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第34話/最終話 無限の終わり 


「ぐっ…………っ!!」


 グレンは、動けない。

 その腕に握った剣は、愛するルナへと向けられている。


 その体は、雄矢の支配下に置かれていた。

 グレンは催眠魔法に必死に抗おうとするが、それは叶わない。

 ただ腕が小刻みに震えるのみだった。


「アハハハッ、やっぱ効いてるよな! そうだよな!」


 雄矢は幼子のように跳ねて、今の状況に喜んでいた。

 グレンはその声を背に受けて、歯を食いしばった。


「なぜだっ……?!」

「何故って? なぁ〜、何故って?」


 雄矢はその声色でもわかるくらい顔を歪めて、覚えたての知識を話したくてウズウズしている子供のように興奮している。

 ゆっくりと彼は、動けないグレンに詰め寄って、肩越しに言った。


「アッハハ! 知ィらねぇよ! 効きそうだなって思ってやってみたらかかったんだよ、笑えるよな!」

「――?!」

「驚くか? 驚くよな! 俺だって驚いてるよ。だってこんなところで、普通かからねぇだろ催眠魔法!」


 声を裏返して、悦に浸りながら、雄矢は語る。

 年甲斐もなく、小さくジャンプを繰り返して、狂ったように笑い続けた。


「なぁお前薬飲んでたんだよな! 効かないはずだよな? でも、効いた! こんな局面であるかよ普通! ないよな! ないよな!!? ないよなぁ!!!?」


 雄矢は煽り続ける。

 なぁ! と、グレンの耳元で叫んでいる。


 グレンは気合いで首だけ無理矢理回して、背後に立つ雄矢の姿を捉えた。

 反撃を恐れてか、雄矢は距離をとるために下がった。

 そして何かを浴びるように、両手を広げた。


「やっぱさぁ! 俺は選ばれた存在なんだよ! 間違いない! 確信した! じゃなきゃ筋が通らねえよなぁ、こんな 幸! 運!」


 地平の向こうから、完全に日が昇る。


「俺はやっぱ、主人公だったんだ! アハハハッ、ハハハハハハハハッ!!」


 雄矢の背中を、太陽が神々しく照らている。

 彼はそれを体全体で受け止めていた。


 グレンは息を呑んだ。


 だって、まるでそれは、世界全てが彼を祝福しているように見えたから。


 彼に逆らおうとしても、世界が味方する。

 あらゆるものが、風向きを変えて彼を後押しする。


 全ては彼を中心に回るべきで、他のありとあらゆる生物は全て、彼に従わなければならない。そう、事実として突きつけられているようだった。


「……ふざけるなッ……!」


 そんなものを受け入れられるわけがない。

 受け入れられない。


 そんな理不尽に、両親は殺されたのか。

 そんな理不尽に、国民は苦しめられたのか。

 そんな理不尽に、全てが支配されていいものか。 


「ふざけるなッ!」


 脳から下す命令に全身が拒否している。

 それでも無理に肉体を動かそう足掻いた。


 グレンの全身を、筋繊維がちぎれるような激痛が襲う。

 雄矢の命令を無視して動こうとするからか、ありえない痛みが身体中を覆っている。


「ぐぅぅうっ……!」


 歯を食いしばって、耐えた。耐え続けた。

 全身を死ぬ気で動かせ。

 抗え。

 そう言い聞かせて、彼は物言わぬ体を必死に制御しようとする。


「動けねぇんだよバカが!」


 雄矢が言うと同時に、グレンの体の上から、鉛の塊が降ってきたような感覚が降りかかる。


 その重みには、体も思考も押し潰されそうになる。

 直後、グレンの腕が、勝手に剣を振り上げた。


 その軌道の終点には、傷を押さえてうずくまっているルナがいる。

 考えなくても、無慈悲に振り下ろそうとしているのは明確で、

 

