第39話 『大罪勇者は償いたい』/ep.894 邂逅
それはある日の事。
重苦しい静寂に包まれた法廷には、かすかな衣擦れの音だけが響いていた。
壁には、三体の目を閉じた女性の像が、その灰色の腕を合わせて立ち並んでいる。
その下で顔を隠し、白い服に身を包んだ人物が数人並んでこちらを見下ろしていた。
並びの中央で一人、その人物だけが手元の書類に書かれた文を淡々と読み上げている。
「――よって被告は騎士団長ガスターを殺害し、あろうことかその娘のエイダの命さえも奪ったとして――」
「違う!」
判決が終わる前にと、男は暴れて叫んだ。
身体中に巻きつけられた鎖は地面に固定されていて、逃げることはできない。
ジャラジャラと鈍い金属音を上げるばかりだ。
「待ってくれ! 違う! 俺じゃない! 何かの間違いで……!」
「黙れ人殺し!」「団長を返せ!」「死んで償え!」
男の血を吐くような訴えは届かないどころか、後ろの傍聴席にいた者たちの感情を逆撫でするだけだった。
味方は一人もいない。
冷え切った石の地面が、容赦なく体温を奪っていく。
男は口元を震わせ、それ以上何も言うことはできなくなった。
「反省の色が無いと見える。裁判長――」
中央の人物――裁判長と呼ばれた男が隣の人物に耳打ちされ、何度か厳かに頷いていた。
やがて手元のガベルが数回叩かれ、空気をびりびりと震わせた。
「被告人に告げる。――死刑、では生ぬるい」
傍聴席がざわつき始める。
それは誰もが「死以上の苦痛」を望んでいたということ。
観衆のその反応に、男の絶望はより色濃くなる。
そして裁判長は無慈悲に言い放つ。
「貴様を、地獄へ――――伏魔殿へ追放する!」
パタン――と、将斗はそこで本を閉じた。
「……俺は一体何してんだ」
白い部屋の端に置かれたベッドの上で、将斗は本を持つ腕をベッド枠の外へぶら下げた。
途中でシャツ(二代目)の袖のボタンが引っかかる。そのせいで本は床へ落ちてしまった。
ひっくり返った表紙に描かれたタイトルは『大罪勇者は償いたい』。
全50巻のうち、将斗は初めの方と最終巻のみパラパラと読んだ。その後、特にやることもないので、一巻をもう一度読み直したところで我に帰っていた。
ベッド脇には歪なジェンガのように立ち並んだ本の塔があった。
どうやらスピンオフもあるというので、五十冊以上は余裕であるだろう。
将斗はゴロンと転がってうつ伏せになり、そのそびえ立つ活字の山を眺めて、深々とため息をついた。
首に引っ掛けていた赤い宝石は、いつしか顔の前にあった。光源のわからないこの白い部屋の光を反射し、静かに煌めいていた。
向こうは何をしている頃だろう。
「あっちは、まさか俺が本読んでるだけだとは思わんよなぁ……」
将斗がこうしてのんびりしているのには理由がある――
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――二日前。
将斗が二十八番目の世界から帰った直後のこと。
「あれ、読んでおいてくださいね」
「なんですか急に」
白い部屋の中央で、将斗は鮭の塩焼きをおかずにしたザ・定食を食べていた。
神様が出してくれたものだ。
太陽も時計もないから、三食のうちの何飯に当たるのかはわからない。
しかしながら出来はいい。塩加減もちょうど良く、将斗の口によく合う。
さっきまで神様も向かいで一緒に食べていたのだが、急に箸を置いて将斗の背後を指差したのが始まりだ。
「あれって?」
将斗がそう言って振り返ると、そこには山積みになった本が置かれていた。
表紙がアニメチックなイラストだったので、すぐにラノベだと分かった。
遠目に見えたタイトルは『大罪勇者は償いたい』。
それを見て、将斗はあからさまに嫌な顔をした。遠目に数えても五十巻以上ある。
「気軽に『読んで』って言える量じゃなくないですかね?」
「あれを二日以内に読んでください」
「は?」
神様が無邪気にピースをしている。
にっこり笑っているが、頬に嫌な汗をかいているのが見えたし、ピースの指先もよく見れば小刻みに震えていた。
物理的に無理なことを言っている自覚は大アリらしい。
「五、六十冊はありますよね。雑に計算して、人間が一日で三十巻読めると思ってんですか?」
「そこをなんとか……」
「大体なんのために読むんですか。まずそこからですよ」
神様は口元をおしぼりで上品に拭いて、それから答えてくれた。
「将斗さんに次に行ってもらう世界も、会ってもらう人も、あの本に書かれている内容そのものだからです」
