31.最初の理
水と食べられる物を少しだけ確保したあと、奏真は保全区画へ戻ってきた。
量は多くない。
でも、ないよりずっといい。
乾いた菌糸を数口。
飲める水を少し。
それだけで頭の重さが少しだけましになる。
「生き返る、は言いすぎだけど……ちょっとは楽だな」
台に腰かけながらそう言うと、ノアが静かに答えた。
『生命維持効率は上がっています』
「言い方は相変わらずだな」
『改善努力は継続中です』
「そこはちゃんと続けてるのかよ」
思わず笑ってしまう。
奈落の底でこんなやり取りをしてるのは変な感じだ。
でも、その変さが今はありがたかった。
張りつめっぱなしだと、そのうち心まで先に折れる。
少しでも言葉を交わせる相手がいるだけで、ずいぶん違う。
奏真は飲み水の残りを見てから、小さく息をついた。
「……で、次は?」
『あなたが望むなら、基礎動作の補助は可能です』
「基礎動作?」
『魔力操作です』
その言葉に、奏真は少しだけ眉を上げた。
「いきなり来たな」
『来てはいけませんか』
「いや、そういう意味じゃないけど」
少し考える。
今までも《奪還の王》は動いていた。
アリシスも勝手に目覚めた。
でも、“自分の意思で何か新しいことをやる”となると話は別だ。
正直、怖さはある。
今の自分はまだ万全じゃないし、奈落での失敗はたぶんそのまま死につながる。
けれど同時に、必要なのもわかっていた。
この先を進むなら、今のままじゃ足りない。
「……やる」
『了解しました』
ノアは部屋の中央にある光柱のそばへ移動した。
『ここに来てください』
奏真も立ち上がってその前に立つ。
青白い光は近くで見ると、ただの柱じゃなかった。細かい線が何重にも重なって、ゆっくり回っている。見ているだけで、空気の流れまで変わる気がした。
『難しく考える必要はありません』
「お前に言われると難しく聞こえるんだけど」
『調整します。……深呼吸してください』
「そっちのほうがわかりやすいな」
言われた通り、奏真は息を吸って吐く。
『次に、自分の中にある熱を意識してください』
熱。
《奪還の王》のことだろう。
胸の奥。
心臓より少し深いところにある、あの脈打つ感じ。
奏真は目を閉じる。
いる。
ずっと前からそこにあった。
地上では、違和感みたいなものとしてしか感じられなかった力。奈落に落ちてから、それははっきり輪郭を持ち始めた。
『その熱を、無理やり動かさないでください』
「難しいこと言うな……」
『では、押すのではなく、流れを見るつもりで』
流れを見る。
その言い方は少しわかりやすかった。
押すんじゃない。
引っ張るんじゃない。
どこへ流れたがっているかを見る。
アリシスが反応する。
胸部中心。魔力収束。
右腕側へ流出傾向。
外部接続可能性:前方。
前方。
奏真はゆっくり目を開けた。
光柱の中に、細い線が見える。
いや、見えている気がする。光の流れだ。柱の内側をらせんみたいに回り、空気の中へほどけていく。
「……これ、か」
『見えていますか』
「たぶん」
『十分です。その流れと、自分の中の熱を重ねてください』
「言うのは簡単だな」
『実行はあなたです』
「知ってるよ」
奏真はもう一度集中する。
胸の中の熱。
光柱の流れ。
似ているようで違う二つを、無理やりじゃなく近づける。
じわ、と指先が熱くなった。
「っ……」
右手の先に、小さな光が散った。
火花みたいな、でも火とは違う淡い青い光。
一瞬だけ浮かんで、すぐに消える。
ほんの一瞬。
けれど、たしかに出た。
「……今の」
『成功です』
ノアの声は相変わらず淡々としている。
でもその一言が、妙に胸に響いた。
成功。
奏真は自分の右手を見る。
震えていた。
でも怖さだけじゃない。驚きと、少しの高ぶりが混ざっている。
「これ、魔法か?」
『極小出力ですが、はい』
「いや……あっさり言うなよ」
思わず苦笑がこぼれる。
魔法。
異世界に来てから、ずっと当たり前みたいに周りが使っていた力だ。自分は補助要員で、直接そういう力を振るう側じゃないと思っていた。
でも、今出た。
しかも、詠唱も何もなしで。
『あなたの魔法接続は、一般的な手順と少し異なります』
「また難しい言い方してるぞ」
『普通の人は形を覚えてから流します。あなたは流れを見てから繋いでいます』
その説明は、すっと入ってきた。
たしかにそうだ。
さっきやったのは“呪文を覚える”ことじゃない。流れを見て、そこに自分の熱を重ねた。
アリシスが補助していたのもわかる。
見えていたから繋げた。
見えなかったら、今の一瞬にすら届かなかった。
「……アリシス、か」
ぽつりと奏真は呟く。
『名称設定ですか』
「いや、何となく今しっくりきた」
解析する眼。
見て、知って、繋げるためのもの。
《奪還の王》が返す力なら、これは見る力だ。
「よし。もう一回やる」
『無理は推しょうしません』
「一回で終われるほど器用じゃないんだよ」
奏真はもう一度、光柱へ手を向ける。
一回目より少しだけ要領はわかる。
胸の熱を見て、外の流れを見て、重ねる。
今度はさっきより少し長く、青い火花が手の先に灯った。
ぱち、と乾いた音。
すぐ消えたが、さっきより確実だ。
「……できる」
その一言が、自然に口をついて出た。
強い魔法じゃない。
戦えるようになったわけでもない。
でも、自分の意思で何かを掴んだ感覚がある。
奈落に落ちてから、ずっと“生き延びるため”に動いていた。
けれど今は違う。ちゃんと前に進むための一歩だった。
『今の感覚を記憶してください』
「珍しく先生っぽいこと言うな」
『先生、の定義は不明です』
「今のままのお前でいいよ」
奏真は笑ってから、もう一度右手を見た。
神崎の理由はまだわからない。
王国や教会のことも、まだほとんど知らない。
でも、それでいい。
今は少しずつでいいから、自分の手で前に進めるものを増やす。
見えるものを増やす。
そうやって、知らなかった自分を置いていくしかない。
その小さな決意を胸に、奏真は三度目の火花を灯そうと手を伸ばした。