「させるかッ……!」


 グレンは、腕がこれ以上動かないよう、歯が砕けるくらい噛み締めて必死に耐えた。


「あぁ? 動けよ、ほらっ!」

「ぐぅぅっ! ……がぁっ……!」

「チッ……」


 雄矢は何度も魔法をかけ直そうと、手を振る。

 重なるように襲いかかる支配の重みに、グレンは目を血走らせながら耐えていた。

 大量の汗と、開いた傷口から噴き出す血が、広間の床を濡らしていく。


「効きが悪いな。本調子じゃねぇからか? めんどくせぇ」

「……今すぐ……これを解け!」

「うるせぇうるせぇ。まぁ、付き合ってやるか。いつまでも持たねぇだろうし」


 雄矢は余裕そのもの。

 一方グレンの体が徐々に動き始める。


 抵抗に対して、雄矢の支配が上回り始めていた。

 それはグレンの力が弱まってきたのか。それとも、雄矢の魔法が回復してきたからなのか。


 その様子をルナが、怯えた顔で見上げていた。


「君に……そんな顔をさせたかったんじゃない」


 グレンは呟く。


 彼女の足から流れている赤い血は、操られたとはいえ、自分がつけた傷だ。

 グレンは悔しさに、血が滲むほど唇を強く噛み締めた。


 本当なら、生きていることを喜び合うはずだった。

 まずは、どうして生きているのか、そこからだ。

 

 再会を祝して、二人で笑いあう時間があるはずだった。

 

 しかしこのままでは、彼女の命を奪うことになる。

 また目の前で、失うことになる。


 ――また、奪われてしまう。


「ああああああああああああああああっっっっっっ!!!」


 グレンは叫んだ。叫びで気を奮い立たせ、雄矢の支配に抗う。

 魂の一欠片も、奴に明け渡す気はない。


「こいつッ……往生際悪ぃな!」


 雄矢が再度手を伸ばし、グレンに向ける。

 更なる重圧に、彼は――負けない。

 全身全霊で叫びながら耐え続けた。


 いつまで持つか。

 雄矢の言う通り、限界はくる。


 苦しみの中で、グレンは思考を巡らせ打開策を探し続けた。


 その時だ。


「いつまで、そうしているんですか」


 ルナが、そう呟いた。


「皆、戦っています。だから――」


 彼女は俯いたままそう言っている。

 グレンはその言葉が誰に向けられているのか分からなかった。

 まさか自分――ではななさそうだ。


 彼女の顔はグレンではなく、別の方を向いていて。

 

 やがてルナははっきりと顔を上げた。

 視線と言葉は、その先の虚空に向けられていた。

 

「勇気を出して、一緒に戦いませんか?」


 バチッ――。


 空気が弾ける音を、その場の全員が聞いた。


 グレンは視線を動かすことができない。

 雄矢と、ルナだけがその方向を見ることができる。

 

 雄矢の右側。

 広間の端に、光の粒が収束していく。


 その光景に雄矢は、面倒そうに口を開いた。


「今更出てきて何の用だよ」


 そこにあったのは――


「……簡単に言ってくれるな」


 クリスが――大弓で光る矢を引き絞って、震える手で雄矢を狙っている姿だった。


「『魔法矢マジック・アロー』!」


 彼女が覚悟の表情で言い放つと、輝く矢が射出される。

 白い軌跡を残して、雄矢を貫こうと一直線に飛んだ。 


防御魔法シールド――ちっ?! 『防御魔法シールド』ッ!」


 二回目の詠唱で、雄矢は右手の前に透明な防御壁を形成する。

 不調が続けば射抜けたのにと、クリスは舌打ちする。

 