「……例の『異世界モノは実話』ってやつ?」
神様と初めて会った時、『異世界モノの五割は本物、つまりはノンフィクション』という話を聞いた。世界を救った後、自身の体験談を綴っている転生者たちがいるというあの話を思い出す。
つまり将斗はこれから、このラノベの主人公を相手に戦うということになる。
全五十巻以上もの死戦をくぐり抜けてきたような人物に歯が立つのか、将斗は急に心配になって、呑気に味噌汁を飲んでいた手も止まった。
「……読む読まないはさておき、よほどリアルで人気だったんですね。いや待てよ……ってことは、スキル持ち逃げしてる転生者は、元の世界にいるってことですか」
「そこが違うんですよ。この本を書いた作者と、この主人公は別なんです」
違うと言うが、神様も言ってることが違う。
転生者は帰ってから本を書くのではなかったのか。
首を傾げた将斗に対し、神様は一度ご飯を口に持って行き、頬張りながら続けた。
「たまたまなんですけど、たまに異世界で起きてることをそっくりそのまま小説にできる方がいて、この本の作者もその一人なんです」
「じゃあ、転生者自体はまだ異世界にいると」
「そうです。なんでそんなことができるのかは、私たち神でも分かっていません。何か受信してるのかも知れませんが、どういうメカニズムなのか……。とにかく、この本を読めば色々と見えてくると思いますので読んでください」
「簡単に言うなぁ。だから二日じゃ無理ですって」
抗議しながら、将斗は再度本の山を見た。
一日二十四時間。徹夜して一時間一冊のハイペースで読んだとしても四十八巻。
どう考えても間に合わない。
ふと立ち上がって、適当に一冊開いてみた。
「しっかも、読み応えあるタイプかよ……」
みっちり地の文が書かれている重厚なラノベだった。
一人称視点ではなく三人称視点で書かれていて、風景から主人公以外の心の内や、何から何までみっちり書いてある。
こういうのは細かい背景情報や設定までより鮮明に見えてくるから面白いのだが、時間制限付きで『読め』と言われている今の状況とは絶望的に相性が悪い。
「これやっぱ絶対二日以内は無理ですって」
「じゃあ、直接頭に流し込む方法で行きますか……」
「またアレ?! 嫌なんですけど!」
異世界に飛ばされる前に受けた神様の謎の技。鈴木雄矢の情報や、国の情報や何やらを一気に詰め込むからか、頭が爆発しそうなほど痛むので、将斗は可能なら二度も味わいたくないと思っていた。
それに比べれば、徹夜でラノベを読破する方がマシ、
「ではないな。どっちもどっちだ……」
苦い顔をして呟いた。苦渋の選択を強いられている。
睡眠をとるか、あの脳が焼け焦げる苦しみを受け入れるか。
そもそも前もって準備しないから、こんな夏休み最終日の小学生みたいに詰め込む作業をする羽目になっているのだ。
将斗は、神様はその辺りのスケジューリング能力に致命的に弱いとみていた。だから返済期限だってギリギリになってしまうのだ。
となると返済期限についても今回はあまり期待できない。
「その感じだと、出発は二日後ってことですよね。で、期限までそっから何日後あるんですか?」
「ふふふ、なんと今回は長いですよー!」
「おぉ!」
ズバリと、自信満々に鼻を鳴らし、神様は指を立てる。
期待してなかった将斗だったが、その姿に希望を見出した。
今回は十分な時間が――
「七日間です!」
「五十巻駆け抜けた転生者が相手なら短いだろそれは!」
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――そして現在。
もう約束の二日後になった。
押し付けられた小説は、少しでも転生者より優位に立とうと必死に読み進めたものの、結局間に合わなかった。
得られたものは少ないが、少なくとも主人公の――白峰竜次周りの情報は集まった。
彼は、ある神のスキルを持って転生したことで、一部の人間から反感を買った。その者たちに冤罪を着せられ、『伏魔殿』へ追放される。それがこの物語の始まり。
その後繰り広げられるのは、自身を信じてくれない人類に絶望しつつも、『伏魔殿』で出会い、共に生き抜いた仲間を守るために、手段を選ばず戦うダークヒーローものが展開された。
正義の心はあるようで、最終巻では『七大罪の魔人』から人々、そして世界を救っていた。
彼は初めこそ優しい柔和なイメージがあったが、追放されてからはどの巻でも、目的のためならどんな手も使う冷徹さが目立つ。
スキルを奪われると分かれば、将斗も安全では済まないだろう。
