15. 俺がいないと、ここまで来られなかったくせに
大型遠征の朝は、異様なほど静かに始まった。
王城の門前に荷車が並び、騎士たちが最終点検をしている。神官組は治癒薬を、前衛組は武器を、霧島は測定器具を確認する。誰もが口数少なく、自分の役目を確かめていた。
奏真は荷車の前で、最後の縄を締め直していた。
見える。
どこが緩くて、どこが足りないか。
長くなった補給路で何が切れるか。
結界札がどの順で使われるか。
もう、この感覚に慣れ始めている自分が嫌だった。
「九条」
神崎が近づいてくる。
「今日……頼む」
その言い方が、妙に引っかかった。
勇者としての命令ではない。
友達としてのお願いでもない。
もっと曖昧な、依存に近い響き。
「最初からそのつもりで連れて行くんだろ」
奏真が言うと、神崎は少しだけ苦い顔をした。
「そう聞こえるか」
「聞こえる」
「……ごめん」
謝られても、もう何が正しい返しなのかわからない。
門が開き、一行は北東へ向かった。
王都を離れるほど、地面の質が変わる。石畳から土へ、整備された街道から古い踏み跡へ。遠くには低い丘と、灰緑色の森。その先に、旧ダンジョンの外縁部はあった。
入口は予想よりも地味だった。
山肌に半分埋もれた古い石門。
崩れた柱。
かつて結界が張られていたらしい痕跡。
王国の紋章ではない、もっと古く鋭い紋様。
奏真は一目見てわかった。
「……これ、王国式じゃない」
霧島がすぐ反応する。
「わかるのか」
「線の組み方が違う。たぶんもっと前の文明だ」
「神官資料と一致するな」
霧島は測定板を見ながら頷いた。
騎士たちはあくまで前へ進もうとしたが、入口手前で奏真の足が止まる。
「待って」
全員が振り返る。
石門の右柱、その根元。
半分土に埋もれて見えない位置に、薄い結界線が眠っている。
「そこ、境界が残ってる。踏むと起動する」
「またかよ……」
朱音が顔をしかめる。
騎士が慎重に土を払うと、やはり細い術式線が現れた。
しかも、それだけではない。石門全体へつながっている。
「封印起点だな」
霧島が低く言う。
「雑に踏めば入口ごと閉じる可能性がある」
騎士たちの顔色が変わる。
ここまで来て、まだ中にも入っていない。
それなのに最初の一歩から奏真頼りだ。
神崎が小さく息を吐く。
「九条、解除できるか」
その問いに、奏真は一瞬だけ黙った。
解除。
たぶん、できる。
でも、それはつまり“王国も騎士も神官もできないことを、自分だけがやる”ということだ。
役に立つほど、処分理由が増える。
そんな考えが頭をよぎる。
それでも、ここで止まるわけにもいかない。
「やる」
奏真は石門の前へ出た。
指先で線を追う。
切れているわけではない。
むしろ逆だ。長い年月で歪み、余計な位置へ流れている。
本来の順。
本来の起点。
本来あるべき閉じ方。
見える。
「この印、順番に押して」
神崎、霧島、朱音へ指示を飛ばす。
「神崎は中央。霧島は右上。朱音は左下。俺が起点戻すから、合図で一気に」
「了解」
神崎は迷わず答えた。
こういう時の神崎は、やっぱり強い。
判断の早さも、周囲を動かす力も本物だ。
だからこそ、その隣に立つ自分の立場が、余計に歪んで見える。
「……今!」
三人が同時に印を押す。
奏真は起点へ手を当てた。
《奪還の王》が熱を持つ。
崩れかけていた流れが、一瞬だけ本来の順序へ戻る。
石門が低く唸り、閉じる代わりに静かに左右へ開いた。
その場にいた騎士たちから感嘆が漏れた。
「開いた……」
「起動させずに?」
「こんな旧式封印を……」
神崎も息を吐いたあと、振り返って言う。
「助かった」
その一言は本物だった。
