第33話/336話 世界は奴/俺に味方する
腕が強く引っ張られる感覚に将斗は目を覚ました。
体は宙吊りになっていた。
足元に広がるのは、グラディアの西洋風の街並み。
将斗はまだ、雄矢と戦ったこの空にい続けていた。
見上げると、グレンが歯を食いしばりながら、必死の形相で腕を掴んでいた。
「将斗っ……飛べるか……っ?!」
左手には黒い剣。
その柄と一緒にレヴィの襟元を無理やり握り込んで落下を防いでいた。
グレンの腕が小刻みに震え、血管が浮き出ている。
今は、彼はたった一人で二人分の重量を支えていた。
「わ、悪い、今すぐ――っ?」
『浮遊』を使おうとした。しかし、できない。
頭全体が歪んでいるかのような強烈な目眩を覚えたからだ。
脳ミソを直接かき混ぜられたような、酷い酩酊感に似たものがあった。
これでは、体を持ち上げるイメージを浮かべることができない。
「……なんだ……これ……っ?!」
「魔力暴発の影響だ……その様子だと……っ……無理そうだな」
「……ごめん……」
謝りながら隣を見る。
レヴィは完全に気を失っていた。
目を閉じ、力を無くし、人形のようにぴくりとも動かない。
グレンが無事だったのは主に彼女のおかげだろう。
あの暴発を受ける瞬間、レヴィが障壁を展開していた。
あれが暴発の影響を最小限にとどめてくれたのだ。
さらには、将斗もグレンの壁になっていたから、影響を抑えるという点で一役買えたのだろう。
でなければ、ここまで魔力暴発の影響に個人差が出ている理由が説明できない。
「そうだ……雄矢は?」
「あれだ……」
グレンが苦しそうに、顎でとある方向を指し示した。
斜め下の、王城のある方向。
「んでだよ……!」
悔しくて言葉が出た。
空路の途中に、ふらふらと蛇行しながら進むシルエットが見えたからだ。
それが鈴木雄矢だと気づくのに時間はかからなかった。
ふざけるな、と思った。
彼は天井が消えて吹き抜けと化した、玉座の間を目指しているようだった。
ヘリポートのように着地して、そこで羽を休めて、逃げるつもりだろうか。
あと少しで勝てるはずだったのに、みすみす逃がすチャンスを与えてしまったことに、将斗は唇を噛んだ。
「何であいつは意識保ってんだよ……暴発の影響は!?」
「わからない……ひとまず、二人を下に降ろす。そしたら走って王城に向かおう」
その時、爆発音が聞こえた。
見れば雄矢が、フラフラと飛びながらも、火球を生成して、王城のあちこちにぶつけていた。
暴発の影響もあってか、今までの火球よりは威力も大きさも小さく見える。
見えるが、それよりも。
「……なぁ……あそこって」
将斗が見たのは、見張り塔から中央の塔に繋がった連絡通路。
それが破壊されている光景。
さらには中央の塔の側面と中央の――そこまで見て、一つの推測が浮かぶ。
「通路とか、階段を狙ってるのか……?!」
狙いが定まらないのか、空振っている火球もある。
だが当たらなければ、執拗に、入念に、同じ場所を狙って確実に破壊していた。
頂上の玉座の間に行く時に通った場所。
やはり、それらが破壊されている。
グレンもそれを理解したようで、焦ったように降下の速度が上がった。
だが、頭上から聞こえる彼の苦しそうな声が強くなった。
暴発の影響は低減されているとはいえ、無事では済んでいなかったようだ。
落下は遅い。雄矢が王城に着くほうが早いだろう。
無理に速度を上げられないからだ。
きっと、吊り下げている二人を落とさないことを最優先しているからだ。
「ダメだ、グレン! これじゃ間に合わない!」
「わかってる! 君たちを無事に下ろしてから、全速力で向かう。階段がなくても、壁面を蹴り上がることくらいできる……!」
だけど、とグレンの体を見る。
切り傷や火傷、血も流れていて、どう見ても満身創痍だった。
その状態で数百メートルの壁を蹴り上がるのは、たとえ異世界の人間だとしても難しいのではないか。