 彼女は手に力を込めた。

 その先で、光る矢はシールドに衝突し消える――ことはなく、光を溢れさせながら、透明な壁を貫こうとしていた。


「魔力切れまで追尾だっけか? いくらお前でもこの壁は越えられねぇだろ!」

「それでもいい! グレン! 今のうちだ!」

「ぐっ、ぁああああああああああああああああああああああ!!!!」


 グレンが雄叫びをあげ、命令を無視して動き出す。

 雄矢は『防御魔法シールド』を発動したことで、催眠魔法への意識が薄まっていた。

 それが、グレンの動き出す隙を生んだ。


「こいつっ……!」


 だが雄矢は負けじと、左手に力を入れる。

 濁流のように押し寄せる魔力の奔流。

 グレンはそれに再び飲まれそうになる。体の支配権が、奪われる。


「無駄なんだよ……っ! 俺の無限の魔力に敵うわけないんだよ! いい加減気づけよ雑魚ども!」

「ぐあああああああああああああああ!!!」

「聞けよ! 諦めろよ! ……クソッ、早く治れ、治れよクソが!!」


 魔力暴発の影響を雄矢は呪った。


 本調子なら、満身創痍の男を操ることなど朝飯前。

 しかし今の暴発の影響を残した状態で、『防御魔法シールド』を維持しながらの催眠魔法の操作は、至難の業だった。


「諦めろよ! 往生際が悪いんだよ! あぁそうだ。クリス、お前の魔力だって大して無ぇだろうが、無駄な足掻きなんだよ」

「そうだな無駄かもしれない。だとしても、最後まで足掻くだけだ!」


 その言葉に、魔法の矢から溢れている光の量が増す。

 ありえない光景に雄矢は目を見張る。

 『防御魔法シールド』が、雄矢の右手が、じりじりと押し返され始めたからだ。


「こいつっ!? 押し切る気か、無理だって言ってんだろ! 無駄だ!」

「グレン! 早く斬れ!」

「ハァアアアアアアアアアアアアア!!」

「黙れよ! どいつも! こいつもっ!」


 雄矢は気圧されないようにか、叫び出す。


 シールドを押し返し、グレンへ魔力を浴びせる。


 だが対する二人も、全力を出して抗っていた。


 雄矢の背筋を一筋の冷や汗が伝い落ちる。

 この拮抗状態、ただ耐え続けるだけなら、雄矢に分がある。


 それでも、例外となる不確定要素が一つだけ存在した。


――あいつは……いつ来る?


 脳裏に浮かぶのはあの転生者――渡将斗の存在だ。


 雄矢を優位に立たせているのは当然『無限魔力インフィニティ』によるもの。この神のスキルを奪われれば一気に形勢が変わる。

 

 だからこそ、この広間へのルートはすべて物理的に潰した。

 昇ってくるには、『浮遊フロート』を使うしかない。


 魔力暴発を受けたあの男が、そう簡単に飛んでこれるはずがない。

 守られていたグレンでさえ、滞空しているのがやっとなくらいなのは見ていた。


 あの男が、魔法を使えるはずがない。そう結論づけ――


「んなわけあるか……っ!」


 希望的観測で安易に結論づける脳を、よく考えろと無理やり覚醒させる。


 あの男は、いつだって最悪のタイミングで再び現れたから。

 来ないという前提で考えていては二の舞になる。

 雄矢は切り替える。

 『将斗が来る』という最悪の前提を条件に、策を練る。


 時間はある。

 今抗おうとしている二人が、これ以上押し返してくることはほぼ無い。


「考えろ……考えろ……キレんな。冷静になれば、俺だって……」


 雄矢はブツブツとそう呟いて、精神状態の安定化を図った。


 すると意外にも、彼の思考は言葉通り――いやそれ以上に、明鏡止水の如き静けさでクリアに物事を捉え始めた。


 この極限の土壇場での覚醒。

 思わず口角を上げた。

 それこそが、自分が『特別』であることの証明だと確信しながら。


 右を見た。

 クリスの魔法の矢は一瞬威力が増していたが、よく見れば徐々に光が弱まってきているのが見えた。

 

