1.勇者だけが歓迎され、俺は“ハズレ”と呼ばれた
教室の空気は、放課後前になるといつも少しだけ緩む。
六時間目の終わりを告げるチャイムが鳴る直前、誰もが頭の中で帰宅後の予定を考え始める、あの独特の静けさだ。
窓際の後ろの席で、九条奏真はノートの端に書いた数式を消しながら、小さく息を吐いた。
今日はこのあと、コンビニで新作のパンでも買って帰ろうか。そんな、どうでもいいことを考えていた。
「九条、そこ違う。xの符号、逆」
前の席から振り返ってきたのは、神崎恒一だった。
すっきりした短髪に、よく通る声。運動部の主将も似合いそうな整った顔立ち。教師受けもよくて、クラスの中心にいるのが自然なやつだ。実際、神崎が笑えば周りもつられて笑うし、神崎が話し始めれば自然と輪ができる。
「あ、ほんとだ。助かった」
「珍しいな。九条がミスるの」
「ぼーっとしてた」
「疲れてんのか?」
「ちょっとだけ」
そう答えると、神崎は「無理すんなよ」と気軽に笑って前を向いた。
いいやつだ、とみんなは言う。たぶん、本当にそうなのだと思う。
少なくとも、この時の奏真はそう信じていた。
担任が黒板に向き直り、最後の連絡を始める。クラスメイトたちは筆箱を片付けながら、部活だ、寄り道だ、ゲームだと小声で話していた。いつも通りの、平凡で、何ひとつ特別じゃない放課後。
そのはずだった。
——足元が、光った。
最初は、誰かのスマホの反射かと思った。けれど次の瞬間、教室全体の床一面に白く青い線が走り、机の影まで飲み込むように複雑な紋様が広がっていく。
「え……?」
「な、なにこれ!?」
「ちょ、待っ……!」
悲鳴が上がる。椅子を引く音、机に膝をぶつける音、ガタンと何かが倒れる音が一斉に重なった。
奏真も立ち上がろうとしたが、床から吹き上がった光が視界を塗りつぶした。
熱いわけじゃない。冷たいわけでもない。
ただ、全身をどこかへ引きずり込まれるような、気持ちの悪い浮遊感。
耳鳴り。
胃が持ち上がる感覚。
それから——落下にも似た、急激な喪失。
次に目を開けたとき、奏真は石の床に片膝をついていた。
「……っ」
眩しさに目を細める。光源は天井近くで揺れる巨大な魔石だった。淡い金色の明かりが広い空間を照らし出している。床も壁も白い石造りで、見上げるほど高い天井には見たこともない紋様が彫られていた。
まるで、王宮の大広間。
いや、“まるで”じゃない。
本当にそういう場所なのだと、空気が告げていた。
「み、みんな! 大丈夫か!?」
真っ先に立ち上がってそう叫んだのは、やはり神崎だった。
その一言で、パニック寸前だったクラスが少しだけ落ち着く。泣きそうになっていた女子が顔を上げ、床にへたり込んでいた男子が慌てて周りを見回す。担任ですら状況を飲み込めていない中で、神崎の声だけが不思議と通っていた。
奏真も立ち上がり、クラスメイトの人数をざっと目で数えた。全員いる。少なくとも見える範囲では、欠けてはいない。
そのとき、正面の大階段の上から、重い足音が響いた。
銀色の鎧を着た騎士たちが左右に並び、その中央を深紅のマントをまとった男が進み出る。中年の、威圧感のある男だ。その隣には純白の法衣をまとった老人、宝飾品に身を包んだ貴族たち、そして侍女らしき女性たちまで控えている。
明らかに、ただ事ではない。
「よくぞ来てくれた、異界の勇士たちよ」
男は高く響く声で告げた。
「ここはレグナード王国。そなたたちは、我らが執り行った召喚の儀により、この世界へ招かれた」
ざわめきが一気に広がる。
「召喚って、なに……?」
「異界? は?」
「意味わかんないんだけど!」
当然だ。奏真だって意味がわからない。
だが、王を名乗った男は構わず話を続けた。
「この世界は今、魔族との長き戦いの中にある。ゆえに我らは、異世界より救い手を求めた。どうか力を貸してほしい」
救い手。
異世界。
召喚。
どれも現実感のない単語ばかりだった。
けれど騎士たちの装備も、壁に掲げられた紋章旗も、床の荘厳な魔法陣も、どれひとつとして冗談には見えない。
誰かが「ドッキリ?」と呟いたが、その声は情けないほど小さかった。
奏真は無意識に、床に残る光の線へ目を向けた。複雑に絡み合う術式。その流れの一部に、不自然なねじれがある。膨大な魔力を無理やり一点へ引き寄せたような、歪な跡。
わからないなりに、ひとつだけ理解できた。
これは、途方もない規模の術だ。
「まずは安心してほしい。衣食住は我が国が保証しよう」
王の言葉に、少しだけクラスの緊張が和らぐ。だが次の瞬間、白衣の老人——おそらく神官だろう——が一歩前へ出た。
「皆さまにはこれより、《天授の儀》を受けていただきます」
老人が杖を掲げると、再び床の一部が淡く発光した。
「異界より来たりし魂は、この世界に適応する際、神々より祝福を授かります。戦う力、癒やす力、導く力……その形は人により異なる」
要するに、ゲームでいう職業やスキルみたいなものか。
そんな連想をしたのは、奏真だけではなかったらしい。クラスのあちこちで「マジかよ」「チートってこと?」などと小声が漏れる。
神官はうなずいた。
「順に前へ」
儀式は、クラスの出席番号順に進んだ。
名前を呼ばれた生徒が魔法陣の中へ立つ。
光が柱のように立ち上り、神官が目を閉じて告げる。
「《火炎魔法・中位》」
