30.自分のために
次の区画へ向かう前に、奏真は一度、保全区画へ戻った。
さすがに無理がきていた。
右腕。
脇腹。
肩の切り傷。
足の重さ。
戦えているとはいえ、まともな状態じゃない。
今までなら、たぶん無視していた。
多少きつくても動けるなら動く。
自分が止まるより、全体が進むことのほうが大事。
そういう役回りだったからだ。
でも今は違う。
自分が倒れたら終わる。
誰も代わりに見てくれない。
誰も自分の分まで動いてくれない。
だから、今は自分を後回しにしないほうがいい。
「……これ、ほんと慣れねえな」
ぼそっと言いながら、奏真は台に腰を下ろした。
『何に対してですか』
「自分のために休むこと」
ノアはすぐには答えなかった。
少しだけ間を置いてから口を開く。
『現状、それは合理的です』
「お前、ほんとそこはぶれないな」
『必要な行動だからです』
奏真は小さく笑う。
理屈で言われると、変に納得してしまうのが少し悔しい。
「……よし」
深く息を吸って、ゆっくり吐く。
「自分の状態、もう一回ちゃんと見る」
『推しょうします』
「言うと思ったよ」
奏真は目を閉じた。
意識を自分の中へ向ける。
胸の奥にある《奪還の王》の熱。
その周りに広がる、あの“眼”の感覚。
外じゃなく、自分を見る。
そう意識した瞬間、また情報が流れこんできた。
生命活動:維持。
右上腕部損傷:止血不完全。
右肩裂傷:中。可動制限軽。
脇腹打撲:内部損傷疑い軽。急激なひねり動作非推しょう。
全身疲労:高。短時間休息では完全回復不可。
魔力循環:右腕側で損失多。
「……うわ、細か」
目を開けて、思わずそうつぶやく。
思っていた以上に、ちゃんと見える。
どこが悪いのか。
どこまで無理すると危ないのか。
それは正直、少し怖かった。
でも同時に、すごくわかりやすい。
あいまいな不安じゃない。
現実として、どこがきついのか見えている。
奏真は右腕の布をほどき、巻き直した。今の巻き方だと少しずれている。締めすぎてもよくない。逆にゆるいと血がにじむ。
アリシスがまた補足する。
圧迫位置、やや上方推しょう。
「そこまで出るのかよ……」
半分あきれて、半分助かる。
言われた通り少しだけ上にずらして巻き直すと、さっきよりも腕の重さがましになった。
次に肩。
軽く動かしてみる。鋭い痛みはない。なら、振るえる。けど大きな動きは続けないほうがいい。
脇腹はもっと厄介だ。
ここは無理をすると一気に悪くなりそうだった。
「……ほんと、危ないとこばっかだな」
『それでも行動可能範囲です』
「そういうとこ、ちょっと励ましみたいでむかつくな」
『励ましの意図はありません』
「わかってるよ」
わかってるけど、今はそれが少しありがたかった。
奏真は壁にもたれ、ぼんやりと光柱を見る。
自分のために、自分を見る。
自分のために、休む。
自分のために、使う。
今までなら、そんなことを考える前に“他に優先すべきこと”を探していた。
神崎が前に立つなら、自分は裏を支えればいい。
勇者が中心なら、自分は足りないところを埋めればいい。
そう思っていた。
でもその結果が、奈落だ。
知らないまま使われて、知らないまま落とされた。
だったらもう、前と同じやり方では駄目だ。
「……自分でやるしかない、か」
小さく出た言葉は、思っていたより重かった。
神崎の理由はまだわからない。
王国と教会の考えも、まだ全部は見えていない。
でも一つだけ、前よりはっきりしたことがある。
もう自分は、“誰かの正しさについていく側”じゃない。
自分で見て、自分で決めて、自分で進むしかない。
そのために必要なら、自分を生かすために力を使う。
休む。
傷を見る。
生きるための判断をする。
それは少しだけ、今までの自分を裏切るみたいな感じもあった。
けれど、それでいいのかもしれない。
「……ノア」
『はい』
「俺、たぶん今まで、自分のために力を使うのが下手だった」
『その可能性は高いです』
「即答だな」
『観測結果に基づく判断です』
奏真は苦笑した。
否定されない。
ごまかされない。
そこが妙に楽だった。
「でも、ここじゃそれじゃ死ぬんだろ」
『はい』
「だったら、変わるしかないか」
その言葉を口にした時、胸の奥が少しだけ静かになった。
大きな決意とかじゃない。
叫ぶほどの熱でもない。
ただ、やっと足の向きが決まったような感覚だった。
神崎の理由を待たない。
王国や教会の答えを待たない。
自分で進む。
そのために、自分を生かす。
奈落の底でようやく、そう決められた気がした。
『次の行動はどうしますか』
ノアの問いに、奏真は少しだけ考える。
身体はまだ痛い。
けど、休んだ。傷も巻き直した。動ける範囲も見えた。
なら、もう十分だ。
「食える物と、水の確保。それと、この近くの安全な通路の確認」
『了解しました』
「それが終わったら、もっと奥を見る」
『推しょうします』
「お前、ほんとその言葉好きだな」
『効率的です』
「はいはい」
立ち上がる。
まだ痛い。
でも、さっきまでとは少し違う。
痛みを抱えたままでも、どう動くかがわかっている。
それだけで、恐さは少し小さくなる。
奏真は光柱を一度だけ見てから、ノアの後を追った。
奈落の底で、少しずつ見えるものが増えていく。
食える物。
危ない場所。
術式のゆがみ。
古い施設。
そして、自分自身のこと。
まだ神崎の理由は見えない。
でも、それでもいいと思えた。
わからないなら、先へ行く。
その先で拾う。
何も知らずに落とされたままで終わるくらいなら、そのほうがずっとましだった。




