目は、中央術式に刻まれた古い亀裂への魔力干渉。
どれも大きな問題ではないが、放置すれば事故になる程度には厄介だ。
一度目、奏真は予備魔石箱を見ただけで、薄黄の補助魔石ではなく深青の安定化魔石を選び出した。
「こっちです」
「なぜそう思う」
騎士に聞かれ、少し迷ってから答える。
「補助じゃなくて、今崩れてるのは循環です。たぶん、必要なのは出力じゃなくて流れの安定なんで」
説明しながら、自分でも妙だと思う。
誰に習ったわけでもないのに、口からそれらしい理屈が出てくるのだ。
神官が魔石を差し替える。
結界が安定する。
「……合っている」
小さく漏れた声を、奏真は聞き逃さなかった。
二度目。
結界杭の位置が微妙に内側すぎることに気づき、わずか半歩分だけ外へずらすよう指示した。
騎士は渋い顔をしたが、やってみると魔力線のつながりが綺麗に収まった。
三度目。
中央石床の紋様の一部に目が留まった。
他と違う。
極小だが、魔力の返りが不自然な線がある。
「そこ、踏まないほうがいいです」
思わず声を上げる。
ちょうどそこへ踏み込もうとしていた若い騎士が、反射的に足を止めた。
「何だと?」
「紋様が一か所だけ歪んでます。たぶん、負荷がかかると返流します」
騎士も神官も、一瞬で顔をしかめた。
「そんなはずは——」
言いかけた神官の前で、別の騎士が試しに木剣の切っ先をその部分へ軽く触れさせた。
次の瞬間、バチッという音とともに小さな火花が散った。
「っ!」
若い騎士が慌てて後退する。
訓練場がどよめいた。
「本当に返流したぞ……」
「いつからあそこに亀裂が」
「昨日の儀式の余波か?」
神官たちがざわつく中、騎士団長が初めて奏真を見た。
値踏みするような、重たい視線だった。
「君が見つけたのか」
「……たまたまです」
「たまたまで三度も当てるか?」
返す言葉がない。
自分でも、偶然では片付けにくくなってきていた。
騎士団長は短く命じた。
「亀裂部分を閉鎖。訓練は区画変更で継続する」
その指示で現場が動き出す。
奏真も自然と巻き込まれ、予備杭の搬送、札の再配置、魔石の選別を手伝った。
気づけば、訓練場の流れ全体を支えているのはほとんど自分だった。
どの棚に何があるか。
どの魔石が今必要か。
どの結界札が相性がいいか。
見える。わかる。手が動く。
それなのに、周囲の評価は不思議な方向へ流れていった。
「さすが勇者戦闘団だ」
「問題が起きても立て直しが早い」
「勇者殿の気配りが行き届いている」
最初は気のせいかと思った。
けれど、二度三度と同じような声が飛ぶうちに、これは明確な“流れ”なのだとわかる。
神崎が中央にいて、自分は端にいる。
なら、そこで起きたことの功績は、自然と神崎側へ集まる。
神崎自身は意図していない。たぶん。
でも、その構図を止めるほど強く否定もしない。
模擬戦を終えた神崎が、休憩の合間に近づいてきた。
「九条、助かった。さっきの亀裂とか、俺じゃ全然わからなかった」
「だったら、そう言えばいいのに」
少しだけ刺のある言い方になった。
神崎は驚いた顔をしてから、困ったように眉尻を下げた。
「……悪い。ああいう空気になると、なんかタイミング逃す」
「別にいいよ」
「よくないだろ」
「でも、現にそうなってる」
奏真が棚に魔石を戻しながら言うと、神崎は黙り込んだ。
責めたいわけじゃない。
ただ、いま起きていることを、自分の中でうまく飲み込めていないだけだ。
神崎は少しだけ低い声で言った。
「次はちゃんと言う」
「……そうしてくれ」
その返事を聞いても、胸の奥のもやもやは消えなかった。
午後の訓練では、小規模な模擬探索が行われた。
訓練場の一角に簡易迷宮のような術式区画が展開され、その中を少人数で進み、模擬罠を見つけて解除するという内容だ。
神崎、霧島、朱音、レティシア、そして補助要員として奏真。
仮の勇者戦闘団での初共同任務だった。
入口の石扉が閉じる。
中は薄暗く、石造りの通路が幾つにも枝分かれしていた。
「まずは索敵だな」
霧島が小型の魔力計測板を起動する。
朱音は木剣を構え、神崎は前へ出た。
「九条、後ろ頼めるか?」
「ああ」
そう答えつつも、奏真はすでに別のものを見ていた。
通路の右壁。
うっすらと残る魔力の擦れ跡。
足元、三歩先の石板の色の違い。
「左は行かないほうがいい」
全員が振り向く。
「なんでだ?」
朱音が怪訝そうに聞いた。
「壁に術式の擦れ跡があります。たぶん幻惑系。あと、左の三枚目の石板、踏むと連動します」
