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信じていた仲間に処分された俺、禁忌スキル《奪還の王》で最強になる ~奪われた力も居場所も、今度は全部取り戻す~  作者: 夜天 颯
第二章 奈落の王

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22. 残った手

右手の震えが、なかなか止まらなかった。


 神崎恒一は、自分の手のひらをじっと見下ろしていた。


 白い。

 少しだけ、血の気が引いている。

 いつもと同じ、自分の手だ。剣を握る手。クラスメイトの肩を叩く手。王国で“勇者の手”と呼ばれたことすらある手。


 なのに今は、それが別のものみたいに見えた。


 押した。


 確かに、この手で押した。


 石台の縁。

 九条の背中。

 一瞬だけ振り向いた顔。

 理解できていない目。

 そして、落ちていく身体。


 そこまで思い出したところで、喉の奥がひどく乾いた。


「……神崎くん」


 か細い声がした。


 振り向くと、レティシアが少し離れた場所に立っていた。顔色はまだ悪い。いや、悪いなんてものじゃない。青ざめている。今にも倒れそうなくらいだ。


 神崎は反射的に口を開く。


「俺は——」


「今は、少しだけ……ひとりにしてあげてください」


 レティシアが言ったのは、自分に向けた言葉じゃなかった。


 背後にいた騎士たちへ向けたものだった。


 騎士団長代理は眉をひそめたが、すぐに神官長のほうへ視線を送る。神官長はわずかに目を細め、それから静かに頷いた。


「勇者殿もお疲れだ。いったん休ませろ」


 口調は穏やかだった。

 だが、その目には何の感情も浮かんでいない。


 神崎はその視線が嫌だった。


 九条が落ちた直後だというのに、あまりにも冷静すぎる。

 驚きも、怒りも、動揺もない。

 最初からこうなることを想定していた人間の目だった。


 そのことに気づいてしまった瞬間、背筋に冷たいものが走る。


 だが、考えないようにした。


 考えたら駄目だ。

 今はまだ。


「神崎くん」


 今度は、もっと近くから声がした。


 振り向けば、紘川芽衣がそこにいた。


 目が合った瞬間、神崎の胸がわずかに浮く。


 けれど次の瞬間、その期待は完全に潰えた。


 芽衣の目には、神崎の知っている色が一つもなかったからだ。


 心配も、困惑も、戸惑いもない。

 あるのは、恐怖と、拒絶と、信じられないものを見る目だけだった。


「……芽衣」


 神崎は無意識に一歩近づこうとした。


 芽衣は一歩下がった。


 それだけだった。

 それだけなのに、心臓を素手で握られたみたいに痛かった。


「今、近づかないで」


 静かな声だった。


 叫ばれたわけじゃない。

 責め立てられたわけでもない。


 なのに、その一言のほうがずっときつい。


「違うんだ、芽衣。俺は——」


「違わないよ」


 芽衣は首を振った。


「見てたから」


 その言葉で、神崎の喉が詰まる。


 見られていた。

 全部。


 自分が九条の背に手をかけた瞬間も、押した瞬間も、落ちていくのを見ていたことも。


「九条くん、神崎くんのこと……最後まで信じてた」


 その言葉は、怒鳴り声よりも鋭かった。


 神崎は何も返せない。


 違う。

 違うんだ。

 そう言いたいのに、何が違うのか自分でもわからなかった。


 九条が最後まで自分を信じていたのは、本当だ。

 だから押せた。

 だから、落ちた。


 そこまで思考が行き着いたところで、胃の底がひっくり返りそうになる。


「芽衣、俺はあいつを——」


「今、その呼び方しないで」


 神崎の言葉はそこで切れた。


 芽衣の声は震えていた。

 でも、その震えは未練じゃない。怒りと恐怖の震えだ。


「神崎くん、自分が何したかわかってる?」


「……わかってる」


「わかってないよ」


 芽衣の目が揺れる。


「わかってたら、そんな顔できない」


 そんな顔。


 神崎は一瞬、自分がどんな顔をしているのかわからなかった。

 泣きそうなのか。怒っているのか。必死なのか。

 たぶん全部だ。


 芽衣はもう神崎を見ていなかった。

 その視線は、奈落の口へ向いていた。


 九条が落ちた暗闇へ。


「……九条くん」


 小さなその声が、やけに遠く聞こえた。


 神崎はそれ以上そこにいられなくなって、ゆっくり背を向けた。


 足元が少し揺れる。

 呼吸が浅い。

 胸の奥に、嫌な重さが沈んだままだ。


 広間を出て、少し離れた細い通路に入る。

 誰もいない。石壁だけが冷たく並んでいる。


 そこでようやく神崎は壁にもたれた。


