27.名前のない案内役
名前のない案内役
ノアに案内された部屋は、小さな休息区画だった。
壁は白っぽい石でできていて、床は乾いている。奈落に落ちてから見た場所の中では、信じられないくらいまともだった。中央には青い光の柱、その横に平たい台が一つ。寝るには固いが、今の奏真には十分すぎる。
「……すげえな、ここ」
『最低限の保全区画です』
「最低限でこれかよ」
ぼやきながら台に腰を下ろす。
体の力が抜けた。
痛みは消えない。けど、さっきまでの通路や捨て場に比べたら天国みたいなものだ。
ノアは少し離れた位置で止まり、こちらを見た。
『質問があるなら受理可能です』
「受理って言い方、ほんと固いな……」
『改善を試みます』
「できるのか」
『努力します』
真顔で返されて、奏真は思わず少しだけ笑った。
奈落の底で笑うなんて変な話だ。
でも、笑えるだけ少し楽になってるのも事実だった。
「じゃあ聞くぞ。まず一つ」
奏真は自分の頭を軽く指で叩く。
「この変な眼みたいなの、何かわかるか」
ノアは少しだけ間を置いた。
『《奪還の王》に付属する解析補助権能である可能性が高いです』
「解析補助……」
『対象の状態、危険度、価値、構造、用途を読み取る補助系統です』
やっぱりそういうものか、と奏真は息を吐く。
毒かどうか。
食えるかどうか。
魔物の弱点。
術式の状態。
今までの動きを思い返すと、言われた内容はかなりしっくりきた。
「急に出てくるのは普通なのか?」
『極限環境下では権能覚醒率が上昇します』
「つまり、奈落に落ちて死にかけたからってことか」
『否定しません』
何とも言えない気分になる。
最悪のタイミングで目覚めた新能力。
でも、そのおかげで今こうして生きている。
「……便利だけど、頭痛くなるんだよな」
『情報量過多による負荷です。慣れと制御で軽減可能です』
「慣れろって言うのか……」
『現状、それが最適です』
あまりに当然のように言われて、奏真は苦笑するしかない。
それから少しだけ真面目な顔に戻った。
「お前は何なんだ。さっき管理補助個体とか言ってたけど」
『本施設群の維持、監視、補助を行う個体です』
「人じゃないのか?」
『定義によります』
「ずるい答え方するな」
『より正確です』
そう返されると、たしかにそうかもしれないと思ってしまうのが悔しい。
ノアは人に見える。
でも人そのものかと言われると、やっぱり違う。動きも言葉も、感情の薄さも。
「……で、なんで俺を“本来の主候補”とか言ったんだ」
その問いに、ノアの目が少しだけ細くなった。
『《奪還の王》は本施設の上位認証系統と強い接続性を持ちます』
「つまり?」
『あなたの権能は、本施設の本来の機能と相性が良いということです』
奏真は黙った。
本来の機能。
本来の意味。
さっきからこの施設は、そればかりを思わせる。
王国や教会が使っていたものは、もっと重かった。押さえつける感じがあった。けれどここにはそれが少ない。支配じゃなく、保つための形に見える。
だったら、《奪還の王》がここに反応するのも不思議じゃないのかもしれない。
……いや、まだわからないことだらけだけど。
「王国や教会の術式は、本来の形じゃないんだよな」
『はい。改変率が高いと判断されます』
「何のために」
『管理しやすくするためです』
あまりにもあっさり言われて、逆に返す言葉を失った。
管理。
その言葉が、胸の奥にいやな形で残る。
勇者。
神託。
封印。
人の生き方まで。
あの連中は全部を“管理しやすい形”にしたいのかもしれない。
そう思った瞬間、神崎の顔がまた浮かんだ。
神崎も、その中にいた。
それは間違いない。
でも、だからってあいつが自分を落とした理由までは、まだはっきりしない。
利用されたのかもしれない。
けど、押したのは神崎だ。
その事実だけが重く残る。
「……っ」
無意識に、右手に力が入る。
ノアがすぐに口を開いた。
『感情変動により解析補助の精度がわずかに低下しています』
「そこまでわかるのかよ」
『見えています』
奏真は小さく息を吐いた。
怒りや混乱が、この眼のじゃまをする。
つまり今の自分には、感情をそのままぶつける余裕すらない。
それが少しだけ腹立たしい。
でも、たぶん必要なことなんだとも思う。
「……今はいい」
そう言って、奏真は壁にもたれた。
「神崎のことは、今ここで答えが出るわけじゃない」
『妥当な判断です』
「お前、そういう時だけ素直だな」
『判断が明確だからです』
「はいはい」
会話が終わると、部屋に静かな時間が落ちる。
奈落に落ちてから初めてだった。
完全にではないにしろ、すぐ死ぬかもしれないって焦りを少しだけ外に置けたのは。
ノアがいるからだろう。
奇妙な存在だし、まだ信用しきったわけじゃない。けど少なくとも今は、自分を切り捨てる側じゃない。
それだけで十分だった。
しばらくして、奏真はもう一度口を開く。
「この先、何がある」
『近接区画には補助術式盤、制御板、保全通路が存在します』
「危険は?」
『低くはありません。ただし現在のあなたでも対処可能な範囲が多い』
「今の俺でも、か」
その言葉が少しだけ嬉しかった。
前の自分なら、“無理です”で終わっただろう。
でも今は違う。
奈落の底で、生き残るために少しずつ見えるようになって、少しずつ戦えるようにもなっている。
「……行くか」
『はい』
奏真は台から立ち上がった。
まだ痛い。
でも進める。
神崎の理由はまだわからない。
王国と教会が何をどこまで隠していたかも、まだ見えない。
けれど、自分は今ようやく“知らなかった側”から抜け出し始めている。
それが少しだけ、胸を軽くした。




