25.見える流れ
通路を進むほど、空気が変わっていった。
湿った土のにおいはまだある。
けれど、それだけじゃない。どこか鉄っぽいにおいと、冷たい水の気配。それに、言葉にしづらい“流れ”みたいなものがある。
見えないのに、わかる。
「……またか」
奏真は小さくつぶやく。
目の前の岩壁。
足元の割れ目。
奥の暗がり。
そこにある危なさや、逆に通れる場所が、考える前に頭へ入ってくる。
左壁沿い進行推しょう。
中央部、足場もろい。
前方生体反応あり。
生体反応。
その言葉に、奏真は足を止めた。
暗がりの奥で、何かが動く。
長い。細い。地面をするように進んでくる。
青白い光が少し当たって、その姿が見えた。
蛇みたいな体。
でも途中にいくつも節があって、その節ごとに短い脚がついている。見るだけでぞわっとする見た目だった。
その瞬間、アリシスがまた走る。
節足型奈落魔物。危険度:中上。
外殻硬質。正面打撃非効率。
節間部脆弱。頭部下側感覚器あり。
突進前兆:前部浮上。
「……そこまで出るのかよ」
思わずそうこぼれた。
危ない。
でも、見えている。
どこが硬いのか。
どこが弱いのか。
どう動くのか。
それが最初からわかっているだけで、恐さの質が少し変わる。
魔物が頭を持ち上げた。
来る。
奏真は反射的に横へ飛ぶ。
次の瞬間、さっきまでいた場所の岩が砕けた。
「っぶな……!」
まともに食らってたら終わってた。
けれど、避けられた。
見えていたからだ。
節足の魔物が体をくねらせ、また向き直る。
今度は距離を取らず、奏真は相手をぎりぎりまで引きつけた。
怖い。
でも、前よりはわかる。
頭が上がる。
体がしなる。
そこで、半歩だけずれる。
すれ違いざまに金具を振り下ろし、節と節のつなぎ目を狙う。
がつ、と重い音。
硬い。けれど、さっきの岩を殴った時とは手ごたえが違う。
魔物が甲高い声を上げて体をよじる。
「そこか!」
今度は頭の下。
アリシスが示した感覚器の場所へ叩きこむ。
節足の魔物は大きくぶれ、そのまま壁へ激突した。
倒しきれてない。
でも動きがにぶった。
奏真は息を整えながら間合いを取り直す。
勝てるかもしれない。
その感覚に、自分でも少し驚く。
奈落の底で、こんな見た目の化け物相手に、“勝てるかもしれない”なんて思える日が来るとは思わなかった。
魔物がもう一度頭を持ち上げる。
でもさっきより遅い。体の節の一つから、黒っぽい液体がにじんでいる。
移動低下。
核部位未露出。継続戦推しょう。
「推しょう、ね……!」
わざわざ言うなよ、と心の中で悪態をつく。
次の突進は読みやすかった。
奏真は大きく引かず、少しだけ体をずらす。魔物が通りすぎる瞬間、節間部へもう一撃。
今度は深く入った。
魔物が大きくのけぞり、床を打つ。
その勢いで頭の下の殻がずれ、中に黒い結晶みたいなものが見えた。
核部位露出。
「見えた!」
奏真は迷わず踏みこむ。
痛みはある。
足も重い。
けど今は動ける。
金具を両手で握り、露出した黒い結晶へ振り下ろした。
甲高い音が響く。
節足の魔物の体がびくっと跳ね、そのままがくがくとふるえたあと、動かなくなった。
静かになる。
奏真は肩で息をしながら、その場に立ち尽くした。
「……勝った」
誰もいない。
でも、それでもたしかに今のは自分の勝ちだった。
ただ力で押し切ったんじゃない。
見て、読んで、狙って、仕留めた。
その事実が、妙に胸の奥を熱くする。
魔物の死体に近づく。
アリシスがまた反応した。
魔石抽出可。
外殻一部素材利用可。
可食部なし。
「食えないのか……」
ちょっとだけ残念そうに言ってから、自分でも変な気分になって笑いそうになる。
奈落の底で、魔物が食えるか食えないかを気にしてる。
でもそれが今の現実だった。
奏真は黒い結晶――魔石を抜き取る。
手のひらに乗せると、かすかに温かいような、脈打つような感覚があった。
その時、通路の先でまた青白い光が走った。
さっきよりはっきりしている。
線だ。
壁の中を流れるみたいに、細い光が奥へ続いている。
「……まだあるのか」
アリシスが答える。
制御反応継続。
人工術式群存在。
現行王国式と不一致。
王国式と違う。
その言葉に、奏真は何となく息をのんだ。
王国で見てきた結界や封印は、もっと重かった。押さえつけるみたいな圧があった。けど、この先から感じる流れはそれとは違う。もっと静かで、整っていて、無駄が少ない。
妙な言い方だけど、きれいだと思った。
「……元はこっち、なのか」
自分でも何を言ってるのかわからない。
でもそう思った。
地上で当たり前だと思ってたものが、本当は当たり前じゃなかったのかもしれない。
勇者。
教会。
封印。
全部。
そこまで考えて、また神崎の顔が浮かぶ。
最近の神崎は変だった。
それはもうはっきりしてる。
でも、そこから“奈落へ落とす”まで行く理由だけは、まだ見えない。
もし王国や教会が何か吹きこんでいたとしても、それだけで神崎の手が動くとは思えなかった。
じゃあ何があった。
何を見てた。
何を、そんなに。
「……くそ」
答えは出ない。
でも今はそれでいい。
立ち止まって考えても、ここでは死ぬだけだ。
奏真は魔石をしまい、光の走る奥へ進んだ。
その先の壁には、半分埋もれた石板があった。
中央に細い光の線。周囲には見たことのない文字。触れた瞬間、また情報が流れこむ。
制御板。低稼働。
外部認証待機。
現行術式体系と不一致。
「制御板……」
指先に、冷たいのにどこか生きているような感触が残る。
その時だった。
石板の奥、さらに先の暗がりで、白い何かがふっと動いた。
人影みたいに細い。
白い髪か、白い布か。
気のせいと思うには、はっきりしすぎていた。
「……誰だ」
思わず声が出る。
返事はない。
けれど、その白い影は一瞬だけ止まり、それから奥へ消えた。
同時に、通路の先で石がかみ合うような小さな音がした。
ぎ、という音。
奏真は武器を構え直す。
罠かもしれない。
幻かもしれない。
でも、ただの見まちがいじゃない。
この奈落の底には、まだ何かがいる。
捨てられた物だけじゃない。
動いている何かが。
そして、それはたぶん、自分が落とされた理由と無関係じゃない。
そんな根拠のない感覚が、妙にはっきり胸に残った。
奏真は石板から手を離し、白い影が消えた暗がりをまっすぐ見た。
「……行くしかないだろ」
その言葉は、自分を押し出すためのものでもあった。
怖い。
でもそれ以上に、知りたい。
何も知らされないまま落とされた自分が、今ようやく“見る側”に近づいている気がした。
だから進む。