でも、その直後に騎士団長代理が口にしたのは、こうだった。
「さすが勇者戦闘団だ。初手から安定している」
その瞬間、奏真の中で何かが冷えた。
まただ。
自分が開けた道なのに。
自分が戻した流れなのに。
結果は全部、“勇者戦闘団”と“勇者”の枠へ入っていく。
神崎が何か言いかける。
でも、結局飲み込んだ。
その沈黙が、今日はやけに重かった。
ダンジョン外縁部は、内部に入ってからも厄介だった。
転移罠の名残。
封鎖扉。
誤作動を起こしかけた灯石。
模擬核より古い警戒術式。
奏真がいなければ、最初の十歩で止まっていたかもしれない。
「右壁、触るな」
「その床板、二枚飛ばして」
「補助札は青を先、黄色は後」
言われた通りに動けば進める。
だから神崎たちも騎士たちも、奏真の声に従うようになっていく。
そして進めば進むほど、神崎の顔は少しずつ変わっていった。
最初は純粋な信頼。
次に焦り。
そして、なんとも言えない硬さ。
それに最初に気づいたのは芽衣だった。
外縁部の休憩地点。
少し離れた位置で水を飲んでいた芽衣が、神崎を見つめる目に不安をにじませていた。
神崎は奏真の指示で助かっている。
それをわかっている。
わかっているからこそ、苦しそうだった。
だが、それでも前へ出るのは神崎だ。
騎士に声をかけられ、報告を求められ、評価を受けるのも神崎。
その構図が崩れないまま、現実だけが神崎を追い詰めていく。
そして、外縁部の最後に現れたのは巨大な封印扉だった。
今までとは格が違う。
石門全体が古い術式で固められ、周囲の壁にまで連動線が伸びている。
騎士たちは顔を見合わせた。
「ここは本来、調査対象外のはずだ」
「だが入口が半開きになっている」
「閉じるか、進むか……」
迷いが広がる中、神崎が奏真を見る。
「九条」
その声は、もうほとんど確信だった。
お前が必要だ、と。
奏真は扉へ近づく。
触れた瞬間、流れが見えた。
複雑だ。
だが、一本だけ異様に強い線がある。
誰かが後から無理やり上書きしている。
本来の封印とは違う、別の意志。
「……おかしい」
「何がだ」
霧島が問う。
「元の封印に、別の術式が被せられてる。たぶん王国側か、教会側の後付け」
「解除できるか」
「できる。でも——」
でも、それをしたらもっとはっきりする。
自分がどこまで“見えて”、どこまで“戻せる”のか。
奏真はほんの一瞬だけ迷った。
そして、その迷いの中で神崎の視線とぶつかる。
神崎の目は、助けを求める目だった。
でも同時に、どこか怯えてもいた。
——なんでお前だけ、そこまで見えるんだ。
そんな声が聞こえた気がした。
「……やる」
奏真は扉へ手を当てる。
《奪還の王》が脈打つ。
後付けの上書き術式。
不自然に奪われた本来の封印制御権。
それを、一瞬だけ元へ戻す。
石門が低く震え、重々しく開いていく。
その瞬間、騎士たちの間から歓声が上がった。
「開いた!」
「勇者殿の班、すごい……!」
その声を聞いた時、奏真の中で何かがはっきりと形を持った。
ああ。
やっぱり、そうなんだな、と。
俺がいないと、ここまで来られなかったくせに。
それでも称賛されるのは勇者で、
俺はただ“便利な補助”として使われる。
神崎が悪いとまではまだ言い切れない。
でも、このままではいずれ絶対に壊れる。
誰が。
何が。
その全部が。
そして神官長は、外縁部から上がってくる報告を聞いて確信を深める。
九条奏真は有用だ。
だが有用すぎる。
ならば——使い切る前に、処理の線も同時に引いておくべきだ。
その夜の帳簿に、さらに一行が加えられた。
——大型遠征後、処遇再審査。
誰も知らないところで、裏切りの準備は少しずつ進んでいた。




