2.俺のスキルだけ、王国と教会が隠したがった
案内された部屋は、客室というより、どこかの高級ホテルのスイートルームみたいだった。
広い。
広すぎる。
磨き上げられた木の床に、分厚い絨毯。見上げるほど大きな天蓋付きのベッド。壁には繊細な装飾の入った棚や、よくわからないけれど高そうな絵画まで飾られている。窓の外には、石造りの塔と、夜の城下町らしき灯りが遠くまで続いていた。
「……現実感、なさすぎだろ」
誰に聞かせるでもなく呟いて、奏真は窓際に立った。
ガラスに映る自分の顔は、思っていたよりずっと疲れて見える。まあ当然か。ついさっきまで、ただの高校生として教室で授業を受けていたのだ。それが今は異世界の王城らしき場所にいて、勇者だの召喚だのスキルだのと言われている。
疲れないほうがおかしい。
けれど、肉体の疲労よりずっと引っかかっているものがあった。
—— 《奪還の王》。
儀式の場でその名が告げられた瞬間、空気が変わった。
あれは、珍しいスキルを見た驚きじゃない。
もっと露骨な、警戒。
あるいは、触れてはいけないものに触れてしまったときの空気だった。
「補助系……ね」
神官の老人はそう言った。
けれど、あんな顔をしておいて“扱いの難しい補助系”で済ませるのは無理がある。
コンコン、と扉が叩かれた。
「九条、いるか?」
神崎の声だった。
奏真が扉を開けると、神崎は少し安心したように笑った。
「よかった。ひとりで考え込んでるかと思った」
「だいぶ考え込んでたかも」
「だろうな。みんなも落ち着かないみたいだし、ちょっと集まろうって話になってる。来るか?」
「ああ。行く」
神崎の後ろには、霧島悠人と桐生朱音、それから顔見知りのクラスメイトが数人いた。みんな興奮と不安が入り混じった顔をしている。あの儀式のあとでは当然だ。
談話室として使われているらしい部屋に入ると、すでに十数人ほど集まっていた。大きなソファと丸机が並び、壁際には果物や飲み物まで用意されている。こういうところだけ見ると、本当に“客人扱い”らしい。
でも、その豪華さが妙に落ち着かなかった。
「九条、遅いって」
「いや、部屋広すぎて逆に落ち着かんかったわ」
「わかる」
そんな軽口が交わされる。少しだけ空気がほぐれた。
やっぱり知っている顔が集まると違う。
異世界だろうが王城だろうが、クラスの連中がいるだけで現実味が戻る。
神崎が自然と部屋の中央に立った。
「とりあえず、みんな無事でよかった。まだ状況わかんないけど、ひとりで抱え込むより話したほうがいいだろ」
よく通る声。
特別大きいわけじゃないのに、不思議と人が聞いてしまう声だ。
クラスの中心に立つのが自然なやつ。
さっき勇者と告げられたとき、あまりにも似合っていて逆に納得してしまったくらいには。
「しかしマジかよ、勇者って」
「神崎、もう主人公じゃん」
「俺らもわりといいスキル引いてたけど、勇者は反則だろ」
男子たちがそう言って肩を叩くと、神崎は苦笑した。
「いや、俺だけじゃ無理だろ。つーか、まだ戦えって言われても困るし」
「でもあの王様、完全に神崎見てたよな」
「わかる。めっちゃ期待されてた」
その会話を聞きながら、奏真は少し離れた席に腰を下ろした。
神崎が注目されるのは今に始まったことじゃない。
クラスでも、運動会でも、文化祭でも、何かあれば自然と中心にいた。だから別に不思議ではない。
ただ今日は、その対比みたいに自分のことを思い出してしまう。
勇者として歓声を浴びた神崎。
名前を呼ばれた瞬間に空気が冷えた自分。
「なあ九条」
軽い調子で話しかけてきたのは、同じクラスの男子だった。
「お前のスキル、結局なんなんだ? 《奪還の王》だっけ」
その一言で、周りの何人かもこちらを見た。
「あー、たしかに気になる」
「字面だけなら強そうだよな」
「奪うってこと? 盗賊系?」
悪意のない好奇心。
だからこそ、うまく答えにくい。
「俺も、まだ名前しかわかってない」
「え、説明されてないの?」
「されてない。補助系で扱いが難しいってだけ」
「雑すぎだろ……」
笑い混じりの声もあったが、その中で霧島だけは笑わなかった。
「“奪う”じゃなく“奪い返す”のほうだろうな」
全員の視線が霧島へ向く。
彼は眼鏡を指で押し上げながら、いつもの平坦な声で続けた。
「還は戻す、返すの意味だ。単純な強奪系じゃない。たぶん、所有権や状態変化に干渉するタイプだ」
「なにそれ、急に難しい」
「ゲームで言うバグ技っぽい」
「逆に強そうじゃね?」
「さあな」
そう答えた霧島の目が、一瞬だけ奏真に向く。
その視線に、なんとも言えない冷たさがあった。
好奇心というより、観察。
もっと言えば、測定に近い。
「つか九条、あのとき神官たちの反応やばくなかったか?」
「わかる。神崎が勇者だったときもすごかったけど、九条のとき別の意味で空気止まったよな」