「……っ」


 吐き気が込み上げる。


 しかし何も出ない。

 ただ喉の奥がひどく苦くて、胃が縮む。


 目を閉じると、九条の顔が浮かんだ。


 驚いていた。

 怒ってはいなかった。

 最後の最後まで、“神崎?”という顔だった。


 それがたまらなく腹立たしくて、たまらなく気持ち悪くて、同時に今になって胸の奥を抉ってくる。


「……なんであんな顔するんだよ」


 誰もいない通路で、神崎は低く呟いた。


 怒鳴る気力もなかった。


 九条はいつもそうだった。


 前に出ない。

 目立たない。

 自分がどれだけ必要か、まるでわかってないみたいな顔をする。


 なのに、気づけば一番面倒なところを全部やっている。

 罠も、結界も、封印も、補給も。

 神崎たちが“勇者戦闘団”として立っていられたのは、結局あいつが裏で全部拾っていたからだ。


 それが最初は、ただの便利さだった。


 助かるな、と思っていた。

 友達として、ありがたいとも思っていた。


 でも異世界に来てから、全部が変わった。


 神崎は勇者になった。


 《勇者》。

 その文字が刻まれた瞬間の高揚は、今でも忘れられない。


 王国の騎士たちが膝をつき、神官たちが頭を垂れ、教会が神託を口にする。

 みんなが自分を見る。

 自分こそが選ばれたのだと、世界そのものに肯定された気がした。


 やっぱり自分は選ばれる側なんだ、と。


 そう思った。


 思ったはずだった。


 なのに、進むほどに現実は違った。


 前に立つのは自分。

 剣を振るうのも自分。

 称賛されるのも自分。


 でも、進めているのは違う。


 九条だった。


 罠に気づくのも。

 魔力の異常を見るのも。

 封印の歪みを見抜くのも。

 道を作るのも。


 全部、九条だった。


 神崎は何度も感じた。


 口には出されない視線。

 誰も言わないけれど、確かにそこにある気配。


 ——勇者なのに。

 ——あいつがいないと進めないのか。


 その感覚が、耐えられなかった。


「……気持ち悪かったんだよ」


 壁に拳を押しつけながら、神崎は吐き捨てるように言った。


 助けられるのが。


 勇者である自分が、裏方の九条に支えられている現実が。


 しかも九条は、そこに何の悪意もない顔をしている。

 恩に着せるわけでもない。

 自分を売り込むわけでもない。

 ただ当然みたいにやって、当然みたいに目立たない。


 その無自覚さが一番腹立たしかった。


「お前が前に出たいならまだわかるんだよ……」


 でも違う。


 九条は前に出たがらないくせに、結果として神崎から一番大事なものを奪っていく。


 その最たるものが、芽衣だった。


 芽衣はずっと自分の近くにいた。

 幼馴染で、昔から隣にいて、どんな時も自然と目に入る存在だった。


 神崎はそれを、当たり前だと思っていた。


 いつか自分をちゃんと見るのも、当たり前なんだと思い込んでいたのかもしれない。


 でも芽衣は違った。


 異世界に来てから芽衣が見ていたのは、勇者の自分じゃない。

 九条のことだった。


 九条の手の傷。

 九条の疲れた顔。

 九条の扱いの不自然さ。


 芽衣は、神崎が見ないふりをしていたものを、全部見ていた。


 それが嫌だった。

 怖かった。


 勇者になった自分が見られるはずだったのに、九条がそこにいるだけで、芽衣の目線が逸れていく。


「なんでお前なんだよ……」


 掠れた声が落ちる。


 そこへさらに、王国と教会が重なった。


 神官長は穏やかな顔で言った。


 九条奏真は危険です。

 《奪還の王》は秩序を乱します。

 王国も教会も、今はまだ利用価値を認めています。

 ですが、いずれ必ず大きな災いになります。


 勇者であるあなたなら、おわかりでしょう。


 あの言い方が嫌いだった。


 穏やかで、優しくて、逃げ道を塞ぐ言い方。


 神崎が口にしない弱さも、焦りも、嫉妬も、全部見抜いたうえで、そこに正義の形を与えてくる。


 九条は危険だ。

 九条は異端だ。

 九条は勇者すら脅かす。

 ここで切らなければ、もっと大きなものを失う。


 そう言われるたびに、神崎の中で何かが固まっていった。


 違う。

 これは嫉妬じゃない。

 俺は勇者として必要なことをするだけなんだ。


 そう思い込むのは、驚くほど簡単だった。


 だって、本音のほうがずっと醜かったからだ。


 九条がいなければ。

 芽衣が九条を見なければ。

 自分が助けられる側じゃなければ。


 そう思っている自分を認めるより、

 勇者として決断したんだと思い込むほうが、ずっと楽だった。


「……俺は、間違ってない」


 口に出してみる。


