10. 処分対象
昼食後、勇者戦闘団候補には再び西棟への集合が命じられた。
王城の中でも西棟は、妙に空気が固い。訓練場、倉庫、簡易術式室、神官の監督室。勇者候補や戦力として見られている者たちが集められるぶん、ここでは会話も視線も全部が“査定”に見えた。
奏真は歩きながら、自分でも少し驚くほど周囲を気にしていた。
朝の護符のことがある。
霧島にも見られた。
神官長の耳にも、たぶん入る。
ならもう、王国側の警戒はさらに強まるはずだ。
「九条」
前を歩いていた神崎が少し振り返る。
「顔、固いぞ」
「いつも通りだろ」
「いや、今日は余計に固い」
神崎は軽く笑ってから、声を落とした。
「なんかあったか?」
一瞬だけ、言うか迷った。
護符のこと。
《奪還の王》が本当に“戻す”力らしいこと。
王国と教会がたぶんそれを知っていること。
でも、結局言えなかった。
「別に」
短く答える。
神崎は少しだけ怪訝そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
訓練場では、騎士団長と神官長がすでに待っていた。
今日は木剣も訓練杭もなく、代わりに机と椅子、それから大きな王都近郊地図が広げられている。
実技ではない。
方針説明か、あるいは査定の続きか。
「座れ」
騎士団長の短い声に、全員が机の前へ並んだ。
神官長が口を開く。
「本日より、召喚者各位の役割はより明確に分ける」
ざわめき。
奏真は嫌な予感しかしなかった。
「神崎恒一殿は勇者候補として前衛指揮の訓練を優先。霧島悠人殿は後衛演算と戦況補助。桐生朱音殿は接近前衛、レティシア・アルノア殿は治癒支援」
そこまでは予想通り。
だが次の瞬間、神官長の視線が奏真へ向いた。
「九条奏真殿は、引き続き補助要員とする」
やはりか、と思う。
「物資管理、結界補助、術式記録、緊急対応の後方支援を主とする。戦闘前提の適性訓練は当面見送る」
空気が少し止まった。
昨日よりも、さらに露骨だった。
前へ出さない。
補助に固定する。
便利だが表に出さない。
「待ってください」
声を上げたのは神崎だった。
全員の視線が集まる。
「九条の訓練はしないんですか? 昨日も今日も、明らかに普通の補助じゃないでしょう」
神官長は感情の見えない顔で神崎を見た。
「だからこそだ、勇者殿」
勇者殿。
その呼び方をされるたび、神崎の顔が少しだけ固くなるのを、奏真は見ていた。
「九条奏真殿の《奪還の王》は性質が特殊すぎる。軽率な実地解放は危険を伴う。ならばまずは補助の中で把握し、必要なら段階的に扱うべきだ」
「でも、それじゃ——」
「勇者殿」
神官長の声が少しだけ低くなる。
「危険を承知で力を振るわせるのは、王国の責任として認められぬ」
もっともらしい。
そして、反論しにくい。
神崎は言葉を飲み込んだ。
奏真はそれを横目で見ていたが、責める気にはなれなかった。いまの神崎にここを押し切れるだけの立場は、まだない。
霧島だけは無言だった。
たぶん、この展開をある程度予想していたのだろう。
その日の訓練内容は、実技というより完全に役割確認だった。
前衛は前へ出る手順。
後衛は指示系統。
治癒役は優先順位。
そして奏真には、外征時の物資チェック表と結界札運用の帳簿が渡された。
見た瞬間、わかった。
これは訓練ではない。固定化だ。
帳簿の形式も、運用欄も、継続前提で作られている。
一時的な補助ではなく、今後も“この役目で使う”という前提。
「……ここまで露骨か」
思わず漏れた声に、隣のレティシアが視線を向けた。
「九条?」
「いや、なんでも」
「なんでもって顔じゃないけれど」
「いつものことだろ」
「いつものことにしていい顔でもないわ」
真面目な顔で言われて、少しだけ苦笑する。
午後の後半、全員が訓練場に散らばって個別確認に入ったあと、奏真は帳簿を持って倉庫へ向かった。だが、そこで思わぬ人物に声をかけられる。
「奏真くん」
芽衣だった。
白い支給服の上から薄い外套を羽織り、抱えた紙束を胸の前で押さえている。今日の彼女は前衛ではなく、神官補助や文書整理側に回されているらしい。
「どうした?」
「これ、神官室に持っていく途中なんだけど」
そう言って芽衣は少し言いにくそうに目を伏せた。
「さっき、神崎くんが神官長に呼ばれてたの」
奏真の足が止まる。
「……また?」
「うん。それで、通りがかった時に少しだけ聞こえた」
芽衣は躊躇いながら続けた。
「『九条は処分候補として記録を分けろ』って」
空気が一瞬で冷えた。
処分候補。
その四文字が、妙にあっさり胸に入る。
予感はあった。
警戒されているのもわかっていた。
でも、言葉として聞くと違う。
「聞き間違いじゃない?」
自分でも驚くほど平坦な声だった。
芽衣は首を横に振る。
「私も最初はそう思った。でも、そのあと“危険性”とか“勇者殿にはまだ伝えるな”とか……そういう言葉も聞こえた」
「……そう」
芽衣は心配そうに奏真を見つめる。
「大丈夫じゃないよね」
「たぶんな」
「神崎くんは、知ってるのかな」
その問いには、すぐ答えられなかった。
知らない可能性もある。
でも、もし知っていて黙っているなら。
そこまで考えて、奏真は頭を振る。
「まだ決めつけるのは早い」
「そうだけど……」
芽衣は唇を噛んだ。
彼女自身、神崎のことを幼馴染として信じたい部分があるのだろう。
それでも、ここまで聞いてしまえば不安にならないわけがない。
「芽衣」
「ん?」
「教えてくれてありがと」
「……私、何もできてない」
「十分だよ」
それは本音だった。
少なくとも、自分が知らないところで完全に処理されるよりは、ずっといい。
芽衣は少しだけ目を伏せ、それから小さく言った。
「気をつけて。神崎くん、最近ほんとに……ちょっと変だから」
その言葉が、やけに重く響いた。
夕方、神崎は何事もなかったように戻ってきた。
「九条、今日の帳簿もう受け取ったか?」
「受け取った」
「なんか……完全に係決めみたいになってたな」
苦笑混じりの声。
奏真はその顔を見た。
疲れているようにも見える。少しだけ硬い。だが、嘘をついている顔かどうかまではわからない。
「神官長に呼ばれてたんだろ」
聞くと、神崎の表情がほんの少しだけ止まった。
「ああ。今後の訓練方針とか、王国の期待とか、そういう話」
「俺のことは?」
神崎は一瞬だけ視線を逸らし、それから戻した。
「……九条のスキルは危険かもしれないから、慎重に扱うべきだって」
半分、本当だろう。
でも半分、足りない。
「それだけ?」
「今は」
今は。
その言い方が、妙に引っかかった。
芽衣から聞いた“処分候補”の言葉をここでぶつけることもできた。
でも奏真はしなかった。
まだ、確かめ切れていない。
神崎を信じたい気持ちが、完全には死んでいなかった。
その夜、奏真は初めてはっきり理解する。
自分はもう、“勇者の仲間”ではないのかもしれない、と。
王国と教会にとってはもちろん。
そしてたぶん、近い将来、神崎にとっても。




