19.信じていた仲間に、
最深部へ続く封鎖門が開いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
王国本隊との合流後、騎士団長代理は「安全確認が取れた」と短く告げた。
だが奏真には、その言葉が嘘だとわかっていた。
安全なんかじゃない。
昨日の時点でも、この先は十分におかしかった。
それが今朝になって、さらに不自然さを増している。
門の縁に走る王国式の補助線。
神官側の祈祷痕。
古代封印に対して後から無理やり被せた制御の痕跡。
全部が言っていた。
これは昔の遺構じゃない。
ここは“今”、誰かが使うつもりで整えた場所だ。
そして、その“誰か”が王国と教会の側にいることも、もうほとんど確信に近かった。
「九条」
神崎が少し前から声をかけてくる。
「いけるか」
その聞き方が、もう自然すぎた。
前なら「わかるか?」だった。
今は違う。
“お前が開ける前提”の声だ。
奏真は封鎖門を見たまま答える。
「いける」
「……そっか」
神崎の声は少しだけ低かった。
奏真はその声に、胸の奥を小さくざわつかせた。
神崎は今日ずっと、妙に静かだった。
優しい。気にかける。頼る。
でも、その全部が薄い膜をかぶっているみたいで、触れた瞬間に破れそうな危うさがあった。
それでも、奏真はまだ決めきれないでいた。
神崎がどこまで知っているのか。
神官長が何を吹き込んだのか。
神崎自身が、どこまで壊れているのか。
わからないまま、ここまで来てしまった。
封鎖門の前には、神崎、霧島、朱音、レティシア、それから騎士たちが揃っていた。
少し後ろには、神官補助側に回された紘川の姿も見える。顔色が悪い。たぶんここまで来て、もう誤魔化しきれない何かを感じているのだろう。
騎士団長代理が低く言った。
「九条奏真。解析に入れ」
命令口調。
しかも、迷いがない。
最初は危険だから前に出すな。
そう言っていたくせに、必要な局面では何のためらいもなく一番危ない場所へ押し出してくる。
その雑さに、少しだけ笑いそうになる。
「……はいはい」
軽く返して、奏真は封鎖門へ近づいた。
指先が石に触れた瞬間、《奪還の王》が反応する。
見える。
本来の封印環。
そこへ後から重ねられた王国式の上書き。
さらに教会側の祈祷によって固定された偽装制御。
そして、その奥。
石門の向こう側ではなく、下へ向かって落ちている流れ。
封鎖門は入口じゃない。
もっと深い何かを覆い隠すための蓋に近い。
「……最悪だな」
「どうした」
霧島が聞く。
「二重どころじゃない。三重に触られてる。元の封印、王国式の上書き、教会の祈祷固定。しかも全部、少しずつ噛み合ってない」
「解除は?」
「できる」
短く答える。
できてしまう。
それがまた嫌だった。
騎士たちは奏真の言葉に合わせて自然と配置を変える。
神崎は中央。霧島が右。朱音が左下。レティシアは祈祷痕の暴走に備えて待機。
もう誰も異論を挟まない。
ここまで来るために、誰が何をしてきたかは、さすがにもう全員がわかっている。
わかっていて、それでも勇者へ視線が集まる。
神崎が前にいる。
神崎が中心に立つ。
そして自分は、その土台を作る側に押し込まれたまま。
奏真は小さく息を吐く。
「神崎。合図したら中央環を押せ」
「わかった」
「霧島、右上の上書きだけ外してくれ。朱音、左下の連動線は踏むな。レティシア、祈祷痕が暴れたら切って」
返事が重なる。
奏真は石門中央に手を当てた。
《奪還の王》が熱を持つ。
歪められた帰属。
奪われた制御権。
本来あるべき封印の流れ。
それらを、正しい場所へ戻す。
「今だ!」
神崎たちが同時に動く。
低い唸り。
封鎖門が、重々しく左右へ開いていく。
冷たい風が奥から吹き込んできた。
昨日までの封印区画より、さらに古い。さらに深い。
生き物の腹の中みたいな、湿った暗さを含んだ空気だ。
そして、その瞬間。
「さすが勇者殿!」
「勇者戦闘団の連携、見事です!」
「ここまでの封鎖を突破するとは——!」
騎士たちの声が神崎へ飛ぶ。
またそれか、と思った。
ここまで来るのに何度罠を見抜いた。
何度封印を戻した。
何度補助線の歪みを直した。
それでも称賛されるのは勇者。
自分のやったことは、“勇者戦闘団の連携”という言葉の中へ吸い込まれて消える。
神崎は一瞬だけこちらを見た。
その視線には、感謝もあったかもしれない。
けれどそれ以上に、何か切羽詰まったものがあった。
広間の先へ進む。
その先にあったのは、巨大な円形空間だった。
天井は高く、中央には黒い石台。
周囲には折れた封印柱。
床一面に走る術式線は何層にも重なり、ところどころで切れ、ところどころでまだ生きている。
そして石台の中心部。
そこだけ、暗かった。
ただの影じゃない。
底の見えない、落ちるための暗さ。
奏真の足が止まる。
「……ここ、おかしい」
霧島が測定板を向ける。
「どこが」
「中央の石台。封印核じゃない」
「じゃあ何だ」
「穴を隠してる」
騎士たちがざわつく。
