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信じていた仲間に処分された俺、禁忌スキル《奪還の王》で最強になる ~奪われた力も居場所も、今度は全部取り戻す~  作者: 夜天 颯
第二章 奈落の王

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21.落ちた先は

最初に感じたのは、痛みではなかった。


 寒さだ。


 骨の芯にまで染み込んでくるような、湿った冷気。

 肌を刺すような鋭い冷たさではない。もっと深く、もっと粘ついていて、体温そのものをゆっくり奪っていくような嫌な寒さだった。


 九条奏真は、重たい瞼をわずかに持ち上げた。


 視界は暗い。

 完全な闇ではない。遠くのどこかで青白い光が脈打っていて、そのかすかな明滅だけが、ここがまだ現実だと教えてくる。


「……っ」


 息を吸おうとして、胸の奥がきしんだ。


 呼吸に失敗する。

 肺がうまく動かない。喉が焼けるように痛い。肋骨の何本かが、妙な位置で軋んでいる気配があった。


 身体を動かそうとして、今度は全身に痛みが走る。


 肩。背中。脇腹。脚。

 無事な場所を探すほうが難しかった。


「っ、は……」


 浅い呼吸を二度、三度。

 それだけで額に嫌な汗が浮く。


 生きている。


 それが最初にわかったことだった。


 次にわかったのは、ここが地上じゃないこと。

 そして最後に、どうして自分がここにいるのかということだった。


 奈落。


 あの石台の中央。

 黒く口を開けた穴。

 開いたばかりの封印区画。

 背中に触れた手の感触。


 ——お前さえいなければ。


 神崎の顔が、脳裏に焼きついている。


「……神崎」


 掠れた声で名前をこぼす。


 返事なんてあるはずがないのに、口に出さずにはいられなかった。

 するとその音だけが、冷えた岩の空間に吸い込まれて消える。


 しん、と静かだった。


 静かすぎる、と思った直後。

 遠くで、何かが擦れるような音がした。


 生き物の気配。


 その瞬間、奏真の意識が一気に浮上する。


 ここがどこであれ、ここで倒れたままなら死ぬ。

 落ちた直後の追い打ちが来なかったのは偶然だ。

 もう一度気を失ったら、そのまま終わる。


 奏真は痛みを噛み殺しながら、まず指先だけを動かした。


 動く。


 右手、左手。

 次に足。

 右脚は重い。左脚も鈍い。だが感覚はある。


 ゆっくりと首だけを巡らせる。


 そこは、巨大な岩窟の底のようだった。


 頭上は遥か高く、どこまでも暗い。

 だが完全な袋小路ではない。壁面のあちこちから青白い鉱石のようなものが弱く光っていて、そのおかげで周囲の輪郭だけはどうにか見えた。


 自分が倒れている場所は、硬い岩盤の上じゃなかった。

 奈落の途中で何度も壁にぶつかったせいか、あるいは落下地点の周囲に積もっていた黒い苔のようなものが衝撃を少し殺したのか、身体の下には湿ったクッションめいた層がある。


