37.深いところ
ノアに案内されて進むにつれ、奈落の空気はまた変わっていった。
今度は、静かすぎる。
魔物の気配は薄い。
音も少ない。
なのに、逆にそれが不気味だった。
「……嫌な感じするな」
『深度が増しています』
「深度って、そんなゲームみたいな言い方する?」
『現在地の表現として適切です』
奏真はため息をつく。
でも、たしかに言いたいことはわかる。
下へ行っている。
しかも今までとは明らかにちがう層に入っている。
壁の青い線は少なくなり、代わりに黒っぽい石の面積が増えていた。その石の中を、時々だけ細い光が流れる。まるで壊れかけた血管みたいだ。
アリシスが反応する。
区画深度:上昇。
魔力濃度:高。
周辺危険度:高。単独生存非推しょう。
「……単独生存非推しょう、ね」
口に出してから、少しだけ苦笑する。
前なら、そんな情報を見た時点で足が止まっていたかもしれない。
でも今は違う。危険が高いなら高いなりに、どう動くかを考える。
それができるだけでも大きかった。
通路の先に、大きな縦穴が見えた。
完全な穴じゃない。
壁面に足場のようなものがいくつも埋めこまれ、途中に橋みたいな構造が渡されている。かなり崩れているが、元は人が行き来していた場所なのだろう。
「うわ……」
思わず声がもれる。
高い。
いや、深い。
下を見ても、すぐには底が見えない。青白い光がずっと下まで続いていて、その途中でいくつも途切れている。
『旧移動区画です』
ノアが言った。
『崩落により安全性は大きく低下しています』
「渡れるのか」
『慎重に進めば可能です』
慎重に、で済ませる高さじゃないだろ、と内心で思う。
けれど、進むしかない。
アリシスが橋の残がいへ向く。
踏破可能。
中央部損傷大。右縁移動推しょう。
強い衝撃、禁止。
「右縁な」
奏真は呼吸を整えて、一歩目を踏み出した。
橋は思ったより細い。
足を置くたび、かすかに軋む音がする。
下から吹き上がる風が冷たい。
怖い。
でも見えている。
どこが危ないか、どこならまだ耐えるか。
ゆっくり、右側を進む。
半分ほど来た時、ふいに下の暗がりで何かが光った。
赤い。
目だ。
「っ、ノア!」
『確認』
次の瞬間、縦穴の下から細長い影が跳ね上がってきた。
魚みたいな頭に、細い体。
でも脚がある。しかも四本。水中の生き物と地上の獣を無理やり混ぜたみたいな、気持ち悪い形だった。
アリシスが一気に情報を返す。
跳躍型深層魔物。危険度:高。
視界より魔力反応を追跡。
腹部軟。背部硬。
橋上戦、不利。迎撃より回避優先。
「回避!」
奏真は橋の右端に身を投げる。
魔物が中央へ飛びついた瞬間、古い橋が大きく揺れた。
『連続二体』
「まだいるのかよ!」
下の暗がりでもう一つ赤い光が見える。
橋の上で戦うのはまずい。
落ちたら終わる。
だったら――。
「ノア、先行けるか!」
『可能です』
「向こう側まで行って、迎撃位置取ってくれ!」
『了解』
ノアが軽い動きで前へ走る。
奏真もその後を追うが、背後で橋がまた大きく揺れる。二体目が飛びついた。
まずい。
追いつかれる。
アリシスが走る。
右壁面の突起、踏み台可。
一瞬回避可能。
「――っ!」
奏真は橋から少しだけ右の壁へ跳んだ。
足場と言うには小さすぎる突起。でも、一瞬なら乗れる。
二体目の魔物が橋を食い破るように突っこんできた。
その勢いのまま中央部を壊し、足場の一部が崩れる。
奏真はすぐに橋の先端へ飛び戻った。
危なかった。
心臓が嫌な音を立てる。
向こう側へ着地した瞬間、ノアの青い閃光が一体目の横腹へ当たった。魔物の体勢がぶれる。
今だ。
アリシスが示す。
腹部軟。跳躍直後、無防備。
奏真は低く走る。
飛びかかってくる魔物の下へ入りこむように動き、腹へ斜めに切り上げた。
黒い液が散る。
魔物がひっくり返り、壁へぶつかる。
そこへ二体目が来る。
今度は避ける場所が少ない。
けれど、橋上じゃない。
足元を気にせず動ける。
「来い!」
自分でも驚くくらい、声が前に出た。
魔物が飛ぶ。
奏真は半歩だけ引き、ノアの光弾が当たる瞬間を見て踏みこむ。
ぶれた腹。
その一点へ突きこむ。
手ごたえ。
重い悲鳴。
二体目も地面へ落ちて、そのまま動かなくなった。
終わった。
奏真はその場で深く息を吐く。
「……やばかった」
『同意します』
「お前も言うんだな、そういうの」
『状況評価です』
「十分だよ、それで」
奏真は膝に手をついて呼吸を整える。
さっきまでの自分なら、あの橋の上で完全に終わっていたかもしれない。
でも今は、危ないとわかったうえで動けた。壁の突起も、回避の順番も、迎撃の位置も、全部ちゃんと見ていた。
奈落は深くなるほど危険だ。
けれど、それでも前へ進めている。
その事実が、少しだけ嬉しかった。