 左正面を見た。

 グレンも、命令に抗い続けていはいるが、反撃できるほど動くことはできない。


 正面にいるルナは、いまだ傷口を押さえてうずくまったまま。


 ならば――


「おいおいクリスさんよ、弱まってきてるぜ。もう限界なんだな? 口ほどにもねぇよ! そんなんじゃアリスが浮かばれねぇな!」

「……っ?! 黙れっ!」


 魔法の矢が息を吹き返したように威力を増す。

 気をつけていなければ押し返されてしまいそうだが――これは、雄矢の狙い通りだった。


 本職が『弓兵』の彼女は、魔力の総量が少ない。

 あえて挑発して出力を上げさせ、魔力切れを早める算段だ。


 その狙いは見事に的中し、時間が経つにつれ魔法矢の出力が弱まる。


 ――ダン。


 雄矢は覚悟を決めた。

 もしこの後、どこからか将斗が来たら、まずシールドを解除する。


 ――ダン。

 

 雄矢は犠牲を払う覚悟を決めた。

 出力の弱まった魔法矢なら、多少当たったところで致命傷にはならない。

 多少の肉を切らせる覚悟がなければ、この命懸けの復讐者たちに勝つことはできない。


 自分の肉体すらも、勝利のために投資するということだ。


 矢を受けた直後には『防御魔法シールド』に回していた意識も、魔力も全て催眠魔法に注ぎ、一気にグレンの体の主導権を奪う。


 ――ダンッ ダンッ。


 操ったグレンにルナを斬らせ、直後に防御魔法で自身の周囲を再防御。

 愛する人を失い心が折れているであろうグレンなら、それ以上抗うことはできないはず。

 そのグレンを渡将斗にぶつけてゲームセット。


 クリスの存在などは、もはや消化試合に過ぎない。

 

 圧倒的なフィジカルを持つグレンであれば、今の渡将斗を倒すのは容易。


 天敵である『回収コレクト』さえ潰してしまえば、自分に負けはない。雄矢は自らの完璧なシナリオに確信を持った。


――ダンダンダンダンッ!


 音がする。


 雄矢は冷静だった。

 心の準備は完全に終わっていた。


 だから、背後から急速に近づいてくるその()()など、驚くに値しない。


――背後の垂直な石の城壁を『駆け上がってくる』ような異常な音など、今の雄矢にとっては想定内だ。


 雄矢はニヤリと笑い、音のする方を見た。


 そこには――城の外壁を飛び越え、玉座の間に降り立とうとしている将斗の姿があった。

 また、あの目だ。

 あの獲物を狩るような底冷えのする目で、自分を睨みつけている。雄矢の背中を冷たいものが走るが、焦ることはしない。

 

 将斗を横目に、プラン通り雄矢は右手の力を抜いて、『防御魔法シールド』を解除した。

 堰き止めていた透明な壁が消えたことで、『魔法矢』が直進を始める。


 雄矢は体を傾けた。

 光る矢は彼の右の肩口を軽く抉っていった。


「んぐっ――!」


 生じる激痛に声が漏れる。

 雄矢は弾き飛ばされそうになった右肩を無理やり押し留め、焼けるような痛みに顔を歪ませて耐える。

 思考は途切れていない。問題ない。思考はクリアだった。予定通り、右手をグレンの方へ向けようと体を捻った。


――その刹那、彼の視界の端に、今まさに着地した将斗の姿が鮮明に映る。


 血?


 将斗の両手の先。

 彼の剥がれかけた爪と指肉の隙間から血が流れているのが見えた。


 『不死』の力で、また時が戻るように治癒が始まっているからか、平気な顔をしている。

 関係ない。雄矢はプラン通りに事を進めようとする。


 しかし、どうしても今の光景が、雄矢の脳裏にこびりついて離れなかった。


 爪が剥がれたのなら、登ってきたということ――魔法が使えないからよじ登ってきたのか。

 でも、どうやって?