時間がかかれば、それだけ雄矢が羽を休める余裕ができる。
追いつく前に、どこへでも逃げ出すことだってできてしまうはずだ。
今最善の策は、このまま彼の後を追って、玉座の間で直接やり合うことだ。
将斗は覚悟を決め、グレンに声をかける。
「グレン、提案なんだけど」
「ダメだ」
まだ言ってもいないのにグレンは否定した。
思ってもいない答えで、将斗は目を丸くした。
おそらくは何を言うかが、バレている。
グレンは食いしばった口の端から何度も息を漏らして、一度大きく息を吸って、続きの言葉を口にする。
「落とせと言うんだろう……負担になるからと」
やはり見抜かれていた。
だがそれが最善だろう。
負担を減らして、すぐにでも雄矢を追うべきだ。
焦った将斗は、どう言いくるめるか考える前に口を開いてしまった。
「……その……あれだ……俺、飛べるし。だから、手を離してもらって――」
「じゃあ今すぐ飛んでくれ」
「……悪い、嘘だ」
浅い嘘だった。
そんなものを王子様は見逃してくれない。
暴発の影響で頭がぼんやりしているから、まともな考えが浮かばないのが原因だ。
「俺、今『死ななくなってる』から、落としても問題ないんだよ。落ちたら合図するから、その後レヴィも落としてくれれば俺がキャッチして――」
「何が問題ないんだ……?」
「傷がすぐに治るから、地面に叩きつけられても全然――」
「何が問題ないんだよ!!」
空気を裂くグレンの怒声に、肩が震えた。
「勝つために君を犠牲にしろって言うのか?」
「それが一番効率的だろ、今あいつを逃したら――」
「そんな方法で勝って、何が嬉しいんだ!!」
グレンが叫ぶたびに、三人の体が空中でガクッと降下する。
魔法に回している集中力が削がれるからだろう。
彼はきっと魔法を維持するだけで精一杯くらいなのだ。
グレンが腕を握ってくる力が強くなるのを感じた。
「俺は、誰にも死んでほしくないんだよ……っ!」
彼が絞り出すように言う。
『誰にも』の中に、当然のように自分を入れてくれていることに、将斗は少し驚きを感じた。
それが嬉しくもあり、今この状況では合理的ではなくて、
「将斗、考えよう。あるはずだ。そんな方法じゃなくても、きっと――」
グレンのその言葉に、将斗は首を振った。
「そんな方法じゃなきゃ、勝てないだろ」
低い声で、諭すように言った。
「今ここであいつを逃したら、もっと犠牲者が出る。多分そうなる。だったら今、俺を犠牲にするのが先決だろ」
「ふざけるな……俺はそんなもの選びたくない、選んでたまるか」
「お前が選んだんじゃない、俺が選んでるんだ。いいんだよ、俺は。お前の気にすることじゃない!」
「――っ! 何と言おうと、死んでも離すつもりはないからな!」
グレンが将斗の腕をさらに強く握る。
これでは振り切ることもできないだろう。
そのくらい、骨が折れるんじゃないかと思うくらい、強い意志で握られていた。
「グレン……!」
グレンは返事もしない。
本当に離すつもりはないつもりらしい。
しかし、こうしている合間にも、雄矢は徐々に王城の最上階へ近づいている。
依然、グレンの降下は遅い。
地上に着くまで、あと何分、何十分とかければいい。
将斗の脳はまだノイズが走っているみたいに、魔法が使える気配がない。
離してもらう方法や、どうにかして飛ぶ方法を模索しようにもうまく頭が働かない。
「くそっ……」
逃げられる可能性が見えてしまったのが悔しくて、吐き捨てる。
何かないかと考えて、ふと、隣のレヴィを見た。
黒剣と共に握り込んでいるのは彼女のドレスの襟元。
将斗と違い、服を掴んでいるせいか、彼女の体は少しずつ滑っていて、今にも落ちそうな危うさがある。
「レヴィ……」
将斗は、彼女の姿を見て呟いた。
「……俺とほぼ同じ身長じゃん」
――私のこの格好、外套込みで私があんたと同じ大きさって判断できる?
