13. 遠征前夜、俺だけが眠れなかった
大型遠征の話が正式に出たのは、三日後の朝だった。
西棟の訓練場に全員が集められ、騎士団長がいつもより短く、重い声で告げる。
「明日、王都北東の旧ダンジョン外縁部へ向かう」
ざわめきが起きる。
今までの訓練は王都周辺、旧術式区画、近郊巡回。
それが突然“ダンジョン”になる。
神崎でさえ少しだけ表情を引き締めた。
騎士団長は地図を広げる。
「本格攻略ではない。外縁部の調査、封印状態の確認、魔物密度の測定が目的だ。だが旧施設ゆえ、罠、結界、封鎖扉の類は残っている可能性が高い」
その瞬間、奏真は周囲の空気が微妙に変わるのを感じた。
封鎖扉。
罠。
結界。
つまり、自分が必要になる領域だ。
神官長が続ける。
「よって今回、九条奏真殿には勇者戦闘団補助要員として同行を命じる」
当然のように言われた。
でも、その当然さが嫌だった。
危険だから前には出さない。
だが必要だから連れて行く。
そんな都合だけが透けて見える。
訓練後、準備のための時間が取られた。
前衛組は装備調整。
神官組は治癒薬と護符の確認。
霧島は地図と計測器具。
奏真は当然、物資と術式対策一式。
いつもの流れ。
でも今回は、規模が違う。
補助札の束も、結界杭も、予備魔石も量が倍近い。
水、携行食、応急薬、縄、封印補助具。
これ全部を仕分けしていると、さすがに疲労より先に乾いた笑いが出そうになる。
「ほんとに俺ひとりでやるのか、これ」
「手伝う」
後ろから声がして振り返ると、レティシアが立っていた。
「神官組の準備、思ったより早く終わったの」
「ありがたいけど、いいのか」
「いいの。どうせ神官長には“余計なことをするな”って顔をされるでしょうけど」
珍しく少し棘があった。
奏真は一瞬だけ目を丸くし、それから小さく笑った。
「言うようになったな」
「誰かさんのせいで」
「俺?」
「ええ。あなたの扱いを見てると、思うところくらい出てくるわ」
レティシアはそう言いながら、自然に薬瓶を仕分け始めた。
彼女は手際がいい。
神官用、一般用、緊急用。迷いなく分けていく。
「これ、短時間治癒札と長時間安定札が混ざってる」
「やっぱりわかる?」
「神官見習いでもそのくらいはわかるわ」
「そうか」
少しだけ安心する。
全部が全部、《奪還の王》の感覚に頼っているわけではないのだとわかると、自分がまだ人間の範囲にいる気がした。
しばらくして、芽衣も来た。
「私も手伝う」
「またか」
「また」
芽衣はにこっと笑う。
「奏真くんひとりだと絶対終わらないし」
「終わらせるけどな」
「そういうとこだよ」
その会話の最中、少し離れた場所で神崎がこちらを見ていた。
木剣の調整を終えたらしい朱音が何か話しかけても、神崎の視線は一瞬こちらへ向いていた。すぐに逸らしたが、見られていたのは確かだ。
そして夕方、準備が一段落したころ。
奏真は王城の地下通路を歩いていた。
単に水を汲みに行っただけだった。だが、角を曲がった先で偶然、半開きの扉の向こうに自分の名前を見つけてしまう。
卓上の書類。
羊皮紙の見出しに、はっきりと書かれていた。
九条奏真
立ち止まる。
誰もいない。
喉の奥が少し乾く。
盗み見るつもりはなかった。
でも視線が外せなかった。
半開きの扉の隙間から、見えたのは数行だけ。
——監視継続
——危険性評価、上昇
——大型遠征にて最終判断の参考とする
その下は読めない。
けれど、それだけで十分だった。
「……は」
笑いそうになる。
乾いた、どうしようもない笑いだ。
大型遠征。
最終判断。
都合のいい補助として使いながら、その裏で値踏みを続ける。
必要ならそこで切るつもりなのだろう。
「九条?」
背後から声がして、奏真は反射的に離れた。
振り向くと、レティシアだった。
彼女は一瞬で状況を察したのか、顔色を変える。
「……見たの?」
「少しだけ」
「どこまで」
「十分なくらい」
レティシアは唇を引き結んだ。
その顔には、隠しきれない苦しさがある。
「私、全部は知らない」
「だろうな」
「でも……たぶん、思っているより悪い方向へ進んでる」
「それもわかる」
奏真は自分でも驚くほど静かな声で返した。
もう怒りより先に、妙に冷えていた。
レティシアが小さく言う。
「気をつけて」
「最近みんなそれ言うな」
「だって、他に言えることがないの」
その言葉には痛みがあった。
助けたい。
でも助け方がわからない。
あるいは、助ける覚悟がまだ決まりきっていない。
それがレティシアの限界なのだと、奏真はなんとなくわかってしまった。
夜、自室に戻ったあとも、眠気は来なかった。
大型遠征。
最終判断。
監視継続。
危険性評価。
そして神崎。
もし、神崎がそこまで知っているなら。
もし、知らずに勇者として前へ出ているだけなら。
どちらにしても、もう“何も知らない友達”ではいられない気がした。
窓の外には、異世界の夜空が広がっている。
見慣れない星の並び。冷たい月。
「……眠れるわけないだろ」
遠征前夜、奏真だけがずっと目を閉じられなかった。