しかし、あの前例《雄矢》と比較すると、引っかかるところがある。
「……話せばわかってくれそうな気がしないでもないような。でも雄矢も魔王倒すまでは良い奴風にしてたんだっけか――」
その時、バァン!!!と、空気を破るように扉が開け放たれる。
白い部屋の端の扉の前で、神様が息を切らしていた。
神って息切らすんだ。ていうかこの部屋、扉あるんだ。扉の奥には一体何があるんだと、将斗の頭に色々疑問が浮かぶ。
神様が大きく息を吸ってから顔を上げた。
「遅くなりました! では!」
神様が手のひらを向けてきた。
「いってらっしゃ――」
「ストオオオオオオオップ!!」
将斗は反射的に弾かれたようにベットから起き上がっていた。
油断も隙もない。
「何してんですか! またいきなり飛ばそうとしましたよね!?」
「でっ、でもこのタイミングで飛ばすのが、一番いい結果が出るので」
「もう少し段階踏んでくださいよ! 大体良い結果って、だってあんたの予想当たらないじゃん!」
「うっ……」
前回の世界の一件で、神様は自分の予想に自信がなくなってきているという話を、昨日の食事中に聞かされていた。
自分で言うから気にしてないのかと思い将斗はイジってみたのだが、思ったよりも神様は苦い顔をしていた。
ほんの少しの罪悪感を覚えていると、神様はあわあわと焦り始めた。
「ほ、本当は、大抵当たるものなんですって」
「じゃあ今回はどういう流れなんです?」
「それを言ってしまうと未来が変わってしまうので無理です言えません。というか読み終わりました? 読み終わりましたよね? 最悪読み終わってなくてもなんとかなるんで大丈夫だとは思いますが」
やけに早口だった。
将斗が怪しく思って首を傾げたその瞬間のこと。
「心配というなら、ではこれを持ってください!」
「え?」
そう言いながらポンと手渡されたのは『大罪勇者は償いたい』の一巻と五十巻。
突然最初と終わりを渡されて、将斗は疑問符を浮かべ顔を上げた。
「ごめんなさいっ!」
「は?」
ふっ、と視界が暗くなった。
完全に暗くなったわけではなくて、淡い緑の照明が天井のあちこちから弱々しい光を届けてくれている。
次に感じたのは――。
「え、寒っ」
刺すような冷気。
洞窟内は陽が届かないのか、周りを囲む岩盤全てが静かな空間を作り出した上で、その温度を完全に手放しきっていた。
「まさか……もう異世界?」
周りを見て気づいた。淡い光を放っているのは、岩の隙間から伸びていた大小様々な水晶だ。
どう考えても、あの白い部屋からは移動している。
将斗は大きく息を吸い込んだ。
「だから召喚ゲートみたいなやつはぁぁ?!」
わぁ、わぁ、わぁと、将斗の怒りが遠くの方まで反響していくのが聞こえる。
どうやらこの洞窟の奥行きはかなりあるようだった。
人どころか、生物の気配すら微塵も感じられない。
感じられないが――。
「……とりあえず、隠れないと」
これには理由がある。ラノベを読んだことで得た知識だ。
洞窟、怪しげに光る緑の水晶。これは本の中にあった『ダンジョン』という空間についての記述と酷似している。
おそらく自分は今そこにいると、将斗は判断した。
『大罪勇者は償いたい』では、主人公やその他がダンジョン内で魔物と死闘を繰り広げるシーンが、どの巻にも描かれている。
何故なら、ストーリー展開が全てダンジョンを中心にしているからだ。
そんな戦いの舞台に放り込まれた今のこの状況は、将斗には文字通りの命取り。
特に今の将斗には。
「マジで送る場所はもうちょっと考えてくれよ」
そう言って、前後一本道の洞窟の岩肌に近づく。
窪みでも開いてくれていれば身を隠して状況を整理したいところだ。
将斗はステータスウィンドウを開き、自身のスキル欄を確認する。
そこに並んだ白い文字は、二行しかない。
「マジでこの仕様どうにか――」
将斗の愚痴は、足元から伝わってきた振動によって呆気なくかき消された。
ズンッ――――ズンッ――――――
足から伝わってくるその揺れに、内臓が震える。
息を殺し、辺りを確認する。
生物らしきものが近づいているのは見えない。
音は次第に大きくなってきていた。
しかし、視界にはやはり何もいない。
どの方向からの音なのかもはっきりわからない。
だが、確実にこちらに近づいてきている。
ズンッ!――――ズンッ!――――――
音は、明確な地鳴りを伴い始めた。
もうすぐそこまで来ている音だ。
地震とも思えるほどの激しい揺れに、今の将斗は立っていられない。
「ああああもうどこから来てるんだよ!」