 雄矢の思考はこの一秒にも満たない時間で高速に演算を進めていた。

 何か見落としがあるのか――


「いいや、まずはクソ王子だッ!」


 関係ない。王子を支配下に置けば確実に勝てる。イレギュラーなんて関係ない。

 

 雄矢は戻した右手から強烈な魔力を放出しようとした。

 グレンに向けて、一気に魔力を。


――その時。


 突き出した右腕を、何者かに掴まれた。


 雄矢は驚きすぐに視線を落とした。


 正面にいたのはルナだ。

 立っている。

 足から血を流しながら。


 彼女は痛くてうずくまっていたのではないのか。


 違う。飛びかかるための『機』をずっとうかがっていたのだ。

 狙っていた。『超強化』の力で自分を組み伏せるための、決定的な隙を。


 それでも雄矢は冷静だった。


――組み伏せられる前に殺せばいい。


 躊躇なく肘を鋭く曲げ、彼女の脳天を砕こうと狙いを定める。


 だが、この状況は使える、と気づいた。

 振り向いて、迫ってきているであろう渡将斗を見た。


「動くな! こいつがどうなっても……っ?!」


 ルナを人質にとり、脅すつもりだったが、言葉が止まった。


 将斗は走ってきていたが、まだこちらに届くには十分に距離がある。

 十分だ。

 なぜ、止まった。

 とてつもない違和感があるから、言葉が出てこない。

 

 上手くいっているはずだ。

 ここまでは、完璧に上手くいっていた。

 

 上手くいっていたのに、言葉が詰まったのは、右腕を掴んでいるルナの力が()()()()()()()()()()()だ。


 彼女の右手は、雄矢の手を掴んでいる。

 そしてもう一方の手は、そっと、雄矢の胸に当てられている。


――何か。決定的な何かを、見落としている。




「…………あっ」




 気づいた瞬間、肺が破れるほど息を吸った。


 全身の細胞が、けたたましい警鐘を鳴らしている。

 後ろを向いていた首を、弾かれたように正面へと戻す。


 遅い。もうルナの口は静かに開いている。


「お前まさかっ――」

「――『回収コレクト』」


 詠唱の直後、ルナの左手が淡く光りだした。


 その瞬間。


 雄矢の胸から無限に溢れ出していたはずの魔力の濁流が、嘘のようにふっと消え去った。



******************************



「あ、あああっ、お前っ、お前っ?! お前ぇぇぇ!!」


 狼狽しながらも懐から素早くナイフを取り出した雄矢が、正面にいるルナに向かってそれを振り下ろすのが見えた。


「『交換チェンジ』!」


 将斗は叫んだ。

 直後、視界が劇的に反転する。

 ルナと空間を入れ替わった将斗は、彼女に迫っていた凶刃の前に、躊躇なく自身の掌を差し出した。

 

