28.古い光
休息区画を出た先の通路は、さっきまでよりずっと静かだった。
魔物の気配がない。
土のにおいも薄い。
代わりに、壁の中を流れる青白い線が一定のリズムで明滅していて、空気まで整えられているように感じた。
「……ほんと、別の場所みたいだな」
奏真がつぶやくと、前を歩くノアが答える。
『同一奈落下層内ではありますが、用途が異なります』
「用途、ね」
その言葉にアリシスが反応する。
保全。維持。循環補助。
今まで見てきた王国の施設なら、もっと違う言葉が浮かんでいた気がする。
拘束。
制御。
制限。
そんな感じだ。
それだけでも、ここが“同じ術”の先にあるものとは思えなかった。
通路の先に、小さな部屋があった。
壁一面に細い線が走り、中央には円形の台。その上に、砕けかけた板のようなものが載っている。近づくと、青白い文字が一瞬だけ浮かんだ。
「……これも動いてるのか」
『低出力ですが、機能の一部は維持されています』
奏真はそっと台に手を置く。
その瞬間、アリシスが走った。
補助術式盤。
本義:流量調整。
現状態:分断。
外部強制接続痕なし。
「本義、またそれか」
『重要な概念です』
「本来の意味、だっけ」
『はい』
奏真は板を見下ろす。
流量調整。
たぶん魔力の流れを整えるためのものだろう。押さえつけるんじゃなく、通りやすくする。そういう感じが、何となく伝わってくる。
その感覚が新鮮だった。
王国や教会の術具は、もっと苦しかった。便利ではあっても、どこかで無理やり押し込めている感じがあった。けれどここにあるものは違う。すっと通る。整える。助ける。
「……きれいだな」
思わず出た言葉だった。
ノアが少しだけこちらを見る。
『肯定します』
「肯定って」
『あなたの感想は概ね正しいです』
「そういう意味じゃないんだけどな……」
でも、悪い気はしなかった。
奏真は板から手を離し、部屋を見回す。
青い光。
白い壁。
壊れてはいるのに、なお整っている形。
ここには、王国や教会の施設で感じる息苦しさが薄い。
そのことに気づいた瞬間、奏真は自分がずっとどこかで息をこらえていたような感覚を思い出した。
召喚されてからずっと、心のどこかが落ち着かなかった。
感謝されていても、必要とされていても、どこか噛み合わない感じが残っていた。
今思えば、それは力の相性だったのかもしれない。
《奪還の王》は、奪われたものを返す力だ。
歪んだものを正す力だ。
そんなものが、“都合よく支配したい側”の作った場に合うはずがない。
そこでまた、神崎のことが浮かんだ。
神崎は勇者だった。
王国と教会に選ばれた中心だった。
その神崎が、自分を落とした。
どうして。
まだわからない。
でも少なくとも、自分と神崎が“同じ正しさ”を見ていなかったのは、もう間違いなかった。
「……なあ、ノア」
『はい』
「勇者って……本来は、どういうものなんだ」
聞いたあとで、自分でも少し驚いた。
いきなり答えが返ってくるとは思っていない。
でも聞かずにはいられなかった。
ノアは少しだけ間を置いた。
『記録欠損が多く、断定は困難です』
「そうだよな」
『ただし、“排除と支配”を主目的とする権能ではなかった可能性が高いです』
その返事に、奏真はしばらく何も言えなかった。
やっぱり、と思う部分があった。
そして同時に、ぞっとする気持ちもあった。
神崎が持っていた勇者の力。
王国が持ち上げ、教会が正しいとしたその力。
それすらも、本当の形じゃないのかもしれない。
「……何もかも、違って見えてくるな」
『情報の更新が進んでいるためです』
「便利な言い方するよな、お前」
ノアは答えなかった。
その代わり、部屋の奥の細い通路へ視線を向ける。
『この先に観測窓があります。現状の理解に有用と思われます』
「有用、ね。行こう」
奏真はうなずき、ノアの後を追う。
観測窓と呼ばれた場所は、壁の一部が透明な膜でおおわれた小さな区画だった。ノアが触れると膜が薄れて、向こう側の景色が見える。
奏真は息をのんだ。
広い。
奈落の下に、こんな空間が広がっているなんて想像もしなかった。
巨大な空洞の壁面に、いくつもの人工構造が埋めこまれている。橋のような通路。崩れかけた塔。青白い光の柱。足場のように浮かぶ板。ずっと下まで、まるで地下都市の残がいみたいに続いていた。
「……何だよ、これ」
『旧管理域の一部です』
「奈落の底って、こんなのがある場所だったのか」
『現地上勢力の認識とは大きく異なる可能性があります』
だろうな、と奏真は思う。
王国や教会がこんな場所を好きに出入りできているなら、わざわざ“捨て場”みたいな使い方をする意味がわからない。たぶん、全部を支配できているわけじゃない。あるいは、知っていても都合の悪い部分を隠している。
どちらにせよ、地上で信じられている奈落の姿は本物じゃない。
アリシスがまた反応する。
未解明構造多数。
進行価値:高。
制御核反応あり。
「進めって言ってるみたいだな」
『概ねそう解釈して問題ありません』
奏真は少しだけ笑った。
この眼は、ほんとうに遠慮がない。
こっちの体力も気持ちも関係なく、必要な情報だけをどんどん押しこんでくる。
でも今は、それがありがたかった。
神崎の理由はまだ見えない。
王国と教会の思わくも、まだ全部はつかめていない。
けれど少なくとも、ここには“知らなかったもの”がある。
地上では見えなかった形がある。
だから進む意味がある。
観測窓の向こうの古い光を見つめながら、奏真は静かに拳をにぎった。