「《身体強化》」
「《遠見》」
歓声と落胆が、交互に広がっていく。
派手な戦闘系スキルを得た者は騎士たちに褒められ、地味な能力だった者は微妙な空気に包まれる。あまりにも露骨で、奏真は小さく眉を寄せた。
その流れを決定的に変えたのが、神崎恒一の番だった。
「神崎恒一」
神崎が一歩前へ出る。緊張しているはずなのに、背筋は不思議なくらいまっすぐだった。
光が立ち上がる。
次の瞬間、それまでとは比べものにならない眩い金色が広間全体を照らした。
騎士たちがざわめく。
貴族たちが目を見開く。
神官の老人が、震える声で告げた。
「ま、まさか……《勇者》……!」
一瞬、沈黙。
それから大広間が揺れるほどの歓声が上がった。
「おお……!」
「勇者だ! 本当に……!」
「神は我らを見放していなかった!」
王が立ち上がり、階段を一段降りるほどの勢いで身を乗り出す。
「素晴らしい! まさしく神託の勇者!」
クラスメイトたちも一気に沸いた。
「神崎すげえ!」
「やば、主人公じゃん!」
「マジで勇者とかあるんだ!」
神崎自身もさすがに驚いていたが、それでもすぐに周囲へ気を配るように笑みを浮かべた。
「いや、俺だけじゃ無理だから。みんなで頑張ろう」
その一言で、また空気が神崎に集まる。
すごいな、と奏真は素直に思った。
こういうとき、自然に前へ出られるのが神崎だ。
きっと、こういう世界でも。
儀式はさらに進む。
高位の剣技適性を得た者、神聖魔法を授かった者、風属性の強力な加護を受けた者。特に目立つ能力を得た数人は、そのたびに騎士や神官たちから歓迎された。
そして、奏真の番が来た。
「九条奏真」
前へ出る。
視線が刺さる。
王や貴族たちの期待ではなく、ただの確認の視線。勇者のあとに続く、その他大勢のひとりを見る目だ。
魔法陣の上に立った瞬間、光が足元から立ち上がった。
今までよりずっと静かな光だった。
だが、その色は奇妙だった。白でも青でも金でもない。深い夜の底のような、黒に近い蒼。
広間の空気が変わる。
神官の老人が、目を見開いた。
横にいた白衣の別の神官が、息を呑んだ。
王の隣にいた貴族のひとりは、露骨に顔をしかめた。
そして老人は、喉が詰まったような声で告げた。
「……固有スキル、《奪還の王》」
その瞬間、ざわめきがぴたりと止んだ。
「え?」
「なに、それ」
「聞いたことない……」
クラスメイトの戸惑いが耳に入る。
だが、それ以上に異様だったのは、この世界の人間たちの反応だった。
騎士たちは互いに顔を見合わせ、神官たちは明らかに動揺している。王は一瞬だけ表情を消し、すぐに取り繕うように口元を引き締めた。
奏真は魔法陣の中央に立ったまま、その変化を見逃さなかった。
「……それって、強いんですか?」
誰かがクラスの後ろから軽い調子で尋ねた。
老人は一拍遅れて、無理やり平静を装う。
「き、希少な補助系統です。扱いは難しいですが……決して、悪いものではありません」
言葉が妙に上滑りしていた。
悪いものではない。
そう言いながら、どうしてそんな顔をする。
奏真が魔法陣から降りると、近くにいた神崎が小声で言った。
「大丈夫か?」
「……たぶん」
「なんか、反応おかしかったな」
「うん」
神崎は眉をひそめたが、それ以上は言わなかった。
儀式は最後まで続いた。だが、もう最初のような熱は戻らない。勇者が現れた高揚と、奏真のスキルに対する不穏な反応が、広間の空気を奇妙に二分していた。
全員の儀式が終わったあと、王は再び前へ出た。
「まずは今夜、客人として休んでほしい。今後のことは、明日改めて説明しよう」
神崎へ向けられる歓迎の目。
それに続く、能力の高そうな生徒たちへの期待。
そして奏真へ向けられる、計るような視線。
大広間から移動するために列を作る中、奏真は何気なく後ろを振り返った。
さっきまで自分が立っていた魔法陣の一角。そこに残る魔力の揺れが、妙に引っかかった。まるで術式のほうが、自分を観察しているような感覚。
そのとき、近くを通った神官たちのひそひそ声が耳に届いた。
「本当に《奪還の王》なのか……?」
「馬鹿な。記録では、とうに——」
「声を潜めろ。王の御前だぞ」
「だが、禁忌指定の……」
禁忌。
その単語が、耳の奥に冷たく残った。
「九条?」
神崎に呼ばれ、奏真は我に返る。
「行こうぜ」
「ああ」
歩き出す。けれど、胸の奥に嫌な感覚だけが沈んでいた。
勇者として歓迎された神崎。
希少だが扱いの難しい補助系だと濁された自分。
あの場にいた王や神官たちの、あまりにも不自然な反応。
この世界に来た瞬間から、何かがおかしい。
けれどこの時の奏真は、まだ知らなかった。
勇者として脚光を浴びた男の隣で、
自分だけが別の意味で“選ばれていた”ことを。
そしてその力が、この国にとって都合のいい祝福ではなく、
いつか必ず排除すべき“異物”として見られることを。
案内された廊下の先で、王国の人間たちは神崎へ笑顔を向けた。
その少し後ろを歩く奏真には、誰も気づかないふりをするような視線だけが注がれていた。
異世界に来て最初に与えられたのは、歓迎ではなかった。
——勇者だけが祝福され、俺はまだ名前のつかない不穏そのものとして見られていた。
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