初めて会った時の言葉を思い出す。
あの時は同じ大きさだという確証のない判断をした。
でも今なら、はっきりわかる。
はっきり、同じくらいだと認識できた。
「グレン……」
将斗は見上げてグレンを呼んだ。
グレンは返事をしなかった。
頑なに将斗の自己犠牲を認めない姿勢からか、意見は聞かないつもりらしい。
だから、一言伝えた。
「あとで、一回殴っていいからな」
その言葉にグレンが目を見開く。
将斗の腕を掴む力が一層強くなる。
おかげでその腕を支えに、将斗は空中で足を振り上げ――レヴィの肩にそっと乗せた。
「……何をっ?!」
グレンの声がするが、無視して、将斗はその足を下へ振り下ろした。
肩に足が乗っていたのだから、レヴィの体は当然、下に落ちる。
服をしっかり掴めていなかったから、彼女の体はグレンの手から離れた。
「レヴィ!」
「――『交換』」
グレンが剣を持つ手を伸ばした先で、落下して行くのは将斗の姿。
強く握っていたはずのグレンの右手には、レヴィの腕が握られていた。
入れ替わりを理解し、グレンは急降下を始めて、将斗を追おうとする。
「さっき言ったようにしろよ!」
将斗は叫んだ。
その言葉にグレンの降下が止まる。
遠ざかる彼の顔は悲しそうで、それでいて怒りの色もあって、複雑といったところ。
これは後で殴られたら相当痛そうだなと思いながら、将斗は目を閉じて重力に身を任せた。
体を吹き付けてくる風が徐々に強くなってくる。
目を閉じているから、いつ『その時』が来るかわからない。
治るからと言っても、痛いものは痛いし、怖いものは怖い。
体が焼き尽くされるのも、バラバラにされるのも、気力だけで耐えていたが、それらとは違う方向性の恐怖があった。
「うわ、最悪……」
将斗はそんな時に、余計なことを考えた。
どこかネットの海で見た哲学。
死んで生き返った場合、その人は死ぬ前の人と全く同じ人物なのか、というヤツだ。
今一番思い出したくない内容に全身の血が引いて行く感じがした。
お腹の辺りは重い感じがしたし、胸の鼓動が早くなり出した。
恐怖を、思い出してしまった。
「怖くない、怖くない、怖くない、怖く――」
風の音が変わる。
より一層、強い風が体を包んでいる。
大きなものが――地面が近づいているような気配を感じて、将斗は力強く瞼を閉じた。
「無茶するね」
体がふわりと宙に浮いた。
目を開けると、石畳の地面は目の前にあったが、強い風が体を支えている。
衝突の直前で落下が止められたらしい。
「大丈夫?」
驚いて、声のする方を見ると、黄緑色のショートヘアの女性がいた。
頬のあたりに大きな火傷の痕があった。
両耳につけた青色の宝石の耳飾りが揺れている。
彼女が持っていた杖を左右に振った。
すると風が徐々に消え、将斗は地面に降りることができた。
立ち上がって彼女を見る。
黒い服を着ているので、レジスタンスの一員だと思った。
「えと……ありがとうございます?」
「そんなのいいから。王城に行くなら、早く行ったほうがいいよ」
「えっ……あぁ、そうだ、あの、上に合図送るとレヴィを落としてもらう約束になっててそれで……」
「レヴィ? ――わかった、任せて」
彼女はそう言って、詠唱せずに空に大きめの火球を放った。
「ま、任せちゃっていいですか?」
急いではいるが、完全に任せきりなのは失礼かと思って将斗は聞いた。
彼女は将斗の言葉に少し驚いたようにしていたが、くすくすと笑った。
「むしろ任せて……友達を見捨てるなんて絶対にしないから」
「友達……?」
「さ、君は早く行って」
将斗は確かに止まっていられないから、「お願いします」と一言だけ言うと、王城に向かって走り出した。
今いる場所は中央広場よりもさらに離れた街のどこかだった。
王城は国のシンボルなだけあって、向かうべき方向はすぐにわかる。
飛んで行きたいところだが、まだ脳内がかき混ぜられているような感覚のままだった。
将斗に残された手段は走る以外にない。
「『超強化』で良かったよ」
足に力を込める。
走ることだけはできるから。
将斗はその方向に向かって、一目散に駆け出した。
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雄矢は魔法を放った。
最上階に通じるたった一つの階段が火球によって破壊され崩れ落ちた。
彼はそのまま墜落するかのように、玉座の間の床に転がりながら着地した。
「はぁ……はぁ……これで、誰も来れねぇ」
やり切った顔のまま、雄矢は呼吸を整えた。
階段がある場所は全て破壊した。
見張り塔から通じる道も全て潰した。
これで、飛んで直接来る以外には、昇ってくる方法はない。
この体でそれを成し遂げたという達成感に浸りつつ、ゆっくりと立ち上がる。
未だ脳内は、暴発の影響でかき混ぜられているような不快感が残っている。
