29.歪んだかたち
観測窓から戻ったあとも、奏真の頭の中にはあの景色が残っていた。
奈落の底に広がる古い管理域。
崩れていてもなお整っていた構造。
王国や教会の施設とはまるでちがう空気。
何より引っかかったのは、“きれいだった”ことだ。
捨て場のはずなのに。
隠された場所のはずなのに。
そこには地上で見てきたどんな封印や結界よりも、“本来そうあるべき形”みたいなものがあった。
それがずっと頭に残る。
「ノア」
『はい』
「前に言ってたよな。王国や教会の術式は、本来の形からずれてるって」
『はい』
「どうずれてるんだ」
ノアは少しだけ考えるように黙った。
『一言で表すなら、目的が変わっています』
「目的?」
『本来の術式は、維持、防護、循環、調整のためのものが多い』
「うん」
『現行王国式・教会式は、拘束、上書き、制限、従属補助の比率が高い』
奏真はゆっくり息を吐いた。
わかりやすい。
そして、嫌になるくらいしっくりくる。
王国の結界は、いつも重かった。
便利で強いと思っていたけど、あれは“守る”より“閉じこめる”に近かったのかもしれない。
教会の祈りも同じだ。
救うように見えて、その実、ふるいにかけている感じがあった。
「……つまり、元はもっと別の使い方をする力だったってことか」
『その可能性が高いです』
アリシスがそこへ重なる。
壁面の線。
保全区画の術式。
王国で見た結界札の形。
頭の中でそれらが重なり、差がはっきりしていく。
本義:防護。現用途:拘束補助。
本義:維持。現用途:封鎖制御。
本義:循環調整。現用途:権限制限。
「……見えてきた」
自然とそんな言葉が出る。
前は“何か変だ”くらいだった。
でも今は違う。どこがどう変なのか、少しずつ線になってわかり始めている。
王国と教会は、元からある力をそのまま使っていない。
自分たちに都合がいいように、形を変えて使っている。
それはつまり、世界の中にある“正しさの形”そのものを書き換えているってことだ。
そこまで考えた時、奏真の中でまた神崎の顔が浮かぶ。
神崎は勇者だ。
王国と教会に選ばれて、前に立つ役だった。
もし勇者の力すら、最初からねじ曲げられていたら。
もし神崎が信じていた正しさそのものが、最初から作られたものだったら。
「……いや」
奏真は小さく首を振る。
そこを混ぜるのは、まだ早い。
神崎が利用されていたとしても、落としたのは神崎自身だ。
そこはごまかせない。
でも同時に、“神崎が最初から何もかも自分の意思でやった”と言い切るには、何かが多すぎる気もした。
違和感。
王国の目。
教会の空気。
レティシアの顔。
紘川の不安。
全部が重なりすぎている。
「……気持ち悪いな」
思わずそう漏らす。
『どの要素に対してですか』
「全部だよ」
奏真は壁にもたれた。
「神崎が俺を落としたのは事実だ。そこはもう変わらない。でも、その理由を“ただあいつがクズだったから”で片づけるには、周りがうるさすぎる」
自分で言っていて、少しだけすっきりする。
そうだ。
いちばん引っかかっているのはそこだった。
神崎個人の問題だけじゃ、どうしても足りない。
でも構造だけの問題でもない。
その間のどこかに、本当の理由がある。
『理解を進めるには情報が不足しています』
「だよな」
奏真は苦笑した。
答えが出ないのは当然だ。
情報が足りない。知らないことが多すぎる。
そしてその“知らなさ”こそが、一番腹立たしかった。
知らないまま働いて、知らないまま支えて、知らないまま落とされた。
そう思うと、怒りより先に空っぽな感じが広がる。
「……何も知らされてなかったんだな、俺」
ぽつりとこぼすと、ノアはその言葉を否定しなかった。
『現状、その認識は妥当です』
「妥当、ね」
悲しくなるくらい正しい返事だった。
けれど、だったら今から知ればいい。
地上で知らされなかったものを、奈落の底で拾えばいい。
少なくとも今、自分にはそのための眼がある。
見る力がある。
その時、通路の向こうからかすかな振動が伝わった。
どん、と低い音。
何か大きなものが遠くで動いたような、そんな感じ。
アリシスが反応する。
深部より振動。
旧制御系または大型個体反応の可能性。
現位置への直接影響:低。
「……大型個体って、でかい魔物か?」
『可能性はあります』
「可能性ばっかりだな」
『断定は誤差を生みます』
「正しいけど、今はちょっと腹立つな」
奏真がそう言うと、ノアはほんの少しだけ目を細めた。
笑ったわけじゃない。たぶん。けど、何となく空気がやわらいだ気がした。
「でもまあ、いい。今はそっちじゃない」
奏真は観測窓とは反対側の通路へ目を向ける。
「他にも見られる場所、あるんだろ」
『あります。近接作業区画、封圧補助通路、保全接続部』
「じゃあ、行こう」
もう立ち止まる理由はない。
神崎の理由はまだわからない。
でも“わからないまま”にしていたら、また同じことになる気がした。
だから見る。
知る。
少しずつでも、ちゃんと。
それが今の奏真にできる一番まっとうな反撃だった。