言われて、奏真は曖昧に肩をすくめた。
「俺に聞かれても困る」
本当は困っているのは自分のほうだ。
そのとき、桐生朱音が腕を組んだまま言った。
「珍しいだけでしょ。いちいち深読みしても仕方ないじゃん」
「まあ、それもそうか」
「でも九条だけ反応おかしかったのは事実だろ」
話題が広がりかけたところで、神崎がうまく割って入った。
「今ここで考えても答え出ないだろ。明日、向こうから説明あるかもしれないし」
その声で、空気が少しだけ元に戻る。
やっぱり神崎はこういうのがうまい。
変に煽らず、でも場を止める。
談話室ではそのあとも、元の世界へ帰れるのかとか、この世界にスマホの電波はあるのかとか、食事はどうなるのかとか、そういう不安と現実逃避が混ざった会話が続いた。
奏真も相槌くらいは打っていたが、頭の半分はずっと別のところにあった。
《奪還の王》って、何だ。
なぜあんなに隠したがる。
勇者みたいにわかりやすく持ち上げるのでもなく、ハズレと切り捨てるのでもなく、妙に言葉を濁した。
その曖昧さが、いちばん嫌だった。
不意に、談話室の扉がノックされた。
会話が止まる。
開いた扉の向こうにいたのは、白い法衣をまとった少女だった。
年齢は自分たちと大差ないように見える。
淡い銀髪に、静かな青い瞳。儀式の場で王や神官たちの近くに控えていた人物のひとりだと、奏真はすぐに思い出した。
少女は一礼して言った。
「失礼いたします。王宮付き神官見習いのセレナと申します」
その場の何人かが「綺麗……」と小さく呟いたのが聞こえた。
たしかに目を引く雰囲気のある少女だったが、今の奏真にそんな余裕はない。
セレナは視線をまっすぐ奏真へ向けた。
「九条奏真様に、教会より確認とご説明がございます。お時間をいただけますでしょうか」
部屋の空気が変わる。
「え、九条だけ?」
「なんで?」
「やっぱスキルの件?」
ざわつきが広がる中、神崎が一歩前に出た。
「ひとりだけ呼び出しって、どういうことですか」
問い方は穏やかだが、少しだけ棘があった。
セレナは困ったように目を伏せる。
「固有スキルに関する個別確認、としか伺っておりません」
嘘ではないのだろう。
でも、全部も言っていない。そういう答え方だった。
神崎は納得しきれていない顔をしたが、相手が王宮側の人間では強くは出られない。
「九条、大丈夫か?」
「……たぶん。行ってくる」
立ち上がると、何人もの視線が集まった。
心配しているやつ。
面白がっているやつ。
距離を測ろうとしているやつ。
たった数時間で、同じクラスだったはずの空気が少しずつ変わり始めているのを感じた。
セレナに案内され、談話室を出る。
廊下は静かだった。赤い絨毯が足音を吸い、壁の燭台代わりらしい魔石が淡い光を落としている。王城というより、美術館の閉館後みたいな静けさだ。
しばらく歩いてから、奏真は前を行くセレナに聞いた。
「俺のスキルって、そんなにまずいものなんですか」
セレナの肩が、ほんのわずかに揺れた。
「……まずい、とは」
「じゃあ、危ないとか。隠したいとか」
数歩分の沈黙。
「私から申し上げられることは、多くありません」
「多くないってことは、少しは知ってるんですね」
問い返すと、彼女は困ったように唇を引き結んだ。
それが答えみたいなものだった。
通されたのは、客室や応接室のような華やかな場所ではなかった。石造りの小部屋。机と椅子だけが置かれた、簡素で閉じた空間だ。窓はなく、壁の魔石の光だけが青白く灯っている。
中には、儀式のときにスキルを告げていた老人がいた。
「来たか」
老人はセレナを下がらせると、向かいの椅子を示した。
「座りなさい」
奏真は無言で腰を下ろした。
老人もゆっくりと向かいに座る。
少しの間、沈黙が続く。
たぶん、黙っていたら何も始まらない。
そう思って、奏真のほうから口を開いた。
「俺のスキルについて、説明してもらえますか」
老人は目を細めた。
「本来ならば、召喚者にはそれぞれの加護と適性を平等に伝えるべきだ。だが《奪還の王》に関しては、少々事情が異なる」
「その“事情”を聞いてるんです」
「焦るな、若者」
焦るなと言われて、焦らずにいられるほうがおかしい。
老人は机の上で指を組み、ゆっくりと話し始めた。
「スキルには大別して幾つかの系統がある。剣技や体術に関わる戦闘系。炎や風、水といった属性魔法。治癒や結界の支援系。鍛冶や調合などの生産系。そしてごく稀に、世界の理そのものへ触れる“概念系”が発現する」
「概念系」
「契約、記録、支配、譲渡、代償……そういった類だ」
聞いただけで面倒そうだ、と思った。
普通の火炎魔法とかより、よほど厄介な響きがある。
「《奪還の王》は、その概念系に属する」
「で、具体的には?」