 手の中央をナイフが突き抜ける冷たい感触。

 吹き出す鮮血がルナの顔に滴るが、そのナイフの切先は彼女には届かない。


「あっごめん、めっちゃ血ぃかかっちゃった……って――いってぇ!! うっ……こっ……いっ……やば…………いっ」


 突き刺された手の手首あたりを握って、将斗は悶えた。


「ああっ……!」


 情けない声と共に、雄矢はナイフから手を離した。


 その奥でグレンが倒れていた。


「つっっっ…………」


 雄矢の目の前で、将斗は動けずにいた。

 深々と手のひらに突き刺さったナイフの痛みに悶えていたから。


 将斗は覚悟を決めて、左手でゆっくりと柄を掴み、一度深呼吸してから、一気に引き抜いた。


「ああああああああいてぇ! く……痛すぎる早く治れクソッ」


 目の端に涙を浮かべながら将斗は吐き捨てた。

 そのまま、雄矢のもとに迫るが、雄矢は咄嗟に手を向けてきた。


「『火球ファイア』!」

「っ?!」


 将斗は咄嗟に両手でガードした。


 しかし――ポスッ、という間の抜けた音。


 雄矢の手から生み出されたのは、バスケットボール程度の頼りない火球だった。

 それは将斗のガードをすり抜けるが、胸に当たって跳ね返ると、痕すら残さずに地面で虚しく消えていった。


 将斗は()()を冷たい目で眺めてから、雄矢に再び詰め寄った。


「なっなんで……俺の魔法が……っ?!」


 雄矢は震える指を振って、ステータスウィンドウを開く。

 枠を突き抜けて常にバグっていたはずの青い魔力バー。

 それが今は、底の抜けた器のように真っ黒に染まりきっていた。


「い、一回でゼロにっ?!」


 血走った目を見開く雄矢の腕を、将斗が思いっきり掴んだ。


「いい加減にしろよ。負けだろ、流石に」

「い、痛いっ……離せっ……お前この力っ、やっぱりっ『超強化』っ?!」


 乾いた菓子でも潰しているかのような嫌な感触が、将斗の掌に伝わってくる。

 加減を間違えたらしい。


 その痛みに雄矢は悲鳴を上げながら逃れようと暴れるが、膂力はただの一般人程度でしかない彼が、万力のように硬く握ってくる将斗の手を引き剥がせるはずもなかった。


「将斗、そのまま抑えていろ」


 背後で、グレンがゆっくりと立ち上がった。

 宿敵を射抜くように鋭く睨みつけ、漆黒の剣を静かに構える。


 雄矢の喉から空気の漏れる音がした。

 将斗は目を瞑って、答えた。


「……承知」

「ひぃっ、離せ、おい! やめろっ!」


 将斗は雄矢の首根っこをガッと掴んで、そのまま軽々と持ち上げた。


 魔法を失ったただの人間相手であれば、『超強化』のスキルは圧倒的だった。

 将斗は自慢げに鼻を鳴らし、こんな状況だが少し笑った。


 今更ながら、あの時のガチャは大当たりだったらしい。


「待っ、待て、いやっ……やめろ!」

 

 裏返った情けない声で、雄矢が両腕を必死に突き出している。

 命乞いのつもりらしい。


 神気取りで散々上からモノを言っていた男の末路がこれか。

 あまりの惨めさに、将斗は呆れて深々とため息をついた。


「――――」


 グレンの方から、冷たい殺気が伝わってくる。

 

 将斗はとめるつもりはなかった。

 初めから雄矢の処遇をグレンに任せるつもりだったから。


 この世界で犯した罪は、この世界の人間に裁いてもらうべきだと思っていたからだ。

 自分の手でケリをつけたい気持ちもあったが、それをしない事もまた贖罪ということにして――。

 