前後の通路にそれらしき巨大なシルエットはない。
緑色の光は何もない洞窟を不気味に照らしているだけ。
なら、この音はどこから――。
――バギッ
揺れと音が最大となった時。
将斗の目の前、少し斜め上の岩壁がメキメキと裂け始めていく。
――そして、爆発した。
「うわああああああああ――――!!」
将斗は驚愕の光景に叫んだ。
瓦礫を吹き飛ばして壁から突き出たのは、超巨大な狼の頭。
それが三つ。
ファンタジー作品であれば、ほぼ確実に見ることとなるあの神獣――ケルベロスだった。
強烈な悪臭を放つ大量の唾液と、廃工場を思わせるむさ苦しい鉄の匂いのする血を口から撒き散らしながら、巨獣が現れたのだ。
将斗はすぐに、食われる、と思った。
生物の本能的な部分が刺激され、思わず尻尾を巻いて駆け出すところだった。
だがその獣は、すでに白目を剥いていた。
よく見れば胴体はあり得ない『く』の字にへし折れていて、その折れ曲がった頂点を先頭にして、壁をぶち破ってきていたのだ。
そのひしゃげた体の内側に、人影が見えた。
赤と黒を基調とした、ボロボロのロングコート。獣の胴体へ右腕を深く突き刺したままの、白髪の長身の男。
その男の左目が、一瞬こちらを見た。
「あいつは――」
将斗は思わず呟いた。
確信があった。
音の主は、彼だ。
この超巨大なケルベロスを拳一つで殴り飛ばし、そのまま岩壁をぶち抜いてきたのだ。
そんなデタラメな芸当ができるのは、彼しかいない。
あの全五十巻の主人公しかいない。
――やがて洞窟全体を揺らしながら、瓦礫ごとケルベロスは地面に叩きつけられた。
巨獣の体はぴくりとも動かない。
彼が最後の一撃でもって殴り殺したのだろう。
男はその死体の上で、深く突き刺さった右腕を抜こうとしてか、ゆっくりと体を起こした。
やはり、将斗は彼を知っている。
本の中で、何度も、挿絵で彼の姿を見た。
「白峰……竜次」
「おい――」
彼がこちらを見た。
名は白峰竜次。
将斗の次の標的。
神のスキルの名は――『暴食』。
そのスキルは『喰らった相手の力を奪うこと』。
そして『奪う力』は、なにもスキルや魔法だけにとどまらない。
その魔物の特徴も、性質も全てその身に取り込んでしまう。
それを象徴するのが、彼の体だ。
ズルッ、と。
夥しい量の赤い液体を撒き散らしながら、獣の胴体から右手が引き抜かれる。
露わになったその右手は、まさに『異形』だった。
人にはあるはずのない鋭利な棘や黒い刃が無数に露出し、自立した意思を持っているかのように蠢いていた。
本に書かれていた通りだ。力の代償により、異形と化した彼で間違いない。
同時に、この世界で『最強』の称号を持つ者でもある。
その右手を忌々しく振り抜き、血を払いながら、彼は将斗を睨みつけてきた。
「……ただの人間が何故こんなところにいる?」
地を這うような低い声で、彼は問いかけてくる。
「ここは下層だ。お前みたいな奴が……」
言いかけて、正常なはずの左目の瞳孔が、極限まで細く、猫のように縦に収縮した。
それは獲物を定め、その本質を『鑑定』しようとする捕食者の目だった。
同時に、眉間には不快感と警戒心が綯い交ぜになった、深い深い皺が刻まれる。
竜次の冷たい視線は、最後に将斗の着ている異質な白シャツを射抜いた。
「その格好……まさかお前。日本人、か?」
「……」
将斗の思考がフル回転する。
ここで嘘をつけば、後で困るかもしれない。
だが今正直に言ってどうなるか。
「……えと……」
「答えろ」
声のトーンが、さらに一段階重く沈み、向こうは問いただしてくる。
やがてケルベロスの死体から降りた彼は、異形の右手を蠢かせながら、ゆっくりと間合いを詰めてきた。
極寒のはずなのに、嫌な汗が背中をとめどなく流れていく。
「お、俺は……」
答え次第では命はない可能性がある。
例えば、雄矢なら間違いなく殺してくる。
だが、話が通じる相手かもしれない。
これはラノベを読んだことで将斗が勝手に抱いた彼のイメージでしかない。
白峰竜次は一体どちらか。
首から下げたネックレスが、じわりと熱を帯びるのを感じた。
ここで選択を間違えることはできない。
今は帰るべき場所がある。
だから死ぬわけにはいかない。
自然と、手の中にある二冊の本を強く握りしめた。
「俺は――」
将斗の選択は――。
2章始まります。更新はちょっとずつです。許してください。多分通知行くんでブックマークしていただけると良きかと思います。
2章はお察しの通り、追放系です。
敵か味方か……




