11. 笑顔の温度
その日の夜は、妙に寝つきが悪かった。
処分候補。
危険性。
勇者にはまだ伝えるな。
芽衣から聞いた断片的な言葉が、頭の中で何度も引っかかった。確定ではない。盗み聞きの一部にすぎない。けれど、これまでの扱いを思えば、むしろあまりにも自然な流れだった。
王国は最初から自分を歓迎していない。
教会は《奪還の王》を隠した。
神官長は自分を便利だが危険なものとして扱っている。
そこに“処分”が入っても、筋は通る。
「……最悪だな」
暗い部屋の中で、小さく呟く。
返事はない。
でも、その静けさが逆に現実味を増していく。
翌朝、奏真は食堂へ向かう前に一度だけ深呼吸した。
顔に出すな。
今できるのは、それくらいだ。
食堂に入ると、いつも通り神崎が手を上げた。
「九条、こっち」
その声も、笑顔も、昨日までと変わらない。
いや、変わらなさすぎた。
奏真は席につきながら神崎を観察する。
目の下に薄い疲れ。
笑っているが、口元だけ少し硬い。
たぶん向こうも、何かを隠している。
「どうした」
神崎が首を傾げた。
「いや、ちゃんと寝たのかと思って」
「それはこっちの台詞だろ。お前のほうが顔やばい」
神崎が笑う。
その笑顔に、昔の神崎を思い出す。
教室で気まずい空気になった時、さらっと話題を変えて救ってくれたやつ。
クラスの中心にいて、でも誰かを露骨に切り捨てたりはしなかったやつ。
だから、余計にわからない。
今目の前にいる神崎が、どこまで本当で、どこからが勇者の顔なのか。
「今日も西棟だってさ」
朱音がパンをちぎりながら言った。
「しかも午後は王都地下の旧訓練区画らしい」
「また旧施設か」
霧島が嫌そうに眉を寄せる。
「管理が甘い場所に異界人を連れて行くとか、かなり雑だな」
「いや、訓練ってそんなものじゃない?」
芽衣が言うと、霧島は首を横に振った。
「危険を管理できる範囲に置くのが訓練だ。制御しきれない旧術式が残る場所へ放り込むのは、単なる切り捨て前提の運用に近い」
その言い方に、数人が小さく黙る。
神崎が苦笑した。
「朝から言い方が怖いって」
「事実だ」
「お前、それしか言わないな」
笑いの形にはなったが、奏真の胸には別の意味で残った。
切り捨て前提。
霧島はいつも言葉が鋭い。
でも、今はその鋭さが妙に現実をなぞっている気がした。
西棟へ向かう途中、芽衣が少し歩調を落として奏真の隣へ来た。
「大丈夫?」
「何が」
「全部」
その聞き方が芽衣らしくて、少しだけ救われる。
「大丈夫じゃないけど、今は普通の顔してるしかない」
「……やっぱり聞こえたこと、神崎くんには言わないの?」
昨日の話だ。
奏真は少し考えてから答える。
「まだ、言えない」
「信じたいから?」
「たぶん」
芽衣は少しだけ眉を下げた。
「私も、そうかもしれない」
その言葉が妙に重かった。
幼馴染の芽衣ですら、もう神崎を“完全には信じきれない”ところまで来ている。
訓練場では、今日も役割は昨日までと変わらなかった。
神崎が前。
朱音が横。
霧島が後ろ。
レティシアが治癒。
奏真は補助。
わかってはいたが、改めて“固定された”ことを見せつけられると、少しだけ笑いたくなる。
「九条」
荷物確認をしていると、神崎が近づいてきた。
「今日、地下区画で少し広めの訓練やるらしい」
「らしいな」
「たぶんお前の役目、また増える」
「増える前提なのかよ」
「いや、昨日の感じだと絶対そうなる」
神崎は苦笑したあと、少し真面目な顔になった。
「……でもさ、お前がいると助かるのは本当だ」
「勇者様にそう言ってもらえると光栄だな」
少しだけ刺を混ぜると、神崎は言葉に詰まった。
「そういう意味じゃない」
「わかってるよ」
「いや、わかってない顔してる」
図星だった。
神崎は周囲を気にして少し声を落とす。
「昨日の神官長との話、気にしてるだろ」
その一言で、奏真の背筋がわずかに強張る。
「……何を聞いた?」
「いや、聞いたっていうか。お前のスキルについて慎重に扱うべきだって話だろ」
「それだけ?」
神崎はまたほんの一瞬止まった。
たったそれだけなのに、その“止まり方”がやけに目につく。
「今は、それだけ」
また同じ言葉だった。
今は。
奏真はその顔を見ながら思う。
嘘をついているのか。
全部は言っていないだけなのか。
あるいは、自分でも整理できていないのか。