老人は一瞬だけ言葉を止めた。
「……現時点では、扱いの難しい補助系統として理解しておけばよい」
「それ、さっきも聞きました」
思わず声が少し強くなる。
「みんなの前じゃなくていい。せめて、本人の俺にはちゃんと説明してください」
老人の目がわずかに険しくなった。
「お主は、自分の力が何を意味するかをまだ理解しておらぬ」
「だから聞いてるんです」
「知らぬほうが良いこともある」
「こっちはそのスキルでこの先生きろって言われてるんですよ」
静かな部屋に、自分の声だけが少し響いた。
老人はしばらく奏真を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「…… 《奪還の王》は、不当に失われたものを“本来あるべき場所へ戻す”性質を持つ、とされている」
その一言に、背筋がひやりとした。
「失われたもの?」
「力、契約、権利、加護……対象は一概には言えぬ。過去の記録も多くは残っておらぬからな」
「多くは、ってことは前例があるんですか」
老人はすぐには答えなかった。
その沈黙が、ほとんど肯定に見えた。
「……古い文献に、名だけが残っている」
「だったらなおさら、ちゃんと——」
「だが、その多くは封印されている」
老人の声が低くなる。
「王国にとっても教会にとっても、この系統は極めて扱いが難しい。下手に知られれば、いたずらに混乱を招く」
「混乱って、誰が」
「周囲も、お主自身もだ」
つまり隠すということだ。
説明ではなく管理。
理解を与えるのではなく、知らないまま従わせるための言い回し。
奏真は机の上に置かれた老人の手を見た。老いた指先に、わずかな力が入っている。顔より手のほうが正直だ。緊張している。
自分の前で。
「……俺、そんなに危険視されてるんですか」
老人は答えなかった。
それがもう答えだ。
「訓練と適性確認を経て、お主の処遇は後日定められる」
「処遇」
「配属、と言い換えてもよい」
たぶん、何も変わらない。
奏真は喉の奥に苦いものを感じた。
勇者には歓迎。
自分には保留と監視。
まだ何もしていないのに、この差はなんだ。
老人は机の引き出しから羊皮紙を一枚取り出した。
「召喚者全員に渡される基本説明書だ。生活上の規則、日程、立ち入り制限などが記されている」
受け取る。
書かれているのは食事の時間、朝の集合、王宮内のルール。たしかに一般的な内容だった。
だが、紙の端のほうに、うっすらと削られたような跡がある。魔力で消したような、不自然な薄さ。
「他に質問は?」
「あります」
「言ってみなさい」
「俺のスキル名を聞いた瞬間、あの場の空気が変わった。あれは“珍しいから”じゃない。明らかに知ってる反応でしたよね」
老人の眉がぴくりと動く。
「《奪還の王》は、過去に何をしたんですか」
今度の沈黙は、さっきより長かった。
やがて老人は立ち上がる。
「今日はもう休みなさい。明日から忙しくなる」
それで終わり、らしい。
答えるつもりがないのはわかった。
でも、だからこそ逆にはっきりしたこともある。
王国と教会は、《奪還の王》のことを最初から知っている。
そして知ったうえで、自分にだけ本当の説明をしない。
部屋を出ると、廊下の外でセレナが待っていた。
「お部屋までご案内します」
「……ありがとうございます」
並んで歩きながら、奏真は小さく息を吐いた。
「あなたも、知ってるんですか。《奪還の王》」
セレナは少し迷ってから答えた。
「詳しくは存じません。ただ、神殿の古い文献庫で、一度だけ似た記述を見たことがあります」
奏真は顔を上げる。
「どんな?」
「“奪われたものを、あるべき場所へ返す者”——そう書かれていたかと」
足が止まりそうになる。
それは、老人が濁しに濁した説明より、ずっと輪郭のある言葉だった。
「でも、その先は読めませんでした。禁書指定がなされていて、閲覧制限がありましたから」
禁書。
禁忌。
そんな言葉ばかりが増えていく。
「……なるほど」
ありがとう、と続けようとしてやめた。
礼を言うべきなのはわかっている。でも今は、感情の置き場がうまく見つからない。
部屋の前まで戻ると、セレナは一礼した。
「おやすみなさい、九条様」
「おやすみなさい」
扉を閉める。
急に静かになる。
奏真はベッドに座り込み、受け取った羊皮紙をもう一度広げた。規則、日程、案内。どこからどう見ても普通の資料だ。
それでも、さっき見た削り跡が気になって仕方ない。
なんとなく指先でそこをなぞった瞬間、ぴり、とかすかな刺激が走った。
「……っ」
頭の奥に、短い断片が流れ込む。
——概念系・禁忌指定。
——保持者は監視対象。
——詳細説明は上層許可制。
反射的に紙を取り落とした。
「なんだよ、それ……」
鼓動が少し速くなる。
今のは何だ。
見えた? 読んだ?