石台の縁へ近づくと、確信はさらに強まった。
本来ここは、封印を維持するための制御台だったはずだ。
なのに今は違う。力の流れが下へ逃がされている。しかも王国と教会の後付け制御によって、わざと“安定して見えるように”されている。
つまりこれは封印じゃない。
偽装だ。
「……誰かが意図的に弄ってる」
奏真がそう言った瞬間、広間の空気が凍った。
「何だと」
「そんなはずは」
「記録には——」
騎士たちがざわつく横で、神崎だけがやけに静かだった。
「戻せるのか」
その問いは、ひどく低かった。
奏真は神崎を見る。
「できる」
神崎の喉が動いた。
その顔に浮かんでいたのは、驚きでも、称賛でもなかった。
もっと剥き出しの、嫌なものだった。
怖れているようにも見えたし、苛立っているようにも見えた。
いや、たぶん両方だったのだろう。
「九条」
神崎がもう一度呼ぶ。
「ほんとに、お前しかできないんだな」
その言葉に、奏真は少しだけ眉をひそめた。
「……今さら何だよ」
神崎は笑わなかった。
「いや。確認したかっただけだ」
その言い方が妙だった。
確認。
何を。
だが聞き返す前に、騎士団長代理が前へ出る。
「九条奏真。解除しろ。ここまで来て引き返すわけにはいかん」
その一言で、選択肢はまた消えた。
そうだ。
最初から選ばせる気なんてない。
自分がここまで道を開いて、必要なものを整えてきたからこそ、相手は迷わず「進める」と思っている。
使われる側の役目は、最後まできっちり果たせ。
そう言われているのと同じだった。
奏真は石台の中心へ手を置いた。
《奪還の王》が、今まででいちばん強く脈打つ。
本来の制御権。
奪われた封印の流れ。
下へ逃がされている力。
全部が見える。全部が歪んでいる。全部が“戻せ”と訴えてくる。
これを戻せば、下の穴も露わになる。
そして、その先に何があるのか。
ここにいる誰が、そのことをどこまで知っているのか。
たぶん、その答えももうすぐ出る。
「神崎、中央環を固定しろ。霧島、右の上書きだけ切れ。朱音、床線に触るな。レティシア、祈祷痕が暴れたらすぐ——」
言い終わる前に、神崎が近づいてきた。
やけに近い。
「神崎?」
「……なあ、九条」
声が低い。
奏真は一瞬だけ手を止める。
「何だよ」
「お前、ほんとにわかってないよな」
何の話だ、と聞く前に、神崎の手が肩へ触れた。
強い。
ただの確認じゃない。
その瞬間、奏真は本能的に嫌なものを感じた。
「何がだよ」
神崎の口元が、ぐしゃりと歪む。
「全部だよ」
そこで初めて、奏真は神崎の目をまともに見た。
壊れていた。
怒っている。
苦しんでいる。
でもそれ以上に、自分で自分を止められなくなっている顔だった。
「勇者は俺なんだよ」
絞り出すような声。
「なのに、なんでここまで来るのにお前が必要なんだよ」
肩を掴む手に力がこもる。
「罠も、封印も、結界も、全部お前がいないと進めない。みんなだってそう思ってた。口に出さないだけで、勇者のくせにって顔してた」
「神崎——」
「うるさい」
初めて声が荒れた。
「お前に何がわかるんだよ。何も知らないくせに。何も気づいてないくせに、当たり前みたいに全部持っていくなよ」
神崎の顔が近い。
息がかかるほど近い。
その目の奥にあるのは、怒りだけじゃない。
焦りと、劣等感と、どうしようもなく醜い執着だ。
「芽衣までお前を見るようになった」
その一言で、奏真の背筋が凍る。
「俺のほうがずっと近くにいた。ずっと隣にいた。なのに、なんでお前なんだよ」
「お前、それ——」
「お前が大人しく下にいればよかったんだよ」
その言葉は、刃物みたいに真っすぐだった。
「目立たないまま、俺の後ろで便利にしてればよかったんだ。勝手に助けて、勝手に必要なやつみたいな顔して、勝手に芽衣にも見られて……ふざけんなよ」
最後のほうは、笑っていた。
笑っているのに、目は完全に壊れていた。
「助けてもらってるみたいになるのが、どれだけ気持ち悪かったかわかるか?」
その瞬間、奏真は本当に理解した。
神崎は、ちゃんとわかっていたのだ。
自分が助けられていたことも。
ここまで来るのに、自分が必要だったことも。
わかっていて、それに耐えられなかった。
「神崎……お前……」
「何も知らないくせに、被害者みたいな顔するなよ」
神崎の声が震える。
「お前さえいなければ、俺はちゃんと勇者でいられたんだよ!!」
その言葉と一緒に、神崎が押した。
とっさに手を伸ばす。
でも遅い。
最後まで、神崎が本当にここでするとは思っていなかった。
思いたくなかった。
だから、反応が一拍遅れた。
「神崎っ!!」
レティシアの悲鳴が広間に響く。
石台の縁から、足が外れる。
視界が反転する。
落ちる直前、見えたのは神崎の顔だった。
泣きそうで、怒っていて、でもどこか救われたみたいな、最悪の顔。
まるで、自分こそが奪われた側だと本気で信じている人間の顔だった。
「……っ」
声にならない。
そのまま奈落が口を開き、奏真を飲み込んだ。