神崎はいつもと同じ笑顔を作った。
「お前が変に警戒されてるの、俺も嫌なんだよ」
その言葉は、きっと嘘じゃない。
でも、全部本当でもない気がした。
笑顔の温度が、少しずつわからなくなる。
午後、王都地下の旧訓練区画は予想以上に広かった。
薄暗い石造りの通路。
等間隔に並ぶ古い灯石。
ところどころ消えかけた紋様。
そして壁や床に残る、昔の訓練用結界や疑似魔物術式の痕跡。
奏真は中へ入った瞬間、嫌な感覚を覚えた。
「ここ、まだ生きてる術式多いぞ」
「わかるのか」
霧島がすぐ反応する。
「見える。というか、ざわざわする」
「具体性がない」
「こっちだって好きで曖昧なんじゃない」
前方では騎士が簡易地図を広げて説明していた。
「本日は三班に分かれて旧訓練区画を周回する。目的は索敵、罠看破、緊急時の連携確認だ。中央区画の模擬核には触れるな。まだ安定していない」
安定していないものを放り込むなよ、と奏真は内心で突っ込む。
班分けは当然のように神崎班が主軸だった。
そこへ奏真、霧島、朱音、レティシアが組み込まれる。
進み始めてすぐ、奏真の違和感は当たった。
第一通路。
左壁の紋様が途中で切れている。
起動はしていないが、触れると反流しそうだ。
第二通路。
床の石板が一枚だけ新しい。
その下に簡易束縛術式。
第三通路。
前方の灯石が死んでいるように見えて、内部の魔力だけがまだ残っている。
「止まって」
今日だけで三度目の声だった。
神崎たちももう慣れたのか、すぐ止まる。
騎士たちのほうも、奏真の指摘を無視しなくなっていた。
結果として、班の進行は驚くほど安定した。
前衛の戦い。
霧島の測定。
レティシアの支援。
そして奏真の違和感の指摘。
全部が噛み合っている。
噛み合っているからこそ、中央区画に着いた時、騎士たちから神崎へ賞賛が集まった。
「さすが勇者殿、班運用が安定している」
「索敵も連携も予想以上だ」
「初期勇者団としては上々ですな」
神崎は「全員のおかげです」と返していた。
その言葉自体は本音なのだろう。
でも結局、受け取る側の認識は変わらない。
勇者が率いて、勇者がまとめた戦果。
それを見ていた奏真の胸の奥に、昨日とは少し違う感情が生まれていた。
羨ましい、ではない。
嫉妬でもない。
もっと嫌な、削られる感じだった。
自分がやったことが奪われるというより、
自分の立つ場所そのものが、少しずつ“勇者の影”へ押し込まれていく感覚。
その時、中央区画の灯石が一斉に揺れた。
「……まずい」
奏真が呟いた瞬間、古い模擬核が勝手に起動する。
騎士たちが慌てて動く。
床の紋様が連動し、中央に半透明の狼型疑似体が三体現れた。
「下がれ!」
騎士の声。
だが疑似体は本来の想定より明らかに強い。
神崎が前へ出て受け止める。朱音が横から斬り込み、霧島が妨害、レティシアが補助。形は悪くない。だが一体だけ、模擬核の歪みを受けて不自然に強化されていた。
「神崎、右!」
奏真が叫ぶ。
神崎が振り向く。
だが遅い。
強化個体が神崎の木剣を弾き、踏み込んでくる。
その瞬間、奏真は中央模擬核の歪みに目を向けた。
見える。
何かが“本来より多く取られている”。
疑似体へ流れ込む魔力が、必要以上に多い。
本来の訓練出力を超えている。
——奪われている。
そう理解した瞬間、《奪還の王》が熱を持った。
「戻れ!」
反射的に踏み込み、中央核へ手をかざす。
頭の奥が白くなる。
流れ込んでいた余剰魔力が、一瞬だけ逆流した。
強化個体の体表が揺らぎ、出力が落ちる。
「今だ!」
霧島の声。
朱音が斬り込み、神崎が体勢を立て直して木剣を叩き込む。疑似体は霧のように崩れた。
残りの二体も騎士の介入で片づく。
静まった中央区画で、全員の視線が奏真に集まった。
神崎が息を切らしながら言う。
「今の……お前が?」
「模擬核の余剰を戻した。たぶん」
霧島が目を細める。
「余剰出力の奪還、か」
騎士たちは明らかにざわついていた。
助かった。
だが、見てはいけないものを見たような空気でもある。
そして神官長は、その日さらに確信するのだろう。
《奪還の王》は、やはり危険だと。
王城へ戻る途中、神崎は何度か奏真を見ていた。
話しかけたい。
でも何を言えばいいのかわからない。
そんな顔だった。
奏真もまた、何を言えばいいのかわからなかった。
笑顔の温度が、ますますわからなくなる。