「た、頼む、命は、命だけは。嫌だ、助けてっ!」


 どの口がと、将斗は心底冷めた目で彼を見下ろした。

 向こうでは、グレンが冷徹な瞳で、無様に足掻く雄矢を静かに睨み据えている。


 そしてグレンは目を閉じて、覚悟を決めたように――


「はぁ……」


 深く長いため息をつき、グレンは握っていた黒い剣を、憂さ晴らしか、床に叩きつけるように投げた。

 ガァンッ! と鈍い金属音を立てて跳ねた剣は、広間の端の石畳に深々と突き刺さる。


 将斗はそれを見送ってから、肩を上下させているグレンをもう一度見た。

 不思議に思った。

 なぜ剣を捨てた。


「グ、グレン?」

「……忘れていたよ。俺たちの目的は『雄矢を改心させること』だったな」

「え、あ、あぁ確かに、そうだったけど――」


 今にも斬りかかりそうな気迫だったものだから、将斗は拍子抜けして、思わず間抜けな声を出してしまった。

 その向こうでグレンがボキボキと威圧的に指の関節を鳴らし始める。


「改心させるには、一度その体にしっかりと覚え込ませる必要があると思わないか? 悪いことをしたらどうなるかを」

「……あ」


 グレンは悪戯っぽく口角を上げながら、ゆっくりと右手で拳を構えた。

 将斗は彼が意味するところを理解して、同じようにニヤリと悪い笑みを浮かべる。


「まぁ、そうだな。グレンがいいなら、俺も賛成。で、どうする?」

「それは、君の案を採用だ。将斗」

「俺の……あぁ〜。いいねぇ!」


 最高の悪ノリを肯定するように将斗が短く返事をした瞬間、グレンが床を蹴り、猛烈な勢いで走り出してきた。

 

「なっ何する気だよ……やめっ――!?!?」


 将斗はタイミングを計り、ちょうどいい距離まで来たところで、首根っこを掴んでいた雄矢を前方に放り投げた。

 グレンが宙に浮いた標的を迎え撃つように、腰を捻って拳を振りかぶる。

 将斗も大きく一歩踏み出し、全力の拳を構えて放った。


「ううううわあああああああああああっ!!!」


――バギィッ!!


 二人の拳が雄矢の顔面を左右から捉え、鈍い音を立てて炸裂する。

 

 

 『超強化』を持つ将斗の拳をも凌駕するグレンの圧倒的な膂力は、殴り飛ばした雄矢の体ごと、()()()()()()()()()()彼方に吹き飛ばしていった。


 

 跳ねていった雄矢の体は数回のバウンドの後、落ちていた瓦礫に大きな音を立てながら衝突して、止まった。

 あとは、痙攣した彼の体がそこに横たわっているのみ。


 と、同時に巻き込まれて床を転がった将斗は、摩擦で削れる腕の痛みに顔をしかめつつ、石畳に張り付くようにして勢いを殺した。


 全身の砂埃を払いながらゆっくりと立ち上がると、グレンが糸が切れたようにドサリと座り込んでいるのが目に入った。


 無理もない。

 極限状態の中で満身創痍のまま走り続け、最後は精神まで支配されかけていたのだ。

 

 雄矢という最大の脅威を打ち倒して、彼を限界まで突き動かしていた緊張の糸がようやく解けたのだろう。

 荒い呼吸を繰り返す彼からは、滝のような汗が流れていた。


「終わったな……」


 崩壊した玉座の間に、冷たく澄んだ朝の風が吹き込んでくる。


 見上げれば、天井の消え失せた頭上には、白み始めた広大な空が広がっていた。

 将斗から見たグレンの大きな背中には、とっくに地平線を離れていた朝日が、容赦なく眩しく差し込んでいる。


「殴った後に夜明けがくれば完璧だったな……」


 将斗が冗談めかしてそうこぼすと、グレンは呆れたように息を吐いた。


「君は……こんな時も緊張感のないことを……」

 

 グレンは血と汗に塗れた顔のまま、肩を震わせて静かに微笑んだ。

 それは重責を背負った王としてではなく、ただの一人の青年としての、穏やかで晴れやかな笑みだった。


「だが、そうだな。君が望むなら歴史書には『倒してから日が昇った』と書いておくよ。その方が綺麗に――」

「ああ、いや、正直に書いといてよ」


 将斗は瓦礫の上に立ち、微妙な高さまで昇ってしまった朝日を眩しそうに眺めた。


 都合よく奇跡が起きるわけでも、絵に描いたような最高のタイミングで太陽が昇るわけでもない。


 体や心に受けた痛みをなかったことにはできないし、失われたものが全て戻ってくるわけでもない。


 確実に言えるのは、このいつでも見れるような光が本物だってこと。

 自分たちが命懸けで泥臭く勝ち取った、不格好で、ひどく眩しい光だった。


「これが現実なんだから、これでいいんだよ」


 吹き抜ける風が、将斗の黒い髪を揺らす。


 偽りの勇者の狂った物語は終わり、長かった夜が、ようやく明けたのだった。

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