 それでも生きているのが不自然なレベルの落下だった。


 普通なら、死んでいる。


 その事実に遅れて寒気が来る。


 なぜ生きている。


 いや、なぜ“死んでいない程度で済んでいる”。


 考えた瞬間、胸の奥で脈打つものに気づいた。


 《奪還の王》。


 地上で感じていた時より、ずっと近い。

 いや、違う。近いんじゃない。剥き出しになっている。


 脈動に合わせるように、身体の内側にかすかな熱が流れていた。

 それは治癒の熱みたいに優しくはない。無理やり壊れかけた流れを繋ぎ止めているような、不器用で荒い熱だ。


 途切れかけた呼吸。

 散りかけた魔力。

 失われた血の巡り。


 それら全部を、最低限だけ“戻している”。


「……そういう、ことか」


 喉の奥で、誰に聞かせるでもない独り言が落ちる。


 自分が生きているのは、運がよかったからじゃない。

 《奪還の王》が、自分から奪われかけたものを必死に引き戻しているからだ。


 死なない程度に。

 今ここで終わらない程度に。


 それだけ。


 逆に言えば、それ以上はしてくれない。


 傷が全部塞がるわけでも、痛みが消えるわけでも、立ち上がった瞬間に全快しているわけでもない。

 ただ、この奈落の底でまだ息をしているだけだ。


 奏真はゆっくり右手を持ち上げる。


 薄暗い青の中で、手のひらが震えていた。

 自分の手なのに、妙に遠い。


 あの時、神崎はこの手を振り払った。

 いや、違う。振り払うどころじゃない。

 押した。


 本当に押したのだ。


「……はは」


 乾いた笑いが漏れた。


 笑える話じゃない。

 でも笑うしかなかった。


 あそこまで露骨に違和感はあった。

 優しすぎる言葉。

 やけに近い距離。

 妙に静かな目。

 レティシアの警告。

 紘川の不安そうな顔。


 全部あったのに、最後まで自分は神崎が本当にやるとは思わなかった。


 思いたくなかったのかもしれない。


 だから、遅れた。


「……馬鹿か、俺」


 誰もいない空間で呟いても、返ってくるのは冷たい湿気だけだ。


 その時、また音がした。


 今度はもう少し近い。

 石を引っかくような、不規則な音。


 奏真は反射的に息を止めた。


 耳を澄ます。


 右斜め奥。

 青白く光る岩柱の影。

 そこに、何かいる。


 大きくはない。

 だが、人間の気配ではない。


 低く這うような、濁った魔力の流れ。

 それが自分のほうへじわじわ寄ってくるのが、妙にはっきりわかった。


「……見える」


 思わず口をつく。


 魔物そのものが見えたわけじゃない。

 でも、そこに集まっている魔力の濁りが見える。動きが見える。輪郭の外側みたいなものがわかる。


 地上にいた時より、はるかに鮮明だった。


 《奪還の王》が、奈落の底では別の顔を見せ始めている。


 だからといって、今の自分が戦えるわけじゃない。


 息を整える。

 身体を動かせる範囲を確かめる。

 右手の近くに折れた石片がある。武器代わりになるほどじゃないが、何もないよりはましだ。


 奏真は痛みを噛み殺しながら、上半身だけを少し起こした。


 その瞬間、右の脇腹に鋭い痛みが走る。


「っ……!」


 声を飲み込む。

 だが、遅かった。


 影が動く。


 青白い岩の向こうから、ぬるりと何かが這い出してきた。


 四足。

 いや、脚の数が不自然だ。六本。

 犬ほどの大きさの体に、骨みたいに細い脚が何本も生えていて、頭部にあたる場所には目がなかった。その代わり、裂けた口のような穴が前方へ大きく開いている。


 気持ち悪い、と思った瞬間には、そいつはもう跳んでいた。


 奏真はとっさに右腕で顔を庇う。


 衝撃。

 腕に食いつかれる感触。

 痛み。


「っ、あああッ!」


 反射的に、左手に掴んでいた石片を振り下ろす。

 一度、二度。

 鈍い音。

 それでも離れない。


 六脚の魔物は、ぎりぎりと歯を立てながら体をよじる。

 その動きに合わせて、奏真の中で何かが引っ張られる感覚が走った。


 魔力だ。


 吸われている。


「……ふざけるな!」


 ほとんど怒鳴るみたいに叫んだ瞬間、《奪還の王》が脈打った。


 噛みつかれている腕を通じて、逆に流れが返る。


 奪われかけた魔力。

 今まさに吸われようとしていた何かが、向こうへ行く前にこっちへ戻ってくる。


 魔物がびくりと震えた。


「っ、離れろ!」


 石片をさらに振り下ろす。

 今度は、さっきより明らかに手応えがあった。


 六脚の魔物は口を引きはがすようにして飛びのき、黒い液体を撒き散らしながら影へ逃げる。

 そのまま数歩走ったところで、不意に脚がもつれて転がった。


 痙攣。

 沈黙。


 動かない。


 奏真はすぐには追わなかった。

 追える状態でもない。

 ただその場に座り込んだまま、荒い呼吸を繰り返す。


 腕が熱い。

 歯形が深く残っている。血も滲んでいた。

 けれど、思ったより魔力の消耗は少ない。


 むしろ、最後の一瞬だけ少し戻った感覚がある。


「……奪われる前に、返したのか」


 喉がからからだった。


 腕の傷を押さえながら、奏真は影の向こうに倒れた魔物を見つめる。