霧島がすぐに計測板を向けた。
数秒後、珍しく目を見開く。
「……反応あり。微弱だが確かに幻惑術式が残ってる」
「は?」
朱音が石板を見下ろす。
神崎は苦笑とも感心ともつかない顔をした。
「お前、マジでなんなんだよ」
「俺が聞きたい」
結局、彼らは奏真の言葉通り左を避けて進んだ。
しばらくして前方に現れた封印扉も、霧島の解析より先に奏真が中央紋様のズレを見抜いた。
「これ、右上の印が逆です。たぶん、回す順番じゃなくて閉じる順番が鍵になってます」
半信半疑で神崎が印を押し込む。
鈍い音とともに扉が開いた。
「本当に開いた……」
「すげえ」
「いや、ほんとに何なんだよお前」
神崎は笑っていた。
レティシアもどこか安心したような顔をしている。
朱音だけが少し面白くなさそうに口を引き結んでいた。
「補助要員のくせに、前衛より役に立ってるじゃない」
棘のある言い方だった。
神崎が「朱音」とたしなめるが、朱音は肩をすくめる。
「事実でしょ。だったら最初からそういう扱いにすればいいのに」
その一言で、場の空気が少しだけ凍った。
それは奏真が感じていた不満に、あまりにも近かったからだ。
霧島が静かに言う。
「だからこそ簡単に前へ出せないんだろう」
「どういう意味?」
レティシアが聞く。
「……さあな」
霧島はそこで言葉を切った。
だが、その目だけはずっと奏真を見ていた。
結局、模擬探索は成功扱いで終わった。
訓練場に戻ると、待機していた騎士たちが結果を聞き取り、神官が記録を取っていく。
神崎は勇者として前へ呼ばれ、戦闘団の代表として報告を求められた。
「封印扉の解除と罠回避も問題なく行えたか」
「はい。全員のおかげで——」
神崎がそう言いかけたところで、騎士団長が満足げにうなずいた。
「良い。勇者殿は状況把握も早い」
まただ、と奏真は思った。
神崎が訂正する隙すらなく、功績が“勇者の統率力”へ変換されていく。
周りもそれを当然のように受け入れる。
その時、騎士団長の隣にいた神官長が、奏真へ一瞬だけ視線を向けた。
冷たい目だった。
評価ではない。
確認だ。
——やはり有用か。
そんな無言の声が聞こえた気がした。
訓練終了後、クラスメイトたちはそれぞれの部屋へ戻っていった。
神崎は途中まで一緒に歩きながら、少し言いづらそうに口を開く。
「……今日は悪かった」
「何が」
「いや、さっきの報告。俺、ちゃんと九条のこと言おうとしたんだけど」
「でも、言う前に終わった」
「そう」
神崎は苦い顔をした。
「なんか、あの人たちの中ではもう“勇者が全部まとめてる”って形ができてる気がする」
「できてるだろうな」
「俺、それ嫌なんだけど」
その言葉に、奏真は少しだけ足を止めた。
神崎の顔は本気だった。
少なくとも今は、そう見える。
「じゃあ次からは、ちゃんと止めろよ」
「……うん」
「俺は別に目立ちたいわけじゃない。でも、俺がやったことまで全部誰かのものになるのは嫌だ」
言ってから、少しだけ驚いた。
こんなにはっきり口にしたのは初めてかもしれない。
神崎はしばらく黙って、それから小さくうなずいた。
「わかった」
そこで別れたあと、奏真はひとりで廊下を歩いた。
窓の外には夕焼けが広がり、王城の白い壁を橙に染めている。綺麗だと思う余裕は、あまりなかった。
今日わかったことは多い。
自分は物や術式の“歪み”を見抜ける。
結界や魔石や罠の異常が、理由はわからないがなんとなくわかる。
そして、その有用さを王国側も気づき始めている。
なのに扱いは雑用係のままだ。
いや、だからこそ雑用係に置かれているのかもしれない。
近くに置いて、便利に使えて、目立たせず監視もしやすい立場。
「……最悪だな」
誰もいない廊下で、ぽつりと呟く。
部屋に戻る前、奏真はもう一度だけ訓練場のほうを振り返った。
勇者が前に立つ。
俺は道を開く。
今日だけで、その形がはっきり見えてしまった。
そしてその夜、王城の記録室では。
「模擬探索の封印解除は勇者戦闘団の成果として記録」
書記官が淡々と羊皮紙に記す。
その後ろで、神官長が静かに言った。
「九条奏真の欄には、“結界補助および物資管理に高い適性を確認”とだけ残せ」
「術式看破については?」
「記すな」
「……承知しました」
燭台の火が揺れる。
勇者の名は大きく書かれ、
俺の働きは、補助の一言で片付けられる。
俺が開けた道なのに、
手柄は全部、勇者のものになっていく。
それがこの国のやり方なのだと、まだこの時の俺は、はっきり理解しきれていなかった。