いや、違う。消されたはずの“残り”を拾った感覚に近い。
紙に残っていた何かを、指先が勝手にすくい上げたような——そんな感覚だった。
奏真は落ちた羊皮紙を見つめたまま、ゆっくり拳を握る。
やっぱり隠している。
王国も、教会も。
俺のスキルを、最初からまともに扱う気がない。
歓迎された客人。
世界を救う勇士。
そう言いながら、その裏で自分だけは監視対象として扱われている。
この豪華な部屋さえ、急に檻みたいに思えた。
コンコン、とまた扉が鳴る。
今度も神崎だった。
「九条? 戻ったか?」
扉を開けると、神崎は心配そうに眉を寄せた。
「大丈夫だったか?」
「……説明はされたけど、された感じがしない」
「なんだそれ」
神崎は呆れたように笑って、それから少し真面目な顔になった。
「でも、お前だけ呼ばれるの変だよな。明日、俺も一緒に聞いてみるわ」
その言葉に、少しだけ胸が軽くなる。
「ありがと」
「気にすんな。友達だろ」
神崎はそう言って笑った。
その笑顔に、いつも通りの神崎を見た気がした。
クラスの中心で、誰より先に前へ出るくせに、こういうときはちゃんと隣にも来るやつ。
いいやつだ、と奏真は思う。
……思いたかった。
「じゃ、明日早いし休めよ」
「ああ」
神崎が去ったあと、奏真は扉を閉めた。
静まり返った部屋の中、窓の外には見知らぬ夜が広がっている。元の世界では見たことのない星の並びが、異様なほど綺麗だった。
ベッドに横になる。
でも、すぐには眠れない。
《奪還の王》
奪われたものを、あるべき場所へ返す者。
禁忌指定。
監視対象。
詳細説明は上層許可制。
もし本当にそういう力なら、何を返すのだろう。
物か。
力か。
契約か。
それとも——誰かから奪われた、もっと形のない何かか。
答えはまだわからない。
わからないまま、向こうだけが何かを知っている。
それが妙に腹立たしかった。
目を閉じると、昼間の光景が浮かぶ。
勇者として歓声を浴びた神崎。
その隣で、名前を呼ばれた瞬間に空気が凍った自分。
この世界で最初に与えられた役割は、どうやら平等じゃない。
そして、その差はたぶん偶然でもない。
眠りに落ちる直前、奏真はぼんやりと思った。
——俺のスキルを隠したがった時点で、もう何かは始まっていたのかもしれない。
その夜、王城の別室では。
「やはり《奪還の王》で間違いないか」
王の低い声に、神官長は重くうなずいた。
「古記録と一致します。詳細な発現条件は不明ですが、危険性は高いかと」
「勇者と並び立たれては困る」
「ええ。利用できるなら利用し、難しければ——」
そこで言葉は途切れた。
だが、その先を口にする必要はなかった。
燭台の火が揺れる。
召喚された少年たちは、まだ知らない。
この国が“救い手”を求めたのではなく、“使える駒”を探していたことを。
そしてその中に、歓迎すべき勇者と、警戒すべき異物がいたことを。
今夜、勇者は祝福された。
同じ夜、俺は静かに隠された。
その差が何を生むのかを知るのは、まだ少し先のことだった。