だが、ここまで動けるなら怪我の功名だ。
「で、何でいるんだよ」
雄矢は目の前の人物に言い放つ。
玉座の間の中心。
まるで迎え撃つかのように、水色の髪の少女が立っていた。
「あなたを……と、止めるために、です」
「……ハハ。笑えねぇよ。不死じゃねぇんだろ、今は」
雄矢はそうは言いながら、魔力を操作する準備を始めた。
暴発の影響は幸運にも雄矢の意識を奪わなかった。
しかし、魔法の威力や精度に酷いブレが生じている。
それは階段を破壊する時に理解した。
全快には時間がかかる。
雄矢は腕で脂汗を拭った。
――めんどくせぇな
聞かれたくないから、言葉にはしなかった。
雄矢はここで休み、脳へのダメージを回復させてから逃げる算段だった。
ルナが現れるのは誤算だった。
普段の彼であれば、彼女がいても脅威にはならない。
それに彼女は不死ではない。
だが、暴発の影響の残る雄矢の脳でも、ある一つの可能性を忘れてはいなかった。
渡将斗が『不死』になるために、彼女と入れ替えたスキルがある。
『超強化』だ。
身体能力を底上げされた彼女との対峙は、雄矢も崖っぷちに立たされたような錯覚を覚えてしまう。
だから彼女はここにいて、自分と対峙する選択を取ったのだ。
ここまで来て、こんな女に負けたくはない。
雄矢は冷徹に判断を下した。
「『火球』!」
不意打ちに近い攻撃。
いつもより小規模だが、人は吹き飛ばせるくらい火球が一直線にルナを狙う。
そのまま焼け死ねと、雄矢は願うが――
「――雄矢ァァァァァァァァ!」
後ろから向けられた殺意に咄嗟に振り向く。
その雄矢の頭上を通って、グレンが火球を両断しながら舞い降りた。
「こいつっ――?!」
雄矢は驚いていた。ちんたら下降してる姿を見ていたから。
その隙に、グレンが駆け出す。
その速度は全快時のものに比べれば遅い。
だから雄矢が腕を前に向ける余裕があった。
「火球――なっ?!」
雄矢の手から、火が出なかった。
不発だ。
ここに来て、暴発の影響がモロに出た。
この魔法だけは癖になるほど、体に覚え込ませた。
そのはずが今は魔力の操作がめちゃくちゃになっている。
その間に、グレンは距離を詰めてきていた。
グレンの構えは、大きな横降りの姿勢。
左右に避けていられない。
雄矢は後方へ飛びながら大きく「浮遊」と唱える。
しかし、体は浮かない。
またも不発だった。
雄矢は舌打ちをしながら、無様に背中から転倒した。
だがその失敗は功を奏した。
グレンの横降りが眼前を掠めるだけに終わる。
だがグレンはすぐに踵を返し、黒い剣を振り下ろしてくる。
雄矢は覚悟を決めて、地面に手を突き立てた。
「『火球』!」
瞬間、両者の間の床が爆発する。
グレンも、雄矢も、巻き込まれて吹き飛ばされた。
転がりながら剣を突き立て姿勢を直すグレンの体を、後ろからルナが支えた。
その反対側でふらつきながら、雄矢が立ち上がる。
服の一部は焼け落ちて、右手は赤く、軽度な火傷を負っていた。
「まだ、終わってねぇんだよ……逃げ切ってやる」
その雄矢の呟きに、グレンは限界の近い自身の体に鞭打って、剣を支えに立ち上がった。
侵入者二人の戦闘の後、全速力で隕石を切り続けた彼の体は、本当ならもう倒れてもおかしくない状態にあった。
だが、グレンは気を抜いていられないと思っていた。
今目の前にいる雄矢には不遜な態度はなく、ただ生き抜こうともがく者の闘志が揺らめいて見えた。
雄矢は右手を押さえながら、グレンに宣言するように叫んだ。
「反っっっ省したよ。下級魔法でも、この無限の魔力があれば十分だって勘違いしてた。負けそうだよ。認めてやるよ。だが俺は捕まらない。逃げてやる……逃げて、これからは中級も上級も覚えまくってやる。だから……どけ!」
その低い声には、確固たる意思があった。
こいつの覚悟は本物だと直感で理解する。
逃せば宣言通り、出鱈目な魔法使いが誕生してしまう。
グレンは本格的に逃してはならないと、剣を強く握って駆け出した。
グレンが迫る。
雄矢が彼に向け火球を放つ。
グレンは一つ、二つと切り裂いてさらに接近した。
そのまま彼に向け剣を振り下ろすも、雄矢が地面と並行に飛び抜けた。
『浮遊』による回避だった。
グレンも追撃しようと『浮遊』を発動しようとするも――不発。
彼自身もまた、暴発の影響が残っている。
すぐに地面を蹴って追う。
距離を詰めて、切ろうとするも、ひらりと回避される。
素早い。
だから、グレンは近くに落ちていた大きな瓦礫を掴み――
「ふンッ――!」
そのまま力任せに投げつけた。
視界を覆い尽くす瓦礫の弾丸に、雄矢は左右方向に回避するしかない。
雄矢は右に飛び出した。
だが、その先を予見したグレンが塞いでいた。
彼は雄矢を完全に捉え、剣を振り下ろした。
「『防御魔法』!」
ガィンッ!
