32.もう一度、立つ
光の火花を三回、四回と出せるようになった頃には、奏真の額にはうっすら汗が浮かんでいた。
大した規模じゃない。
けれど、想像以上に神経を使う。
「……地味に疲れるな、これ」
『繊細な制御が必要なためです』
「その説明も、もうちょいこう……」
『わかりやすく言うと?』
「慣れてない筋肉を使ってる感じ」
『近いです』
「近いのかよ」
思わず苦笑する。
青白い光柱の前から下がり、奏真は壁にもたれた。
息は少し上がっている。身体の傷もまだ痛む。けれど、不思議と気分は悪くなかった。
できなかったことが、一つできるようになった。
それだけで、奈落の空気が少しだけ変わって見える。
『本日はここまでが適切です』
「さすがにそうか」
『この状態で深部行動を続けると、判断精度が低下する可能性があります』
「それは困るな」
判断精度。
前ならそんな言葉、自分には関係ないと思っていた。
でも今は違う。
アリシスで見て、少しだけ魔法に触れて、自分が“何を見てどう動くか”で生き残りが変わるのを知った。
その意味で、無理をしないのも立派な判断だ。
奏真は腰に差していた金具の武器を抜き、改めて見た。
短剣とも呼べない、ただの細長い金属片。
握りやすいように布を巻いたが、見た目はひどいものだ。
そこでふと思いついて、アリシスに意識を向ける。
視線を武器へ落とす。
金属留め具。耐久:低。
打撃・差し込み用途に限定すれば使用可。
左側先端部、微細な曲がりあり。
「……そこまでわかるのか」
言いながら、指先で先端を確かめる。
たしかに少し曲がっていた。
見逃すほどじゃない。でも、気づかなければそのまま使っていただろう。
『武器を選ぶ際にも有効です』
「便利だな、お前」
『あなたの権能です』
「そうなんだけどな」
まだ自分のものって感じが薄い。
《奪還の王》も、アリシスも、奈落に落ちてから急に“近くなった”力だ。前から持っていたはずなのに、今のほうがずっとはっきりしている。
地上では、あんなに鈍かったのに。
そう思った瞬間、神崎の顔が頭に浮かんだ。
勇者。
王国の中心。
選ばれた側。
自分はずっと後ろから支える側で、それでいいと思っていた。
でも、もし最初から何もかもが歪んでいたのだとしたら。もし“正しい役割”だと思っていたもの自体が、誰かに都合よく作られた形だったのだとしたら。
「……やめだ」
奏真は小さく首を振る。
考えても、まだ答えは出ない。
神崎の理由も、王国や教会の本音も、今の自分には見えないままだ。
それでも前と違うのは、そこで立ち止まらなくなったことだった。
「ノア」
『はい』
「この近くで、武器になりそうな物ってあるか」
ノアは少しだけ考えたあと答えた。
『補助作業区画に破損器具の保管棚があります。完全な武装は期待できませんが、現在より適した物を得られる可能性はあります』
「今よりましなら十分だ」
奏真は立ち上がった。
身体はまだ重い。
でも、前みたいな“ただ立ってるだけで精一杯”って感じじゃない。痛みの場所も、無理をしたらまずい動きも少しずつわかるようになってきた。
自分の状態を見て、直して、動く。
それが少しずつ形になってきている。
ノアの案内で入った補助作業区画は、前に見た場所より狭かった。壁際の棚に、細い棒状の道具や、割れた刃、金具、輪、板のようなものが並んでいる。
奏真はその前に立ち、一つずつ目を向けた。
アリシスが順番に答える。
外殻除去具。武器転用可。
固定杭。重量大。使用非推しょう。
短刃破損品。補修前提。
細身操作棒。耐久不足。
「……どれも微妙だな」
『“今よりまし”という条件であれば、最初の器具が適しています』
ノアの視線の先には、細長い金属器具があった。
本来は何かを削るための道具らしい。片側がやや鋭く、もう片方は握りやすく太くなっている。完全な武器ではない。でも今の金具よりは明らかに使いやすそうだ。
奏真はそれを手に取る。
少し重い。
けれど、そのぶん振った時の手ごたえはある。
アリシスが補足する。
近接対応:可。耐久:中。
刺突・打撃、両対応。
「……よし、これでいくか」
腰の金具と比べてみて、奏真はうなずいた。
何でもいい。
少しでも生き残る確率が上がるなら、今の自分には十分すぎる。
武器を持ち替えたその瞬間、妙な実感が湧いた。
もう一度、立てるかもしれない。
落とされたままじゃなく、奈落の底で自分の足で。
大げさな決意じゃない。
でも、確かにそう思えた。
「……前よりは、ましだ」
ぽつりとこぼれる。
『何がですか』
「全部だよ。武器も、見えるものも、俺も」
そう言うと、ノアは少しの間黙っていた。
『肯定します』
「お前、それ便利な返事だな」
『事実を述べています』
「まあ、そうか」
奏真は新しい武器を腰へ差した。
怖さはまだある。
奈落の底は相変わらず死に近い。
神崎の理由もわからない。
王国と教会が何をしていたのかも、まだ全然足りない。
でも、何も持っていなかった時とは違う。
見えるものがある。
選べる武器がある。
案内してくれるノアがいる。
そして、自分で進もうとする意思もある。
「……行こう」
その一言は、前よりずっと自然に出た。