 勝った、とは言いづらい。

 ほとんど生存本能だけで反撃しただけだ。

 でも、それでも今のは確かに自分の力だった。


 《奪還の王》は、壊れたものを戻すだけじゃない。

 奪われようとするものすら、返させる。


 そのことを、この奈落の底でようやく実感する。


 同時に、ぞっともした。


 王国と教会がこれを恐れた理由が、少しだけわかったからだ。


 もしこれが、魔力や傷だけじゃなく、もっと大きなものにまで及ぶなら。

 契約とか、支配とか、勇者だとか、そういう“今はそこにあることになっているもの”まで返させるなら。


 それは確かに、支配する側からすれば最悪だ。


「……だから、落としたんだな」


 神崎の顔が、また頭に浮かぶ。


 勇者である自分が脅かされる。

 芽衣まで自分を見る。

 王国も教会も自分を危険だと言う。


 そこまで重なったら、神崎はもう自分を正義だと思い込めただろう。


 胸の奥で何かが静かに沈む。


 許せない。

 でも今は、その感情に浸っている暇はない。


 目の前の現実のほうがずっと近い。


 血の匂い。

 奈落の冷気。

 どこに潜んでいるかわからない魔物。

 何より、このままここで座っていたら本当に死ぬ。


 奏真は歯を食いしばって立ち上がろうとした。


 脚が震える。

 一度膝をつく。

 もう一度、息を整える。


「……立て」


 自分に言い聞かせるみたいに呟く。


 右脚に力を入れる。

 脇腹がきしむ。

 背中が痛い。

 それでも、今度は少しだけ持ち上がった。


 立てた。


 ふらつく。

 でも立てた。


 それだけのことが、今は妙に大きかった。


 頭上を見上げる。


 遥か上、細い裂け目の向こうに、豆粒みたいな光がある。

 あそこから落ちてきたのだと思うと、笑うしかないほど遠かった。


 戻れない。


 少なくとも今すぐには。

 叫んでも届かない。

 手を伸ばしてもどうにもならない。


 ここは本当に、“落ちた者が戻らない場所”なのだろう。


 でも。


「まだ、死んでない」


 口に出してみる。


 それはただの事実だった。

 けれど今の奏真には、その事実だけで十分だった。


 生きている。

 生きてしまった。

 なら、終われない。


 魔物の死骸のそばまで慎重に近づき、さっき噛みつかれた右腕を庇いながらしゃがみ込む。


 六脚の体は軽かった。

 近くで見ると、地上の生き物というより、魔力の澱が半分固まったみたいな不気味さがある。肉というより繊維質で、骨の代わりに黒い結晶が芯に通っていた。


 その胸元らしき場所に、小さな濁った石が埋まっている。


「……魔石、か?」


 知識としては見たことがある。

 実物は初めてだった。


 試しに触れた瞬間、微かな魔力が手のひらへ流れた。

 いや、流れたというより、返ってきたに近い。


 《奪還の王》が勝手に反応して、そこに残っていた力の一部を回収したのだ。


 ほんの少しだけ、体の奥が軽くなる。


「……使える」


 思わず呟く。


 今の自分に必要なのは、強い決意なんかじゃない。

 食えるかどうか、眠れる場所があるかどうか、次に襲われた時にどうするか。

 そして、この奈落でどうやって生き延びるか。


 復讐はそのあとだ。


 王国も教会も神崎も、今は届かないほど遠い。

 届かない相手に怒鳴っても仕方がない。


 今の敵は、寒さと、傷と、この奈落そのものだ。


 奏真はもう一度、周囲を見た。


 左手側に、岩壁の裂け目がある。

 人一人がどうにか通れそうな隙間だ。

 青白い光がそこだけ少し薄く、風の流れも悪くない。完全な行き止まりではないかもしれない。


 少なくとも、ここで棒立ちしているよりはましだ。


 右腕を押さえ、石片を握り直す。

 魔石はポケット代わりになりそうな裂け目へ押し込んだ。


「……行くか」


 返事はない。


 だが今はそれでいい。


 誰も助けてくれないなら、自分で進むしかない。

 裏切られて落ちた先がどれだけ深くても、ここで這って死ぬために生き残ったわけじゃない。


 一歩、足を出す。


 鈍い痛み。

 でも、歩けないほどじゃない。


 二歩目。

 三歩目。


 裂け目の奥から、冷たい風が吹いてくる。

 それは嫌な匂いだけじゃなかった。湿った土の匂いと、どこか遠くで流れる水の気配も混ざっている。


 生き延びられるかもしれない。


 その可能性だけを胸に、奏真は奈落の裂け目へ足を踏み入れた。


 その瞬間。

 遥か先、裂け目の奥のさらに向こうで、青白い何かが一度だけ強く瞬いた。


 まるで、こちらを認識したみたいに。


 奏真は足を止める。


 気のせいかもしれない。

 だが、奈落の冷たい空気の中で、それだけが妙にはっきり胸に残った。


 落ちた先には、まだ何かがある。


 地上では知らなかった何かが。

 王国も教会も隠してきた何かが。

 そして、自分を待っているかもしれない何かが。


 その確信にも似た予感を胸に、奏真は暗い裂け目の奥へ、ゆっくりと歩き出した。

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