 けれど、言葉は石壁にぶつかってそのまま落ちるだけだった。


 間違っていないなら、どうして右手はまだ震えている。

 間違っていないなら、どうして芽衣はあんな目をした。

 間違っていないなら、どうして胸の奥がこんなに重い。


 答えは出ない。


 その時、足音がした。


 神官長だった。


 白い法衣の裾を静かに揺らしながら、何事もなかったみたいな顔で近づいてくる。


「勇者殿」


 神崎は顔を上げた。


「……何ですか」


「ご決断、お疲れさまでした」


 その一言で、神崎の背筋が粟立つ。


 ご決断。


 まるで、最初からそういう段取りだったみたいな言い方だった。


「俺は……」


「ええ、勇者殿ご自身のお考えで動かれたのでしょう」


 神官長は微笑む。

 やわらかく、穏やかに。


「我々はただ、危険性についてお伝えしただけです」


 その言い方に、神崎は思わず歯を食いしばる。


 逃げるつもりだ。

 最初から、そうなんだ。


 神崎に“決断”させて、自分たちは手を汚していない顔をする。

 そういうやり方だと、今さらながらに理解する。


「……最初から、こうするつもりだったんですか」


 問いかけると、神官長は少しだけ目を細めた。


「勇者殿」


 その声は変わらず穏やかだった。


「世界を守るためには、必要な切り捨てもございます」


 神崎は何も言えなかった。


 反論したかった。

 でも、その言葉のどこを否定すればいいのかわからない。


 必要な切り捨て。


 さっきまで自分が必死に信じようとしていた言葉を、そのまま返されたようで、吐き気がした。


「九条奏真は、危険な存在でした」


 神官長は続ける。


「勇者殿のお心を乱したことは遺憾ですが、長い目で見れば、これでよかったのです」


 これでよかった。


 神崎が何度も心の中で繰り返していた言葉を、他人に言われると、ひどく安っぽく聞こえた。


「……芽衣に、見られました」


 なぜそんなことを言ったのか、自分でもわからなかった。


 神官長は一瞬だけ沈黙し、それから淡々と答える。


「紘川殿も、いずれ理解なさるでしょう」


 その返しが、どうしようもなく腹立たしかった。


 理解するわけがない。

 いや、もし理解するとしたら、それは神崎が勇者として正しかったからじゃない。神官長たちが、また誰かに何かを吹き込んだ時だけだ。


 そのことに気づいた瞬間、神崎の胸の中で、初めて小さな違和感が芽生えた。


 あれ。


 これ、自分も——。


 そこまで考えたところで、神官長が静かに口を開く。


「勇者殿は少しお休みください。報告はこちらで整えます」


「……報告?」


「ええ。事故として」


 神崎は目を見開いた。


「事故……?」


「旧封印区画の崩落に伴う奈落落下。十分に自然です」


 神官長の微笑みは少しも崩れない。


「九条奏真の生存は、まず考えられません。あとは王国と教会で穏便に処理いたします」


 穏便。


 その言葉に、神崎の腹の底が冷えた。


 自分が抱えているこの重さも、芽衣の視線も、レティシアの青ざめた顔も、九条が落ちていった瞬間も。


 全部まとめて、たった一言で塗り潰すつもりなのだ。


 事故。


 それだけで。


 神崎は気づく。


 九条を落としたのは確かに自分だ。

 でも、ここへ来るまでの流れを作ったのは誰だった?


 危険だと繰り返したのは。

 正義だと形を与えたのは。

 切り捨てを当然にしたのは。


 その問いが胸の奥に浮かぶ。

 だが、まだ答えを見るには早すぎた。


 見てしまったら、自分が何をしたかを、他人のせいにしきれなくなるからだ。


「……わかりました」


 神崎はそう言うしかなかった。


 神官長は満足そうに頷き、去っていく。


 通路にまた静けさが戻る。


 神崎はゆっくり壁から背を離し、自分の右手をもう一度見た。


 震えは、まだ止まっていない。


 これでよかった。

 九条は危険だった。

 勇者である自分が決断した。

 あれは必要なことだった。


 何度も何度も繰り返す。


 でもそのたびに、脳裏には九条の顔じゃなく、芽衣の目が浮かんだ。


 そして、その向こうにある奈落の暗闇も。


 神崎はゆっくり拳を握る。


 それでももう、戻れない。


 あそこで押さなければ、自分は勇者でいられなかった。

 そうだ。

 九条が悪い。

 九条がいるから、全部狂った。


 そう思わなければ、立っていられない。


「……俺は、間違ってない」


 もう一度だけ口にする。


 けれど、その声は今度は自分の耳にすら、ひどく弱く響いた。

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