透明な壁が雄矢の前に現れる。
黒い剣が衝突する。
――直後、ガラスが砕けるような音と共に、シールドが崩壊した。
しかし、その一瞬が隙を生む。
雄矢は後方へと回避していて、黒い剣は空を斬って床を叩きつけるだけに終わる。
砕かれた床の破片が飛び散る奥から、火球が放たれる。
その火球の軌道の先にいたのはグレンではなく、ルナだ。
「くそッ!」
グレンは急に振り返って、駆け抜ける。
火球を追い越し、ルナの目の前に立つと、迎え撃って両断してみせた。
切られた火球が粒子となって消えていく。
彼は振り返ると、ルナの手を取った。
「ルナ逃げろ!」
「で、でも……!」
「君を守りながらは危険だ!」
空気の焼く音が聞こえ、グレンは振り返ると、すでにいくつも火球が降り注いできている。
それをまた撃ち落としていく。
グレンは、肩を大きく上下させ、呼吸を整える。
体が悲鳴を上げ続けていた。
大量の汗が流れていて、喉も乾いていた。
ただ心の中で、まだやれると、彼は自分に言い聞かせた。
今しかないからだ。
雄矢の最も強みとする魔法。
その発動がままならない今しか、勝機はない。
「もうキツイんだろ……大人しくどっか行ってくれねぇかなぁ!」
「逃げるものか。俺は王として、お前をここで止めてみせる!」
グレンの汗と、開いた傷口から落ちた血が、床へ赤い染みを広げていく。
睨み合う二人の間にはその落ちる音だけが響いていた。
「……」
「……」
互いに出方を伺い、動かない。
雄矢の向こう、東の空の光が強くなり始めるのが、グレンの目に映った。
逆光になり、雄矢の顔が暗くなる。
彼の口が少しずつ笑いに変わっていくのが見えた。
その時、グレンは何かを察知した。
「ハハ、アハハッ、ああ〜……マジで俺って運がいいんだな……」
喜びを噛み締めるように、雄矢が語り始めた。
グレンはその姿に動こうとはせず、黙って聞いていた。
――いや、動こうとしても、足が鉛のように重くて動かなかった。
「これもう世界全部が、俺の背中を押してくれてる感じがするぜ……」
雄矢が、ゆっくりと歩いてくる。
グレンはまだ動かずに、止まっていた。
「そうじゃなきゃ説明つかねぇよ、なぁ? クソ王子!?」
雄矢はグレンのすぐ目の前にいた。
今すぐ、足を一歩出して、剣を振ればいい。
それぐらいの距離。
なのにグレンは一歩も、それどころか指先一つ動かさない。
不思議に思ったルナは彼の顔を覗き込んだ。
グレンの目は極限まで見開かれていて、カタカタと震えていた。
「グレン……?」
「なんで……こんな……時に……!」
震える彼の口から、その言葉が漏れ出す。
「ま、まさかっ……」
ルナは驚愕し、膝を落とした。
足に力が入らないのか、手の力だけで後ろに下がっていく。
「斬れ」
雄矢の声に応えるように、グレンが剣を振り下ろした。
意思に反して動く剣はルナの足を切り落とす――直前で軌道を変え、右の脛の側面を深々と斬った。
「きゃぁっ!」
高い悲鳴が上がる。
彼女は傷口を押さえ込んで、震えながらうずくまった。
吹き出し続ける赤い血が、指の間から染み出して流れていく。
その赤い液体をグレンは、限界まで開いた目で、ただ見ることしかできない。
「命令に逆らったのかよ。調子悪いとこうなんのか。困るよなぁ、王子ィ?」
「これは……雄矢っ……お前っ!」
雄矢のいる方へ、背中越しに叫ぶ。
錆びついた人形のようにグレンが、首をギリギリと回す。
雄矢は満面の笑顔で、己の操り人形と化した彼を見ていた。
「そうだよ? 催眠魔法、かかるようになっちゃったなぁ?! クソ王子!」
勝利を目前にしたところで、世界は最悪の形でグレンたちを裏切った。




